ポー文学総覧

ディズマル・スワンプのアメリカン・ルネサンス ―ポーとダークキャノン

ディズマル・スワンプのアメリカン・ルネサンス ―ポーとダークキャノン

ご恵投賜った伊藤紹子『ディズマル・スワンプのアメリカン・ルネッサンス』読了。
ポー作品における水、沼、海を始めとする環境、キメラや混血といった異形、ダゲレオタイプやサイボーグといったテクノロジーポストモダン/ポストヒューマンとの関わり、と縦横無尽、実に幅広い。特に「ライジィーア」における石化やJ・キャロル・オーツによるアダプテーションに関心をもった。アメリカにおける滞在研究の成果もふんだんに用いられ、図版の数も多い。本書の成立事情から勘案してまとまりの乏しさは致し方ないところはあるが、裏返ってポー研究の射程を総覧・通覧する上で格好の一冊だと言えるだろう。
恩師の一人をただ褒めそやすことにはまったく意味を見いだせないので(ステマはしない主義なので)、批判だけに絞る。
全体に目を向けると、ポーを起源とする後続への継承や影響、なにかとポーを先駆者とする持ち上げ、時代がポーに追いつく、といった記述は、アダプテーション論の観点からいって不適切だし(もちろん『アルンハイムへの道」がイギリスロマン派からの影響を扱っている以上、対する本書がポーからの影響という方向に比重が傾くのは理解できる)、ポーの剽窃に近い創作法に鑑みても正鵠を得ているとは言いがたい。マシーセンのアメリカン・ルネッサンス論を「キャノン」制定の論拠とし、これを前提とした記述にも違和感がある。キャノン神話については依然本場アメリカでも根強いが、批評的フレームとしては機能不全に陥っており、そろそろ代替わりが必要だと思われる。
各論においては、機械によって生かされている機械人間をもってハラウェイのサイボーグやポストヒューマン理論に言及することにどれほど意味があるのか疑問に思うし、奴隷体験記における検閲を白人と黒人の共同作業としてしまう短絡は気になる。
また、ダゲレオタイプデュパンの視覚的推理能力の範となっている、という指摘はたいへんおもしろいが、それが三次元的に展開される、とする箇所には留保を付けておきたい。デュパンは表面にのみ真実を認める理念の持ち主であった。「群衆の人」のような人間の内面に立ち入らない/立ち入れないという禁欲、表面のみに理性を働かせるところにポーの観察の特異性はあるように思う。この表面性の対極にある「井戸の底に真実がある」というデモクリトスの格言を追求する『ピム』の恐怖との関係を問う可能性はないだろうか。表面に働く技術的理性とそれでも届かない「井戸の底」に根源的恐怖を認めるという構図は、ポー文学の基調を成しているように思う。
だが、以上のような批判を着想し、乗り越えたいと思わせるだけの厚みと重みをもった一冊であることは疑いようがない。圧倒的な学術的献身に心からの敬意を表する。

佐藤啓介『死者と苦しみの宗教哲学』

宗教哲学とはなんだろう。宗教のありようについて原理的・理性的に思考する学問だろうか。一年ほど前までのわたしはそう考えていた。
宗教は、理性では解きがたい人間の生の機微を、超越的な存在である神とともに耐えしのぎ乗り越えようとする場である。対する哲学は人間理性を探求する。近代大学において国家の干渉を防ぐ防波堤となりつつ、神のような超越的な存在をカッコに入れる哲学は、人間の力だけで超越性を思考する超越論的な営みであった。このような大雑把な二分法も一応は可能だろう。
けれども、あらゆる学問領域がそうであるように、縄張りはいつも暫定的なものに過ぎず、時代に応じてその境界は揺らいできた。とりわけ、キリスト教が西欧世界で覇権を握って以来、宗教と哲学は微妙な交渉を重ねてきた。理性の信頼を胸に論理と合理の道を突き進む哲学徒といえども、実際は教会権力に配慮しつつ、無神論者や背教者の烙印を押されぬよう、慎重な思索が求められた。事情が変わるのは、宗教改革以降、教会権力が没落の一途を辿り、世俗権力の封建制が揺らぐ時代が到来してからだ。世俗化と民主主義の時代に宗教哲学はひとつの学として生まれた。
聖書が文献学の対象となり、神の絶対性やキリストの奇跡が疑問に付される18世紀に、宗教は哲学による理性の光に照らされはじめる。超越的な存在を中心とした信仰の世界に、超越論的な思索が入りこむ。宗教が独占してきた善悪や生死といった主題は、世俗の哲学の側から捉え直された。しかし宗教という秘儀的な領域がたちまち照明される一方、哲学の側も無傷ではいられない。理性の光が内心の暗渠へと伸びるに従い、その輝きは褪色を余儀なくされ、哲学は神秘的な反影を揺曳する鈍い光を発することになる。かくして、宗教と哲学は宗教哲学という接触領域を必要とする。宗教哲学は、哲学と宗教が互いを食みつつ互いの本分から遠ざかる、あるいはふたつの振り子がぶつかってはその勢いの分だけ遠ざかる、その反発係数を思索と信仰の系譜に銘記する学として18世紀後半に生まれた。
しかしながら20世紀に入ると、哲学が世俗において知識人を多数輩出する一方、宗教的言説は公共空間から一気に退場していくことになる。世界各地の創世神話を否定するダーウィン種の起原』の登場を俟つまでもなく、科学技術は見えるはずのないものを次々と明るみに出し、自然科学は地球や人体、世界の構成、さらには宇宙の出自に至るまで、宗教の縄張りを浸食していった。米国南部を中心とするメガ・チャーチの隆盛やラテン語圏諸国のカトリック信仰の根強さは依然無視できないとはいえ、国際政治から世間の話題に至るまで宗教に発する公的な言葉は影響を失って久しい。教会と国家の分離を進めた世俗化は、宗教的な問いを私心の閉域で完結させるところまで進行した。信仰は内心の自由を確保された個人の心の中でなおくすぶり続けるだろう。宗教が公的言説から退場したのちも私的な信仰は隆盛を保つものの、残された個人のパトスを掬い上げる公的次元は欠落している事態を、いささかためらいつつもポスト世俗化と呼んでみたい。
世俗化の時代に生まれた宗教哲学は、このポスト世俗化の現代になにをなすべきか。本書に課せられた最も重い問いは、宗教哲学の再定義である。かつて相互遠心運動を続けていたふたつの振り子のうちのひとつ、宗教的言説が公共領域に介入する力を失った今、宗教と哲学をぶつけ両者が遠ざかる力のもとにひとつの場を開く、かつての宗教哲学のやり方は通用しない。
果たして本書の著者、佐藤は、宗教の言説が公的な次元に「掬い上げていた」ものの今や救済されないままわだかまるほかない、自然悪の苦しみや復讐の連鎖といった遥か下方にある現代的経験に着目する。宗教的な言説の庇護を受けないこれらの経験に、宗教哲学の遺産と哲学・現代思想の知見を糾合して臨む。誰もが感じるものでありながらおおっぴらに語ることが難しい現代的経験に、片肺となった振り子をぶつける。だが、この振り子はもはや公の高みで水平方向に働くことはない。私的な懊悩は遥か下方にある。だから高みに漂う(宗教)哲学的言説を、取り残された暗い情動へと鉛直的に落下させてみる。経験にぶつかる勢いはそのまま、経験の深部へ、過去の知見の及ばない深みへと遠ざかり、思索の可能性を測深する。
佐藤が考える宗教哲学の潜勢力は、予め公共的な力をもっている言説どうしがぶつかってはお互いに遠ざかる、その反発係数の記録にはない。私的な経験を公的な言説へと「掬い上げる」ことにもない。むしろ重力に従い「宗教以前の情動」の発生現場に降り立つ」(15)。公的な次元という高見の拠り所を持たない経験の地表へと敢えて墜落し、さらに重力には果たせないほどの深みを抉りつつこれを測深する。高みにある救いの「公」とは違う、深淵に眠るもうひとつのパトスの「公」を目指して。
管見の及ぶ限り、以上が本書に賭けられた問いであると思う。以下、本書の議論を書評子に能う限り、時に間引き時に噛み砕きながら、その骨子のみを曝してみたい。
まず、ホロコーストのことを思い浮かべてもらいたい。第二次大戦中にナチスが行った障碍者・外国人・ユダヤ人の強制収容と大量殺戮は人道に対する罪として認定され、関係した人物は次々と法的な処罰を受けている。のみならず、ドイツ国家全体がホロコーストの罪を背負い、負の経験を記憶するモニュメントは方々の街並みに溶け込んでいる。処罰と贖罪は、赦しがたい罪への応答としてはほぼ常識に属するだろう。より卑近な、刑事罰には相当しない事例を考えてみても、不倫や不祥事という社会秩序を紊乱する行為には、公職からの追放やSNSによる容赦ないバッシング、そしてそれ相応の謹慎が伴う。だが罪責に応える選択肢は、処罰や贖罪という加害者が負う責任以外にもある。害を被った当事者やその関係者による赦しである。
本書第1章では、「赦しの可能性の条件」を問う哲学の系譜が、重力に逆らう高みへの志向として提示される。
罰を与えない消極的な行為として赦しを考えるハンナ・アーレント。これに反し、赦しは罰とは無関係であり、また一回的・瞬間的に終了することなく不断に赦し続ける難行であると考えるポール・リクール。被害を被った側が赦す可能性よりも罪を犯したものが背負う赦しえないものの試練の重さを強調するヴラジミール・ジェンケレヴィッチ。実際に赦せるかどうかが事前にはわからない、赦しえないものだけを赦す行為に無条件の赦しの理念を託すジャック・デリダ。それぞれが相互批判的に対置され、最後のデリダの「不可能な赦し」というアポリアが、この赦しの哲学的考察の理念の座を占める。
現実に赦す/赦さない可能性を担保するのが、赦されざるものを赦す、という現実には実現不可能なアポリアである。失われたものを同定しその空白を埋めることのできないメランコリーの状態にも似て、理念的に赦しとは決して終わることのない未完の贖宥である。予め赦し終えることができるとわかっているものを赦すのが赦しなのだとすれば、それは赦す必要さえないのかもしれない。それは必ずしも赦さなければならない罪ではない、いや罪ですらないかもしれない。そのような赦しは、赦しの名を借りたお手軽な出来事の忘却ですらありうる。この場合、鋳型のような赦すことができる罪があって適当な赦しをここにはめ込む、という定型だけがある。赦しという行為に倫理的切迫性が伴うとすれば、予定調和の及ばない赦されざる罪の存在を想定した場合だけだろう。
実際、人が真剣に赦しを考慮する際に目の前にあるのは、罪状の軽重・種類、そして赦しの前例の一切を問わず、わたししか赦すことのできない一回的な罪である。法においてその罪が一般化されていようが、わたしが直面しているこの罪は一般化できない。だから赦しがたい。赦しがたさに対峙するとき、わたしの経験は「私がどうこうできる理念ではなく、私をどうこうする理念。私が使用するのではなく、私を触発する理念」(34)に突き動かされている。この理念があってこそ、法や政治のなかにおける赦しは、その都度切迫性を感じつつ真剣に考慮するに値する選択肢として権利上存在しうる。でなければ、「汝を赦す」という空疎な言葉の儀礼的な遂行性だけが空回りすることになるだろう。
だが最晩年のリクールは、デリダが提起した赦しのアポリアに留保をつける。あらゆる想定や想像を拒む理念をそのまま遥か天上に戴いておくには人間の思考はあまりにも脆い。赦しえないものを地上に引き下ろし、知らぬうちにこれを条件つきの理念に、ある種の定型にしてしまいかねない。理念の無根拠さを地上に繋ぎ止めておくには両者を結ぶ「隘路」、範例が必要だ、とリクールは言う。リクールは天地の間に「隘路」を通すイエス・キリストに求める。弱い凡俗の人間であっても、神の子でありつつ人間でもあるイエスという範例を手がかりにすれば、現実には不可能な赦しの理念が天界の奈辺に存在することを信じ続けることができる。
以上が、書評子の理解が及ぶ限りでの第一章のあらましである。しかしこれは先行する宗教哲学および哲学の伝統を整理する予備的考察に過ぎない。著者の問いはこれを批判するところから始まる。すなわち赦しの宗教哲学はあまりに気高く倫理的ではないだろうか。果たして人間は《神と人間を結ぶ聖書の言葉》のような隘路を経て、赦しえないものを赦すという理念を仰ぎ見るだけで、さまざまな害を被るこの弱い生に納得することができるのか。デリダ/リクールの理念形は人間の(不可能なまでの)寛大さや倫理的な高みへと飛翔する。しかし人間は安きに流れる。弱い。人間の恨みがましさ、不寛容といった限りなく低い理念を思索する必要があるのではないか。リクールの範例は「善すぎる」。

無条件的な赦しが、赦しの請願の有無にかかわらず赦すのであれば、赦しの対極には無条件的な復讐があるのではないか。即ち、赦しを請う請わないにかかわらず、改悛したしないにかかわらず、刑を受けた受けないにかかわらず、絶対に復讐するパトス。赦しえないものをも赦す「愛」の裏側にある、復讐しえないものさえ復讐する「憎悪」。無条件的な赦しと全く同じ程度で、あらゆる人間的な能力をはみ出る無条件的な復讐。それこそが、私たちの「赦しえないもの」の経験を可能にさせているのではないだろうか。(40)

