曖昧さとアイロニー

※書き直しているうちにすっかり内容が変わってしまいましたので、アップしたてほやほやのときに読まれた方には申し訳ないです。あれは幻です。

※【追記】 ド・マンのいう「美学イデオロギー」や「物質性」について背景説明を加えているこちらの書評は非常に参考になります。本書の翻訳に係わっている方であり、またデリダやカントの思想にもよく精通してらっしゃる方の書評ということもあり、私も読後にもう一度読んでみて新たに気づいたことがありました。 「物質なき唯物論の未来」『美学イデオロギー』書評 宮崎裕助→http://www.human.niigata-u.ac.jp/mt/ningen/miyazaki_de%20man.pdf

美学イデオロギー

美学イデオロギー

 
 

私の論考には曖昧な箇所がたしかに存在しており、しかもそうした箇所は私自身にもそれを正典にうまく組み入れられないくらい曖昧であるのだが、ところがゴイスは私の論考のなかのそうした曖昧な部分をきちんと聞き取っている、ということである。したがって彼の読みかたは、じつは最もよい意味で「文学的な」読みかただということになる。そうであるからこそ私はここで、自分にとっては疑問や反論の余地もないほど確実なことをあえてもう一度繰り返さざるを得なくなり、ますます狭量な書きかたになるのを余儀なくされたのだった。(350)


 曖昧さ(ambiguity)が「新批評」(new criticism)の美学において中心的なイコンとして働き、彼らはそれをもって鮮明なる旗幟と代え、難解な形而上学派詩やモダニズム詩を聖典化(canonization)したことを思い出だそう。新批評における感情の誤謬(pathetic fallacy)や意図の誤謬(intentional fallacy)など、テクストを自律したものにするための原理、あるいは批評の科学性を担保するための言い訳(pre-text)を思い出そう。譬喩の曖昧さを指摘する「新批評」が、その曖昧さの表現として悲劇的アイロニーや状況のアイロニーといったタームを用いていたことを思い出そう。*1
 今でもときどき、ド・マンや「脱構築批評なるもの」が新批評の衣鉢を引き継ぐテクスト主義(者)であるとする、あまりに通俗的な文章や発言に出会うことがある。*2。しかし、そのような俗説に浸っている人も本書を一読すれば、その誤解が極めて悪質なものであることに愕然とするに違いない。
 ド・マンは、正確に譬喩(trope)の作用を追い続け、言語の物質性(materiality)にまで迫ったのだから。ド・マンのいうアイロニーは、曖昧さを美学的カテゴリーとして定義するものではなく、むしろ厳密さが常に挫かれることを示す方法論ならざる姿勢としか言う言葉が見当たらないようなものだから。曖昧さは文学性に立脚する防衛的な読みと指弾するド・マンは、首尾一貫とした曖昧さの物語さえも不可能にするものをアイロニーと呼んだのだから。さらには、ひとつのテクストは、アイロニーゆえに自律を阻まれてしまうのだから。
 新批評による文学性の囲い込み・聖典化・美学化は、ド・マンの批評とは相容れないということを肝に銘じなければならない。
 私の断片的な記憶を縫い合わせれば、新批評は文学性を聖典へと囲い込み、その美学化を推進する目的でテクストの自律性を謳ったものだった。*3新批評に引き続く文学史の記述は、この新批評による聖典化の作業を継続したことの帰結に他ならない。もちろん、数々の公民権運動が産声を上げた60年代以降、白人男性中心の文学史は、カリキュラムの再編成と相まって多文化的状況を呈し始める。だが、多文化主義教育が本格化する70年代の最中、新聞記事を飾る派手派手しいバック・ラッシュの暴力の影で、文化リテラシー教育という名の許に新たな反動的聖典化が進行していたことを忘れてはならない。もちろん、マイノリティも同断であり、彼らも彼らの藝術の聖典入りを希った。あるいは既存の聖典とは異なる聖典を構築しようとした。たとえば、黒人文学批評における口承文化やアフリカ由来の伝統を賛美する風潮、そして白黒二項対立に拘るあまり、白人を必ず負ける敵役に仕立て上げ、黒人文化の内在的批判には向かわない傾向は、必然的に彼らの文化や文学を聖域化することに貢献した。文化戦争は聖典をめぐる戦争だった。抜き型に粘土を詰めるか、寒天を詰めるか、それともひき肉を詰めるか――煎じつめれば「ニュー・アメリカニズム」とはそういう不毛さに陥っていないか、というのが新田啓子アメリカ文学のカルトグラフィ』の問いかけだったと私は理解しているが、聖典をめぐる争いも同断だろう。*4聖典という抜き型を等閑視したまま、その中身を入れ替えたとしても聖典が孕む美学化の問題は放置されたままになる。
 さて他方、ド・マンの批評は、ある特定の作品やジャンルの美学的評価とは無縁だ。いわゆる文学的な観賞や精読による作品の完成度の高さの証明といったいかにも「文学部的な振舞い」が、ド・マンの論文に容喙する余地はない。しかも彼の批評対象は、文学テクストだけには留まらず、哲学、文学批評の体系、さらには自分自身の論への批判、そして自らのテクストにまで及ぶ。*5

