スラヴォイ・ジジェク「猿と人間について:レーニンの啓蒙」

Slavoj Ziezek. Of Apes and Men: Lenin’s Enlightenment. The Symptom. 2011. (English).

原文: http://www.egs.edu/faculty/slavoj-zizek/articles/of-apes-and-men-lenin/




今日もう一度見直されてしかるべきレーニンの遺産、それは真実の政治学である。わたしたちは「ポストモダン」の時代に生きている。この時代ではレーニンのような真実への要求は、息を潜めている権力のメカニズムが表立って顕れたものだとして退けられる。復活した疑似ニーチェ主義者が好んで強調するように、真実など、力へのわたしたちの意志を主張するうえでこの上なく効果的な虚妄だというわけだ。なにかの意見を切り返す「そりゃ本当かい?」という問いの後釜に座るのは、「どんな権力の条件下でこの意見は発せられたのか?」という問いだ。わたしたちが普遍的な真実のかわりに手にするものは、夥しい数のものの見方だ。いや目下のところこう言い換えたほうがイケてるので、夥しい数の「物語」といっておこう。文学にとどまらず、政治、宗教、科学、これらはすべてそれぞれ異なる物語であり、わたしたちが自分について語るストーリーであるからして、倫理の究極的な目標となるのは、中立の空間を保証することとなる。つまり、上のような夥しい数の物語が平和裏に共存でき、誰もが少数民族から性的マイノリティに至るまで自分のストーリーを語る権利と可能性を有するような空間である。今日のグローバル資本主義側に属する哲学者の双璧といえば、その一貫したスタンスに忠実に言うなら、ふたりの偉大なる左翼リベラルの進歩主義者、リチャード・ローティピーター・シンガーである。ローティは基本となる座標系をこう定義している。人間存在の基礎となる次元は、苦しむことのできる能力、つまり苦痛や屈辱を経験する能力である、と。そこから帰結して、人間たちは象徴界の〔言語を用い、それによって用いられる〕動物なのだから、その基礎となる権利は苦しみや屈辱の経験を〔言語を使って〕物語る権利となる。【註1】それからシンガーが差し出すのは、進化論的背景だ。【註2】
シンガーは――たいてい「集団主義社会主義の顔をもつ社会進化論者」の肩書で通っているが――人は倫理に係わる人生を送ればもっと幸せになれる、と論じるにあたって、まったく無邪気にもこう切り出す。他人を助け苦しみを減じようと骨を折る人生は、真の意味において最高に道徳的かつ充実した人生である、と。シンガーは、功利主義の父ジェレミーベンサムの根っことなるものだけを残してこの世に降臨したような存在だ。つまり、究極の倫理的公準は人間の尊厳(合理性、魂)ではなく、苦しむことのできる、苦痛を経験することのできる能力であり、それこそ人が動物と分かち合っているものだという。容赦なく根源にこだわることによって、シンガーは動物/人間の区別を平らに均してしまう。健康な動物たちより、苦しむ老女を殺したほうがよい…。オラウータンの目をまっすぐ見据えてみたら何が見える? それほど遠縁ではない親戚だ。人間が享受する一切の法的権利と特権を得るに値する生物だ。なればさまざまな側面をもつ平等――生きる権利、個々人の自由の保護、苦しみを与えることの禁止――の外延を少なくとも人間ではない大型の猿(チンパンジーオラウータン、ゴリラ)までは広げるべきだろう。
シンガーは論じる。「種の優位思想」(人間という種を特権視すること)は人種主義と変わらない。わたしたちが人間と(他の)動物とのあいだになんらかの違いを感じとるということは非論理的であり人倫に悖る。それはわたしたちが、たとえば男と女や黒人と白人のあいだになんらかの倫理的な差異をかつて感じとっていたことと変わりがない。知性は倫理的資質を決定する基盤とはいえない。人間たちの生が動物たちの生よりも価値があるわけではないのは、まさしく動物たちのほうが人間よりも知性を示すからなのだ。(仮に知性が判断の一基準であったとしたら、わたしたちは道徳的に罪の意識を負うことなく知能の発達が遅れたものたちに医学的実験を行うことができるということになってしまうだろう、とシンガーは指摘する。)とどのつまり、あらゆる条件が同じであれば、一己の動物は一己の人間と同じくらい旺盛に生きることに関心を抱く。だから一切の条件が等しければ、医学的な動物実験は非道徳的なのだ。そのような実験の必要性を唱道する輩が主張するのは、二十体の動物の命を犠牲にすれば数百万の人間の命を救える、というものだ。しかしながら二十人の人間を犠牲にして数百万の動物を救うというのはどうだろう? シンガーの批判者が指摘したがるように、以上のような原理をぞっとするほどまでに敷衍すると、二十人の利害・関心は、ひとりのそれよりも重いということになり、そうするとありとあらゆる人権侵害にゴーサインを出すことになってしまう。
かくしてシンガーはこう論じることになる。わたしたちは自分たちを取り巻く状況にのしかかってくるさまざまなジレンマに答えを出す上で、もはや伝統的な倫理観を頼りにすることはもうできない、と。彼は人間の生の神聖さではなく、質を守るための新しい倫理学を提唱する。生と死、人間と動物とのあいだのはっきりした境界線が消滅するとき、この新しい倫理学は動物研究の道徳性に疑義を投げかける。他方でシンガーは、親身に子殺しを評価しようという提案をする。赤ん坊がたいてい死に至るような類の深刻な障害をもって生まれてきた場合、医者と両親は、モラルに照らせば医療費など気にせず最新の技術を利用するしか手立てはないのだろうか? そんなことはない。妊娠した女性が一切の脳機能を喪失した場合、医者は新たな手続きを講じてその女性の身体を赤ん坊の出産が可能になるまで生きたままにしておくべきだろうか? そんなことはない。医者は倫理的にみて、末期的な病を患う患者の自殺を幇助することができるだろうか? できる。