端的に言って、赦しえないと思える行為に対する応答は通常、赦しより先にまず復讐として思い描かれるだろう。赦しえないものをそれでもなお赦すという神的な理念の対蹠にある、ごく簡単に赦しうる事例に対しても敢えて復讐するという人間以下の《人でなし》の理念までの導線は、処罰や慰めをもって代えがたい応報感情に打ちのめされる経験から想像できる。哲学的な高みに上昇することによって得られる倫理的な強さではなく、とても人間には達することのできない深みまで人間的な弱さを掘り下げること。
ルシフェルが神に反逆し天界から墜落したあと、人間には想像できないほどの深淵が大地に穿たれ、地獄は生まれた。堕天使ルシフェルを最底辺に従える地獄の深さは、人間には犯しえない神的な罪深さを物理的に刻印している。しかしこの想像を絶する深みの生成は、墜落の始点である神の住まう天の高みなしにはあり得ない。デリダやリクールが追究した赦しは、煉獄山を一歩一歩登りつつ天界の頂を目指す強い人間の、しかし決して完遂することはない贖罪の旅に似ている。だが、天から墜落した神的な存在が創り出した地獄の人外的な深みもまた、赦しえないものの高みを証言する。倫理的高みからもっとも遠ざかった《人でなし》の深淵が深ければ深いほど、いと高き赦されざるものの賭け金は競り上げられる。
デリダ/リクールのカッコいい倫理から敢えて遠ざかる。本書は、ふつうの人間が抱く恨みや復讐心といったダサイ弱さから、あるいは赦す能力も復讐する能力も欠いている酷薄な死者から、倫理的思考の潜勢力を(掬い上げるのではなく)掘り下げる試みだと言えよう。道徳的にはおよそ範とすべきではない復讐や無力、怨嗟の範例に哲学的知見を携えて向かう。極めて卑近な人間の弱さを極限まで増幅させた先にある、およそ人外的な悪や罪深さ、無力を測深することによって、宗教哲学の遠心力は鉛直的な力として回復される。宗教哲学の根源には、立ち向かったり、断ち切ったり、善行を為したりする理性的な行為主体としての生ではなく、さまざまな害を受けたり、悩んだり、煩悩に悶々とするパトスの受容体としての生、すなわちなにごとかをいつも「被る」生がある。もはや宗教的言説によっては救われない脆弱な人間的生が描く実線を底なしの思考によって掘り下げた果てに、ルシフェル墜落の力が破線状に棚引いている。切れ切れに続くこの痕跡は無条件に被る弱い生の理念を辿る手がかりとなって、あるいは赦しとはベクトルを違える理念への「隘路」となって、この弱い生を生かす蜘蛛の糸となるだろう。
《人でなし》の深淵を実践的に深掘りする第二章から第四章では、死者と記憶の問題系が取り上げられている。
第二章の主題は、浮かばれない死者の怨念を断ち切ることができず、復讐心を燃やす生者である。たとえば他になんの身寄りもない人が唯一自分のことを理解してくれている恋人を殺されたケースを想像してみよう。恋人を殺害した加害者に対する恨みは募る。彼岸に行った恋人の怨念を代理し、復讐したいという気持ちを押し殺したままにしておくのは難しい。だが、その復讐が実行に移されるとして、その行為は本当に恋人の思いを代理しているのだろうか。さらに「犠牲者に忠実であるという倫理的志向は、必ずしも倫理的行為を生むとは限らない」(54)。復讐したいという思いは恋人の気持ちを汲もうという倫理に発しているのだとしても、加害者を殺すという行為はとても倫理的とは言えない。恩讐の彼方に至るという強靭な高みに訴えることなく、このジレンマをどう解きほぐせばよいのか。
復讐の実行は、加害者を赦すという選択肢を選べない弱さに発しているということもできる。しかしながら、加害者がもつさまざまな能力を奪う復讐は、復讐できる能力に発しているという意味において、真の意味で弱いとは言えない。本当に弱いのは復讐できない無力さであり、さらに言えば、復讐を実行するどころか赦しや怨みをたとえ抱いていたとしても公言することさえ叶わない死者であろう。亡くなった恋人に代わって復讐するという行為は、もの言わぬ死者が抱きうるさまざまな思いを「加害者を殺したい」という一択に限定し、死者の声が秘めている多様な可能性を奪う。つまり復讐とは、死者の弱さを濫用できる生者の強さに立脚した、「復讐する能力さえ奪われた犠牲者に最後に残されている場――復讐する能力が奪われているという立場――さえも占有し、犠牲者を「なかった」ものにする忘却の最後の一閃」である(56)。
加害者を赦すという気高き強さを発揮するのは難しい。だが、怨念を抱えつつも復讐を実行に移さないこと、これを断念することはできる。そうすることで、彼岸において、もの言わぬ死者の思いを千々に乱れたままにし、さまざまな声を秘めたままにしておくことができるだろう。赦すという積極的な行為の対極にある、復讐を実行には移さず内心にとどめておくという《行為の否定》によって、復讐することも赦すこともできる潜在可能性を死者は取り戻す。
翻って復讐の断念は、遺族が加害者を赦すという行為が復讐の実行と同じく死者の声の代理に他ならない、という赦しの問題系の盲点を突いている。復讐だけではなく、死者に代わって赦しを施す行為をも断念し続けることが、死者の無力さにひとつの力を認める上での第一歩となる。
第3章では、死者の無力さを奪うことなく、つまり死者の立場を生者が占有しその多様でありうる声をなんらかの遺志へと縮減することなく、公的に記憶することは可能か、という難題が論じられる。公共空間における死者の記憶は、ある特定の集団や民族に占有される傾向にある。公的な記憶の難しさは、それが公共性を僭称しつつも、なんらかの同質的な集団、集合的な《一者》に私有されてしまう点にある。殺された恋人の遺志を代理する復讐者と構造的には変わらない。ある共同体が死者の遺志を受け継ぐ限りにおいて、その記憶は開かれた性質を失い、(解釈)共同体に私有されてしまう。これは、なんとしてでも死者のことを記憶せねばならないという倫理的な要請に忠実であろうとする決然とした「記憶への意志」と、記憶の風化に敢えて逆らおうとする強い倫理性とに発した非倫理的帰結である。
「記憶への意志」は死者を「犠牲者」にする。この誰かは、共同体のために死んだ「犠牲者」、「共通の生を守るための犠牲の死」、あるいは供儀の羊としての位置を宛がわれている(70)。ある共同体が特定の死者を公的に記憶するという場合、記憶への意志に付随して、死者の死を共同体のための死に置き換え、共同体の代理とするメカニズムが作動する。とりわけ小さな単位の共同性が急速に失われつつある共同体解体の時代にあっては、死者を記憶するという営みは、個々のかけがえのない死者の弔いよりも、共同体の弥縫的な編み上げのほうに傾く。共同体の危機にこそ、記憶への意志は強く働き、死者の無力さは求心的な力学に絡めとられる。死者を記憶にとどめようとする生者の記憶への意志と、死者を共同体の犠牲者とする代理表象の力学によって、公共の記憶は皮肉にも私有されてしまう。
この困難を乗り越えるために、「死の事実性のみを取り上げ、それを「代理」することなく「記憶」していくこと」、「公共空間のなかでの死を「何のためでもない死(mourir pour rien)」として捉えていくこと」を佐藤は目指す(77)。鍵となるのが、考古学や記号論における痕跡概念である。
佐藤は、痕跡の特性を以下の五つに要約している。第一に、痕跡は人称性を帯びた誰かが課す解釈の負荷とは無縁であり、ただ因果関係を指示する。第二に、痕跡はその解釈者の存在や介在とは全く関係なく自律的に残る。第三に、痕跡を残した者に意図があろうがなかろうが、痕跡は残る。第四に、痕跡はそれを生む原因となったものとの接触の証しであると同時に、その原因がその場から失われてしまっている現状を示している。第五に、共同体や死者、そして記憶への意志が存在するよりも前から、痕跡は物質的な意味において刻みつけられており、その痕跡の物質的刻印がそのまま(共同体による記憶の場以前の)「場」を構成している。
以上のような痕跡の特性を念頭におけば、ある共同体が記憶を占有するモニュメントや博物館のような場所として「死者の記憶の場」を考えるのは難しくなる。共同体が存在していようがいまいが、生者が記憶しようがしまいが、死者が残すものはいつも痕跡というかたちでそこに在る。この観点に立てば、死者の記憶に関する記録文書やモニュメント、それらを収める博物館もまた、それらに込められた思いいれとは無関係の痕跡の一部として解されるだろう。
第4章では、考古学やイメージ人類学の知見を借りつつ死者の痕跡についてさらに掘り下げる、アクターなきネットワーク論が展開される。

あらゆる物質、そしてその総体としての世界そのものが痕跡であるとするならば、世界とは、一つの物質内における痕跡同士の重層的な重なりという時系列的につながる縦糸と、その痕跡の連鎖を背負った物質同士が、ある一つの痕跡を接点としてポジ‐ネガで隣接しあう横糸が編み上げる、痕跡と事物の壮大なネットワークなのである。(96)

生きた人間の営みは、物質的・技術的な痕跡として生の外部に刻印され、後世に残る。「死者の痕跡」(101)と佐藤が呼ぶこの世界は、死者の残骸・遺骸にあふれている。わたしたちの生は、死者を記憶していようがいまいが、死者が残した物質的なプログラムと共に稼働している。死者を共同体が記憶する場合、死者との交流は祭儀的・儀礼的な、ある種日常からかけ離れた特別な経験として演出される。しかし、死者が残した痕跡のネットワークは、わたしたちを死者に媒介されつつ生かされる日常に置く。手の跡が残ったハンドルを、わたしたちは手で握る。ハンドルがそれを手で握ることを教えてくれる。これは日常的な営みだ。死者のネットワークは生を日常的に起動している。生者は死者のアーキテクチャのなかで生きている。
死者と記憶に関する4章までの議論は、死者を赦したり、忘却に抗い死者を記憶したりする強い倫理的モデルに対する批判として総括できるだろう。佐藤が対案とするのは、死者の思いを代理しない、死者の記憶への意志を手放す、という人間の行為能力の退隠である。死者を代弁することなく、特定の共同体のなかに囲い込むこともなく、どこまでも開かれた、それ自体としては無能な物質的存在のまま死者を曝しておく。強く気高く天上を目がけて飛ぶイカロスには背を向けて、死者のインデックスの上を這いつつ、ルシフェルが蟄居する冥界の奈辺を眼路に収める。
以上が第4章までの骨子である。ここで書評子による批判を差し挟む。
アクターなきネットワーク論は、アクター=人間が死者の存在論的位相である痕跡を忘却することも妨げないのではないだろうか、というのがわたしからの問題提起である。「私たちの動作の一つ一つは、その外部記憶のプログラムを知らぬ間に再生的にアクティヴェートした結果」だと佐藤は言う(101)。しかし痕跡それ自体には、「知らぬま」に働く存在論的なレベルでの拘束力しかない。人間が実存的に生きていくだけだとしたら、存在論的な死者は認識されないまま等閑視されるだろう。この意味で痕跡は、どこまでも記憶するという強い意志の対蹠へとわれわれを導く。記憶への意志を放棄し死者の記憶を断念するアクターの行為能力喪失の射程には、記憶の存在論的位相を開く痕跡の忘却さえ入ってくるように見える。
もう少し踏み込んでみよう。死者を記憶することの断念は、記憶の反義語である忘却と本当に同義なのだろうか。おそらく違うだろう。仮に忘却が記憶の行方を自然に委ねる怠惰な態度であり、記憶はおろか痕跡に対しても一切の関心を示さない放心のようなものだとしよう。だとすれば記憶の断念は忘却とは一線を画する。幾度となく記憶することを意志して失敗を重ね、いらぬ軋轢を生みつつ、記憶することの不可能性にぶち当たった人間の記憶。これらの経緯をあらゆる物質的痕跡と横並びにして、等しく痕跡として読み解こうとする考古学的アクターにのみ、記憶の断念という準-行為は残されるのではないか。アクターなき静態的なネットワークという観点から痕跡の冥界を捉える佐藤の見解に、わたしはもろ手を挙げて与することはできない。「物質と痕跡が出会い、つながりを広げていく」、A・ルロワ=グーランのいう人間の「動作連鎖」は、「世界から失われ、いわばすでに「抜糸」されている」、と佐藤はいう(97)。しかし、痕跡の世界を破線状のものとして発掘するのは、目の前にある物質に残る痕跡から原因へと遡行する、つまり痕跡生成の過程を逆行するような動作連鎖以外にないのではないだろうか。物質と痕跡の出会いと別れが銘記された世界を読解する考古学的アクターこそ、この痕跡ネットワークに存在論的‐唯物論的理念を認める上で決定的に重要な役割を担うのではないか。だとすれば、痕跡のベクトルを遡って読解するアクターのふるまい、すなわち物質的な風化に抵抗することなくただ痕跡の因果性をその帰結から遡る「動作連鎖」とその無形文化的なふるまいの継承を、稿を改め論じる必要はないだろうか。
もちろん、赦しの気高さや記憶の強さからできるだけ遠ざかろうと敢えて試みる著者の賭け金がとてつもなく高いことは認めなければならない。だが、身近な死者の痕跡に人間が距たりを認めつつもアクセスし続けるには、赦しの理念の場合と同様、「隘路」や範例が必要だろう。ただし天地を結ぶイエスではなく、地上と地下を結ぶ何者かが。考古学的読解の継承可能性、及び考古学者=アクターによる文化と物質の媒介に「隘路」・範例を確認して初めて、無能な死者の痕跡は、理念となりうるのではないか、とわたしは思う。*1 つまりは人間ダンテの冥界下りには案内人ヴェルギリウスが要るということだ。もしかしたら範例ヴェルギリウスを任じるのは、考古学的知見を携えた新しい宗教哲学者なのかもしれない、とも思う。
本書の読解に戻る。第5章から終章となる第8章まで、今度は自然悪に害を被る=苦しむ(英語ならsufferingか)実存的な生を手始めに、被る=苦しむ死者への冥界下りが続く。
第5章では、全知全能の神がいるというのに、なぜこの世に悪という悲惨なものが存在するのか、という問いに紐づけられた狭義の神義論から遠ざかり、悪の存在を神によらず思考する広義の神義論が展開される。争点となるのは、自然災害に遭遇して身内を亡くしたり、なんらかの被害を被ったりした当事者には、抗議や怨嗟、怒りの声をぶつける宛て先がない、しかし負の情動はわだかまり続ける、という現象である。
先行する復讐と記憶の議論においては、共同体の成員を殺した犯人なり敵兵なりが実在するため、怨念をぶつける対象があった。佐藤は復讐へと遺族を駆り立てる暗い情動から出発して、死者の思いを占有し狭める独断から遠ざかること、復讐も赦しも断念しすべてを死者に委ねること、そして生者の隣にありながら生者を遠ざける死者の痕跡に冥界下りの宗教哲学の物質的条件を確認したのだった。
だが、自然災害の場合、遺族の不満をぶつける加害者がいない。なるほど、先の東日本大震災にしても人災の側面はあるので、国や東京電力に怒りをぶつけることはできる。しかし、自然災害の総体を人災のみに還元することはできない。原子力政策の不備や港の整備不良、津波発生時に備える危機管理の不足の責任を問うことはできる。しかし遺族を襲うやり場のない苦しみ、地震が起こらなければ、津波がやってこなければ、という思いは、人的責任を追及しても報われないだろう。自然に対しては人称的な責任を負わせることはできず、責任を持たない対象に向かっては赦すことも復讐を試みることも叶わない。自然災害によって害を被った人々は、復讐や赦しを実行に移すという選択肢が奪われている。自然悪に苦しむ人々は、行為能力を喪失した状態に置かれ、無力感に苛まれるほかない。*2
自然悪をこの神なき時代に考察するにはどうすればよいか。自然を理性的に、科学的に研究し、これを克服する手立てを探るという強い解決も一案たりうるだろう。しかし具体的な被害者は自然の猛威を向こうに回したときの人間の存在の小ささを噛みしめる他はない。考察の出発点となるのは、一方的な受け身の身分に留め置かれる受苦の経験である。そして受苦に打ちひしがれるものは、自然に対して赦しも復讐もできない。代わりに「なぜこんなことがわたしの身に起こるのか?」という当て所ない嘆きが発せられる。この嘆きはわが身に降りかかった不幸の意味と、それでもなお生きなければならないこの生の意味を求めている。意味を保証してくれるものがなにもないという受苦の無力に発した嘆き。この意味の求めは、宛て先を求めてさまよったすえに、結局、嘆きを発した受苦の主体に返ってくる。
受苦を乗り越える語りの定型として未だに有力なのが、苦しみを生きる糧に変えろ、というものだ。苦労は買ってでもするといい、どんな経験でもプラスになる、悪夢は幸運の前兆、というようなひたすらポジティヴな人生訓である。この論理でいくならば、受苦の経験は、わたしのものでありながらまるでわたしの生の外からやってくるものであるかのようであり、正常な生き生きした生の外からやってきてこれを厳しく賦活してくれる強壮剤であるかのようだ。ミシェル・アンリは、このような自己啓発的な論理は受苦の経験の意味を求める声を、既存の外的世界に充満する意味に合致させるものであると批判する。苦を与える世界の自己啓発的解釈は、苦しみを感じるこのわたしを説明せず、ただ既存の世界を説明するだけだ。アンリは、外にある世界をカッコに入れ、受苦の感情をわたしの生と切り離せないものとして論じる。受苦を被る外的原因はわからなくとも、受苦こそはわたしが生きている証である。受苦を感じているわたしを、わたしは内的に感じている。そのようにしてわたしは生きている。受苦を感じるわたしとそれを感じるわたしという自己の二重化、そしてふたつのわたし相互の触発によって、わたしの生は「被る生」として把握される。*3
だがアンリの「被る生」では受苦については説明できても、不条理な自然悪というわたしの外にあるものに対して苦しみの意味を求める嘆きについては説明できない、と佐藤は指摘する。アントニオ・ネグリの『ヨブ記』論は、「被る生」の昇華しきれない苦しみを掘り下げる足がかりとなる。「生の内部から自然へと向けられた抗議の声」(118)、とりわけ「悪の不公平さに対する憤り」(119)は、「無意味であるがゆえにこそ、自己も世界も「他なる(autre)」脱‐尺度によって新たに構成し続けることを可能にする力への希求」となる(120)。ネグリの考察は神と人との尋常ならざる関係に焦点を当てており、その意味では狭義の神義論の範疇にあるが、佐藤はこれを自然悪の問題系へと開く。自然災害のような不条理によって蒙る悪に当面して挙げられる抗議の声は、受苦に生の意味を見出す「被る生」の射程を越える。現時点ではこの世界においてまったくの無意味であるこの受苦に発した嘆きは、無意味であるがゆえに世界の意味のあり方それ自体を変革する力の伏流となる。自然悪を被る者の嘆きは、既存の世界を掘削し、来たるべき新しい世界の在り処を開示する。
第6章では受苦の主体が抗議の声を発する前の状態、クダを巻く情動に囚われている受苦の様態に遡って考察が進められている。
神義論の系譜において、降りかかってくる苦難を神の試練として乗り越える、という自己啓発的論調は退潮する。この「エイレナイオス型神義論」の欠陥を、佐藤は「他人の苦しみと引き換えになっても、自己の、そして人類の成長を求め」「他人を手段化する」「道具主義」に認める(133)。同様に、神の全能性を否定し、「神もまた悪に苦しむ弱い神である」として受苦(passion)を共感受苦(compassion)の路線で考えようとするポスト神義論も道具主義の陥穽を逃れてはいない。人と同じような神との共感受苦を論じるとなれば、エイレナイオス型神義論と同じく、苦しみを道具化する危険はある。道具主義の陥穽を考慮する佐藤は、なんらかの役に立つというかたちで苦しみを正当化して掬い上げるのではなく、「人間の孤独な苦しみ」(131)を深めていく方向に、宗教哲学の可能性を求める。
エマニュエル・レヴィナスとミシェル・アンリの考察も受苦の経験そのものには届いていない。レヴィナスは苦しみが全くの無用で不条理であるがゆえに、苦しむものとそうではないものとのあいだに非対称の倫理が生起すると考える。前述したように、アンリは苦しみの理由を前景化し、「生が生として生き生きしていること自体が、被るという働きにもとづいている」とし、生きている限り決して免れえない「苦しむ働き」を生の自己触発の原理として提示していた(138)。しかし、苦しんでいる最中の人にレヴィナスとアンリの考察は無益であろう。神義論のように苦しみを世界の構造に落とし込み、これを成長の糧として前向きに考えてやりすごすのでもなく、苦しむ経験を他者との倫理的な関係性が始まる可能性として置き換えるのでもなく、生きる上で必然的な経験として受苦を丸め込むのでもない、苦しむ人の解消しない受苦そのものを生の下に覗く深淵まで掘り下げる隘路はあるのか。
ポール・リクールは、他者と疎遠になる経験、そして肯定的・積極的能力の剥奪として苦しみを考える。苦しみにいつもいつまでも耐えられるほど人は強くはない。苦しみは弱さの階梯をどこまでも下っていく無能さの経験である。この無能さのなかで人が求めているのは、自然悪によって被った苦しみの意味ではなく、「自己の存在とその意味の肯定」である。当て所ない嘆きやうめきは「自己を自己として尊敬し、自己が存在してもよいのだと認められること」、あるいは「存在の肯定」としての赦し」の要求である(141)。地を這うような苦しみから発する嘆きは、喪失した赦しうる能力を回復する手前にいることを明かしている。これで受苦は一歩、掘り下げられたと言えよう。*4
第7章では「宛て先さえ分からない抗議の声にはじまるような悪をめぐる思索」が一段と深められる(144)。まずポスト神義論が論じる苦しみの類型を、被る生の触発、人間と同じように苦しむ神のパトス、苦しみを根絶する能力があるにもかかわらず悪を放置する神を告発する抗議のみっつに分類する。ここで苦しみの情動をより深く掘り下げ、その深みを測深する可能性があると認められるのは、ジョン・ロスが提起する抗議の神義論である。アンリの被る生においては、苦しみが生と一体となり、自己の外への抗議は封じられている。またモルトマンの考える人間と同じように苦しむ弱い神のモデルでも、神の怒りは愛によって即座に弱められる。すなわち神は、解消できない憤りを自己の外に向けるのではなく、人間への共感というかたちで昇華してしまう。そこに来てロスの場合、神は人間が憤慨をぶつけることのできるれっきとした対象となっている。人間に苦しみをもたらす悪しき神のふるまいを糾弾しつつ神の善なる命令には従う、という「神に抗うことで神に従う」神義論は、苦しみに耐えられない弱い人間が自己の外に向かって抗議の声を発する権利を認める(154)。しかしながら佐藤は、自身への反省の意識を欠けば、苦しみのすべてをわら人形にぶつけ己の生を顧みない、「抗議し憤る力のもつ暴力性に耽溺する恐れ」が拭えないことを言い添える(154)。
ロスの議論は多分に問題含みではある。しかし、暗い情動を外に向けざるを得ない無能さは、4章までで議論されていた死者という究極的に無能な存在と共振する。さまざまな能力を剥奪されていようと、生きている人間はそれでもまだなんらかの能力を保持している。苦しむことができる、被る生を生きることができる、そしてその苦しみに抗議することのできる人間はまだ無能ではない。苦しみの果てに死んでしまった死者に欠けている抗議する力を神義論は扱えない。「自らが被る不条理な苦しみに抗議(なり感謝なり沈黙なり)の反応を示す能力すらも剥奪された死者」の不満を生者が代理することなく、そこにロスのいう抗議の力やネグリのいう世界を変革する無意味の力を埋め戻すこと(155)。悪をめぐる生者の苦しみの議論は、憤怒を天界に向けたり、苛立ちをぶつける相手を探したり、生者自身の生に閉ざしたりする水平方向の彷徨から抜け出し、死者のパトスを掘り下げる破線状の鉛直線を描く。「異なる世界の構成」への希求を強くつき動かすものが、何の意味もなく不幸に死んでいった死者たちの存在なのである」(158)。
第8章では、トマス・ネーゲルが主導した「死の害の哲学」を足掛かりに、死によって被る害、ならびに死者が被る害とはどのようなものなのかを考察し、そして最終的には死という悪に対して(生者ではなく)死者が抗議できるのか問う。
ネーゲルは、「肉体的・精神的に直接害を被ったというよりも(それを被る時点でその人は存在しない)、将来得られたはずの幸福が死によって奪われたから、消極的な意味において、害ないし不幸なのだ」という(164)。生きているときに被る過去のことにできる害とは異なり、死の害は未来の幸福を奪う「消極的な害」として位置づけられる。
ネーゲルの「剥奪説」に対しては、害を被るときと害を被る主体の位置、というふたつの側面から批判が加えられている。死の害の時間性については、生きている時点からすでに死の害は始まっているとする見解、また死の害は死の時点で終わるのではなく、後世の生者による語りの関係性のなかで死者は害を被り続ける可能性があるという提起がある。死の害を被る死者に関しては、死の瞬間に現存している断片的な主体ではなく、生まれてから死ぬまで人生を持続的に生きてきた主体として捉える論者や、生まれていないものや可能世界にいるものも含む、現存はしないが存在はしているオブジェクトとして思考実験を試みる論者がいる。
しかし佐藤が焦点化するのは、死の害の時間性や死者のステータスではなく、なにが死によって剥奪されるのか、という点である。佐藤は死が幸福を奪う側面と不幸を奪う側面がある、というネーゲルの補説をつけ加えたうえで、しかし奪うといっても幸福や不幸は量的に計算できない、と指摘する。代わりに、人間のありかたを「なしうる人間」と規定したリクールと死によるなしうる能力の剥奪に言及する吉沢文武の説を補論とする。ただし佐藤は、いずれ過去のものとなる生者が被る一回的な害とは異なり、死によるなしうる能力の剥奪は「被った状態の固定化」を特徴とする点をつけ加えるのを忘れない(168)。死の害の場合、なしうる能力の剥奪には不可逆性が、すなわち能力を回復する可能性の剥奪が伴う。
第7章で展開された抗議の神義論に従えば、自然悪に当面した人間には、(対象はなんであれ)苦しみの不当さを訴える抗議のうめき声をあげる能力がある。ネグリの『ヨブ記』論によってこれを補えば、自然悪を前にして苦しむ人は苦しみの前に無力であり、まるで無能であるかのように感じられるかもしれないが、実のところその無力さは、自らの苦しみに意味を与えてくれない世界に抗議し、その懊悩の無意味さを包摂しない世界を変革する潜勢力ともなりうる。だが、すでに見たように、死者は自らが被った死という害に抗議することさえできない。
この論述の帰結から佐藤は、「死という悪に死者は抗議できるのか」という問いへと遡り、これを「死者にとって死が害(ないし悪)である」と「死者本人が死という害に抗議すること」のふたつに分ける(170)。ここから当初の問いを再考すると、後者のテーゼのほうが前者のテーゼより先行することになる。つまり当初の問いは、「死者が死に抗議できないから死は害である」という応答へと脱臼する(171)。佐藤が断るとおりこれは予備的考察に過ぎない。しかし神義論に死者を招き入れ、問いを掘り下げる可能性を示したことにより、宗教哲学は鉛直線を半歩分引いたことになるだろう。
佐藤の論はここで終わる。以下、書評子が5章から8章までの議論に関し、若干のコメントを加える。
まず、リクールに倣うなら、自然悪によって生きるものが被る受苦の経験には、苦しみの最中の孤立とさまざまな能力の喪失が伴う。この意味で、自然災害によって被害を受けた当事者は、支障なく日常生活を送る者と比べれば、相対的な無能力状態に置かれることになる。だが、佐藤はネグリに依拠しながら、自然悪の経験の無意味をもって意味の体系を変革するという無能なものしか持ちえない力に注視する。これは自然悪を悪として受け止めるほかない暗い情念に縛られた人間だけに可能な特異な能力であろう。高みではなく、冥界の深みを測深するという佐藤の姿勢はここでも一貫している。おそらくは、さらなる深淵へ、すなわち自然の猛威によって死を被った死者という死に抗議すること可能性さえ奪われたさらなる無能なものへと向かい、ここになんらかの鉛直的な潜勢力を手繰る、というのが著者の今後の課題となるのだろうと推測する。
最後に問いかけをしておきたい。著者は4章までの議論で、死者を記憶するという強い人間のモデルから遠ざかる痕跡のネットワークを提起した。わたしの読みが適切であるとするなら、(自然悪による)死の害を被った死者が抗議する能力を喪失するという8章の議論から帰納すると、死は忘却の領域であるということになるだろう。死者を記憶することを断念できる生者とは異なり、死が害であるかどうかにかかわらず、死者は死に抗議すること、ひいては死それ自体を忘却しているとは考えられないだろうか。痕跡のネットワークにおいても、そこには生者と死者の微かなつながりと断絶とが同時に示されていた。生者は記憶を断念し考古学的な思考をもって痕跡のネットワークに目を向ける力を有しているが、死者は死を記憶できない。生者が生きる世界のなかに物質的な痕跡としてただ残存する、あらゆる能力を剥奪された死者は、生者による読解を期待するパトス(の残存?)を物質的に銘記する存在になるだろう。記憶することも記憶しないこともできない死者が、強い記憶のモデルの代案となる、記憶の断念=痕跡モデルを体現している点になんらかの潜勢力を認める必要があるのかもしれない。
後半の議論が善い死者や安らかに眠る死者といった慰霊モデルに抗っているという点も付記しておきたい。死者は安らかに眠っているとは限らない。暗い情念を抱え、報われない思いに身もだえしているかもしれない。このようなほとんど思考不可能に思える死者のパトスの深みに下りていくことが必要なのは、なんらメランコリーを残さずに喪の作業を終え、死者が消費されてしまう危険性に抗うためだろう。安らかに眠ることも復讐することも抗議の声を上げることもできない死者を思考する。そのために、生者のメランコリーを論じるとともに、クリプトに眠る死者のパトスを掘り下げてみる。誰にも十全に知ることのできないパトスの零度を。死そのものを忘却してもなお残存する物質的パトスを。決して消費も昇華もできない死者のパトスを論じる宗教哲学者のさらなる穿孔に期待する。