アイロニーとは何らかの概念ではないからです。(299)

 

 ド・マンのアイロニーは、究極的には文学性なるものの不可能性、つまり言語の指示作用の失敗(言語の物質性)に向かう譬喩の運動を跡付け、美学化の手前で立ち止まる。それに類する、曖昧さを論理的に曖昧なまま留め置くことを拒絶するような物語に埋め込まれた倫理は、ベンヤミンに倣ってアレゴリーと呼ぶこともできるだろう。いずれにしても肝要なのは、ド・マンがテクストを操作したり、その解体を目的としてこのような読みを行っているのではないということだ。断片の寄せ集めであり全体性を実現できないテクストの性質そのものがアイロニカルなのであり、ド・マンがなすのは、もともとテクストに書きこまれているアイロニーを今ここに出来させること以上のものではない。*6
 ド・マンによる≪曖昧さ≫に対する批判は、既存の枠組みに準拠するだけの読みを不可能にするという意味において、政治的なものを生成する可能性を秘めている。著者や読者の目論見が外れ、素朴な目的論や美学化が不可能になる地点、美的=感性的なもの(the aesthetic)*7こそ、既存の法が立ち行かなくなる政治性の極北であり、それは翻って新しい法を打ち立てる≪政治的なもの≫を要請するのだから。美的なものの領域は、既存の知の枠組みが破綻し、不可能性に打ちのめされる場だ。破片を綜合する表象はその地点で瓦解し、表象不可能性が主体に顕現する。しかし、その不可能性は決定不可能性ではなく、むしろ決断を要請する求心力となる。不可能性とは、既存の枠組みに還元することができないという意味での不可能性であり、その判断の可能性が退けられているわけではないからだ。当然ながら判断が打ち立てる法もまた、別の判断に曝されるという意味において、判断は完全なものではありえない。判断は常に失敗に終わる。しかし判断はそれだからこそ、繰り返されるべきものであり、不可能であるがゆえに判断の場は維持される。*8美学化は、それが不可能であることを忘却し、既存の枠組みや法に追従する、判断の可能性を奪うような政治性と親和性を持つ。
 美的なもののカテゴリーは感性的経験には依らない、超感性的なものの無限(認識できず、感性的に経験もできない超感性的なモノ自体)に開かれている。美や崇高の心的表象は、悟性概念として把握されるものではある。しかしながら、概念は≪美的なもの≫全体の完全な把握には至らない。超感性的なものとして主観に訪れる≪美的なもの≫は常に概念による(美や崇高という)規定を超えてしまう。美的なものの把握の躓きを契機として美的なものの表象不可能性、断片的呈示に留まらざるをえないその言い淀み・吃音を否定的に表象するのが美的判断の領域となる。
 ド・マンは、言語は感性的自然とは関係なく、それ自体自律したものである、というソシュール以来の言語観を引き継いでいる*9。おそらくはこの言語観、つまり言語は本質的には自然からも人間からも自律したひとつのモノであるという知見を、美的なものの領域に導入したのがド・マンの画期性ではないかと、私は思う。カントの判断力批判がもつ限界は、悟性主導の認識能力に言語が結わえられているゆえに、感性では捉えられない超感性的な出来事である美的なものを言語によって表象するという困難を背負うことになったからではないだろうか。つまりは、カントの蹉跌は、言語観の限界である。
 他方ド・マンは、ソシュールの言語観に照らし、言語の指示作用(reference)を感性的自然の現われ(apparition)とは区別し、また同様に、理性による推論の対象となる自然のモノ自体(thing-in-itself)とは異なるものとして言語の物質性を呈示した。ド・マンにあっては、言語は認識の道具ではなく、認識の限界であり、それゆえに認識の枠組み=法の刷新をもたらす識閾である。カントのテクストを読むド・マンは、こうした特性を持つ言語による内在的批判を通じて、カントが立ち止まらざるを得なかった地点、言語の物質的次元を明るみに出す。*10
 文学であろうと哲学であろうとそれが言語によるものであるかぎり、それらは等しく言語の指示作用、譬喩の運動の記述に過ぎない。そして言語は自律しており、自然と一致するわけではないので、必ず無根拠に直面する。哲学の厳密さは(自然におけるモノ自体とは別物の)言語の内在的な物質性によって破綻する定めにある。それが厳密さに欠けるテクストであれば厳密さの欠如によって。それが厳密なテクストであれば厳密さの過剰によって。だからこそ、哲学研究において、さらなる新しい言語を畳みかける余地は生まれる。

