『触れることのモダニティ』


哲学者と小説家の名前が並ぶタイトルを見かける機会は日本ではまだ少ない。書店でも、文学研究と哲学書の棚は截然と分けられているし、著作の中で多少の言及はあったとしても研究者どうしの交流はそれほど活発だとは言えない。実際、書店員はこの本をどの棚に置くか迷うだろうし、ロレンス研究者とメルロ=ポンティ研究者がこの本について論じる場面を思い描くことは難しい。けれど、そのような躊躇いや混線、出会いの誘発こそが本書の企みであるに違いない。
触覚だってそうだろう。ひとつの器官に局在化できない触覚は、皮肉にもあの皮膚感覚と呼ばれるなんとなく遍在する「空気」をかき乱してしまう。触覚はパーソナル・スペースを侵害する。なにかに触れるということは、接点や接面において両者の距離がゼロになるということだから。枕やボールに強く触れるときには対象はへこむ。対象との距離はマイナスになると言ってもいい。距離だけではなく評価もマイナスになることが多い。「琴線に触れる」という心地よい言葉もある。しかし「気に障る」「体に障る」「逆鱗に触れる」「地雷を踏む」、と触覚のイメージはあまりよくない。目で愛でている分には咎められることはなくとも、触れると事故や事件扱いになることはいくらでもある。触れてしまった代償を支払うために保険があり、触れることを禁止するために条例がある。触覚が関係する事象は、およそパブリックな場においては、安定したプライヴェートな皮膚感覚を侵犯する迷惑として毛嫌いされるのが常だ。
裏を返せば、日常的な皮膚感覚の侵犯や混乱は、抽象的な思考を介さない具体的な接触の経験から生じるということでもある。転ばぬ先の杖というけれども、たいていの人は転んで痛い思いをした経験から転ばないように注意を配ることを覚える。殴られると痛い。だから人やモノを殴らないようにしよう。こうして他者への想像力は育まれる。大人になったと評価される。しかし想像力は、思いがけず他者に触れてしまわないよう、法に触れないよう、他者を遠ざける賢慮にすり代わる。なにごともいちいち経験しないで済む。ルーティン化する。経験から始まっていたはずの思考は、行動が反復されるうちにいつしか絶える。そして、経験値と呼ばれる大人の存在証明を厚ぼったいかさぶたに守られた皮膚感覚、硬直した常識、一筆書きの思考回路として身にまとう。いつのまにか、安定的な日常生活は、触れる経験からの疎外状態として営まれるようになる。だからこそ敢えて触れる経験は、この言いたいことも言えないこんなポイズンな世の中の思考回路から脱輪し、回路なき思考を触発する契機となりうる。経験は常に新しいということを学びなおす。皮膚感覚と敵対する経験とそれに由来する思考を触覚や接触はもたらすということを学ぶ。
本書の企みは副題に尽きる。D・H・ロレンス、スティーグリッツ、ベンヤミンメルロ=ポンティ。この四者をめぐるテクスト群に眠る、「皮膚感覚」や「思考回路」のモダニティから微かに遊離する触覚や接触の経験を手繰り寄せる、というのが一義的な問いかけとなっている。しかし、真の賭け金は、この四者がそれぞれ提示する触覚の言説を互いに接触させることによって独特の触感をデザインするところにある。文学テクストのみならず、写真や絵画、映画、哲学の言説を比較し、そこにひとつの問題系を見つけ出す比較文学という学のことを思う。比較文学のおもしろさは、比較の方法のユニークさに尽きるだろう。四者を具体的に論じる実践や読解の経験を通じて、比較文学という学は浮かばれる。上意下達式に行われる複数の学の横断や融合ではない。異学どうしの和合なきささやかな接触である。接触の瞬間、指先に残る手ごたえや違和感が比較文学という思考の手がかりになる。本書は、このように比較文学の方法を触覚論として変奏する一冊でもある。
本書を通じてモダニズムの触覚の言説に触れる読書経験は一義的には、テクストを読むプライヴェートな営みの一部に過ぎないかもしれない。だがこれを読みつつ理解する過程でなんらかの触発を感じ、思考に駆られるならば、それは私的な経験には閉じないだろう。これが皮膚感覚や思考回路の貧困を肌で感じる読書の経験であり、触覚経験に負託された思考の公共性・共同性にほかならない。既定の思考回路のなかを巡回する空論に終始しないために、公共性や世界、人間の問いは、小さな私的な(読解)経験から地道に始めなければならない。読書経験と人文的思考の弁証法がここにはある。しかし経験が思考に昇華されることも、思考が経験を包摂することもありえない。経験と思考のあいだには止揚も調和も談合もない。あるのは両者の水際で起こる接触と触発だけだ。経験と思考の不一致に耐えつつ、両者を幾度となく往還する。往還はひとつの航跡・痕跡を残す。荒れる海面で震える浪花か、空の青みにたなびく飛行機雲か、強く踏みしめられ沈下した地面に残る足跡か。経験を把握するのは難しい。だが触れようと試みれば、掴めなくとも掠めることぐらいある。擦過が起これば、思考のための傷は手に残る。本書を読解する経験とこれに触発された思索とのあいだの合従連衡が残す擦過傷は、読者の皮膚感覚を破る。