ここで最初にはっきりするのは、そのような適者生存主義的スタンスが有する隠れたユートピア的次元である。イデオロギーの組成のなかにイデオロギーの剰余享楽を検出するもっともお手軽な方法は、それをひとつの夢として読み、そのなかで作動している置換作用を分析することだ。フロイトは自身の患者の一人の夢がなんの変哲もない光景、つまり患者が親戚の誰かの葬式に来ている光景から成っている、と報告している。(葬式の前日から実際に起こった生活の出来事を反復する)この夢を解く鍵は、この葬式に出席している患者が不意にひとりの女性と邂逅した、という事実にある。その女性は患者の昔の恋人であり、彼がいまだ強い感情を寄せる相手だった――マゾヒストの夢どころか、この夢がはっきりと示しているのは、患者が昔の恋人に会えたというこんなにシンプルな悦びなのだ。置換(displacement)のメカニズムはこの夢のなかで作動しているだろうか? このケースと厳密に一致するわけではないが、フレドリック・ジェイムソンも置換のメカニズムを綿密に論じている。それはあるSF映画に関するものだったのだが、舞台となるのは近未来のカリフォルニア、謎のウィルスが住民の大半をあっという間に殺してしまったあとの世界だ。映画の主人公たち一行は、からっぽのショッピングモールを彷徨う。商品はすべて無傷で彼らの思うがまま。この場合、人間を疎外する市場の機構をすっ飛ばしてナマの商品にアクセスすることに伴うリビドーの増大こそ、映画の真実の核心ではないというのか? その核心が覆い隠されているのは、ウイルスが引き起こした大惨事に合わされている物語の表向きの焦点がずらされるからなのではないか? もっと初歩的な水準では、このリビドーの増大はSF理論の常套のひとつ、すなわちグローバルな大惨事を扱う小説や映画の真実の核心は、生存者たちのあいだの社会的団結や協働作業の精神といったものを前触れなく改めて強調するところに存在する、という約束事のひとつではないのか? これではまるで地球規模の大惨事は、わたしたちの社会にあっては、一致団結した協働作業にアクセスするために支払わなければならない代償みたいではないか……。
わたしの息子がまだ小さかった頃、あの子がもっとも大事にしていた自分ひとりだけの持ち物は、特別に大きい「サバイバル・ナイフ」だった。そいつの柄の部分には、コンパス、水を殺菌消毒するひと包の粉、釣り針とテグス、そんな感じの道具がしまってあった――わたしたちの社会の現実ではまったく役立たずだが、大自然にひとりぼっちというサバイバルゲームの主人公のようなファンタジーにはまったくおあつらえ向きだ。これと同じようなファンタジーなのかもしれない、ひょっとしたら。驚愕のベストセラー、ジョシュア・ペイヴィンとデイヴィッド・ボーゲニクト共著『最悪のシナリオを生き抜くためのハンドブック』〔邦訳:この方法で生きのびろ! (草思社文庫) この方法で生きのびろ! 旅先サバイバル篇 (草思社文庫)〕【注3】の成功の鍵となったのは。ふたつの究極の事例に言及すれば十分だろう。1.もしワニに両顎で手足に噛みつかれたらどうすべきか? (回答:鼻先を狙って叩くか、殴るかしよう。というのもワニたちはそうされると条件反射的に口を開けてしまう生き物だから)。2. もし一頭のライオンと対峙したとして、そいつに襲われる恐れがある場合はどうすべきか? (回答:コートを横に広げて自分を大きく見せよう)。 本書のジョークの本質は、はっきりと表明された内容とその表明をする側の立ち位置の不一致にある。本書が描き出している状況は実際上深刻なものだし、その解決も正鵠を得ている。――唯一問題なのは、なんで著者はわたしたちにこんなことを教えてくれているのか、誰がこんなアドバイスを必要とするのか、ということだ。
本書に潜むアイロニーは、この個人主義の競争社会においてもっとも使えないものが、極端に身を危険にさらす状況を生き延びることにまつわるアドバイスだということだ。――結局必要なのはそれとは正反対のもの、つまりデール・カーネギーもののような本〔身体的なものではなく、心理的自己啓発本〕で、どうしたら他の人間の上に立つ(操る)ことができるか教えてくれるような本なのだ。『最悪のシナリオ』に登場するさまざまな状況には、象徴的な次元がまったく欠けており、そこでのわたしたちは、純粋に生き抜くためだけの機械に還元されてしまう。つまり、『最悪のシナリオ』がベストセラーになった理由は、セバスチャン・ユンガーの『完璧な嵐』〔邦訳:パーフェクト・ストーム―史上最悪の暴風に消えた漁船の運命〕という、1991年にカナダの海岸線東方の「世紀の嵐」に捕まった一隻の釣り船が生き延びるべく格闘する物語(と映画)がベストセラーになったのとまったく同じ理由だ。どちらも自然の脅威以外のものとは遭遇しないファンタジーが舞台設定であり、その舞台では社会的‐象徴的次元はカッコに入れられている。ある点では、『完璧な嵐』は『最悪のシナリオ』の秘されたユートピア的な舞台背景を用意しているとさえいえる。つまり、連帯意識によって結束した本物の間主観的共同体が立ち上がるのは、そのような極限状況をおいて他にないのだ。肝に銘じておこう。『完璧な嵐』は究極的には、とある小規模の労働者階級のあつまりが連帯することについての本なのだ! このようにして『最悪のシナリオ』のユーモア溢れる訴えは、わたしたちが自然からすっかり疎外されているということの証言として解することができる。〔自然の危険というファンタジーばかりに集中し〕「本当の生活」の危難危険との接点がないことが恰好の例証だ。