殺されたものの代わりに復讐してやろうという怨念。忘れようとしても忘れることのできない苦しみ。これらの暗い情動の根源には死者がいる。超克できないものを超克するという強く高邁な理念は、弱さの極致にある死者が住まう深淵があって初めて反動的な遠心力を得る。より深いものがより高いものを要請する。遠心的に理念は競り上がる。
悪や苦しみの経験の基礎は地上にも天上にもない。それは遥か地下の冥界にある。宗教哲学が目指すべきは、ルシフェルの鎮座する地獄の底である。底なしの冥界下りに挑み、強さの理念から遠ざかって弱さの理念に迫り、死者の場への隘路をつなぐことに、宗教哲学の潜勢力と未来はあるだろう。

*1:死者の痕跡ネットワークと考古学者の読解に関する佐藤の議論は、調査対象であるメラニシアの切断‐空白‐喚起文化が構成する部分的つながりのネットワークを論じるマリリン・ストラザーンの人類学者像と共鳴するだろうし、人間の絶滅以後に出現するであろう疑似考古学者的視点から人新世を廃墟や遺跡、遺物の集積として思考するクレア・コールブルックの議論にも近い。ストラザーンに関しては後日書評を書く予定。

*2:自然悪と人為的な悪を分けることができるのか、という問題はある。技術と自然の境界が限りなく不鮮明になった時代において、災害発生後に抗議の対象を絞ることは難しい。だからこそ、自然と切り離すことができないことを前提にして技術による構築物は設計されなければならない。

*3:このようなフーコー的な自己触発の関係性は、痕跡生成のプロセスと似ているように思う。自己触発の生から死者の痕跡へと退隠していく破線を描くこともできるのではないか。あるいは、生そのものを痕跡として思考することもできるのではないか。

*4:本章ではリクールが「決め手」となっているが、本書は基本的には、著者が博士論文で論じたリクールの思想を掘り下げ、さらなる深淵へと遠ざかる遠心運動を目指した一冊だと思う。考古学やネグリの論から得られた着想は、リクール以上の深みへと宗教哲学をいざなう可能性を秘めているように思う。

『触れることのモダニティ』


哲学者と小説家の名前が並ぶタイトルを見かける機会は日本ではまだ少ない。書店でも、文学研究と哲学書の棚は截然と分けられているし、著作の中で多少の言及はあったとしても研究者どうしの交流はそれほど活発だとは言えない。実際、書店員はこの本をどの棚に置くか迷うだろうし、ロレンス研究者とメルロ=ポンティ研究者がこの本について論じる場面を思い描くことは難しい。けれど、そのような躊躇いや混線、出会いの誘発こそが本書の企みであるに違いない。
触覚だってそうだろう。ひとつの器官に局在化できない触覚は、皮肉にもあの皮膚感覚と呼ばれるなんとなく遍在する「空気」をかき乱してしまう。触覚はパーソナル・スペースを侵害する。なにかに触れるということは、接点や接面において両者の距離がゼロになるということだから。枕やボールに強く触れるときには対象はへこむ。対象との距離はマイナスになると言ってもいい。距離だけではなく評価もマイナスになることが多い。「琴線に触れる」という心地よい言葉もある。しかし「気に障る」「体に障る」「逆鱗に触れる」「地雷を踏む」、と触覚のイメージはあまりよくない。目で愛でている分には咎められることはなくとも、触れると事故や事件扱いになることはいくらでもある。触れてしまった代償を支払うために保険があり、触れることを禁止するために条例がある。触覚が関係する事象は、およそパブリックな場においては、安定したプライヴェートな皮膚感覚を侵犯する迷惑として毛嫌いされるのが常だ。
裏を返せば、日常的な皮膚感覚の侵犯や混乱は、抽象的な思考を介さない具体的な接触の経験から生じるということでもある。転ばぬ先の杖というけれども、たいていの人は転んで痛い思いをした経験から転ばないように注意を配ることを覚える。殴られると痛い。だから人やモノを殴らないようにしよう。こうして他者への想像力は育まれる。大人になったと評価される。しかし想像力は、思いがけず他者に触れてしまわないよう、法に触れないよう、他者を遠ざける賢慮にすり代わる。なにごともいちいち経験しないで済む。ルーティン化する。経験から始まっていたはずの思考は、行動が反復されるうちにいつしか絶える。そして、経験値と呼ばれる大人の存在証明を厚ぼったいかさぶたに守られた皮膚感覚、硬直した常識、一筆書きの思考回路として身にまとう。いつのまにか、安定的な日常生活は、触れる経験からの疎外状態として営まれるようになる。だからこそ敢えて触れる経験は、この言いたいことも言えないこんなポイズンな世の中の思考回路から脱輪し、回路なき思考を触発する契機となりうる。経験は常に新しいということを学びなおす。皮膚感覚と敵対する経験とそれに由来する思考を触覚や接触はもたらすということを学ぶ。
本書の企みは副題に尽きる。D・H・ロレンス、スティーグリッツ、ベンヤミンメルロ=ポンティ。この四者をめぐるテクスト群に眠る、「皮膚感覚」や「思考回路」のモダニティから微かに遊離する触覚や接触の経験を手繰り寄せる、というのが一義的な問いかけとなっている。しかし、真の賭け金は、この四者がそれぞれ提示する触覚の言説を互いに接触させることによって独特の触感をデザインするところにある。文学テクストのみならず、写真や絵画、映画、哲学の言説を比較し、そこにひとつの問題系を見つけ出す比較文学という学のことを思う。比較文学のおもしろさは、比較の方法のユニークさに尽きるだろう。四者を具体的に論じる実践や読解の経験を通じて、比較文学という学は浮かばれる。上意下達式に行われる複数の学の横断や融合ではない。異学どうしの和合なきささやかな接触である。接触の瞬間、指先に残る手ごたえや違和感が比較文学という思考の手がかりになる。本書は、このように比較文学の方法を触覚論として変奏する一冊でもある。
本書を通じてモダニズムの触覚の言説に触れる読書経験は一義的には、テクストを読むプライヴェートな営みの一部に過ぎないかもしれない。だがこれを読みつつ理解する過程でなんらかの触発を感じ、思考に駆られるならば、それは私的な経験には閉じないだろう。これが皮膚感覚や思考回路の貧困を肌で感じる読書の経験であり、触覚経験に負託された思考の公共性・共同性にほかならない。既定の思考回路のなかを巡回する空論に終始しないために、公共性や世界、人間の問いは、小さな私的な(読解)経験から地道に始めなければならない。読書経験と人文的思考の弁証法がここにはある。しかし経験が思考に昇華されることも、思考が経験を包摂することもありえない。経験と思考のあいだには止揚も調和も談合もない。あるのは両者の水際で起こる接触と触発だけだ。経験と思考の不一致に耐えつつ、両者を幾度となく往還する。往還はひとつの航跡・痕跡を残す。荒れる海面で震える浪花か、空の青みにたなびく飛行機雲か、強く踏みしめられ沈下した地面に残る足跡か。経験を把握するのは難しい。だが触れようと試みれば、掴めなくとも掠めることぐらいある。擦過が起これば、思考のための傷は手に残る。本書を読解する経験とこれに触発された思索とのあいだの合従連衡が残す擦過傷は、読者の皮膚感覚を破る。