未読の諸賢に向けたイメージによる誘惑はこの程度でいいだろう。ここからは、わたしの読書経験とこれに誘発された思考を辿りながら、既読者との対話の場を切り開いてみようと思う。
まずは、厄介なモダニティとモダニズムについて確認しておこう。
モダンという言葉は時代区分として使われる。中世の終わりとルネッサンスの始まりを告げる15世紀あたりから、資本主義経済が飽和し人間という概念が揺らぎ始める1968年前後あたりまでをモダンの時代として捉える見方は、異説はあれども、それほど突飛なものでもないだろう。そして多文化主義と脱植民地化、大きな物語の終焉、価値観の乱立を主要な特徴とするポストモダンと呼ばれる時代がモダンの後を襲う。大雑把に文化的動向を総括する上ではこのような図式も多少は有効かもしれない。しかし、批評的にはほとんど意味をなさない。これでは、精妙複雑な物質的条件と政治力学を記述できないし、なによりこのサイズの概念では歴史的には一瞬でしかない作家個人のちっぽけな経験を代表させることはできない。
モダニズムポストモダニズムも同様である。巷間伝えられる文学史によれば、1910年前後から1960年代前半ぐらいまでが言語実験喧しいモダニズムの時代であり、その後パスティーシュメタフィクションに戯れるポストモダニズム文学の時代がやってくる、ということになっている(文学の他にも美術・建築・音楽などにも同様のカテゴリーがあるが、時代的にずれが大きく、どの分野のモダニズムなのか混乱をきたすことが多い)。だが、先行する散文文学セルバンテスドン・キホーテ』(1605 / 1615)やスターン『トリストラム・シャンディ』(1759-67)にポストモダニズムの要素を見る研究者が存在し、21世紀文学にモダニズム文学の痕跡が点在している以上、これらを時代区分として前提するのは難しい。文学史的整理は便宜的なものに過ぎない。自然主義にしてもリアリズムにしても感傷主義にしても事情は変わらない。そのような文学カテゴリーを画期的な現象として標榜した歴史上の人物は存在しても、それらの要素をある時代に特権的な現象として批評的に記述することはできない。
モダン/モダニズム/モダニティをテクスト分析の枠組みとしてそのまま使うことはできない。これを問題設定に利用しても、既存の時代区分とテクストの分類をそのまま追認する同語反復に陥る。
本書の関心は、モダニティやモダニズムをひとつの時代区分や範型として仰ぎ、テクストを定義づけることにはない。

言い換えれば、本書は理論もフィクションと同様に、ある時代のうちに書かれたテクストとして扱う。この点において、本書はフレドリック・ジェイムソンの「哲学的かどうかを問わず、モダニティは概念ではなく、語りのカテゴリーである」という主張や、サラ・ダニウスの「モダニズムを歴史化するいかなる試みも、綿密なテクストの解釈にもとづかなければならない」という主張に同意するものである。言説の歴史的な位相を分析するにあたって問われねばならないのは、「どのように語られるのか」という語りの問題であるのだ。(6)


