キョーヘー

 プロレス本はいい助走になることに気がついた。読後、少々のハードルなら華麗に飛べる。アクション映画を見たあとに味わう出所不明の無敵感覚に似ているか。無根拠な昂揚・・・。ほんとは、躁の方が鬱よりも怖いのですけども。

 全日本の名物レフェリー・和田京平の回想記。
 試合開始前、ひとりひとりレスラーをリングアナが紹介すると「天龍!」や「三沢!」と客席から声が飛ぶ。プロレスでは当たり前の光景だけども、最後の「レフェリー・和田京平」の小さなコールに「キョーヘー!」と野太い声がかぶさる、そんなレフェリーは他にはいないと思う。いつから「キョーヘー!」現象が起きるようになったのか定かではないし、物心ついたころからずっとそうだったような錯覚さえ覚える。客とリングの心理的距離が近い全日本ならでは現象というべきか。
 馬場を中心として、外国人レスラー・日本人レスラーの裏話、それから和田本人の生い立ち、団体の経営状況、馬場逝去の裏側、NOAH立ち上げ、武藤の社長就任、など時系列を前後させながらユーモラスに書かれている。
 私自身、全日本の興行は二度ほど行ったことがあるし、中学校隣の体育館で興行があったときには、バスから降りてくる馬場や石段に腰かけてソフトボール部の女子たちと会話するスタン・ハンセンをサッカー部の練習中に盗み見た。どちらかといえばUWFの素地を作ったともいえる新日本の格闘技体質よりは、全日本のプロレス体質が好きだった(私のスターは前田日明、という矛盾もあるけども)。
 だから、ブッチャー・キマラが人種差別体験の影響なのか他の外国人選手と同じ控室を使わなかったという件にびっくりするし、鶴田の朴訥とした大物ぶりに笑ってしまうし、寡黙な三沢のエピソードに涙が滲むし、なにより馬場の器量の大きさを改めて実感する。
 全日本は馬場の求心力で一時代を謳歌した団体だったのだろう、と思う。たくさんの不満をチャラにしてしまうだけの懐の深さを持った馬場がいたからこその全日本。プロレス団体は会社とは違って、「一代年寄」のカラーで決まる。そういう意味では、三沢は三沢のプロレスを作ればいいし、小橋や秋山、丸藤たちもそれぞれのプロレスを育めばいいと思う。栄枯盛衰、離合集散、悲喜こもごも。野球のストーブリーグやサッカーの移籍市場が面白いように、リング外の場外乱闘もプロレスの一部なのだし。