未読の諸賢に向けたイメージによる誘惑はこの程度でいいだろう。ここからは、わたしの読書経験とこれに誘発された思考を辿りながら、既読者との対話の場を切り開いてみようと思う。
まずは、厄介なモダニティとモダニズムについて確認しておこう。
モダンという言葉は時代区分として使われる。中世の終わりとルネッサンスの始まりを告げる15世紀あたりから、資本主義経済が飽和し人間という概念が揺らぎ始める1968年前後あたりまでをモダンの時代として捉える見方は、異説はあれども、それほど突飛なものでもないだろう。そして多文化主義と脱植民地化、大きな物語の終焉、価値観の乱立を主要な特徴とするポストモダンと呼ばれる時代がモダンの後を襲う。大雑把に文化的動向を総括する上ではこのような図式も多少は有効かもしれない。しかし、批評的にはほとんど意味をなさない。これでは、精妙複雑な物質的条件と政治力学を記述できないし、なによりこのサイズの概念では歴史的には一瞬でしかない作家個人のちっぽけな経験を代表させることはできない。
モダニズムポストモダニズムも同様である。巷間伝えられる文学史によれば、1910年前後から1960年代前半ぐらいまでが言語実験喧しいモダニズムの時代であり、その後パスティーシュメタフィクションに戯れるポストモダニズム文学の時代がやってくる、ということになっている(文学の他にも美術・建築・音楽などにも同様のカテゴリーがあるが、時代的にずれが大きく、どの分野のモダニズムなのか混乱をきたすことが多い)。だが、先行する散文文学セルバンテスドン・キホーテ』(1605 / 1615)やスターン『トリストラム・シャンディ』(1759-67)にポストモダニズムの要素を見る研究者が存在し、21世紀文学にモダニズム文学の痕跡が点在している以上、これらを時代区分として前提するのは難しい。文学史的整理は便宜的なものに過ぎない。自然主義にしてもリアリズムにしても感傷主義にしても事情は変わらない。そのような文学カテゴリーを画期的な現象として標榜した歴史上の人物は存在しても、それらの要素をある時代に特権的な現象として批評的に記述することはできない。
モダン/モダニズム/モダニティをテクスト分析の枠組みとしてそのまま使うことはできない。これを問題設定に利用しても、既存の時代区分とテクストの分類をそのまま追認する同語反復に陥る。
本書の関心は、モダニティやモダニズムをひとつの時代区分や範型として仰ぎ、テクストを定義づけることにはない。

言い換えれば、本書は理論もフィクションと同様に、ある時代のうちに書かれたテクストとして扱う。この点において、本書はフレドリック・ジェイムソンの「哲学的かどうかを問わず、モダニティは概念ではなく、語りのカテゴリーである」という主張や、サラ・ダニウスの「モダニズムを歴史化するいかなる試みも、綿密なテクストの解釈にもとづかなければならない」という主張に同意するものである。言説の歴史的な位相を分析するにあたって問われねばならないのは、「どのように語られるのか」という語りの問題であるのだ。(6)


はじめにあるのは、個別のテクストに刻印された作家の個人的な経験である。このさまざまな経験を共通の経験とするための形式的な触媒として、モダニティやモダニズムは仮構される。モダニティやモダニズムは、定義済みの《問題》に対する《答え合わせ》を要求する批評用語ではなく、テクスト読解の経験から生じる《問い》とこれに対する《応答》をとりなす暫定的な媒介項として本書に登場する。これらは、ある一定の語りの所在を指し示すインデックスに過ぎない。
生きられた経験に即した語りだけがモダニティをその内側から造型する。モダニティとは個別の経験に先行する時代区分でも概念でもなく、20世紀前半の時代に生き、然るべく死んだモダニストが真の生を手探りで追い求めた経験の総体である。
まず、モダニティという言葉によって指し示される生と存在の様態は、歴史的な制約として経験される。高村は「視覚の近代」というテーゼを切り出してくる。遠近法の支配、望遠鏡の発明、顕微鏡の進歩、視覚芸術、抽象的な概念の寓意化、光学的見せ物の商業化、図像の氾濫、写真・映画といったメディアの登場。これらはおなじみのものだろう。思考や感性を区画整理するモダニティの体制は、ここでは目に見えないものを「見える化」し、記号化し、生を抽象化する装置として作家たちに経験される。端的に言えば、これはあらゆる対象から距離をとることを要求し、具体的な身体に根ざした経験から人間を疎外する体制である。
遠近法のように視点と対象の距たりと位置関係を技術的に制御し、生の実相を皮相的な記号として量産する体制を経験するモダニストは、こうした制約の向こう側へ突き抜け、真の深みにおいて生を体験する可能性を模索する。そのために必要とされるのが、生身の手であり、生々しい触感であり、手探りの接近であり、儚い接触である。視覚的モダニティの遮蔽幕の存在とその向こう側にあるはずの「真実」への希求を、モダニストは触覚的な経験として語る。
ロレンスならば、図と地の統一を表現するエトルリアの美術の「静かな流れ」や墓地や炭鉱を満たす親密な闇を愛し、古代の触覚的文化への遡行に機械文明の克服を託すだろう。スティーグリッツならば、伴侶にして画家ジョージア・オキーフの身体に絡みつく手を被写体として、ここにカメラの機械的使用を乗り越える、写真の有機的次元を期待するだろう。ベンヤミンならば、過ぎ去ったものと現在のあいだを架橋し、外国語と母国語の距たりを埋めるべく虚空にその手をそっと伸ばしてみるだろう。メルロ=ポンティならば、触れるわたしと触れられるわたしが入れ替わってしまいそうになる刹那、所在を匂わせつつ、しかし把握できないままにすぐに消えてしまう蝶番に、皮相な現象学的身体と深い存在論的身体の接触を認めるだろう。
モダニティはこの第二の経験、触覚的経験によって二重化される。視覚的経験の定型化によってあってしかるべき人間的経験から「疎外される経験」と、この経験の貧困に発して彼方へ手を伸ばしこれを乗り越えようとする「真の経験」というふたつの極にモダニストは裂かれる。各人の経験はそれぞれ特殊であり、その対象も多様ではある。しかし、同調圧力や忘却、生の貧困、真実の隠蔽を人間の危機として感受し、能動的・直接的に真の経験を希求する志向は本書に登場するモダニストに共通する。
疎外の経験と真の経験の二重性は、ある読解に関する信仰――モダニストの生の突端に直接触れ、体系的な意味にも絶対的な無意味にも抗う倫理的読解への信頼――に支えられている。高村は、「触れる」や「近づく」という触覚性を強く帯びた言葉は比喩ではない、という留保を本書中幾度となく挿入している。触覚的言語は作家が記述したい現実を仄めかすための代役ではない、ということだ。とはいえ詳細な解説はないし、おそらくは引用部から作家の態度を判断するのは不可能だろう。言語そのものの性質から言って、これは立証不可能な断言ではあるものの、それがゆえに読解に傾ける高村の信念の表明として際立つ。
触覚性を帯びた表現の字義性へのこだわりには、ある作家によって書かれた言葉が同時代の大きな言説に由来するという――たとえば、テクスト中の動物を黒人表象としたり、物語をイデオロギーアレゴリーに変換したりするような――文学的読解に対する批判的な意識が宿っている。テクストが書かれた当時の言説を代理する暗号を解読するタイプの研究は、作家の記述を同時代に流通していた集合的な表象のシステムに落とし込む。これはひとつのテクストに配されたワーディングや修辞の単独性をまったく認めない立場である。集合的な言説に対する単独的な言表の関係は等閑視され、言説と権力の関係以外の要素は読解から排除される。すると作家の経験は、それが書かれる以前から言説のアーカイヴに事前登録されていることになる。これはミシェル・フーコー『知の考古学』、あるいはエドワード・サイードオリエンタリズム』の知見の短絡的かつ図式的な流用であろう。任意の言葉は、すでに他人が喋っている言葉から完全に独立しているわけではないが、かといって前者が後者に従属しているわけではないし、両者は同一のものでもない。高村は、まずテクストを作家の経験に根差した単独的な言表として読み、次にこの経験の集積としてひとつの言説(ここでは触覚的言説)を仮構する、という手続きを踏んでいる。こうして経験に裏打ちされた「小さな」触覚の言説は、言表の手触りを失うことなく、これよりも遥かに巨大な同時代の支配的言説(視覚の近代)と不即不離の関係をつくることができる。
もちろん、言語は比喩的であると同時に字義的であり、両者を分けることはできない、という言語の存在論的・物質的次元は、脱構築批評を消化した研究者にとってはすでに常識に属する。だが、高村は予め「脱構築」が終わった地点から読解することも拒絶する。モダニズムのアクターたちの言表に存在論的な次元がないわけではない。しかしこの存在論的次元が一定の意義を有するのは、脱構築される運命にある「真実」なるもの、完全なもの、本当の人間といった純粋な理念の実在やその経験的把握を信じる限りにおいてである。斜に構えて絶対的なものの否定に終始し、経験に宿る祈りや賭けを欠けば、存在論的次元は懐疑論に堕す。
本書は、ポストコロニアリズムや文化研究の前提となっている言説分析、並びになにごとかを信じる経験的次元を切り捨て懐疑主義に陥る危険、その双方に対する実践的な批判となっている。語りは経験を抽象する概念ではない。語りは言説未満の言葉の連なりであり、経験そのものである。
以上で、本書の(隠れた)問題意識は旗幟鮮明になっただろうと思う。文学研究と現代思想のどちらともが軽視しがちなテクストの経験的次元を信じぬく比較文学の矜持が本書にはある。
さて書評の使命は、対象とする書籍に固有の問いと問題意識を浮き彫りにし、(自分や斯界の判断基準ではなく)これに照らして達成度を診断することにあると思う。その意味では、この書評の達成度は半分に過ぎない。しかし細部に対する批判は本書で扱われているテクストを専門的に研究している専門家の手に委ねたい。文学と現代思想の専門家の接線上で、比較文学が専門領域を切り結ぶ蝶番の役を果たすことを書評子は信じている。
わたしはささやかな責任を全うするにとどめたい。モダニティを「過去」のものとして扱う態度を批判し、ロレンス『黙示録論』に対するジル・ドゥルーズの解釈を無批判的にロレンスのテクスト群に重ねる箇所が、ロレンスの経験を毀損するのではないか、という疑義を呈するにとどめる。
「触れることのモダニティ」という語りの歴史性・時間性に関する批判から始めよう。スティーグリッツ・サークルやベンヤミンの章に代表されるように、本書の触覚的言説は、写真や映画といった同時代における複製技術の登場と切り離すことができない。触覚的言説は、一義的には機械に対する抵抗として現れる。ロレンス『チャタレー夫人の恋人』論に典型的なように、ラジオや車いすといった新しい機械に背を向け、原初的な経験、触れあいの経験の希求が前景化される。しかし、接触や手ごたえの希求に先立って「真の経験」の不在が感受されるのは、技術的条件によって課される制約に拠るところが大きい。むしろ、新しい技術の登場がなければ、触覚的経験の語りは不要だったとすら言えよう。視覚文化を加速させる技術的所与と、疎外の克服をプリミティヴな存在に求める触覚的言説とが対を成していることが、接触弁証法の存立条件である。
そうすると、20世紀前半の技術的条件が、本書で論じられる接触の言説やモダニストの経験の下部構造となってしまう短絡を避けることはできない。これは特定の歴史的条件下に出現した技術革新が人間の生を新たに決定する、という技術決定論の問題である。敷衍すれば、テレビやアニメ、そしてインターネットの登場に代表される新たな技術的条件が新しい「語りの構造」出現の決定因子となる、という解釈が導かれる。果たして高村は次のようにポストモダニティの経験と語りを予告している。

本研究では、触覚に関する言説をモダニストによる議論に限定した。ではモダニズム以後の触覚にはどのようなことが起こっているだろうか。モダニストたちは触覚を技術的・視覚的文化に対するアンチテーゼとして特権化していたが、ポストモダンの時代になると、触覚が徐々に技術の領域へと取り込まれてゆくことになる。(241)

技術に囚われた生の外部に真の有機的生を手繰り寄せるための抵抗の拠点となっていた「手」が、ポストモダンの時代では機械の一部となる。スマートフォンを操作しているとき、わたしたちは手を使っていると言えるだろうか。手を使う、触れる、つながるという行為はモダニティを経験した人間が技術による感覚の制御に抗い、忘却や進歩に逆らう起点となっていたが、ポストモダン以降の人間は、手の技術化を日常として受け入れる。ポストモダン以降の時代を生きる人間にはもはや手さえも残っていないことになる。それでもなお、いやそれだからこそ現代において経験し思考する手がかりとして触覚を再考しなければならない、という高村の危機意識は傾聴に値するだろう。
触覚性が技術のなかに埋没してしまっているというのも一面では正しいかもしれない。だが、本書で論じられている「触れることのモダニティ」は、果たして消滅してしまったのだろうか。モダニティからポストモダニティへ、あるいはさらにその先へとわたしたちの経験の疎外は不可逆的に進行しているのだろうか。だとすれば、高村の問題提起は、モダンの条件からポストモダンの条件への転換という、歴史主義的技術決定論に陥ってしまうのではないだろうか。「触れることのモダニティ」を超歴史的に残存する経験として継承する必要もあるのではないか。
本書では触れられていないが、とりわけロレンスとスティーグリッツ・サークルに特徴的な機械論と有機体論を対置させる語りのモードは、たとえば曽田長人『人文主義と国民形成――19世紀ドイツの古典教養』に明らかなように、18世紀中葉以降のドイツロマン主義にまで遡ることができる。ロマン主義者・リベラリストに属する文人・学者は、フランス由来の啓蒙文化を機械的と糾弾し、ドイツの文化を有機的であると称揚した。ドイツ国家建設に先立ち、有機的な人間形成(ビルドゥング)を軸とした国民文化共有の夢がそこには託されていた。このような有機体論の祖型から、スティーグリッツ・サークルのナショナリズムへの接近を照射することも可能だろう。触覚論に関してはより詳細な検討が必要となるだろう。しかし少なくとも本書の問題系の一部は、モダニストが登場する前にも存在していたのは事実である。
現代にも有機体論的言説は横溢している。「田舎へ行こう」やデジタル・デトックス、水素水を筆頭とする疑似科学的健康志向、スピリチュアルな信仰は、自然への回帰願望を表現してやまない。これらはモダニストの生気論的・有機体論的志向となんら変わりない。とりわけパワー・スポットで「パワーに触れる」という言説、そしてマッサージの流行まで含めれば、古めかしい触覚論的経験と語りが今も残存していることは容易に理解できる。
以上の僅かな例証をとってみても、語りのモードをある特定の歴史的・技術的条件にのみ紐づけるのは難しい。フレドリック・ジェイムソンは『政治的無意識』において、原因-結果で因果を説明する機械論的因果律、個-全体の関係で因果を説明する表出論的因果律、ネットワーク状の相互決定関係で因果を説明する重層決定的因果律が、ひとつの歴史的瞬間に地層のようにして共存している、と述べていたように記憶している。あるいはE・R・クルツィウスのトポス論を援用するエルキ・フータモ『メディア考古学』における新しい技術に対する反応の古さと反復を想起してもよい。古い語りが新しい技術的条件によって完全に駆逐されることはない。古い思考は古層として現在にもなお残存する。日本会議の戦前回帰志向のような旧態依然とした考え方がひょんなことから表層に回帰し、支配的なモードとして働くこともありうる。確かに「手」が新しい技術の子飼いとなっている局面もあり、これを経験に即して批判する必要もあるだろう。だが、技術の制約や合理主義を退け真の経験を求めた、有機体論的な自然との触れあいを信じる傾向が未だ生き残っている、というのもまた事実である。
モダニストの経験は、この21世紀になお切迫性を保ちつつ生きている。とりわけモダニストの「原初性、女性性、幼児性といった概念が、少なくとも今日的な視点から見ればしばしば政治的に正しいとは言えないやり方で触覚と結び付けられていた」(244)という指摘は、人種主義や性差別、貧困が跋扈する現代の文化的・政治的状況を過去との距たりを意識しつつ「指弾」する上で見逃すことができない。技術は進歩して感覚の仕方は変容しているかもしれない。しかし、人間はその深部に文化の古層をいつまでも保持し、「今日的視点」をいつ何時も裏切り続ける。「触れることのモダニティ」をめぐる語りのモードは、明暗両極において現代にもなお残存している。人間は常に変わり続ける。しかしそれでもなお人間は人間と呼ばれるだけの古さを残している。つまり、人間は他の生物と同様、環境の変化に応じて進化するが、進歩はしない。古さの残存を、汲めど尽きぬ潜在的なモダニティの経験を肌身離さず保持し続けてこそ、本書の問題系は切迫感を得るだろう。
最後に枝葉末節になるが、ドゥルーズによるロレンスの象徴解釈とその援用について一抹の疑義を差し挟んで締めくくることにする。
第一章において高村は、『チャタレー夫人の恋人』における子宮が、生殖器官から逸脱した「脱領土化された器官」として提示されていることを確認したのち、ドゥルーズの「器官なき身体」、「常に流れ=生成変化の中にある身体」へと論を移し、ロレンス『黙示録論』を扱う『批評と臨床』所収「裁きと訣別するために」を補助線に用いている(47)。ドゥルーズは神の裁きの対象となる客観的な身体を「組織化された身体」と呼び、これに「器官なき身体」を対置する。「器官なき身体とは、情動的、強度的、アナーキーな身体であり、それが含んでいるのは、さまざまな極やゾーンや閾や勾配だけである。器官なき身体が横断しているのは、非‐器官組織的な力強い生命力なのである」(48)。高村はこのドゥルーズの解説を「きわめて妥当である」と評価したうえで、古代エトルリア文明の壁画に描かれロレンスが理想化する身体にこの「アナーキーな身体」を重ねる(48)。
続けて高村は、『黙示録論』におけるロレンスの「象徴」を「メタモルフォーゼの中心」たる「潜勢力」として解釈するドゥルーズの引用を受けて、次のように述べる。