吃る人や壊れたレコードのように、意味作用はひたすら何かを反復しながらその反復している事柄を無価値で無意味なものにしていくのである。(213) 


 同様に、文学の美学も言語に依存するためにその破綻を予めプログラムされている。譬喩を感性的に誤認し、飼いならされた美や抜き型の崇高を立ちあげ、その恍惚に身を委ねるといった≪文学の美学≫は他ならぬ言語によって妨げられる。文学の専売特許だと看做される譬喩は、哲学的だと看做される厳密さが立ち行かなくなる言語の物質的な限界で、主体に美学化の不可能性を強いる。「厳密さと快楽とを一点に収斂させることができるという見方など錯誤に過ぎないということが示される場」、それが文学であり、およそ文学を芸術作品として聖典化する試みが挫折するのも(つまり芸術作品としての審美的素晴らしさを完璧な形で論証できないのも)その≪文学性≫に依る。文学の美学は美的なもの、≪文学性≫を≪曖昧さ≫として片づける怠慢によって作られる。≪文学性≫はむしろ、哲学のものだと勝手にきめつけられる傾向にある厳密さの涯てでこそ働くものなのではないか。「われわれは純粋な知性ではなく、またけっして純粋な知性ではないからこそ想像力を必要とするのだ(268-69)」というカントの言葉は、知性による厳密さの徹底こそが想像力の重要性の再認識をもたらす、と読むべきだろう。厳密さが理性でも感性でも悟性でもない想像力(構想力)の可能性を、言語の内側から披く。*11
 

理念というのは書きこまれたものとしてのみ現われ出るのである。書かれた言葉というのは、知覚されたもののように表象的ではないし、ファンタズムのように想像的でもない。まさにそのかぎりにおいて、書かれた言葉だけが崇高でありうるというわけだ。(201)

 ド・マンは、文学性の美学、≪曖昧さ≫の美学化が不可能であることを身を以って実践した。しかし不可能だからこそ、文学性は(美学ではなく)絶えず「新規巻き直し」の判断を迫る≪美的なもの≫の出来事となりうる。言語を扱う文学にとって、言語の物質性と出会う美的なものの出来事、≪物質的崇高≫は、言語に秘められたる≪文学性≫の仮名である。
 言語の他者性を忘れ、それを自然なものと勘違いすること、より正確には言語の指示作用を感性的自然の直観(認識されるもの)と取違えることが、ド・マンにとって「イデオロギー」と呼ばれるものである。曖昧さは「美学イデオロギー」だともいえるかもしれない。もちろん曖昧さはどんな厳密さをもってしても必ず残るものだ。しかし、曖昧さは残るものだからこそ曖昧なままにしてはならない。ド・マンの言語もまた曖昧さを孕んでいる以上、「美学イデオロギー」を構成するものであり、彼自身傍観者ではない。だからこそ彼の言語もまたレトリックの厳密な検証にさらされなければならない。批判=判断をしないということは、法や言語を鵜呑みにすることであり、それに呑みこまれることであり、美学イデオロギーに身を委ねることと同義である。批判することは生きることに等しい。*12

*1:このへんの事情については、私のようなアマではなく、プロの手でよりよく勘案する必要がある。

*2:脱構築という言葉を使用するか否かは問わない。「ジェンダー脱構築する」や「植民地主義脱構築する」といった言いまわしほど脱構築から程遠いものはない。脱構築は、ある種「遺品整理」のようなものなのであって、整理していく過程に批評の(不)可能性を認めるものだと、私は思う。とはいえ、私は教条的に脱構築であるか否かなどということにあまり興味はない。批評をする際、脱構築なる言葉に頼る必要はない。むしろ、脱構築というタームを使いたがる論者に限って、過程をすっとばし、結果だけを呈示したがる傾向にある、と私は思う。よって、私は「脱構築批評なるもの」が実際に存在しているとは思っていない。理論の教科書を書く場合などに他と区別するうえで便宜を図ること以上の意味が「脱構築批評」という括りにあるとは思えない。