抽象的な人文学教育に向けられた標準的な実際的‐功利主義的批判は、周知のこと。哲学、ラテン語の引用文、古典文学、そんなもの誰が必要とするのか?――そんなことより本当の生活でどのように行動し、ものを生み出すかを学ぶべきだ、と…そう、『最悪のシナリオ』で、この手の本当の生活の教訓とともにわれわれが得るものは、そういう教訓が、使えない古典的な人文学教育に不気味なまでに似ている、という結果である。小学生たちがドリルを解いていることわざ通りの場面を思い出すといい。(ラテン語のことわざが衰退したのと同じように)いくつかの公式を機械的に反復させられて、子供たちは死ぬほど退屈な思いをする。――『最悪のシナリオ』をこのことわざの場面に対比させるなら、ひょっとすると小学校の児童たちが先生のあとに続いて機械的に復唱させられて、同書の描写する命の危機に対する応答を暗記させられるような場面になっただろうか。「ワニに足を噛まれたら、ワニの鼻を手で殴ること! ライオンと正対したら、着ているコートを横に広げること!」【註4】
ではシンガーの話に戻ろう。途方もない誇張だとしてシンガーを切り捨てるわけにはいかない。――アドルノ精神分析に関して言ったこと(精神分析の真実は、まさにその誇張表現のなかにある)【註5】は、シンガーのケースにぴったり当てはまる。シンガー〔の主張〕がトラウマになりそうなほど耐え難いものだったのは、彼のスキャンダラスな「誇張表現」がいわゆるポストモダンの倫理の真実を直接可視化するからなのだ。ポストモダンの「アイデンティティの政治」の究極の地平は結局、進化論的なのではないか?――つまりそれは、多士済々そろった増殖を続ける大衆(エイズもちのゲイ、黒人のシングルマザー…)のなかにいる、人類のうちのある特定の種たちの権利を擁護しているのではないのか? 「保守」政治と「革新」政治という対立こそ、進化論の用語で考案されうるものだ。極端なことをいうと、保守派は力で特定の種の権利を擁護する(特定の種の成功は、その種が生存競争で勝利したことの証である)のに対し、革新派は絶滅の危機に瀕した人間の種、たとえば生存競争の敗残者たちを保護しようと訴えているということになる。【註6】
ヘーゲルは『精神現象学』中、理性について論じた章の一節で、“das geistige Tierreich”(精神による動物の王国)について語っている。それは精神の実体となるいかなるものをも欠いた社会的な世界であり、だからこそその世界にいる個々人は、最終的には「知性ある動物」として交流する。「知性ある動物」は理性を用いるが、しかしそれは己の個人的な利害を主張するためだけ、自分自身の快楽に奉仕するよう他人を操作するためだけに用いられる。【註7】 最高の権利が人権である世界とは、まさしくそのような「精神による動物の王国」、そのような世界のことなのではないのか? そうはいっても、そのような解放(liberation)を果たすには支払わなければならない代償がある。――そのような世界では、人権は究極的には動物の権利として機能するのだ。それならば、これこそシンガーの究極の真実である。わたしたちの人権の世界は、動物の権利の世界なのだ。
当然やってくる反論はこういうものだ。だからなんだというのだ? なぜ人類をそれにふさわしい場所へ、動物の種族のひとつの場へ還元すべきではないというのか? この還元でなにが失われるというのか? さて、ジャック=アラン・ミレールが、一度、ラットを用いたラボの不気味な実験を批評したことがある。【註8】 迷宮のような仕掛けのなかで、欲望の対象(一切れの上等な食べ物か、セックスの相手)は当初ラットにとって容易に辿りつくことができるように設定されている。それから仕掛けは変更され、当のラットに欲望の対象がいる場所が見え、しかるにその場所がわかるのにもかかわらず、決してそこに辿りつけないようになる。その目標物と引き換えに、ある種の残念賞となるそれよりは価値の低い類似した対象物には次々と容易に辿りつけるようにしてある。ラットはどう反応するだろう? しばらくの間、ラットはなんとか「真の」対象に至るルートを発見しようと試みる。それからこの対象がどうあがいても手の届かないものだということがはっきりした暁には、ラットはそれを放棄し、価値の劣る代わりの対象物をいくつか手にして我慢することになる。つまり、ラットは功利主義の「合理的な」主体としてふるまうことになる。
だが、本当の実験が始まるのはまさにこれからだ。科学者たちは、外科手術をラットに施す。ラットの脳をいじくりまわし、レーザービームを使ってラットに処置を施す。慎重なミレールの言葉を借りれば、なにも知らぬが仏、というような処置を施す。それからどうなるだろうか、手術を受けたラットが再び迷路のなかで放されたら? 「真の」対象には近づけない迷路のなかに? ラットの主張はこうだ。「真の」対象の喪失にちゃんと納得することはできなかったので、それよりは見劣りのする代替物のひとつに甘んじることにした。だがそれでもなお、繰り返し元の対象に戻って、そこに辿りつこうと試みた。つまり、ある意味において、ラットは人間になったのだ。ラットが身に着けたものは、決して到達できない絶対的対象へと向かう悲劇的な「人間の」関係性である。その対象はそれがまさに到達不可能であるがゆえに、永遠にわれわれの欲望を虜にする。他方、人間の背中を押し、絶えず改革に向かわせるのは、こうした非常に「保守的な」対象への固着であり、それもこれも人間が決してこの過剰を生活のプロセスにしっかり統合することが決してできないからなのだ。かくしてフロイトがTodestrieb〔死の欲動〕という用語をわざわざ使った理由が判明する。つまり精神分析の教訓は、人間たちが単に生きているだけの存在ではないということだ。かててくわえて、人間は日常のならわしの度を越して人生を享楽する、奇妙な欲動の虜になる。――そして「死」はふつうの生物学的生の彼岸の次元を、端的にかつ正確に象徴するものなのだ。