ドゥルーズが「ロレンスが象徴と呼ぶもの」とわざわざ強調しているのは、それが意味の体系へと物を結びつける「象徴」とは全く異なるものだからだ。ロレンス的「象徴」は意味に回収されることはない。それは意味=方向を定めるよりは、いまだ決定されていない諸方向へと関係する拡散的諸力であって、ドゥルーズが「生成変化」と呼ぶところの到達点なき持続的「変容」を引き起こす。(49)

ドゥルーズの『黙示録論』解釈が妥当かどうかは、ロレンス研究の専門家が問うべき問題だろう。ロレンスの「象徴」がドゥルーズの潜勢力と符合し、意味とは無関係に力を増幅させるものであるかどうか、わたしには判断できない。だが、シュレーゲルやコウルリッジを始めとするロマン派が理論化した象徴が、特殊と普遍を同心円的関係のもとに「結びつける」ことを志向する魔術的な力を帯びた詩的修辞であったことを思えば、「意味の体系へと物を結びつける」象徴という現代における一般的な理解を引き合いに出して、ロマン派の末裔とも呼ばれるロレンスの象徴概念に対するドゥルーズの解釈を検討する手続きが妥当とは思えない。
ドゥルーズの言う「拡散的諸力」が、ロレンスの思い描く身体や生命のイメージに重なるかどうかも疑わしい。エトルリア文明の壁画にロレンスが見出す理想的な接触は以下のようなものであった。

ここには、この色あせたエトルリアの絵の中には、あの長椅子の上の男と女とを一つに結びつけている。あの後ろの、はにかんでいる少年を、鼻を上げているあの犬をも、いや壁から垂れ下がっているあの花輪をすら結びつけ、一つにしている。(33)

アナーキーな身体」や「拡散的諸力」というよりは、ひとつの「静かな流れ」をなす統一性と「結びつける」力がここでは強調されている。「それはまるで流れるような輪郭線で、そこで肉体は卒然としてまわりの大気に溶け入っているような感じである」(35)と、図と地を画す境界の溶解をエトルリア美術に読みこむロレンスの筆致から窺えるのは、生命の「結びつける」力に対する留保なき礼賛である。
ドゥルーズの解釈とロレンスとのテクストの乖離は、対象とするテクストの異同によるものなのか、それともドゥルーズの曲解によるものなのか、わたしには判断できない。ドゥルーズがロレンスのテクストにインスピレーションを得てこれを「思考のイメージ」としたのは事実であろう。しかし、その解釈がロレンスのテクストに寄り添ったものであるかどうかは再考の余地があるだろう。そしてドゥルーズによって批評の対象に選ばれたロレンス『黙示録論』が果たして本書で論じられている触覚的語りに連なるのかどうかも検討しなければならない。いずれにしても、文学と現代思想接触を禁欲的に経験から説き起こす本書の構成、特に隔たったものどうしに刹那触れあうことしか許さないベンヤミン弁証法や二重の身体が反転する手前で踏みとどまり決して合一には到達しないメルロ=ポンティのキアスムの禁欲に鑑みれば、ドゥルーズとロレンスの生命観が触れあう瞬間はあるとしても、両者の完全な一致を想像するのは困難だろう。両者のあいだに触発を認めつつ、その不一致を厳しく見定める批判の姿勢に、比較文学の触覚論的潜勢力はあるように、わたしは思う。
 書評子によるささやかな批判は以上である。
 
高村はあとがきにおいて本書の対話的な性格について綴っている。
 

着実な研究の積み重ねが重要なものであるのはもちろんであるが、文学、哲学、美学といった分野の研究がその内部において閉じるようなものであってはならない。一つの分野を他の分野に「応用する」という態度ではなく、領域を横断する一つの開放的な線を引くことをイメージしながら、本研究は進められてきたのである。(245-46)

一冊の研究書の上梓の背景には、途方もない労力と時間が存在する。著者ひとりの煩悶に加え、膨大な数の同胞や著作との対話がある。制作の共同体は、出版された瞬間に(応答)責任の共同体にバトンを託す。思索の成果を世に問うた途端、その問いを引き受けこれに応答する共同体にプロジェクトは引き継がれる。書物は著者や出版社、図書館の力だけでは生き延びることができない。誰かの問いに別の誰かが応えることによって、書物は、そして人文学は未完のプロジェクトとして生き延びる。
以上のような意味において、研究は孤独な営為ではありえない。ある研究が「その内部において閉じるようなもの」になってしまったとしても、その責は、実のところ著者やその著書にはない。学術の共同体に所属しながらその主体としての自覚がなく、凪いだ皮膚感覚を身にまとい、批判に触れることを知らない者たちの責である。問う者以上に、応える者の責任が人文学の未来を左右する。
書評子は、そのような責任のもとにこの書評を書いた。オープンな批判には応答する用意がある。メールでも本エントリーのコメント欄でも構わない。

末筆になりますが、高村峰生さんには、本書の刊行間もない3月19日にはるばる福岡まで足を運び、手弁当で対話の機会を設けていただいたこと、本書を恵贈賜ったこと、そして今後も各地で本書をめぐる対話の機会を設け、問いを開かんとするその真摯な姿勢に最大限の感謝と敬意を表します。

ジョイスの迷宮

わたしはジョイス学者ではないし、イギリス文学者でもないのだけども、どういうわけか近年ジョイス関連の方々と縁がある。ご恵投賜った。ジェイムズ・ジョイスの短編集『ダブリナーズ』刊行百周年を期したジョイスの罠―『ダブリナーズ』に嵌る方法(こちらについてはツイッターのほうで呟きっぱなしになっている)に続き、今度は『若い芸術家の肖像』刊行百周年を記念した論文集の上梓となる。本書は、「ジャパニーズ・ジェイムズ・ジョイススタディーズ」(JJJS)と冠された叢書の第一弾でもあるらしい(Jが多いからといって「ジョジョ」の係累と勘違いするなかれ)。ジョイス研究という、門外漢からするとやや敷居の高い専門領域の門戸を、近接領域の専門家や市井の愛好家にも開放しよう、というジョイス協会の「一般意志」がその背景にあるものと勝手に想像する。
実際、最初に『肖像』の構成とあらすじ、登場人物相関図(小林広直・南谷奉良・金井嘉彦)が整理されているし、また巻末には『肖像』に関連するテーマ・作家・時代に関する詳細な解説がついている。『肖像』についてなにか論じたいことがあってもどこから手をつけてよいのかわからない向きは、本書を手にとれば基本的な情報から先行研究の流れまでだいたいのことはわかるようになっている。先行研究の蓄積が膨大にある場合、専門外の人間はえてして迷い箸に陥る。結局、コンパニオンや事典をいくらか当たって、おそるおそる舌を湿らせるのが普通だ。しかし『肖像』の場合、そのような心配はもういらない。本書はずばり、居酒屋『肖像』常連客がクオリティを保証した、いちげんさん向けのビール・つまみのセットのようなものだと思えばよい。さすがに「センベロ」とはいかないが、納豆やエスカルゴのような舌を選ぶ珍品ではなく定番の品が並んでいる。舌が馴染めば通えばよい。また隣の喫茶『ダブリナーズ』には『罠』という定番のセットがすでにあるわけなので、そちらに行ってみてもよい。このような親切さがまず本書の売りである。
もうひとつ、『罠』と同様、『迷宮』も執筆者全員がすべての原稿に目を通して互いの意見を積極的に盛りこむという方針が採られている点も特筆に値する。こうすると通常は査読のない(品質保証のない)論文集に査読のメカニズムを入れることになり、各論の水準は一定以上あることが(少なくともジョイスの専門家によって)保証される。また論文集にありがちな、各自好き勝手に論じたばらばらの論文が一冊のなかに入っている、という決まりの悪さも解消し、総論としての、一冊の著書としてのまとまりも得ることができる。とりわけ、それぞれの切り口や経路の違いはあれど、『肖像』全体の包括的解釈を志向する、という共通理解は徹底されている。ジョイス学者のあいだでまだ合意のできていない部分はきちんと各論どうし相互参照されており、齟齬を取り繕おうという欺瞞もない。この人文学風前の灯火の時代に、作家単位の学会を運営・維持するという困難なミッションを念頭に置くなら、学会のありかたを再考しわかちあっておくことは、ジョイス協会ならずとも必須となるだろう。学術のありかたが多様化する現代において作家単位の学会という「反時代的な」組織の存在意義を真摯に問い直すとき、『罠』と本書の形式はひとつの範型となる。
以下、各論の内容と書評子の見解・批判を述べていく。批判は「一切の遠慮を排して」「自由に行って下さい」、という言質はすでに得ているわけだが、これに甘えるわけにはいかない。わたしの批判(クリティーク)は論者個人に向けたものではなく、学術活動全体に向けたものであるという点をあらかじめご了承いただきたい。個人に発した言説を個人に宛てて返す意図はない。それは内輪に閉じた私的な交友だろう。公的な学術活動はさまざまな学者が連帯(応答)責任を構成する共同体を想像することによって初めて可能となる。論を公表した個人が自らに可能な限りの責任をもつのは当然のこととして、それ以外の研究者はこの責任を個には帰さず、これを個人には負うことのできない連帯(応答)責任へと開いていくのが学術的に真摯な態度である、とわたしは信じる。公的な学術文化、あるいは「学問の共和国」(the republic of letters)の末席を汚す人間としては、どこまでも拡大する連帯(応答)責任のもとに、公刊物中の弱点であると同時にポテンシャルとも捉えうる要素を照射することこそ、個人になしうる最大の学術的な貢献であると考える。
屋上屋を重ねる。わざわざ書籍という形で学術的成果を「公」に問うというふるまい(publication)に今日もなお意義があるとすれば、これを専門外の他者に、あらかじめ予想のできない他者に宛てる場合なのではないか、と近頃思う。専門に根ざしつつその成果を使って専門に属さない人々を誘惑し、巻きこまんとする営みとして、学術出版は構想されるべきではないか。誰に向かって、どこに向かって出版するのか。「公」とはなにか。学術出版の意義を考え直すべき時が来ている、とわたしは思っている。
堅苦しい前置きが長くなった。以上のような問題意識のもとに、わたしが書評を書いていることをご了承願いたい。なお以下のわたしの書評のなかに誤謬があれば、それはひとえにわたしの無知や見識の狭さ、偏見に由来している。言い訳の余地はない。忌憚ない批判を賜りたい。