はじめにあるのは、個別のテクストに刻印された作家の個人的な経験である。このさまざまな経験を共通の経験とするための形式的な触媒として、モダニティやモダニズムは仮構される。モダニティやモダニズムは、定義済みの《問題》に対する《答え合わせ》を要求する批評用語ではなく、テクスト読解の経験から生じる《問い》とこれに対する《応答》をとりなす暫定的な媒介項として本書に登場する。これらは、ある一定の語りの所在を指し示すインデックスに過ぎない。
生きられた経験に即した語りだけがモダニティをその内側から造型する。モダニティとは個別の経験に先行する時代区分でも概念でもなく、20世紀前半の時代に生き、然るべく死んだモダニストが真の生を手探りで追い求めた経験の総体である。
まず、モダニティという言葉によって指し示される生と存在の様態は、歴史的な制約として経験される。高村は「視覚の近代」というテーゼを切り出してくる。遠近法の支配、望遠鏡の発明、顕微鏡の進歩、視覚芸術、抽象的な概念の寓意化、光学的見せ物の商業化、図像の氾濫、写真・映画といったメディアの登場。これらはおなじみのものだろう。思考や感性を区画整理するモダニティの体制は、ここでは目に見えないものを「見える化」し、記号化し、生を抽象化する装置として作家たちに経験される。端的に言えば、これはあらゆる対象から距離をとることを要求し、具体的な身体に根ざした経験から人間を疎外する体制である。
遠近法のように視点と対象の距たりと位置関係を技術的に制御し、生の実相を皮相的な記号として量産する体制を経験するモダニストは、こうした制約の向こう側へ突き抜け、真の深みにおいて生を体験する可能性を模索する。そのために必要とされるのが、生身の手であり、生々しい触感であり、手探りの接近であり、儚い接触である。視覚的モダニティの遮蔽幕の存在とその向こう側にあるはずの「真実」への希求を、モダニストは触覚的な経験として語る。
ロレンスならば、図と地の統一を表現するエトルリアの美術の「静かな流れ」や墓地や炭鉱を満たす親密な闇を愛し、古代の触覚的文化への遡行に機械文明の克服を託すだろう。スティーグリッツならば、伴侶にして画家ジョージア・オキーフの身体に絡みつく手を被写体として、ここにカメラの機械的使用を乗り越える、写真の有機的次元を期待するだろう。ベンヤミンならば、過ぎ去ったものと現在のあいだを架橋し、外国語と母国語の距たりを埋めるべく虚空にその手をそっと伸ばしてみるだろう。メルロ=ポンティならば、触れるわたしと触れられるわたしが入れ替わってしまいそうになる刹那、所在を匂わせつつ、しかし把握できないままにすぐに消えてしまう蝶番に、皮相な現象学的身体と深い存在論的身体の接触を認めるだろう。
モダニティはこの第二の経験、触覚的経験によって二重化される。視覚的経験の定型化によってあってしかるべき人間的経験から「疎外される経験」と、この経験の貧困に発して彼方へ手を伸ばしこれを乗り越えようとする「真の経験」というふたつの極にモダニストは裂かれる。各人の経験はそれぞれ特殊であり、その対象も多様ではある。しかし、同調圧力や忘却、生の貧困、真実の隠蔽を人間の危機として感受し、能動的・直接的に真の経験を希求する志向は本書に登場するモダニストに共通する。
疎外の経験と真の経験の二重性は、ある読解に関する信仰――モダニストの生の突端に直接触れ、体系的な意味にも絶対的な無意味にも抗う倫理的読解への信頼――に支えられている。高村は、「触れる」や「近づく」という触覚性を強く帯びた言葉は比喩ではない、という留保を本書中幾度となく挿入している。触覚的言語は作家が記述したい現実を仄めかすための代役ではない、ということだ。とはいえ詳細な解説はないし、おそらくは引用部から作家の態度を判断するのは不可能だろう。言語そのものの性質から言って、これは立証不可能な断言ではあるものの、それがゆえに読解に傾ける高村の信念の表明として際立つ。