であるならこれこそ、シンガーの“geistige Tierreich”〔精神による動物の王国〕で失われているものである。すなわち大文字のモノ、すなわちわれわれがその実定的な性質とは関係なく、無条件に固着させられているなんらかの対象。シンガーの世界には、理性をなくした牡牛たちの居場所はあっても、インドの聖なる牡牛一頭の居場所もない。言い換えるなら、ここで失われているものは、端的に真実の次元である。――といっても、数多ある個別の物語の上空にどうにかして浮かび上がったひとつの〔超越的な〕視点から見たリアリティの観念のような「客観的な真実」のことでは断じてない。唯一無二の普遍としての真実だ。レーニンが「マルクスの理論は万能である。なぜならそれは真実だからだ」と言ったとき、ここでわれわれが「真実」をどのように解するかにすべてはかかっている。「真実」は中立的な「客観知」なのか、それともひとりの当事者になった主体の真実なのだろうか? レーニンの賭け金――今日のポストモダン相対主義の時代に、これまでにも増して切迫している――は、普遍的な真実と党への忠誠心、すなわち味方をすることを態度で示す行為とが、片方が立てばもう片方が立たないというものではないだけではなく、双方を条件づけるものだ、ということだ。具体的な状況において、レーニンのいう普遍的な真実が旗幟鮮明となる(articulated)のは、一部の隙もなく党への忠誠心をもった立場に限られる。真実は定義上一方に偏ったものだからだ。もちろんこれは、すでに支配的な妥協の信念(doxa)、すなわち競合する無数の利害関心のなかに中道を見出すという信念に反する。その信念とは異なる、その信念の代わりを務める物語化の判断基準を特定しなければ、この努力は、くだんの政治的に正しいムードに乗って、くだらない「物語たち」を裏書きする危険をかえって招いてしまうことになる。先住民の神聖なる知恵なるもののほうが優れているとか、科学はさまざまな前近代的な迷信と対等の立場にある別の物語に過ぎないとして片づけてしまうことのほうが優れているといったようなくだらない物語を。したがってレーニンの物語は、ポストモダン多文化主義的な「物語る権利」に対しては、真実に対する権利を誰はばかることなく主張するものとなるべきなのだ。拠って立つ土台を失った(debacle)1914年、あらゆる欧州社会民主主義政党(ロシアのボリシェヴィキセルビア社会民主主義政党は名誉ある例外だが)は戦争熱に屈服し、軍事的な公認勢力に支持票を投じたが、そのときのレーニンによる「愛国戦線」の徹底的な拒絶は、まさしく当時支配的だった風潮から孤立するという点において、全体的な状況に隠れた唯一無二の真実の出現を画したのだった。
もっと精緻な分析をするとなれば、白日の下にさらすべきは、どのようなかたちで「物語る権利」に傾いた文化相対主義が見せかけの対立陣営、すなわち物語化に抗するトラウマのようなものの現実界への固着現象をそのなかに〔予め〕包摂しているか、ということだろう。以上のような正しく弁証法の体をなした緊張関係が、今日のアカデミックな「ホロコースト産業」を支えている。わたし自身がホロコースト産業の取り締まりをこれ以上ない形で経験したのは、1997年、パリはポンピドゥセンターのラウンドテーブルでのことだった。わたしが悪意ある攻撃を受けたのは議論の腰を折ったからだ。そこで(他にもいろいろあったのだが)信じること(faith)が今日流行らないことを嘆くネオコンを向こうに回したわたしは、ふつうの人間存在が基本的に求めているのは、己を信じることではなく、自分のために信じてくれる別の主体にその場にいてもらうことだ、と主張したのだった。――著名な参加者のうちのひとりからもらった反応は、こんなことを主張してしまうと、煎じ詰めればわたしはホロコースト修正主義を裏書きしていることになってしまう、というものだった。つまりわたしは、あらゆるものが言説によって構築されたものであり、またこれにはホロコーストも含まれるのだから、あそこで本当はなにが起こったのか詮索することに意味はない、という主張を正当化しているというのだ…。偽善的なパラノイアを見せびらかしたどころか、わたしを批判した人は二重の意味で的を外していた。第一にホロコースト修正主義者は(わたしの知る限り)絶対にポストモダン的な言説構築主義の観点から論じることはなく、極めて実証主義的な事実の検証という観点に立つ。実際に彼らの主張の幅は、ヒトラーホロコーストを命令したことを伺わせる文書は存在しないという「事実」から、「アウシュヴィッツのガスオーヴンの数を考慮すると、そんなにたくさんの死体を焼却することができたとは言えない」というみょうちくりんな数学にまで及ぶ。
さらには、「すべては言説によって構築されたものであり、確固たる直接的事実は存在しない」というポストモダンの論法が、ホロコーストの誤りを指摘するために持ちだされることは断じてない。それだけではなく、傾注に値するパラドックスなのだが、(リオタールのような)ポストモダンの言説構築主義者たちのほうこそまさしく、ホロコースト言語化できない至高の形而上学へと格上げする傾向にある。――ホロコースト構築主義者にとって、不可触の聖なる現実界として、決定論を除外する言語ゲームの歯止め(negative)として役立つのだ。【註9】
ホロコーストを他の強制収容所や集団による政治的犯罪と比較する行為すべてが、ホロコーストを相対化する容認できない行為であるように感じてしまう人たちにつきものの問題は、それが問いの核心を見失ってしまっているうえに自分たち自身が抱える疑念をさらけだしている、ということだ。確かにホロコーストは類例がないものだったが、この類例のなさを確固たるものとするためには、それをほかの同様な諸現象と比較したうえで、こうした比較の限界を浮き彫りにする以外に手はない。こうした比較のリスクをおかさず、これを禁じるのであれば、われわれが語りえぬものについて語ることを禁じる、ヴィトゲンシュタインパラドックスに陥る。比較の禁止にこだわると、懊悩を呼ぶ疑念が頭をもたげる。仮にわれわれがホロコーストをそれと似たほかの犯罪行為と比較することが容認されるとしたら、ホロコーストの類例のなさは剥奪されてしまうのではないか、という疑念が…。