*3:新批評の美学的政治については、越智博美『モダニズムの南部的瞬間』等を参照。

*4:新しい切り口に見えるものが旧来のものと同じかたちをしているのであれば、批評は機械的に業績を再生産する退屈な営為となるだろう。重要なのは枠組みのかたちを問いなおすことであって、中身を詰め直したり、枠組み=概念をどこかから拝借してくれば済むという話ではない。その意味で、理論といえどプロクルステスの寝台ではなく、それ自体問い直され続けなくてはならないテクストである。

*5:哲学や思想関連の著作を読んだうえで、それらを引用するかしないかに拘わらず論理的な読みを展開するタイプの文学批評は、概して「理論派」として大雑把にくくられ遠ざけられる。哲学的思索はあくまでフォーマットに則ったわかりやすいものや単純化された手続きに従うものだけが許される。前提として、文学と哲学は違う、というものがある。だが、そうした前提を無邪気に信じる口からは、哲学を控除したものが文学であるというような消極的な定義が洩れるだけだろう。論理性は文学批評においても重視されるが、それは哲学を始めとする他の人文系におけるほど緻密なものではなく、あくまでも「文学部的な」論理性だというわけだ。その最たるものが、読んだ本の引用の継ぎ接ぎによって構成される読書メモのような論文である。そういうわけで、「文学の論文は、無味乾燥な科学論文ではないのだからどこかしら趣きがなければ」、とか、「この文章はあまりよくない」、などという作家のなり損ないのような科白がそこかしこで吐かれ、もうもうとした濃霧をこしらえている。事実上、文章教室以上のものではない論文指導が、文学研究の分野ではまかり通ってきた経緯がある。作家のなり損ない・・・。私はそれこそが曖昧さの美学化の正体かもしれない、と思ったりもしたが、どうやらただの枯れ尾花のようなので放置することにする。

*6:デリダがどこかで言っていたことだが、脱構築とはテクストに対する操作ではなく、テクストの状態なのだから。

*7:ギリシャ語アイステーシスに由来するとされるが、シラー以降、哲学のサブカテゴリーに位置する「美学」として定着した。しかし近年、アドルノボードリヤールの反・美学やシュミッツやベーメの新現象学、そしてデリダやナンシー等の政治哲学・法哲学の読みなおしによって再考されている。私の知る限り、そこは美や崇高が出来する相であるが、そこには醜や怪といったおぞましい感情も含まれる。これらの経緯を考慮するとなると翻訳は困難であり、今では美的、感性的、美感的といった訳語が充てられているようだ。

*8:裏を返せば、法が完全であり、不可能なものがない状況に判断の契機は訪れないことになる。それどころか、人は判断という立法能力さえ失ってしまうだろう。そこはユートピアであり、これまでたくさんの小説が描いてきた永遠に続く全体主義国家のような場所だ。

*9:今や大昔のことになるが、私自身、ソシュールの言語観に関してこういう駄文を書いたことも、そういえばあった。→http://d.hatena.ne.jp/pilate/20060921

*10:こうした言語の物質性を念頭に置いたド・マンの美的判断力の地平を引き継ぎ考察を進めたのが、宮崎裕助『判断と崇高』だと、今の私は判断している。美的なものと判断については機会を改め本格的に書いてみるつもり。

*11:ド・マンの著作は、哲学者に影響を与えたという意味において、今、真に文学的だと言える。言語を共通の基盤として他の領域ともつれ合いながら何かを生みだすものこそ、文学的なものではないか。ぼろぼろの旧套に縋る「文学部的なもの」から脱皮して、ディシプリンに寄りかからない「文学的なもの」を着替え続ける。たとえ制度がなくなっても「文学的なもの」は残ると思うが、どうだろう。

*12:併せて、ド・マンを完全に理論化することも言語の物質性に鑑みて不可能である。理論と呼ばれる知見を無視するのは愚の骨頂ではあるが、理論化は美学化の危険と隣り合わせであることを忘れてはならない。批評に今でも可能性があるとしたら、それは理論には必ず穴があること、理論の穴を指摘すること、理論化を拒み続けることにしかない。私は理論の万能さを実証するような論文は評価に値しないと思っている。あくまでド・マンの志を共有することだけが必要なことだと思う。