第一章 「おねしょと住所――流動し、往復する生の地図」(南谷奉良)は、おねしょという生理現象の記述を、芥川龍之介がいうような子ども時代という一時期の感性をリアリスティックに描写したものではなく、作品全体を貫流する「流動性」の起点として読解する。さらにはこのおねしょは、もうひとつの主要な運動原理である「往復性」とも関連していることが明かされる。
ヴィクトリア朝に発達した衛生観念が穢れを罪の象徴とするキリスト教の教えと合流し、20世紀初頭におねしょは「罪の小川」として語られていた。とはいえスティーヴンのおねしょ自体に罪はない。屋外便所の溝に落とされた経験やドブネズミの描写と、地獄の説教における「悪徳の不潔な流れ」との密接な関連性に鑑みると、無垢な少年が褥を濡らした経験は遡及的に「罪の小川」の源流として位置づけられていることになる。その他にも濡れたり湿ったりしているものや流れるもの、それからおねしょに特徴的な快/不快の持続的推移は、さまざまな場面で万物照応の関係をつくっている。このようなスティーヴン固有の生の感覚である流動性の原理の向こうを張るのが級友や国、陣営をわかつ「線」であり、また自他の区別をつける「切断」行為である。(無)意識の流れに代表される想像的な領域と、世界を示差的に理解する象徴的な領域の両立をここに見ることができる。
ただし、往復性を扱う四節以降は、物語構造における「上昇と下降のパターン」や往復運動、前進、キアスムに紙幅が割かれ、流動性/切断の力学については論じられない。「父・母・母・父」という交差配列的な枠構造を指摘する論には一定の説得力が認められるが、おねしょに淵源する流動性ではなく、おねしょの記憶に伴う母の存在を枠構造の解釈に利用してしまうと論の構成上、流動性と往復性の関係はどうなるのかわからないままとなる(特にヴィクトリア朝におけるおねしょの言説についての議論は完全に忘れてしまう)。おねしょから論じるのではなく、作品の構造における運動をさまざまに検討し、この始点におねしょの場面を位置づける、という構成をとってみてはどうだろう。というのも本章を一読した限りでは、おねしょの場面そのものにはその後の作品のなりゆきを決定づける予兆といえるほどの強度は備わっていない。むしろその後の小さなさまざまな描写の積み重ねが遡及的におねしょの場面に予兆としての「資格」を与えている。流動性の原理は、往復性の原理によって源流へと差し戻される。流動性の原理に身を任せどんぶら河口まで下ると、往きて還るべき源流のありかを往復性の原理が指し示す、というのは穿ち過ぎだろうか。いずれにせよ、おねしょは乾ききってから「地図」をつくるのだから、しっかり乾ききるまで見届けるべきだろう。
第二章 「『若き日の芸術家の肖像』における音響空間」(平繁佳織)は、現象学者ドン・アイドの「知覚される音」と「想像上の音」という聴覚経験の分類を用いて、スティーヴンの成長と音響空間の関連性について論じる。
『肖像』にはさまざまな音風景が描きこまれている。背景をなすリズミカルな雑音はただの描写ではなく、ある音が後続の音の予兆となるようなかたちで互いに響きあい、作品全体の基調を成している。このような「知覚される音」とスティーヴンの内面にこだまする「想像上の音」とのあいだには交渉がある。平繁は世界からの呼びかけに対して受け身になるだけではなく、これと「想像上の音」である内なる声の双方に耳を傾け、後者を現実に発声して世界に応えてみせるスティーヴンの姿に芸術家としての成長を読む。
※まず「知覚される音」には「家族からの、そしてナショナリズムからの呼びかけ」(アルチュセールを想起するところだろう)もあると本章では指摘されている。当然これらには政治的な含みがあるように思われる。「外から響いてくる声を退ける、もしくはその声に沈黙させられてきたスティーヴンが、外界とのある種の調和を経験し、内なる声を表現することに成功した」ことを平繁は評価するが、むしろ外界の声と内なる声との不協和こそ問題にすべきなのではないか。そして内/外の音が心地よい和音を構成せず居心地の悪い不協和音となるところに、スティーヴンの発声の意義はあるのではないか、とわたしは考えてしまう。次に、ドン・アイドの概念使用に関して。アイドの「知覚される音」と「想像上の音」は、視覚中心に展開されてきた西欧の批評体系に対する異議申し立てを使命とする概念である、と平繁は序において論じている。アイドの概念を用いるのであれば、その問題意識を引き受ける必要はないだろうか。たとえば第五章・横内の論を参照して、視覚について論じる先行研究を批判しつつ聴覚論を展開するのであれば、アイドの概念を利用する必然性も明確になるだろう、と思う。
第三章 「自伝性と虚構性の再考――『若き日の芸術家の肖像』におけるずれた時間軸の狭間から」(田中恵理)は、自伝的小説『肖像』とジョイスの実人生とを丹念にすり合わせ、両者の時間的ずれに注目する。
従来『肖像』には飛翔と墜落を繰り返すパターンが見られると指摘されていたが、田中はジョイスが実人生のエピソードを意図的に再配列して、『肖像」の「上昇と下降の波動パターン」をつくりあげていると主張する。スティーヴンの気分の浮き沈みをなぞるこの構図は、オズワルド・シュペングラーの『西洋の没落』にみられる有機的な生成と没落を繰り返す循環的歴史観とも共振するという。具体的に「上昇と下降の波動パターン」を物語において実現するのは語りである。『肖像』では語られる対象である作中人物の話法が語りに侵入する。そのため語り手はスティーヴンの願望の介入を受ける。かくして語りは、スティーヴンの幻想的な時間意識と現実の時間とのあいだにアイロニーを宿すことになる。伝記でもまったくの創作でもない『肖像』は、このような構造的アイロニーの結晶として理解できる。ジョイスの自伝的事実と『肖像』の展開を詳細につき合わせた年表を含む、大変な力作である。
※一般的な話をすると、時間的なつじつまが合わない小説というのはよくある。単純に作家のミスであることも多い。田中はこれを作家の過失ではなく、企みであると積極的に評価するわけだが、わたしとしては、作家は作品に対して全能ではない、という立場をとりたい。とんでもない過失が芸術的価値をもつこともある。そのような偶然性や出来事が介在する余地を認めるのも、文学研究の一部であろうと考える。ただ作家の意図の問題は抜きにして、「上昇と下降の波動パターン」と実人生とのずれを詳細に記述したことそれ自体に学術的価値はあるのは間違いない。次に、シュペングラーの『西洋の没落』がこの「上昇と下降の波動パターン」の霊感源であるという指摘はにわかには信じられない。循環的な歴史観に関しては太古よりおなじみのものであり、たとえばバフチーンのラブレー論はこの伝統を論じた著作の代表格である。循環的な歴史観は、近代以前の時代、とりわけ中世やルネッサンスにおける時間意識、というのが通説だろう。田中がシュペングラーとの影響関係の証左として持ち出すジョイスの論考「文芸におけるルネッサンスの世界的影響力」のタイトルひとつとっても(内容までは知らない)、同時代のテクストとの近さだけに頼るのは危険だと思われる。もう一点、スティーヴンの幻想的な時間意識が語りのなかにおいて「実際の時間とはかけ離れた幻想として揶揄されている」という指摘は首肯できない(アイロニーは「揶揄」ではない)。「実際の時間」の虚構に対する優位性を前提してしまうと、ジョイスが自伝的整合性を犠牲にしてまで「上昇と下降の波動パターン」という意匠を形成した、とする自らの説を突き崩してしまうことにならないか。
第四章 「〈我仕えず〉、ゆえに我あり――間違いだらけの説教と狡猾なスティーヴン/ジョイスの戦略」(小林広直)はアーノル神父による地獄の説教の構成、およびその説教にただならぬ恐怖を覚えつつもその論理矛盾に気づいてもいるスティーヴンとそれを描くジョイスの狡猾さについて論じる。
まずアーノル神父の説教はピナモンティ『キリスト教徒に開かれた地獄』(1688)の英訳版に基づいていることを明らかにした先行研究に依拠し、いかにこの説教が原典を裏切っているかを解説する。そのうえで、この神父はロヨラの静修の第一前備「地獄の長さ、広さ、そして深さを、想像力を働かせて見ること」に依る一方、主の愛を忘れてしまった場合でも地獄の恐怖があれば罪を犯さずに済むとする第二前備は無視する。そしてこの「信頼できない説教師」の造形はジョイスの引用の不備ではなく、恐怖によって人心を掌握しようとするカトリシズム批判のための狡知であると解釈する。ジョイスは、地獄の恐ろしさを過度に強調することを通じて、若き日の自分を苛んだ苛烈な地獄のイメージをスティーヴンの物語において乗り越えようとする。その一例が地獄の説教に登場するルシファー=サタンのセリフ「我仕えず」を大学生のスティーヴンが反復する場面にある。だが、神への反逆を「一瞬でも」意志したルシファーがまるでイカロスのように「永遠の」地獄へと堕ちたのに反して、大罪を犯したスティーヴンにいまだ地獄落ちは訪れない。スティーヴンは地獄のイメージに取りつかれ、また神父の説教を信じている。しかしその信仰は、大罪を犯せば一瞬で地獄に落ちるというのにまだ地獄に落ちてはいない自分の実存の確認に向かう。地獄を信じれば信じるほど、スティーヴンの「瞬間」的実存と地獄の「永遠」との距離は広がっていく。同時にジョイスは、スティーヴンが恐れおののく「圧倒的な密度と正確性」を備えた地獄の描写を通じて、このトラウマから距離をとり、カトリシズムとのひそかな戦いを開始する。
※キャシー・カルースのトラウマ理論、「[トラウマ的体験の]直接性・無媒介性(immediacy)は、遅延・事後性(belatedness)という形を取ることがある」の援用が本章の議論にとって不可欠だとは思われない。カルースの論の前後関係が不明なので推測でしかないが、おそらくトラウマとなるような出来事はそれが生じた瞬間には経験できない、経験しそこなった体験として主体に刻印される、ということであろう。だから真の経験は常に遅れてやってくる。この遅れゆえに、出来事について事後的に語ることはこれをしっかりと経験しなおすことに等しい。このような意味において、スティーヴンが地獄について語り、またジョイスが書くという行為は、経験しそこなった出来事の経験であるといえる。しかしながら、本章の主題はトラウマではなく、(地獄の描写がいかに苛烈で執拗でトラウマになりそうなものであろうと)カトリシズムにおける地獄の「信仰」を問うところにある。信仰がトラウマ的出来事によって強化される側面もあるのかもしれないが、トラウマ理論を援用するのであれば信仰との関係を論点とすべきであるように思う。次に、神父が「信頼できない説教師」であることの意義が不明な点。ジョイスが神父に聖書からの引用を敢えて間違えさせている、という説を小林はとっているが、では敢えて間違えさせることにどのような効果が見込めるのか。神父としての正統性の毀損に言及する箇所はあるが、これでは弱いだろう。この失策が地獄の恐怖を最大化するための狡知として読めるのであれば、論は強くなる。また地獄の恐怖に先立つ神への愛を説いたロヨラの第二前備の欠落を指摘する箇所も物足りない。『ユリシーズ』における教会への愛憎の議論とつなげるよりも、この第二前備に神父が言及しない点をもっとはっきり問うべきではないか。そうであればこそ、信仰がもっぱらネガティヴな地獄への恐怖から語られ、積極的な神への愛が埒外に置かれていることの意義を問うことになる。神父が語らないことについて論じれば、スティーヴンが信じ込まされたものの偏りが鮮明になるだろう。
第五章 「盲者の視覚――『若き日の芸術家の肖像』における語りと視覚」(横内一雄)は画布に向かうときはモデルに目が届かず、モデルを見るときは手元を見ることができない画家の視覚を論じたデリダ『盲者の記憶』を補助線に、視覚・盲目・まなざしについて論じる。
ほぼ全編を通じて眼鏡をなくした状態に置かれているスティーヴンだが、実際には見えないはずのものをちゃんと見ている。横内の仮説は、スティーヴンの視覚以外の知覚や記憶、ないしは語り手やジョイスの知識が補っている、というものだ。このように『肖像』には「現実には見えないものを書くことを宿命づけられている」「盲者の視覚」というテーマがある。スティーヴンは他人の目を覗き、視力を失っている眼球にも視線を幻視する。さらには、眼球の存在しないところにも他者の視線を感じる。よく見えないがゆえに多分に自意識過剰に陥り、視線恐怖をきたすスティーヴンの視覚に注目するなら、一見微視的でリアリスティックに見える少女の描写の信頼性も揺らぐことになる。それはモデルを転写するがごとき微視的な描写なのではなく、モデルなきリアルな幻視である。リアリズムを超克しようとする芸術家=盲者の視覚=死角とでも言おうか。
※eyesとgazingとを分け、前者を身体的な目、後者を視線として横内は論じている。だがeyesは眼球であると同時に、視線やまなざしとしても使われる。したがって、eyes/gazingという分類をテクストのなかで行うことは端的に不可能である。読み手は、eyesに物質的な目の存在と視線の作用の両方を認める必要があるだろう。現実の光景と幻視はわけることができない。このほうがジョイスの目論見に近いようにわたしには思われる。
第六章 「アクィナス美学論の〈応用〉に見る神学モダニスト的転回」(金井嘉彦)は、スティーヴンが奉じるアクィナスの美学の前景化、それからこれと不即不離の関係にあるドイツ観念論の後景化に、カトリックにおける神学モダニスト論争の影を認める。
「応用アクィナス学」と呼ばれるスティーヴンの美学論の研究動向は、これまでのところ典拠探しが中心だった。この「応用アクィナス美学論」にはドイツ観念論の影響が見られるものの、物語のなかではドイツ観念論の話題になるとなぜかスティーヴンは口を閉ざす。金井が注目するのは神学者アクィナスの側面である。当時カトリック教会を近代化しようとする神学モダニズムの流れがあり、カトリック教会主流のスコラ学はこの封じ込めに躍起になっていた。アクィナスはこのような文脈においてカトリックの正統的な哲学者としての地位を享受していた。神学から遊離したドイツ観念論は、カトリックの敵だった。ドイツ観念論に対する沈黙は、カトリック教徒の正統的なふるまいであったことがわかる。しかし金井は、どのような美学思想を内に秘めていようともアクィナスの名さえそこに冠しておけば安全である、というスティーヴンの二枚舌をここに読む。神学とスコラ学の融合を図った中世のアクィナス像がカトリックの改革を図る神学モダニストにとって枢軸となっていた点を確認するにおよび、スティーヴンの応用アクィナス学は「キリスト教を時代に適合させるモダニスト的な応用力」という含意をも帯びる。かくて金井は、従来アクィナスを応用する程度にしか考えられてこなかったこの美学論を、中世の改革者アクィナスに仮託された教会/モダンの対立と神学/美学の離断を解決する戦略的な弁法として解釈する。
※アクィナスを異端思想の隠れ蓑とすると同時に中世のモダニストとして奉じる、という二重の戦略を、スティーヴンの美学に読む試み、特にそれを神学との関係において達成している点はおもしろい。しかし、神学とスコラ学を融合させた改革のイコンとしてのアクィナスの議論に関しては、紙幅の問題もあるだろうが、かなりの程度、テクスト外の情報に負った解釈となっている。特に12世紀ルネッサンス以後の時代に東から大量の写本とともに流入してきたアリストテレス主義がスコラ学の核だった、という点は考慮する必要があるだろう。それまで後進地域だった西ヨーロッパは、アリストテレスとともに一気に知の水準を上げる。「スティーヴンはアリストテレスとアクィナスの名を挙げるのであるが」(151)に続く論述では、アクィナスとともにアリストテレスの名が言及されている点は無視されている。中世において教会の教えに背く思想を多々含んでいたアリストテレスへの言及は、「中世のモダニスト」アクィナスの革新性を仄めかしているのではないか。
第七章 「ヴィラネル再考――ジョイスとイェイツの間テキスト性について」(道木一弘)は、スティーヴン作のヴィラネルとイェイツの詩との間テクスト性に注目、「倦怠」と「彷徨」というテーマが『肖像』のプロッティングにも反映されているとする。作中に登場するシェリー「月に寄せる」における倦怠と彷徨のテーマを補助線として、イェイツ「彷徨えるアンガスの詩」(+「薔薇の世界」)を『スティーヴン・ヒアロー』と並ぶ『肖像』の「原テクスト」として読む。
ジョイスとイェイツの微妙な影響関係については、さまざまな論者が指摘しているようなので、「彷徨えるアンガスの詩」がスティーヴンのヴィラネルの着想源のひとつだったとしても不思議はないのかもしれない。しかし、それが『肖像』の「原テクスト」のひとつというところまで飛躍すると、さすがに無理があると思われる。「間テクスト性」が事実上の「相同性」や「平行関係」であることは論文中の記述からもうかがえる。一般的に「間テクスト性」は、テクスト間の関係性そのものを見定めるというよりは、先行する作家から後続の作家へという、点から点への影響、特に両者の類似性を記述するために使われることが多い。道木の「原テクスト」という祖型探しを目論む用語にこのアプローチの限界は如実に表れている。このアプローチをとる限り、「原テクスト」の発見とその証明に終始することになる。「間テクスト性」という用語は、原テクストと『肖像』が似ているという前提のもとに使われており、両者の関係性はあらかじめ「相同性」に限定されてしまっている。さまざまな関係性の吟味に向かわず近似性だけを素朴に前提して記述する傾向は、「間テクスト性」を標榜するすべての研究に言えることであろう。この議論から排除されている異物を精査することが相同性を越える関係を見定めるために必要な作業なのではないだろうか。テクスト間の関係性の吟味にあたって、作家間の影響関係の含意を伴う「間テクスト性」という概念は今でも有効だろうか。またわたしとしては、相同性を追求するのであれば、イェイツにこだわる必要はないと思う。「倦怠」と「彷徨」は、ロマン派からデカダンに至るまで広範に見られる近代化の時代の気分を特徴づける要素だと思うし、テクスト間の近さにこだわるならば、そのような広いコンテクストへの応答として『肖像』をとらえたほうが実り豊かであるように、わたしには思われる。
第八章 「象徴の狡知――『若き日の芸術家の肖像』あるいはジョイス版「実践理性批判」(中山 徹)は、外的な要因による決定を受ける感性的経験と「純粋な超越論的理念」(カント)との差異、また宗教的道徳律に従う主体とこれに依拠せず前提なき自由を希求する主体のありかたについて論じる。
カントの崇高論とジェイムソンのモダニズム論を補助線としつつ見ていくと、神の与える責め苦の永遠、つまりは限りない超自我と、経験できない自由の理念というふたつの崇高性があり、後者に芸術家の使命が重なる。この自由の理念の実現にあたり芸術家の手段となるのが、想像できること(「飛翔」)と実現できないもの(「自由」)のあいだに反省の形式のアナロジーを成立させこれを表象する象徴化行為である。スティーヴンの美学論を検討すると、「光輝」という象徴によって超感性的な「神意」を発見したり、芸術作品を通じて「創造神」を喚起したりする、超感性的なものの象徴化が見られる。このようにしてかつて超自我の位置を占めスティーヴンを苛んでいた神は、芸術家という主体の自由の象徴と化すように見える(はっきりと論じられていないがおそらくそういうことだろう)。しかし芸術家に自由の可能性をもたらす象徴は、理性理念という想像を絶するものを対象とする限り、象徴化の挫折を表象する象徴でしかない(神をめぐるさまざまな芸術作品を思い浮かべても神を定義し、これが神だと断定するに足る証拠をもつものはない)。だが、(神のように蝕知できないものではなく)経験できるものや安易なイメージに逃避することなく、自由という五感では捉えることはできないしこれだと認識することもできない理念を象徴化しそこなうことによって、自由の超感性的な性質を否定的なかたちで(自由の理念は現実をいつも凌駕するというかたちで)実演することになる(だから象徴化し続ける価値がある)。中山は、『肖像』における象徴化のスタイルをジェイムソンのモダニズム論に差し戻す。ジェイムソンはモダニズムの形式を、帝国という空間的全体性を志向する帝国モダニズムとそのような志向を欠いた植民地モダニズムとして整理している。ジョイスは後者に妥当する。しかし中山は『肖像』に全体性の志向がないわけではないと考える(どのような全体性かについては論じられていない)。理性はどこまでも広がる全体性を志向する。帝国モダニズムが「理性の認識的要求」(理論理性の表現)にかかわるのであれば、ジョイスは「理性の実践的要求」(実践理性の表現)にかかわる。このようにして、モダニズム文学全体のなかに、『肖像』を位置づけて論は閉じる。
※道徳律の問題を崇高から説き起こすところでまず躓く。小林が論じているように『肖像』の地獄が超自我=悪い良心の問題系に掉さしていることは確かだと思うが、終わりなき責め苦を神の無限性と結びつけ、これを美的判断の水準で論じるところにいろいろと混乱があるように思う。カントの道徳律というよりは、神の御業を永遠の地獄の責め苦としてスティーヴンに与える、言い換えればスティーヴンに超自我を植えつけ他律的な主体とするカトリックの道徳を問題とすべきだろう。この決定論から逃れ、神的次元を自らに由って表現するのが芸術家による「象徴の狡知」となるはずだ。乱暴に一般化すると、プロテスタントは神とは根本的に異なる、人間の自然との決定論的関係を考察する(このなかでロマン派は人間の自由の問題を自然との有機体論的総合によって解決しようとする)。カントの援用にわたしが居心地の悪さを感じるのは『肖像』がカトリックに深く根差したテクストであるからなのだろうか。本書を読む限り、カトリックは依然として神学的な決定論に縛られていたようだけども、神学モダニストを論じる金井の章が明らかにしているように、この時代にはそれも揺らいでいた。中山の論を借りるなら、カトリックの道徳律から離脱する(相対的に自由になる)には、いきなり無神論的な境地に達するのではなく、神を個人的な芸術において象徴化するというプロセスが必要だったのではないか。ジョイスの象徴化の議論をみていると、常にすでに人間を内側から決定してくる道徳律から、前提なく熟慮の上決断する(事後的にその成否が問われる)実践倫理への移行があるように感じる。次に道徳律の問題とジェイムソンに依拠したモダニズムの政治的問題がうまくつながっていない。おそらくは終盤を読む限り、象徴をめぐる美学イデオロギー(あるいはパラ・サブライム)の問題を扱う方向なのだと思う。そうするとそもそも道徳律の問題を論じる必要はあったのだろうか、と考えてしまう(イメージその他の経験についてまず論じたうえで、崇高と象徴化の議論に移ればよかったのではないか)。論証の手続きにも強引さが目立つ。とりわけジョナサン・カラーを引っ張ってきて、一般的に頓呼法は抒情詩的な文彩とされるとし、これをテクストの一部分の、それも抒情詩という形式をとらない箇所の解釈に援用するのは難しい。結論ありきの印象が強い。とりわけ先行研究が無視されている点に論の達成度の不明瞭さと不親切を感じる。しかしながら、「飛翔」と「墜落」の同居を自由という理念の実現不可能性の象徴(芸術が挫折を運命づけられていることの象徴)と位置づけ、これを『肖像』のポテンシャル、モダニズムのポテンシャルとして剔抉しようとする野心的論文なのは間違いない。
第九章 「スティーヴンでは書けたはずがなかろう――ヒュー・ケナー『肖像』論における作者ジョイスとスティーヴンの関係性」(下楠昌哉)はジョイス学者のなかではもっとも一般認知度の高い『機械という名の詩神』の著者ヒュー・ケナーの『肖像』論二篇をおさらいする。
まず「『肖像』・イン・パースペクティヴ」(1948)は、『肖像』と『ユリシーズ』、『フィネガンズ・ウェイク』の連続性を論じ、『肖像』を自伝的な作品と断定はしないところが画期的だった。「スティーヴン・デダラスとかいう輩が『肖像』や『ユリシーズ』を書いたと仮定するのは、しつこく繰り返されている誤謬である」という文言はとりわけ論争の的となった。しかしケナーによれば、スティーヴンとジョイスとを同一人物であるという説の否定こそが論文執筆の動機であった。「ジョイスの『肖像』――ある再考」(1965)でよく言及されるのは、複数の視点から同一の対象を捉えるキュビスムの作品として『肖像』を評価した点だった。しかし下楠は、そのような趨勢に隠れた、前作で明確に論じきれなかったジョイスとスティーヴンの関係についてケナーが再考している点に注目する。ケナーはワイルドとジョイス、ワイルドとスティーヴンの類似性について論じているため、またしても両者の差異は埋没してしまうかに見える。だがアリストテレスの「可能態」に恃んで、『ダブリナーズ』の登場人物は実際に実現しなかったがありえたかもしれない悲惨な状況に陥ったジョイスその人である、というアクロバットな論を展開するケナーは、スティーヴンをジョイスがそうなってしまう可能性もあった、うだつのあがらない芸術家として論じる。ケナー本来の企図に鑑みると、スティーヴンがジョイスの「可能態」であるとする論は、両者の決定的な差異というよりは近さを匂わせる結果となっている。しかしここに下楠は、予断なく作者と登場人物の関係性を見定めようとするケナーの真摯な態度をみる。
※正直なところ、ヒュー・ケナーの論がジョイス学者によって今日まで読み継がれている理由はよくわからなかった。ケナーの論に、ジョイス批評を賦活するだけのポテンシャルがまだあるのか、門外漢にはよくわからない。スティーヴンがジョイスの「可能態」であるというのであれば、ジョイスもまたスティーヴンの「可能態」である、という裏返した読みも可能なのかもしれない。それはともかく、作品はジョイスによって完璧に統御されており、読者はジョイスの掌の中で踊るほかなく、残された手立てはいかに踊るかの一点のみ、という前提をジョイス学者はなかなか崩さないように見える。その前提を維持するために、スティーヴンは(ジョイスに比べて)不完全な芸術家として論じられる傾向にあるのではないか。中山の論を借りれば、ジョイス学者にとっての全体性への志向とは、作品ではなく、芸術家ジョイスという宇宙を象徴化しようとする欲望であり、各論はその挫折、しかし勇気ある挫折なのかもしれない。ケナーもまたそのひとりなのだろう。しかしジョイスという芸術家は「創造神のように」完全であるという前提は正しいのだろうか。中山の論のポテンシャルを汲めば、ジョイスもまたスティーヴンと同じように挫折した芸術家である(美的完成の頓挫を実践する)がゆえに、美と政治の問題を取り扱うにふさわしい作家なのではないだろうか。
第十章 「スティーヴンと「蝙蝠の国」――『若き日の芸術家の肖像』における「アイルランド性」(田村 章)は、芸術家スティーヴンがその影のごとく揺曳する政治性と歴史性に焦点を当てる。
イングランド寄り/独立派ナショナリストカトリックプロテスタント、イギリス式学校教育/アイルランド文芸復興運動、土着民族/侵入者といったアイルランドの異種混淆性が列挙され、これを背景としたスティーヴンの自己形成/反動形成が論じられる。トマス・ムアやジョン・ヘンリー・ニューマンという純粋というにはほど遠いアイルランド作家のように、スティーヴンも引き裂かれた存在であり続ける。「妊婦」でありながら「娼婦」でもある女として表象されるアイルランドに生きるスティーヴンは、さまざまな境界性の象徴たる「蝙蝠のような魂」を、芸術創造の過程において言語の迷宮に閉じこめる。田村は、「アイルランド性」を過去へのノスタルジアではなく、清濁併せ呑む活力と一筋縄ではいかぬ矛盾として捉える。
 ※やや大雑把な論述ではあるが、新歴史主義的な同時代性に拘泥することなく、歴史小説、あるいは歴史叙述の問題を幅広く展開している。12世紀から20世紀初頭に至るまでのアイルランドを取り巻く宗教的・政治的混淆性をスティーヴン個人のモデルなき自己成型として考察する。「蝙蝠のような魂」という濫喩(?)は、中山のいう「象徴の狡知」とどう関係するのか。田中のいう「上昇と下降の波動パターン」や南谷が論じる「流動性」と「往復性」の意匠は、この時間性や歴史性とどう交わるのか。また道木の「間テクスト性」は、このような巨大な時間と歴史の堆積に恃めばよいのではないか。点と点を結ぶ間テクスト性ではなく、面と面が接する文化・歴史・宗教の地層に埋めこまれたテクストのポテンシャルを問うべきではないか。
 巻末には21のコラムが付されている。『肖像』をめぐるさまざまな言説の厚みを体感できる。このような批評的前提を広く共有しようという姿勢は、放っておくとマニアックに淫する危険性の高い作家研究の蹉跌を回避する安全弁となるだろう。英文学という学問体系の中でも特殊性の高い、アイルランドをめぐるトピックは必読だと思われる。一点、苦言を差し挟むなら「19 『肖像』と映画」の項目は、映画を原作に対する忠実性から論じるという文学研究者が犯しがちな錯誤に満ちている。「『肖像』の心象を現実描写に混ぜる描き方やこの作品が多用する隠喩は映画には簡単に移せない」というが、そもそも小説言語と映画が駆使する表現技法は全く異なる。メディアの違いは前提としなければならない。音と映像、カメラの視点、編集など、さまざまな映画的技法、あるいは映画の修辞法は、端的に原作の言語や物語に対する忠実さには還元できない(小説における映画的技法の応用に関しても所詮は比喩的な水準にとどまる。根本的に小説は映画ではない)。この辺は、アダプテーション理論や上演理論が洗練されるにつれすでに克服済みの問題なのだが、これを共有しないまま映画をまるで文学であるかのように語り、前者を劣化版文学のように語る文学研究者はまだ数多い(シェイクスピアの台本は上演より優れているだろうか)。このような忠実性を前提とした議論は、文学の他のメディア作品に対する優越性を素朴に前提することになる。このメディアミックスの時代に文学と映画の関係を語る意義は、技法の制約のためうまく表現できていないテーマや埋没しているポテンシャルが、文学とは異なるメディアに撒種され別様に表現される余地を認める場合にのみ存在しうる。文学について語る言語は、文学言語の限界を意識することによって豊穣になるだろう。