シューベルトを聴くレーニン

ではレーニンを参考にすると、どのようなからくりで、こうしたにっちもさっちもいかない事例から自由になれるというのだろう? リバタリアン左翼のなかには――少なくとも部分的には――レーニンの名誉を回復したがるものもいる。「なにが為されるべきか?」という〔居丈高な〕「悪い」ジャコバン的エリート主義者のレーニン像には反旗を翻し、外部から労働者階級を啓蒙する知的職業エリート集団としての唯一の党、それから『国家と革命』における「よき」レーニン像には信を置くのだ。そこで信を置かれるレーニンとは、国家の廃止という見通し、公務にかかわる行政を直接広範な民衆が掌中に収めるという見通しを思い描く人である。ただし、この二項対立には限界がある。『国家と革命』のカギとなる前提条件は、国家を完全に「民主化」することはできず、「その手の」国家という観念自体が、ある階級の別の階級に対する独裁である、というものだ。この前提から導き出される論理的帰結はこうだ。われわれがそれでもなお国家の領土内に住まう限りは、全き暴力的テロを行使することが法的に認められている。というのも国家の領土内では、あらゆる民主主義がにせものになるのだから。結局、国家は抑圧の道具なのだから、国家のさまざまな装置、法秩序の保護、選挙、個人の自由を保障する法律といったものを改革しようとしても無駄だということになる。――だからこのようなかたちでのレーニンの名誉回復は、すっかり的外れなものとなる。以上のような〔二項対立的にレーニンを扱うことに対する〕論難のなかにある真実の契機は、一九一七年一〇月の革命による政権交代を可能にした類例のない環境と、その後同じものが「スターリン主義」へと転向する現象とを切り離せないという点にある。つまり、ほかならぬ革命を可能にした環境(農民の不満、よく統率のとれた革命を望むエリートなど)が革命後、スターリン主義への転向の案内役となったのだ。――そこにこそ厳密な意味でのレーニンの悲劇はある。ローザ・ルクセンブルグの有名な二者択一、「社会主義か、バーバリズムか」が行きつく先は、もうその次の手はない無限の判断でしかなく、「実際に現存している」社会主義はバーバリズムだった、というように、対立するふたつの用語が理論的には同一のものであるということにしてしまう。【註10】
最近ドイツ語で出版されたゲオルギ・ディミトロフの日記【註11】のなかには、類例のない光景が垣間見られる。スターリンが自身を権力の座に就かせるものをどのようにしてしっかりと自覚していたか。つまりスターリンは、彼のよく知られたスローガン「民衆 (cadres)はわれらが最高の富である」に対して思いもよらないひねりを加えているということだ。一九三七年一一月晩餐の席でディミトロフは国境を越えた労働者階級の「僥倖」を、すなわち労働者たちがスターリンほどの天才指導者を戴いていることを称えた際、スターリンはこう答えた。「…わたしは彼には同意できない。彼はマルクス主義者とはいえないような言い方で意見を表明しさえした。[…]勝負のカギを握るのは中間層の民衆だ。」(7.11.37) スターリンは、もっとはっきりと一段落前でこれをパラフレーズしている。「わたしたちがトロツキーたちに勝った理由は? 重々承知のことだが、レーニン亡き後、トロツキーの人気がこの国で一番だった。[…]しかしわたしたちには中間層の民衆の支持があったし、彼らはわたしたちが事態の帰趨を掌握していることを大衆に説明してくれた。[…]トロツキーはこうした中間層を一顧だにしなかった。」ここでスターリンは自身が権力の座に上り詰めた秘密を仔細に説いている。どちらかといえば無名の書記長だったスターリンは、数万の民衆に役職を与えた。彼らは昇進によってスターリンに借りができた。…このような事情からスターリンは、1922年初頭の段階でまだレーニンに死んでもらうわけにはどうしてもいかなかった。衰弱を早める発作のあと、安楽死するため毒薬を投与してほしいというレーニンの求めを、スターリンは拒絶した。仮にレーニンが1922年初頭の段階で死んでしまっていたとしたら、後継問題はスターリンの望むようなかたちでは解決していなかっただろう。当時書記長だったスターリンは、まだ党という装置を自身が指名した人間で網羅しきれていなかったからだ。――スターリンにはあと一、二年必要だった。ふたを開けてみれば、最終的にレーニンが逝去したとき、スターリンは自分がポストを与えた数千の中層大衆の支援を頼りに、ボリシェヴィキ「貴族階級」の偉大な古参の面々の打倒に向かうことができたのだった。
1917年以降のレーニンボルシェヴィキの日常生活の仔細をいくらか紹介しよう。そのあまりの些末さゆえに、かえってスターリン時代の幹部との落差ははっきりする。1917年10月24日の晩、レーニンはフラットを出てスモルニー協会へ、革命後の政権交代の調整に出向いた。その際レーニンはトラムに乗り、女性車掌にその日街の中心部で続いている戦闘がまだあるかどうか訊ねた。10月革命後の数年、レーニンはほとんどの場合、信頼できる運転手とボディガードのギルだけを伴って車であちこちに移動していた。二度、一行は銃弾の標的になり、警官に止められ、逮捕された(警官にはそれがレーニンだとはわからなかった)し、一度などは郊外にある学校を訪問後、なんと車と銃を警官のふりをした賊に盗まれてしまい、最寄りの警察署まで歩くことを余儀なくされた。1918年8月30日にはレーニンが撃たれた。この事件が起こったのは、レーニンが陳情をする女性の二人組と訪問し終えたばかりの会社の前で会話にふけっているときだった。流血したレーニンはギルの運転でクレムリンに運ばれたが医者はいなかった。そこでレーニンの妻ナデジダ・クルプスカヤがした提案は、誰か外に行って最寄りの雑貨店でレモンを買ってきたらどうだろう、というものだった。…1918年のクレムリン宮殿における日ごろの食事は、そば粉のおかゆと薄い野菜スープだった。幹部連の特権たるやそんなにすごいものだったのだ!
レーニンを中傷する人が引き合いに出すのを好むのは、彼がベートーベンのアパショナータを聴いていたときの、かの有名なパラノイア的な反応であり(レーニンはまず泣き出し、それから、革命家にはそのような感傷に身を委ねる立場に立つことは許されていない、なぜなら感傷は革命家を軟弱にし、情けを捨てて戦うのではなく政敵を撫でたいと思うようにしてしまうからだ、と主張した。)それをレーニンの冷酷な自己統制と残忍さの証左とする。――だがこの偶発事は、その言葉の使われ方から言っても、最終的には〔冷酷な]レーニン像を逆なでにする論述となっているのではないか? むしろそれは、政治闘争を継続するためには堰き止めておく必要があるほどの音楽に対する行き過ぎた感受性を証言してはいまいか? 今日のシニカルな政治家の誰が、今どきその手の感受性のほんのわずかあっても人前にさらすというのか? ここでのレーニンは、さまざまな政治的決断を下す際の行き過ぎた残忍さをその種の感受性となんの苦もなく併用した、ナチスの高級官僚の対極に位置しているのではなかろうか? (ホロコーストの発案者、ハイドリヒを思い出しておけば十分だろう。彼は一日の重労働を終えると、いつも忙中閑を見つけては仲間とベートーヴェン弦楽四重奏を演奏していたのだから)――高級文化と政治的バーバリズムとがなんの問題もなく結びついてしまうという点にこそ存する、〔ナチスの〕至高のバーバリズムとは対照的ではないか? レーニンがそれに輪をかけて極端なまでに神経を尖らせていたものは、どちらにも還元されることのない芸術と権力闘争の敵対関係だったというのは、レーニン人間性の証左ではないというのか?