触覚性を帯びた表現の字義性へのこだわりには、ある作家によって書かれた言葉が同時代の大きな言説に由来するという――たとえば、テクスト中の動物を黒人表象としたり、物語をイデオロギーアレゴリーに変換したりするような――文学的読解に対する批判的な意識が宿っている。テクストが書かれた当時の言説を代理する暗号を解読するタイプの研究は、作家の記述を同時代に流通していた集合的な表象のシステムに落とし込む。これはひとつのテクストに配されたワーディングや修辞の単独性をまったく認めない立場である。集合的な言説に対する単独的な言表の関係は等閑視され、言説と権力の関係以外の要素は読解から排除される。すると作家の経験は、それが書かれる以前から言説のアーカイヴに事前登録されていることになる。これはミシェル・フーコー『知の考古学』、あるいはエドワード・サイードオリエンタリズム』の知見の短絡的かつ図式的な流用であろう。任意の言葉は、すでに他人が喋っている言葉から完全に独立しているわけではないが、かといって前者が後者に従属しているわけではないし、両者は同一のものでもない。高村は、まずテクストを作家の経験に根差した単独的な言表として読み、次にこの経験の集積としてひとつの言説(ここでは触覚的言説)を仮構する、という手続きを踏んでいる。こうして経験に裏打ちされた「小さな」触覚の言説は、言表の手触りを失うことなく、これよりも遥かに巨大な同時代の支配的言説(視覚の近代)と不即不離の関係をつくることができる。
もちろん、言語は比喩的であると同時に字義的であり、両者を分けることはできない、という言語の存在論的・物質的次元は、脱構築批評を消化した研究者にとってはすでに常識に属する。だが、高村は予め「脱構築」が終わった地点から読解することも拒絶する。モダニズムのアクターたちの言表に存在論的な次元がないわけではない。しかしこの存在論的次元が一定の意義を有するのは、脱構築される運命にある「真実」なるもの、完全なもの、本当の人間といった純粋な理念の実在やその経験的把握を信じる限りにおいてである。斜に構えて絶対的なものの否定に終始し、経験に宿る祈りや賭けを欠けば、存在論的次元は懐疑論に堕す。
本書は、ポストコロニアリズムや文化研究の前提となっている言説分析、並びになにごとかを信じる経験的次元を切り捨て懐疑主義に陥る危険、その双方に対する実践的な批判となっている。語りは経験を抽象する概念ではない。語りは言説未満の言葉の連なりであり、経験そのものである。
以上で、本書の(隠れた)問題意識は旗幟鮮明になっただろうと思う。文学研究と現代思想のどちらともが軽視しがちなテクストの経験的次元を信じぬく比較文学の矜持が本書にはある。
さて書評の使命は、対象とする書籍に固有の問いと問題意識を浮き彫りにし、(自分や斯界の判断基準ではなく)これに照らして達成度を診断することにあると思う。その意味では、この書評の達成度は半分に過ぎない。しかし細部に対する批判は本書で扱われているテクストを専門的に研究している専門家の手に委ねたい。文学と現代思想の専門家の接線上で、比較文学が専門領域を切り結ぶ蝶番の役を果たすことを書評子は信じている。
わたしはささやかな責任を全うするにとどめたい。モダニティを「過去」のものとして扱う態度を批判し、ロレンス『黙示録論』に対するジル・ドゥルーズの解釈を無批判的にロレンスのテクスト群に重ねる箇所が、ロレンスの経験を毀損するのではないか、という疑義を呈するにとどめる。
「触れることのモダニティ」という語りの歴史性・時間性に関する批判から始めよう。スティーグリッツ・サークルやベンヤミンの章に代表されるように、本書の触覚的言説は、写真や映画といった同時代における複製技術の登場と切り離すことができない。触覚的言説は、一義的には機械に対する抵抗として現れる。ロレンス『チャタレー夫人の恋人』論に典型的なように、ラジオや車いすといった新しい機械に背を向け、原初的な経験、触れあいの経験の希求が前景化される。しかし、接触や手ごたえの希求に先立って「真の経験」の不在が感受されるのは、技術的条件によって課される制約に拠るところが大きい。むしろ、新しい技術の登場がなければ、触覚的経験の語りは不要だったとすら言えよう。視覚文化を加速させる技術的所与と、疎外の克服をプリミティヴな存在に求める触覚的言説とが対を成していることが、接触弁証法の存立条件である。
そうすると、20世紀前半の技術的条件が、本書で論じられる接触の言説やモダニストの経験の下部構造となってしまう短絡を避けることはできない。これは特定の歴史的条件下に出現した技術革新が人間の生を新たに決定する、という技術決定論の問題である。敷衍すれば、テレビやアニメ、そしてインターネットの登場に代表される新たな技術的条件が新しい「語りの構造」出現の決定因子となる、という解釈が導かれる。果たして高村は次のようにポストモダニティの経験と語りを予告している。