※上の段落に関し、南谷奉良さんから批判を頂戴した。適切な批判だと考える。
第一に、「19 『肖像』と映画」の項目の執筆者である金井が、論点を4つ挙げてからそのうちのひとつである忠実性について論じている、という経緯をわたしが無視している、という批判。4つの論点は以下の通り。
1.『肖像』執筆当時の映画
2.『肖像』における映画的側面
3.映画版の『肖像』に対する忠実性
4.原作を抜きにした映画版の評価
上述の通り、金井は3.の忠実性に関する議論にフォーカスしているが、金井が3.以外の論点を視野に収めず忠実性だけに拘泥しているわけではない。金井の解説を「ナイーヴな」文学至上主義的言説へと歪曲している可能性は否定できない。
第二に、「素朴に前提する」というワーディングについて。「素朴に」という言葉は、批判対象に対する書評子の優越性を強く前提してしまうゆえに、論証と説得の言語としては不適切ではないのか、という批判である。このような論じ方をすると、批判の妥当性を問う過程よりも、結論の無謬さが前面に出ることになる。つまりは、侃々諤々の議論ではなく、すでに判決の下った主文という色彩が濃くなる。書評子が裁判官の椅子に座ってはならない。批判を展開するのであれば、検察側、あるいは弁護側に立ったまま説得的な論証を続けるべきであろう。感情的に判決を下してしまったのは間違いない。わたしの過失である。
わたしの批判の意図を述べておく。まず一点目に関して応答しておくと、わたしの批判の論点は、映画に対する文学の優越を前提し、両者の関係を「忠実性」に限定して論じることに学術的意義はない、ということに尽きる。わたしが気になるのは、金井が3.にフォーカスしているだけではなく、原作と映画版の関係を「忠実性」のみに局限している点である。「4.原作を抜きにした映画版の評価」でも、原作は無視して映画だけを評価するわけなので、両者の関係はかっこに入れられたままになっている。「原作を知っているジョイス研究者としては、原作との比較抜きに映画だけを純粋に評価することは難しい」(290)として3.の忠実性の解説に移ることからも、(文学一般と映画一般の関係についてはわからないが)少なくとも『肖像』に関しては、原作のほうが映画版より優位にあるという前提のもとに議論をしている、と判断せざるをえない。文学の原作と映画に忠実性以外の関係はありえないのか、忠実性に文学の未来はない、という批判を重ねておく。ただ、以上の4つの論点を精査することなく批判を展開したのは、わたしが犯した過失であることに間違いない。フェアではなかった。
二点目の批判における、「素朴に」という言葉遣いは、少なくない文学研究者が依然堅持しているロマンティックな作家主義・文学至上主義を指弾する意図があった。しかしこれは上述したように、批判的な論証を遂行する上でふさわしい選択ではないように思う。「映画に対する文学の優越を前提し、両者の関係を「忠実性」に限定して論じることに学術的意義はない」というわたしの認識について細やかに論じる必要性があったと痛感している。拙速であった。なお「素朴に」は道木の論に対する批判においても使用している。「素朴に」という言葉遣いには、(論者に対してではなく)間テクスト性や忠実性という「乱暴な」概念、論文を書く上で使っておけば安全だとみなされているものの有効性が認められない権威的な道具に対するわたしの嫌悪感が短絡的なかたちで出ている。憚られるようだが、文学研究者はこれをもって奇貨としてほしい。 

同様に、今後もジョイス研究をpublicationするのであれば、ジョイスの作家としての限界を指摘し、ここにジョイスの他者が容喙する余地をつくる批評が求められるのではないか、とわたしは考える。ジョイスで充足しないこと。これは文学研究全体にも言える。文学で充足しないこと。文学は不完全な形式である。不完全であるからこそ文学は、他のメディアや人文諸学、果ては市井へと開かれる。