こうした高級文化の体をなしたバーバリズムに対して、もっとレーニンの理論を展開してみたくなる。シューベルト作曲『冬の旅』を歌うハンス・ホッターの傑出した録音には、意図的に時代の制約を無視した読みが必要となるように思われる。ドイツの官僚や将校が、42年から43年にかけての厳冬下、スターリングラード塹壕でこの録音に聞き入っていたというのは容易に想像できるのだから。『冬の旅』の主題は、その歴史的契機と重なって類例のない協和音を喚起しはしないだろうか? スターリングラードへの行程全体が巨大な『冬の旅』ではなかったのか? その旅においては、どのドイツ兵も、我が事としてその歌詞の他ならぬ歌いだし、「我はここでは異邦人/異邦人として我は出立す」を口にするのがふつうというものではないのか? それに続く歌詞は兵士ならば当たり前の経験を言い表してはいまいか? 「今や世界は陰鬱に/ 道は雪に包まれて/ 我には時機を選ぶこと叶わず/ 旅立ちの時機を/ 我が道を見つけねば/ この闇のなかに」。
今、われわれの前にあるのは無意味で終わりのない道のり。「両足の裏が燃えるように痛む/ まるで氷と雪の上を歩いているよう/ 一息入れたくはない/ 尖峰の群れを見なくて済むようになるまで」。春には帰郷するという夢。「我は色とりどりの花々を夢見る/ 5月に咲き誇るその様を/ 我は緑の草原を夢見る/ 愉快な鳥の呼び声を」。便りを待つそわそわ。「幹線道から郵便ホルンの音/ なぜこんなにも昂るのか、我が心よ?」。朝の大砲射撃の衝撃。「切れ切れの雲がひらひらと/ 精魂削る戦闘中にあたりを舞う/ それから赫々とした赤い焔/ 切れ切れの雲間をあちこち飛び交う」。憔悴甚だしくとも、兵士たちには死の慰めさえ許されない。「我は頽れんばかりに疲れ果て、致命傷を負ってしまっている/ ああ、無慈悲な宿場、我を見捨てるというのか?/ なるほど、それなら前進だ、もっと先へ、我の忠実なる杖よ!」。
そんな絶望的な状況にあってどうせよというのか、ただ懸命に粘り強く前進し、心の不平不満には耳を塞ぎ、神という神に見放された世界では、運命の重荷を引き受けるしかないのか? 「雪が顔に降ってきたら/ 我は再度それを振り払うまで/ 我が心が胸のなかで語りかけてくれば/ 我は大きな声で陽気に歌うまで/ 我には心の声が言わんとすることは聞こえない/ 我は聴く耳を持たず/ 心が嘆こうと感じない/ 不平不満は愚者の仕儀/ 朗らかにこの世界を前へと突き進み/ 風と天候に立ち向かえ!/ 地上に神がいぬというなら/ 我ら自身が神になろう!」
すぐに思いつく反論は次のようなものだろう。こんなもの、ただ表面的に類似しているにすぎないじゃないか。雰囲気と情感が響きあっているとしても、その雰囲気や情感はそれぞれの場合で、まったく異なる文脈のなかに埋め込まれたものじゃないか。つまりシューベルトの場合、『冬』の語り手が彷徨しているのは愛する人に捨てられたからで、他方、ドイツ兵がスターリングラードに向かう途中なのはそれがヒトラーの軍事作戦だからだろう、というような反論だ。しかしながら、基本中の基本となるイデオロギー作用の本質は、まさしくこうした〔『冬の旅』をドイツ兵の経験と重ねてしまうような〕ずらし(displacement)に存するのだ。ドイツ兵が自身の置かれた状況を耐え忍ぶだけの力を得るためには、内的反省を経ないと目に見えないような、具体的な社会的環境への言及を避ければよい(やつらがロシアでやっていたことはなんだったんだ? やつらがこの国にどんな破滅をもたらしたのか? ユダヤ人の殺戮はどうだ?)。それから、外部環境に対する言及を避ける代わりに、自分の無情なる運命に対するロマンティックな慨嘆に耽ればよい。まるで歴史に残るほどの巨大な惨劇が、捨てられた恋人のトラウマという具体を得ただけとでもいわんばかりに。これこそ、感情を抽象するというこの上ない証左となるのではなかろうか?感情は抽象的なものである、というヘーゲルの概念のまたとない証拠、そして思考と唯一つながりうる具体的な社会的‐政治的ネットワークから逃避したらどうなるか、ということのまたとない証拠となるではなかろうか?
すると、さらなるレーニンらしい一歩を踏み出したい誘惑に駆られる。『冬の旅』読解においてわれわれがやったのは、シューベルトを後世に偶発的に生じた歴史上の惨劇にただ結びつけただけというものではないし、この歌曲の歌詞が、いかにスターリングラードで戦闘に加わっているドイツの兵隊に共鳴を生じさせるものであるかと、想像してみようとしてみただけでもない。この惨劇とつながることによって、シューベルトのロマンティックな位置そのものにおける瑕疵を読めるようになるとしたらどうだろう? ロマン派悲劇の主人公は、自己愛に耽るがごとく自分の苦しみや憂鬱だけを見つめ、それらを倒錯的な悦びの源泉へと持ちあげるような立場にいる。だがそもそもそれ自体が見せかけの立場であり、個人を超えた大きな歴史的現実という真実のトラウマを隠すイデオロギーのスクリーンだったとしたらどうだろう? ならばなんとしてでもヘーゲルそっくりにふるまって、正統的な源泉と、それをあとから読むという偶発的な情況によって潤色される行為とのあいだにある亀裂を、正統的な源泉それ自体へと投影するべきだ。当初は二次的な曲解に見えるものによって、偶発的に生じる外的情況によって捻じ曲げられた読みによって、正統的な源泉それ自体が抑圧・排除する対象だけではなく、それが抑圧する機能を有していたことについてなにか有益なことがわかる。そこに序論から『経済学批判要綱』の草稿にまで至る有名な〔マルクスの〕文章に対するレーニンの回答が存する。その文章でマルクスホメロス叙事詩を、ホメロスの時代特有の歴史的文脈から解説するのがいかに容易いか、ということに言及している。――その普遍的な訴求力、たとえば、ホメロスの詩はそれが属していた歴史的コンテクストが消滅した悠久の時を経た後もなぜわれわれに芸術的な悦びを与え続けるのか、といったことを説明するほうがはるかに難しい。【註12】 この普遍的な訴求力の基礎となるのは、他でもないホメロスの詩のイデオロギーとしての機能である。そのイデオロギーとしての機能がためにわたしたちは、周囲を取り巻く具体的なイデオロギー的‐政治的な環境から「普遍的」(感情的)な〔詩の〕内容のなかへの避難を経て、抽象に逃れることが可能になる。だから、なんらかの意味でイデオロギーを超越した人類遺産の先触れとなるどころか、ホメロスの普遍的な魅力の根拠は、イデオロギーを普遍化するその身振りにあるのだ。