本研究では、触覚に関する言説をモダニストによる議論に限定した。ではモダニズム以後の触覚にはどのようなことが起こっているだろうか。モダニストたちは触覚を技術的・視覚的文化に対するアンチテーゼとして特権化していたが、ポストモダンの時代になると、触覚が徐々に技術の領域へと取り込まれてゆくことになる。(241)

技術に囚われた生の外部に真の有機的生を手繰り寄せるための抵抗の拠点となっていた「手」が、ポストモダンの時代では機械の一部となる。スマートフォンを操作しているとき、わたしたちは手を使っていると言えるだろうか。手を使う、触れる、つながるという行為はモダニティを経験した人間が技術による感覚の制御に抗い、忘却や進歩に逆らう起点となっていたが、ポストモダン以降の人間は、手の技術化を日常として受け入れる。ポストモダン以降の時代を生きる人間にはもはや手さえも残っていないことになる。それでもなお、いやそれだからこそ現代において経験し思考する手がかりとして触覚を再考しなければならない、という高村の危機意識は傾聴に値するだろう。
触覚性が技術のなかに埋没してしまっているというのも一面では正しいかもしれない。だが、本書で論じられている「触れることのモダニティ」は、果たして消滅してしまったのだろうか。モダニティからポストモダニティへ、あるいはさらにその先へとわたしたちの経験の疎外は不可逆的に進行しているのだろうか。だとすれば、高村の問題提起は、モダンの条件からポストモダンの条件への転換という、歴史主義的技術決定論に陥ってしまうのではないだろうか。「触れることのモダニティ」を超歴史的に残存する経験として継承する必要もあるのではないか。
本書では触れられていないが、とりわけロレンスとスティーグリッツ・サークルに特徴的な機械論と有機体論を対置させる語りのモードは、たとえば曽田長人『人文主義と国民形成――19世紀ドイツの古典教養』に明らかなように、18世紀中葉以降のドイツロマン主義にまで遡ることができる。ロマン主義者・リベラリストに属する文人・学者は、フランス由来の啓蒙文化を機械的と糾弾し、ドイツの文化を有機的であると称揚した。ドイツ国家建設に先立ち、有機的な人間形成(ビルドゥング)を軸とした国民文化共有の夢がそこには託されていた。このような有機体論の祖型から、スティーグリッツ・サークルのナショナリズムへの接近を照射することも可能だろう。触覚論に関してはより詳細な検討が必要となるだろう。しかし少なくとも本書の問題系の一部は、モダニストが登場する前にも存在していたのは事実である。
現代にも有機体論的言説は横溢している。「田舎へ行こう」やデジタル・デトックス、水素水を筆頭とする疑似科学的健康志向、スピリチュアルな信仰は、自然への回帰願望を表現してやまない。これらはモダニストの生気論的・有機体論的志向となんら変わりない。とりわけパワー・スポットで「パワーに触れる」という言説、そしてマッサージの流行まで含めれば、古めかしい触覚論的経験と語りが今も残存していることは容易に理解できる。
以上の僅かな例証をとってみても、語りのモードをある特定の歴史的・技術的条件にのみ紐づけるのは難しい。フレドリック・ジェイムソンは『政治的無意識』において、原因-結果で因果を説明する機械論的因果律、個-全体の関係で因果を説明する表出論的因果律、ネットワーク状の相互決定関係で因果を説明する重層決定的因果律が、ひとつの歴史的瞬間に地層のようにして共存している、と述べていたように記憶している。あるいはE・R・クルツィウスのトポス論を援用するエルキ・フータモ『メディア考古学』における新しい技術に対する反応の古さと反復を想起してもよい。古い語りが新しい技術的条件によって完全に駆逐されることはない。古い思考は古層として現在にもなお残存する。日本会議の戦前回帰志向のような旧態依然とした考え方がひょんなことから表層に回帰し、支配的なモードとして働くこともありうる。確かに「手」が新しい技術の子飼いとなっている局面もあり、これを経験に即して批判する必要もあるだろう。だが、技術の制約や合理主義を退け真の経験を求めた、有機体論的な自然との触れあいを信じる傾向が未だ生き残っている、というのもまた事実である。
モダニストの経験は、この21世紀になお切迫性を保ちつつ生きている。とりわけモダニストの「原初性、女性性、幼児性といった概念が、少なくとも今日的な視点から見ればしばしば政治的に正しいとは言えないやり方で触覚と結び付けられていた」(244)という指摘は、人種主義や性差別、貧困が跋扈する現代の文化的・政治的状況を過去との距たりを意識しつつ「指弾」する上で見逃すことができない。技術は進歩して感覚の仕方は変容しているかもしれない。しかし、人間はその深部に文化の古層をいつまでも保持し、「今日的視点」をいつ何時も裏切り続ける。「触れることのモダニティ」をめぐる語りのモードは、明暗両極において現代にもなお残存している。人間は常に変わり続ける。しかしそれでもなお人間は人間と呼ばれるだけの古さを残している。つまり、人間は他の生物と同様、環境の変化に応じて進化するが、進歩はしない。古さの残存を、汲めど尽きぬ潜在的なモダニティの経験を肌身離さず保持し続けてこそ、本書の問題系は切迫感を得るだろう。
最後に枝葉末節になるが、ドゥルーズによるロレンスの象徴解釈とその援用について一抹の疑義を差し挟んで締めくくることにする。
第一章において高村は、『チャタレー夫人の恋人』における子宮が、生殖器官から逸脱した「脱領土化された器官」として提示されていることを確認したのち、ドゥルーズの「器官なき身体」、「常に流れ=生成変化の中にある身体」へと論を移し、ロレンス『黙示録論』を扱う『批評と臨床』所収「裁きと訣別するために」を補助線に用いている(47)。ドゥルーズは神の裁きの対象となる客観的な身体を「組織化された身体」と呼び、これに「器官なき身体」を対置する。「器官なき身体とは、情動的、強度的、アナーキーな身体であり、それが含んでいるのは、さまざまな極やゾーンや閾や勾配だけである。器官なき身体が横断しているのは、非‐器官組織的な力強い生命力なのである」(48)。高村はこのドゥルーズの解説を「きわめて妥当である」と評価したうえで、古代エトルリア文明の壁画に描かれロレンスが理想化する身体にこの「アナーキーな身体」を重ねる(48)。
続けて高村は、『黙示録論』におけるロレンスの「象徴」を「メタモルフォーゼの中心」たる「潜勢力」として解釈するドゥルーズの引用を受けて、次のように述べる。