幻想と怪奇の英文学その2

久しぶりにこちらに書く。これから時々はこちらに書いてみようかと思う。

幻想と怪奇の英文学II: 増殖進化編

幻想と怪奇の英文学II: 増殖進化編

さて、今年の夏に執筆者のひとりから献本いただいたものの、なかなか読む時間がとれなかった『幻想と怪奇の英文学Ⅱ――増殖進化篇』をクリスマス前後に一気読みした。確かに増殖している。アメリカ文学や日本文学もちょいちょい入ってきているし、テーマもさらに広がっている。収拾がつかなくなる一歩手前で踏みとどまった、とも言えるかもしれないけども、巻末では第三弾の登場が予告されていることだし、異種格闘技イベントの運営にあたり統一ルールを糾う編者の剛腕は今後も期待されるところだろう。
前作と同じく、リアルガチの専門家を挑発するというよりは、ふだん専門家ばかりを相手に書いている英文学者が素人をいかに誘惑しつつ学術的知見をいかに披露すべきか、真摯に七転八倒する一冊に仕上がっている。作品の魅力を引き出す、という共通理解はちゃんとあるように思う。まずは本書を手にとって読ませた時点で「技あり」、続いてここに登場する作品を熟読吟味させた時点で「合わせ技一本」となる。
以下、大まかな内容と若干のコメントを付している。断続的に書いたものなので分量にばらつきがある(少ないからといってつまらなかったわけではない)。批判は著者個人に向けたものというよりは、英文学研究全体、人文学の未来に向けたものと考えていただけるとありがたい。個人を貶めることに関心はないので。
第一部「ゴースト・イン・リテラチュア」の劈頭にジョイスの「姉妹」の翻訳(下楠昌哉)を目撃してまず面食らうところだが、勘を働かせて『幻想と怪奇Ⅰ』の「姉妹編」宣言とでもしておこうか。もとよりこのリアリスティックにダブリンを描いた短篇集『ダブリナーズ』に、死者や幽霊の気配が漂っているのは周知のとおり。読者諸氏の平凡な日常生活から怪異の世界への渡しとしては、心筋を強張らせることもない、ほどよい塩梅の飛躍ではなかろうか。
続いて、田多良俊樹「薔薇十字会員の亡霊を降ろす/祓うこと――ジョイス「姉妹」の改稿とイェイツへの応答」は同短篇におけるどこか奥歯に挟まったような物言いの背後に、薔薇十字思想の存在を認める。この短篇は、オカルティズムの虜となったアイルランドの先人をフリン神父に重ねて葬る、野辺送りの一作である、という。確かにこの次世代アイルランド知識人にとって、民族主義者イェイツは乗り越えるべき壁であったろう。しかしながら、主人公とイライザが口をひそめて神父の秘密を公然の秘密として仄めかすとき、この亡霊=イェイツは著者の解釈をなぞるように除霊されることはなく、なおも亡霊のまま徘徊しているようにわたしには思われてならない。
鈴木暁世「乱世のなかに夢幻を描く――英国に渡った郡虎彦と『義朝記』」は『保元物語』をベースとした戯曲『義朝記』にギリシア悲劇の影を見る。日本の物語が西欧に移植されるときに、ギリシア・ローマの伝統が重ねられることはままある。いや、そもそも日本の古典的想像力は西欧のそれとはさして距離がないのではないか、もともと相性がよいのではないか、という気さえする。まったくの無知の身だが、両者の接点について考え直す上でよいとっかかりになる論文であろう。
小川公代「『フランケンシュタイン』の幽霊――伝承バラッドの再話として」は18世紀後半から19世紀前半にかけてイギリスに起こったバラッド・リバイバルを背景としてメアリ・シェリーの『フランケンシュタイン』を再読する。楽しんで読んだ。『フランケンシュタイン』の構造とバラッドを同時に知ることができる。口承伝統に掉さすものとしてよく知られているところではグリム兄弟の仕事であろう。ナショナリズムを背景とした口承伝統の蒐集は、文献学や解釈学、美学の勃興と密接な関係にある。まだまともに研究されていないが、19世紀前半のアメリカ文芸にも同様の欲望はあった。目に見えない絆を強く信じるには口伝えの故事を温める、あるいはでっちあげるのが手っとり早い。
岩田美喜「ぼくらはまた逢うだろう」――ディオン・ブーシコー『コルシカの兄弟』における幽霊の〈声〉と〈すがた〉」は1737年劇場検閲法以降、セリフ中心から視覚効果中心へと上演の主流が移行したいきさつを視野に収めつつ、神秘性がはぎとられ視覚的に消費される亡霊を描くアイリッシュ作家の『コルシカの兄弟」(1852)を読む。この俗悪なメロドラマには、近代的な視覚性を前面に押し出しつつもなお古き良きシェイクスピア劇が有していた亡霊による約束の言霊が宿っている、という。著者は亡霊の予言をオースティンの「発語内行為」の一種として扱う。しかし、ここには約束の反古が含まれないのだから、スピーチ・アクト理論ではなく(オースティンは日常語を対象としているという事情もある)、約束とその成就を意図する予弁法(prolepsis)として解したほうがよいと思う。
白川恵子「フィラデルフィアの幽霊屋敷――マット・ジョンソン『ラヴィング・デイ』における混血アイデンティティの呪縛と解放」は、アメリカン・ゴシックの定番である人種混交というテーマを現代アメリカの作家、ジョンソンがいかに描くか、プロットを追いつつ明らかにする。異人種間結婚禁止を違憲であるとした1963年の判決とこれを記念した「ラヴィング・デイ」を背景に、今もなお人種間の軋轢絶えないHouse Dividedの現状を幽霊屋敷というポー由来のトポスに託す。幽霊屋敷は解体されても、異人種カップルの亡霊はこのトポスに変わらず出没し続ける。幽霊屋敷というトポスをめぐる文学史もおもしろいかもしれない。
「第2部 幻獣/変身/テクノロジー」は九篇。
大沼由布『甦る鳥たち――古代中世ヨーロッパにおける鷲とフェニックスの描写』は、鷲の再生譚が幻獣フェニックスの伝承と相互補完的に語り継がれていたと教えてくれる。とりわけ動物寓意譚『フィシオロゴス』と動物に神の意図を読む『動物譜』の魅力は存分に伝わってくる。このあたりの知識を近現代の研究者も仕込んでおかないと、隠れたる意匠を見逃すことになりかねない。文化の違いと伝統の力をなめてはいけない。と同時に、ファンタジー(ゲーム)好きの人にはたまらない内容だろう。
小宮真樹子「クエスティング・ビーストの探求――トマス・マロリーの不思議な動物」も、ドラクエをはじめとするRPG好きは必読の一章だろう。マロリーの『アーサー王の死』に登場するquesting beast「吠える怪獣」は、正体を明かすことのない謎のままにとどまる。しかし物語自体もさまざまな謎を解明することなく閉じる点に鑑みれば、この作品の彩なす「咆哮」(questings)は、フランスの散文ロマンスやイングランド年代記などの種本を組み合わせた読者をはぐらかす物語そのものの「彷徨」(quest)へと一気に飛躍する。少々安易な解釈なのではないかとも思うが、門外漢にはおもしろい。
遠藤徹スフィンクスの笑み――H・G・ウェルズ『タイムマシン』と人間の未来」も、『タイムマシン』に登場するスフィンクスを物語全体のテーマを集約する提喩として読む。『オイディプス王』と登場し、「朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足。これは何か」と問いかけるスフィンクスが未来世界への入り口に鎮座するこの物語は、人間の定義の揺らぎを語る。つまりはダーウィンの進化論を経て、世紀転換期の大英帝国を襲った人間退化論の言説がこのテクストの背骨を成している。退化論を『タイムマシン』に重ねる読みはとりたてて珍しいものではないが、『宇宙戦争』や「百万年後の人間」、「人間の絶滅」とも比較検討することを通じて、退化への不安ではなく、退化の果てにたどり着いたのが人間という種であったという悲観的な人類史の追認とする解釈は新しいのかもしれない。進化論・退化論は環境への適応の理論なのだから、人間の形態の変貌ではなく、適応する環境の議論をしっかりしなければならないのではないか、とは思う。人間の未来に太古への退行をみるウェルズの非人間的想像力は興味深い。
石井有希子「或るモノとの「遭遇」――解剖学劇場の『ジキル博士とハイド氏』」はハイドの謎めいた顔を形容するsomethingの謎を剔抉すべくテクストの解剖に挑む。ジキル博士の実験室が元来、デンマン博士の解剖室であったという設定に注目し、死体を切り分け、人体を「分かる」ことを目指す解剖という営み、そして計測と実験によって不分明なものを明らかにしていく科学の営みが等しくsomethingをクリアな知に組みこむヴィクトリア朝の欲望と密接な関係にあったという背景を固める。この辺りは高山宏の一連の著作が繰り返し説いているおなじみの説なので言及しないでよいのか気になるところ。だがここで焦点となるのは、somethingをつまびらかにしようとする欲望が成就することの不可能性、観察の盲点、そしてそのような真実を暴こうとする行為が孕む暴力性である。somethingは暴かれることなくテクストのクリプトを構成し、いまもなお文学的想像力の源泉となっている。
桃尾美佳「ファリントンはキーボードの夢を見るか――ジェイムズ・ジョイス『ダブリン市民』の「複写」と複製機械」は、『ジョイスの罠』における南谷論文の「相棒」、あるいはcounterpartとして読むのが適切だろうか。微視的レベルでの機械的複製を明らかにした南谷論文に比し、本章の主眼はテクストの構造のほうにある。ファリントンが自分自身の発言を反復しつつ、これに若干の修正を加える場面に、オリジナルを凌駕するコピー、そして機械の原理のなかに幽閉される限りにおいてのみ存在しうる人間性・主体性を読む点が読みどころだろう。しかしこれが主体性のようなヒューマニスティックなタームで記述できるものなのかどうかは疑問が残る。また、仕事上の「書写」と再話を同一線上においてもよいのか。書き言葉と話し言葉の差異と同一性という観点から、語り手に語られるファリントンの声による再話という紋中紋的複写の構造に注目するのも一興かもしれない。声の機械化が進む時代でもある。
有元志保「重なり合わない分身と分心――ウィリアム・シャープ尾崎翠「こほろぎ嬢」をめぐって」はスコットランド作家ウィリアム・シャープの創作実践とこれをモデルとした尾崎翠のテクストに分身/分心というテーマを重ねる。男性シャープがフィオナ・マクラウドという女性作家に扮して創作活動をしていたという事例だけでも興味深いが、マクラウドというペルソナにシャープが抱く恋心に近い同一化願望がその創作原理の根源にあったとする分析には瞠目せざるをえない。一体化の願望は嵩じて、シャープはマクラウドに宛てて恋文のようなものを投函するに及んでいる。対して尾崎は、しゃあぷとまくろおどの関係を親密でありながらも距たりのある関係として描く。自身の分身であるこおろぎ嬢に対しても一定の距離をおく。尾崎の対象への態度は、シャープに比べるとやや自重気味のようだ。尾崎の姿勢は、九鬼周造のように、対象との同一化を目指さず踏みとどまり、そこに想像力のたゆたいを許容する「いき」な態度、とでも言えるだろうか。
島健「ラジオの描くモンスター――ルイス・マクニースダークタワー』と大衆の問題」はモダニズムにおける知識人の大衆嫌悪、特に知識人階級である「ハイブラウ」でも親近感を覚える「ロウブラウ」でもない、消費文化の担い手である「ミドルブラウ」の忌避という文脈において、マクニースのBBCラジオドラマ『ダークタワー』を読む。BBCというメディアの登場がモダニズム文学の台頭と同期するという点になるほどと膝を打つし、二〇世紀の騎士道物語の展開にも関心を惹かれる。しかしここで論じられている大衆=ドラゴンが「モダニズムの病」や「モダニズムの限界」を示すためのアレゴリーである、とする解釈には賛同できない。大衆=モンスターの表象には「都市化」をはるかに凌駕する長い歴史があるし、エリート対大衆という対立構図も同様である。論の展開を見る限り、「モダニズムの」という形容はもっと大きな「西洋の」に置き換えることができるのではないか。歴史上相対的に特殊な要素といえるのは、これがラジオドラマである、という一点だけであるように思われる。
高橋路子「赤ずきんはなぜ狼になったのか――アンジェラ・カーター「狼三部作」は、人狼伝承の系譜の中にカーターの再話を位置づけ、その特異性を明らかにする。人狼が次第に狼として語られるようになり、二〇世紀後半フェミニズムが台頭する時代には狼を凌駕する赤ずきんの強さが焦点化される。このような口承伝統と小説の関係に関する記述は、第一部の小川論文とも共振するだろう。カーターは人狼伝承を復活させたうえで、赤ずきん人狼として描く。ここにオウディウスから始まる多様な口承伝統の合流が指摘される。この人狼少女にどのようなポテンシャルがあるのかについては今後の研究を待ちたい。
金谷益道「鴉の娘の「新しいおとぎ話」――オードリー・ニッフェネガー『レイヴン・ガール』」は、鴉の雌と人間の男との結婚という「異類婚姻」譚の系譜、それから変身譚の系譜を参照しつつ、『レイヴン・ガール』の不気味さを説く。通常、異類婚姻譚は変身譚とセットになっていて、人間ならざるものが人間に変身し婚姻を遂げる。しかしニッフェネガーの作では、鴉は人間にはならないし、そもそも両者は言葉が通じない。おとぎ話の定型に則りつつも異様な雰囲気を残したまま話は進む。このつがいから生まれる娘は一見人間の姿をしているが心は鴉であり、「鴉語」しか喋ることができない。人間にも鴉にも馴染めない。少女は現代科学の力を借りて鴉に変身することを望む、というあらすじだ。非常に興味深い分析が並ぶが、この少女の変身願望を、解剖学的性とジェンダー自認とのあいだのずれ、トランスセクシュアルトランスジェンダーの隠喩とする読みには疑問が残る。これは高橋論文とも関連するが、人間ならざるものへの変身願望には、ヒューマニズムに対する根源的な批判と人間の限界に向かう想像力のポテンシャルがあるようにわたしは思う。
「第3部 災疫のなかの奇跡」は四篇。
小川真理「中世ヨーロッパの教訓的例話集にみるイノセントな子供たち――『アルファベット順逸話集』の奇蹟譚」はフィリップ・アリエス『〈子ども〉の誕生』を紹介するとともに、その異論を示し、またその異論の実例のひとつとして中世の教訓例話集を検証する。アリエスの論は、一七世紀に子供という概念の萌芽が見られ、一八世紀に確立するとした、国民国家論を始めとする「近代の発明」論の一種(われわれが今日当たり前だと思っているものは前近代には存在しなかった、という論法)だといってよい。アリエスの子供論は児童文学の出現をめぐる言説にも敷衍されて、一八世紀のチャップブックを子供向けの著作の走りとする説が定着している。しかし幼児教育を狙いとした教訓的な作品は中世にも存在していた。そのため、児童文学という商業的カテゴリーは存在しなかったとしても、中世に「幼年時代」という区分がなかったと言い切ることは難しい。むしろ聖性を体現する「無垢な子供」に、罪深き大人たちを律する積極的な役割が与えられている点に著者は注意を促す。
金津和美「悪、破局、そして笑い――災害の物語としてのジェイムズ・ホッグ『男の三つの危険』」は、ウォルター・スコット歴史小説に範をとった野心作でありながら、壮大な失敗作である『男の三つの危険』における自然と超自然の関係に注目する。川島論文が論じた騎士道物語がモダニズムに掉さしているとすれば、この騎士道物語はスコット流の歴史小説を目指しながらも近代の手前で迷走に次ぐ迷走を重ねる。人間の英雄性は後景に退き、魔術に翻弄される人間の無力の背後には自然のきまぐれがある、という。いわば、自然という運命への抗いがたさが、人間を翻弄する超自然的な魔術に託されている。このため、ミハイール・バフチーンのいうグロテスク・リアリズム、つまりは祝祭的な笑いの原理が超自然的な魔術を介して繰り返されるオークウッド塔の脱線こそは、この作品の語りの混乱を、そしてその祝祭性を象徴している、という。しかしながら、魔術に代表される「超自然」と動物性や天変地異として論じられる「自然」とのつながりがもうひとつつかめない。オークウッド塔において魔術によって「動物(あるいは自然)」、「本性に見合った姿」に変えられた訪問者たちが「修道僧によって救われ、自然(もと)の姿に戻」る、とあるが、動物が自然なのか、もともとの人間が自然なのか、人間性はどういう位置づけなのか、わからない。わからないが、この辺の混乱の原因はテクストのほうにあるのだろう、ということはわかる。
山口和彦「崇高の向こう側――コーマック・マッカーシーザ・ロード』」は、終末論的な世界で善悪の観念と生き残りのあいだで葛藤する親子の物語を丁寧に語りなおす。だが、「恐怖的崇高」の議論は不十分であるように思われる。神に見捨てられる恐怖と「崇高は……ある概念と一致するはずの事物を、想像力が提示しそこなったときに生じる感情」というリオタールの引用はつながらないし、そのあとに続く作品からの引用の説明としてもずれている。通常の意味では認識できない、感覚できない、しかしまるで感性的経験であるかのように自由を感じる、という点こそが崇高論の勘どころだ、とわたしは理解している(しかし崇高論は膨大な蓄積があるのでどこに依拠するかで話は変わってくる)。美や崇高という美学的=感性学的概念を負の感情から論じるのはややトレンドになっている感もある。しかしまず崇高は人間の自由、人間という概念のありかたと深い関係にあり、だからこそ今度は負の崇高論においては、人間の自由という枠組さえ超出するような(非人間的な)自由が問題になっている、という点を踏まえるべきだろう。とはいえ神なき世界、終末論的世界、所与の善悪がご破算となった世界におけるサバイバルというテーマとこのような感性論的転回以後の負の崇高論、非人間的崇高論はよく馴染むだろう、という直観は一読して得られた。
臼井雅美「時空をかける女たち――ルース・オゼキ『有る時の物語』」は、思想的にはハイデッガー道元の影響(存在は時間である)を受け、文化的バックグラウンドとしてはアメリカ白人と日本人という出自をもつ作家のトランスナショナルかつ世界同時多発的な物語を解説する。東日本大震災や第二次大戦、アメリカ先住民の殺戮を始めとする出来事、そして登場人物たちがメディア・エコロジーと自然環境を介して複雑に交錯する。いや、その存在の在り方は、媒介されているというよりは、ほぼ無媒介的にあらゆる他者にさらされているように見える。非常に難解だが、おもしろそうな小説だと思う。
「対談 幻想と怪奇の匠・平井呈一の足跡を追って (東雅夫×下楠昌哉)」では平井呈一の創造的翻訳、あるいは翻案・リライトの使命について語られている。
さらに、前作に引き続き東雅夫によるメール・インタビューという形式をとった執筆者紹介が収録されている。
以上、あまりまとまりはない書評となったが、一冊を通して読むことで、時代や地域の違いを超えて、さまざまな事象が共振していることがわかる。やはり、専門の海に深く潜ることは学者としては当然のことではあるけど、こうして専門外のものを読むことによって自分の立ち位置を知る経験も欠かせない。わたし自身門外漢であるため、的外れなコメントをしている可能性もある。容赦ない学術的反論はもちろん歓迎する。