Notes



[1] Richard Rorty, Contingency, Irony, Solidarity, Cambridge: Cambridge University Press 1989. これと同様にして、ローティの仇敵、ハーバマスは、市民社会の「公共圏」、すなわち、啓蒙期において私生活と政治的/国家装置類のあいだを媒介した自由討論の空間の登場を高く評価する。問題となるのは、この啓蒙以後の公共の討論空間が、常に非合理的/感情に流されやすい群衆の恐怖によって再強化されるものだった、という点だ。この恐怖には、それが〔公共圏の純度を〕汚染(スピノザが感情の模倣と呼んだもの)していって暴発し、聖職者やその他のイデオロギーの先導者に操作された迷信に根ざした血なまぐさい暴力行為になる可能性がある。だから合理的な討論の行われる啓蒙済みの空間は、常になんらかの排除の上に、つまり十分に「合理的」だとはみなされないもの(低い階層のもの、女性、子供、未開人、犯罪者…)の排除の上に成立していた。――排除のためには、歯止めとなる「非合理的な」権威の圧力が必要だった。こうした排除には、たとえばヴォルテールのよく知られたモットー、「神が存在しなかったら、創り出す必要があっだろう」がぴったり当てはまる。

[2] Peter Singer, The Essential Singer: Writings on an Ethical Life, New York: Ecco Press 2000.

[3] Joshua Piven and David Borgenicht, The Worst-Case Scenario Survival Handbook, New York: Chronicle Books 1999.

[4] その徹底的な「現実主義」ゆえに、『最悪のシナリオ』はすぐれて西洋的な一冊である。東洋でそれに相当するのは、「珍道具」(chindogu)であり、ほぼ間違いなく過去数十年で最高度に洗練された日本精神による到達点だ。「珍道具」は、これ以上ないほどカントの崇高の語法に忠実に、崇高なオブジェ=対象を創り出す技である。――崇高というのはつまり、そのあまりの有用さのゆえに実際には無能ということだ(たとえば、電動のミニ風除けつき眼鏡。おかげで、たとえ傘なしで雨の中を歩かざるを得なくなっても視界はクリアなままだ。あるいは口紅入れに収納されたバター。おかげでバターを携帯でき、ナイフなしでもパンにバターを塗れる)。つまるところ、珍道具のオブジェが認知されるには、基本となるふたつの判断基準に合致する必要がある。本当にそのオブジェをつくれる可能性があって、ちゃんと機能しなければならないということ。同時に、そのオブジェは「実用的」であってはならないということ、つまり実際に市場に売り出せるようなものであってはならないということ。『最悪のシナリオを生き抜くためのハンドブック』と「珍道具」を比較してみると、東洋と西洋の崇高の違いに対するユニークな洞察が得られる。ニューエイジ的な疑似哲学的専門書よりはるかに優れものの洞察だ。どちらの場合も、崇高の効果が存するのは、その製品の無能さがまさにその極度に「現実的」で実用的な方法自体によって生み出される、という点だ。しかしながら、西洋の場合、われわれがもらうのはほとんどの人が出会いそうもない問題(情況)(われわれのうち誰かが、本当にひとりで飢えたライオンと対峙する羽目になるだろうか?)に対する簡素で現実的なアドバイスであるのに対し、東洋の場合、われわれがもらうのは誰もがたいてい遭遇するような問題(雨に降られなかったものがいるだろうか?)に対する、実際には使えないほど複雑怪奇な解決法である。西洋の崇高は実際には生じない問題を解決するための方法を提案し、対して東洋の崇高は、現実にありふれた問題を解く上で使えない解決法を提案する。東洋の崇高の基本となるモットーは、「ややこしくすることができるのにどうして簡単にしちゃうの?」である。――「珍道具」の原理は、「実用的ではない」不細工な日本のスプーンと同じように西洋人の目には映る、という点に認められるのではないだろうか? 対して西洋の崇高の基本となるモットーは、「問題がこちらの解きたい方法にはまらない場合は、変えるのは問題のほうで、染みついた解決法のほうはそのままでいい!」というものだ。――この原理は、神聖なる官僚制の原理に認められるのではないか? 官僚というものは、問題を解く役に立つという官僚の存在意義を正当化するために問題をでっちあげなければならないのだから。

[5] Theodor W. Adorno, Minima Moralia, London: Verso Books 1996.

[6] 二年ほど前に起こったアメリカの学界での事件で、あるレズビアンフェミニストが主張したのは、今日のゲイは特権を享受する犠牲者である、それゆえにゲイがどのようにその権利を奪われているかを分析することが、他のすべての排除、抑圧、暴力等(宗教的、民族的、階級…)を理解する上でカギとなる、というものだった。このテーゼが問題なのはまさしくそれが暗黙裡に(今回の場合、公然ですらある)普遍的な主張をしている、という点にある。この主張は、そうではない人たち、という典型的な犠牲者を生み出している。宗教的、あるいは民族的他者(〔予めそこから〕排除されている社会的――階級――は言うまでもなく)よりははるかに容易に公共空間に溶け込み、完全な権利を享受できる人たちという犠牲者を。ここでゲイと階級闘争とのつながりの両義性に取り組んでみるべきだ。左翼のゲイに対するバッシングには長い歴史がある。その名残はアドルノに至るまでは認められる。――マキシム・ゴーキーのエッセーにおける悪名高い発言、「プロレタリア・ヒューマニズム」(原文ママ!――1934)、「ホモセクシュアルたちを絶滅(原文ママ!)させよ、さればファシズムはなくなるだろう。」に触れておけば十分だろう(引用先: Siegfried Tornow, “Maennliche Homosexualitaet und Politik in Sowjet-Russland,” in Homosexualitaet und Wissenschaft II, Berlin: Verlag Rosa Winkel 1992, p. 281.)。こうしたこと全部を、労働者階級の伝統的な家父長的性規範や十月革命翌年の解放的な空気に釘を刺すスターリンの反応を都合よくもてあそぶような行為に落とし込んではならない。想起すべきは上に引用したゴーキーの挑発的な発言が、アドルノによるホモセクシュアリティ(ホモセクシュアリティと軍隊における男同士の絆の精神とのあいだにリビドー的つながりがあることに関するアドルノの確信)に対する留保と並んで、共通の歴史的経験に基礎を持つということだ。喧嘩屋たちが集まった「革命を担う」ナチスの準軍事組織、SA〔突撃隊〕のホモセクシュアリティを想起すべきだ。そこにはホモセクシュアリティがその首領(レーム)に至るまで満ち満ちていた。銘記すべき第一点は、他ならぬヒトラーその人がすでに、猥雑な暴力の過剰を浄化することによってナチスの体制を公に受け入れやすいものにすべくSAを粛清したということ。それからヒトラーは、まさしく彼らが「性的に腐敗しているということ」を引き合いに出すことによって、SAの指導部の殺戮を正当化した、ということ…。「全体主義の」共同体を支えるものとして機能するためにホモセクシュアリティは、「内部」の人間には共有されていても、公的には否認された「汚れた秘密」に甘んじなければならない。ということはつまり、迫害されたゲイたちには、有能な後援者程度の価値しかない、ということなのだろうか? 「ええ、わかっています、あなたたち〔ゲイたち〕を支援すべきなのは。でもそれでも…(あなたたちには、ナチスの暴力に対する責任がいくらかはあるのです)」というようなことだろうか? ただ強調しておくべきは、ホモセクシュアリティが政治的に重層決定されているということが、およそわかりやすいものではないということ、ホモセクシュアルのリビドー的経済はさまざまな方向を向いた政治的なベクトルに接収されているということ、そしてまさに今ここでこそ、「正統的な」権力を転覆するようなホモセクシュアリティをあとづけで曲解したものだとして、右翼の「軍事的」ホモセクシュアリティを退ける、というような「本質主義的な」過誤を犯すことは避けるべきだ、ということである。