ドゥルーズが「ロレンスが象徴と呼ぶもの」とわざわざ強調しているのは、それが意味の体系へと物を結びつける「象徴」とは全く異なるものだからだ。ロレンス的「象徴」は意味に回収されることはない。それは意味=方向を定めるよりは、いまだ決定されていない諸方向へと関係する拡散的諸力であって、ドゥルーズが「生成変化」と呼ぶところの到達点なき持続的「変容」を引き起こす。(49)

ドゥルーズの『黙示録論』解釈が妥当かどうかは、ロレンス研究の専門家が問うべき問題だろう。ロレンスの「象徴」がドゥルーズの潜勢力と符合し、意味とは無関係に力を増幅させるものであるかどうか、わたしには判断できない。だが、シュレーゲルやコウルリッジを始めとするロマン派が理論化した象徴が、特殊と普遍を同心円的関係のもとに「結びつける」ことを志向する魔術的な力を帯びた詩的修辞であったことを思えば、「意味の体系へと物を結びつける」象徴という現代における一般的な理解を引き合いに出して、ロマン派の末裔とも呼ばれるロレンスの象徴概念に対するドゥルーズの解釈を検討する手続きが妥当とは思えない。
ドゥルーズの言う「拡散的諸力」が、ロレンスの思い描く身体や生命のイメージに重なるかどうかも疑わしい。エトルリア文明の壁画にロレンスが見出す理想的な接触は以下のようなものであった。