[7] G.W.F. Hegel, Phenomenology of Spirit, Oxford: Oxford University Press 1977, p. 178.

[8] Jacques-Alain Miller, Ce qui fait insigne (unpublished seminar 1984-85).

[9] これはラカンの欠如の観念が、離れ離れになっていなければならないふたつのレベルを融合させてしまう、というドミニク・ラ・カプラの論難に対する返答にもなりうる。ふたつのレベルとは、まず象徴界をそういうものとして構成する純粋に形式的な「存在論的」欠如、それから〔トラウマとなるような壮絶な出来事に当面したときには、当事者の認識できる範疇を超えてしまうため〕実際に起こったともいえないかもしれないような、特定のトラウマとなる経験(たとえばホロコースト)のことだ。――このようにしてホロコーストのようなある特定の歴史的惨劇は、人間の存在そのものにつきものの根本的なトラウマに直接基づいているものとして「合法化される」ように見える。(Dominick la Capra, “Trauma, Absence, Loss,” Critical Inquiry, Volume 25, Number 4 (Summer 1999), p. 696-727.) 構造的なトラウマと偶発的・歴史的トラウマとをこのようにはっきり分けるというのは、確かに説得力があるようだが、形式的/構造的ア・プリオリと偶発的/経験的ア・ポステオリとのあいだを明確に分けたカントに依拠しているという点において二重に不適切だ。まず、あらゆるトラウマ、「そういうものとして」という〔A as A'のように認識はasを介さなければならないが、さらにAとA'の類比が断たれ、as such、あるいはitとしてのみ経験される〕トラウマは、その概念のそもそもの成り立ちからいって、偶発的ななにか、予期していない意味をもたない攪乱として経験されるものである。――トラウマは定義上、〔把握可能な〕「構造的」ななにかではなく、構造の秩序を攪乱するなにか、なのだから。次に、ホロコーストは歴史のうえで偶発的に発生したものというだけではなく、それが他とは異なり科学技術の道具としての効率性を神話のように生贄にすることを伴う点において、いわゆる西洋文明の論理そのものに書きこまれた破壊的潜在力を、ある程度現実のものとしたような何かでもあった。われわれはそれ〔itと呼ぶほかないようなホロコースト〕に対して、安全な距離を保った中立の位置を採ることはできない。そのような立場からだと、ホロコーストを不幸な偶然の出来事として片づけてしまうことになる。ホロコーストは、ある種、わたしたちの文明の「症候」であり、それにまつわる普遍的に抑圧された真実が姿を現す唯一無二の勘所(the singular point)なのだ。いくぶん悲しい言葉に置き換えるなら、ホロコーストを説明しない(account for)西洋文明のどんな説(account)も、その説明放棄によって、おのずから失効するのだ。

[10] ここで以下のような反論があるかもしれない。悲劇的なものというカテゴリーは、スターリン体制を分析するのには適当ではない。問題なのは、本来のマルクスのヴィジョンが、その意図せざる帰結によって転覆させられたことではない、ヴィジョンそのものが問題なのだ。仮にレーニンの、ましてやマルクスコミュニズムの構想が、その真に肝心かなめの部分に関してでもちゃんと実現していたとしたら、事態はスターリン体制よりも「ずっと悪化」してしまっていただろう。――そうだとしたら、われわれの手に残されていたのは、アドルノとホルクハイマーが「die verwaltete Welt(管理された社会)」と呼んだようなものだったかもしれない。現実のものとなった「一般知性」(general intellect)〔マルクス。自然を人間の対象として扱えるようにした、対象化された知性。端的に「技術」「科学技術」と考えてもいい〕によって運営された、頭からつま先まで自ずから丸見えにする社会。そんな社会だったら、人間の自律性や自由といったものの最後の残りものまで抹消させられてしまっていただろう… こうした論難に答えるには、マルクスによる資本主義の力学の分析とマルクスが思い描いていたコミュニズムという建設的なヴィジョンのあいだ、またこのヴィジョンと革命による動乱の現実味のあいだに、はっきりとした境界線を引くことだ。マルクスによる資本主義力学に対する分析が、コミュニスト社会に対するマルクスの建設的な規定に基づいていないとしたらどうだろう? またマルクスのさまざまな理論的先取りそのものが、実際の革命の経験によって台無しにされたのだとしたらどうだろう?(はっきりしているのは、マルクス自身、パリ・コミューンという新しい政治形態を目の当たりにして驚いた、ということだ。)

[11] Georgi Dimitroff, Tagebuecher 1933-1943, Berlin: Aufbau Verlag 2000.

[12] Karl Marx, Grundrisse, Harmondsworth: Penguin Books 1972, p. 112.