ここには、この色あせたエトルリアの絵の中には、あの長椅子の上の男と女とを一つに結びつけている。あの後ろの、はにかんでいる少年を、鼻を上げているあの犬をも、いや壁から垂れ下がっているあの花輪をすら結びつけ、一つにしている。(33)

アナーキーな身体」や「拡散的諸力」というよりは、ひとつの「静かな流れ」をなす統一性と「結びつける」力がここでは強調されている。「それはまるで流れるような輪郭線で、そこで肉体は卒然としてまわりの大気に溶け入っているような感じである」(35)と、図と地を画す境界の溶解をエトルリア美術に読みこむロレンスの筆致から窺えるのは、生命の「結びつける」力に対する留保なき礼賛である。
ドゥルーズの解釈とロレンスとのテクストの乖離は、対象とするテクストの異同によるものなのか、それともドゥルーズの曲解によるものなのか、わたしには判断できない。ドゥルーズがロレンスのテクストにインスピレーションを得てこれを「思考のイメージ」としたのは事実であろう。しかし、その解釈がロレンスのテクストに寄り添ったものであるかどうかは再考の余地があるだろう。そしてドゥルーズによって批評の対象に選ばれたロレンス『黙示録論』が果たして本書で論じられている触覚的語りに連なるのかどうかも検討しなければならない。いずれにしても、文学と現代思想接触を禁欲的に経験から説き起こす本書の構成、特に隔たったものどうしに刹那触れあうことしか許さないベンヤミン弁証法や二重の身体が反転する手前で踏みとどまり決して合一には到達しないメルロ=ポンティのキアスムの禁欲に鑑みれば、ドゥルーズとロレンスの生命観が触れあう瞬間はあるとしても、両者の完全な一致を想像するのは困難だろう。両者のあいだに触発を認めつつ、その不一致を厳しく見定める批判の姿勢に、比較文学の触覚論的潜勢力はあるように、わたしは思う。
 書評子によるささやかな批判は以上である。
 
高村はあとがきにおいて本書の対話的な性格について綴っている。
 

着実な研究の積み重ねが重要なものであるのはもちろんであるが、文学、哲学、美学といった分野の研究がその内部において閉じるようなものであってはならない。一つの分野を他の分野に「応用する」という態度ではなく、領域を横断する一つの開放的な線を引くことをイメージしながら、本研究は進められてきたのである。(245-46)

一冊の研究書の上梓の背景には、途方もない労力と時間が存在する。著者ひとりの煩悶に加え、膨大な数の同胞や著作との対話がある。制作の共同体は、出版された瞬間に(応答)責任の共同体にバトンを託す。思索の成果を世に問うた途端、その問いを引き受けこれに応答する共同体にプロジェクトは引き継がれる。書物は著者や出版社、図書館の力だけでは生き延びることができない。誰かの問いに別の誰かが応えることによって、書物は、そして人文学は未完のプロジェクトとして生き延びる。
以上のような意味において、研究は孤独な営為ではありえない。ある研究が「その内部において閉じるようなもの」になってしまったとしても、その責は、実のところ著者やその著書にはない。学術の共同体に所属しながらその主体としての自覚がなく、凪いだ皮膚感覚を身にまとい、批判に触れることを知らない者たちの責である。問う者以上に、応える者の責任が人文学の未来を左右する。
書評子は、そのような責任のもとにこの書評を書いた。オープンな批判には応答する用意がある。メールでも本エントリーのコメント欄でも構わない。

末筆になりますが、高村峰生さんには、本書の刊行間もない3月19日にはるばる福岡まで足を運び、手弁当で対話の機会を設けていただいたこと、本書を恵贈賜ったこと、そして今後も各地で本書をめぐる対話の機会を設け、問いを開かんとするその真摯な姿勢に最大限の感謝と敬意を表します。