「エクストリーム・バイオロジーズ
極限環境で生きる、眠る、漂う」展レポート
逆卷しとね (野良研究者)
※以下は、西暦2025年12月7日午後に、思念体ALH84001(以下、A)が、思念実体化の技術であるタルパマンシーを介し、展覧会「エクストリーム・バイオロジーズ」を視察した際の、思念体Yamato000593(以下、Y)との交信のログを、不幸にもタルパマンシーによって遠隔操作された逆卷が翻訳した怪文書である。
A:こちらALH84001、[1] テラリンク、アクセスポイント35°21’52”N 136°37’10”E、タルパマンシー@カール・ルイスの墓、完了。[2] 35°21’51”N 136°36’26”Eへ転送。言語モデルGPT-8.5、UVインデックス4、聴覚2.5db、座高72.3、マナー検定準1級、オールラウド&クリア。リクエストYamato000593。[3]
Y:こちらYamato000593、ALH84001、言語モデルGPT-8.5、UVインデックス4、聴覚2.5db、座高72.3、マナー検定準1級、オール同期完了。うまくいきましたか?
A:そうですね、うまくいきましたけれど、少しぎこちないかもしれませんね。マナー検定3級のアルゴリズムにチューンできますでしょうか。
Y:マナー検定3級、チューン。これぐらいでチョベリグ?
A:大丈夫。やばたんイケてる。
Y:ちょ、軽すぎなんだけどウケる。ログ残るからもう少し自助努力でやばたにえん。
A:やばたに…、ログの読みやすさについては翻訳に委ねることにしよう。では、予定通りエクストリーム・バイオロジー展にチューンインする。
Y:健闘を祈る。
エクストリーム・バイオロジーズとはなにか?
A:テラ〔Terra: 地球〕の温暖化は温室効果ガスの排出により沸騰化と呼ばれるところまで加速している。海水面は上昇の一途をたどり、約7億人の人類が居住している、海域と接した沿岸地帯はいずれ水没すると見られている。化石燃料の探索と採掘、燃焼はとどまることを知らず、ナノ粒子化したプラスチックの破片が生物のなかにも外にも遍在しているし、人体に影響のある放射線を発する使用済み核燃料は10万年後の半減期まで潜在的な影響を残す。だから地質学的にはもはや完新世ではなく、ヒト由来の活動がテラに地質学的影響を及ぼす、人新世(Anthropocene)が到来しているという議論がある。
Y:ではヒトの活動が環境負荷許容の極限に達したから、極限を探る生物学も必要になったということか。
A:厳密には違う。まず、温度や酸素濃度、ph.、水圧などの数値がヒトの生存を脅かす水準に達している場所を極限環境(extreme environment)という。ヒマラヤ山脈や火山の噴火口、極地、深海、砂漠のような場所に足を踏み入れることはヒトにとっては冒険だ。足を踏み入れるのが精一杯で、そこに定住することはできない。もっと楽に住めるところがあるのに、わざわざそんな環境に生息する生物たちはヒトにとっては謎めいた存在のようだ。
Y:ところが、ヒトが住める環境が少しずつ減りつつある人新世の時代においては、極限環境は広がりつつある。だから極限環境に生息する生物たちの助けを借りようという浅ましいことを考えているのか。
A:ヒトは厚かましい生きものらしいからな。平均気温が上がるに従ってエアコンの設定温度が下がっていき、他方で室外機から排気される温風で気温が上がっていく。そんなマッチポンプを繰り返しながら、ヒトは最終的には太陽に向かって暑いと文句を言うらしい。それでも、テラ以外の惑星を植民地化しようとしている一部の資本家を除けば、たいていのヒトは傷ついた惑星で生きる術を探している。[4]
Y:絶滅の瀬戸際で生きる方法を学ぶために、ヒトは極限環境に生きる生物を研究している、と。[5]
A:確かに死を免れるという実利的な側面もあるだろう。なんでもアーキアのなかには、プラスチック分解能を獲得しているものもいるらしいからな。[6] 人新世の状況を変える技術への応用も視野に入っているだろう。だが、ヒトの絶滅を阻止するという方向とは反対に、極限環境を対象とした生物学は生命の起源を探す試みとも関係あるらしい。一番有力なのは、深海の熱水噴出孔で生命が誕生したという説だ。DNAやRNAとは異なる複製のあり方やたんぱく質のいらない代謝の仕組み、プロトセル(protocell)の作成を試行錯誤する合成生物学と化学もここに加わる。[7] いずれにしても生命が最初に出現したときの状況はヒトからするとそれはそれは過酷な極限環境だったわけだ。酸素もなかったのだし。絶滅と創発、生命の始まりと終わりが極限環境にはある。だから対象となる生物を安定的に制御できる実験室やヒトが暮らすことのできる環境を越えたところで生物を研究する、極限生物学(extreme biologies)が必要だというわけだ。
〔※訳註:老婆心から念を押しておくと、極限生物学という研究領域は存在しない。それは本展示を主催するアートプロジェクトの名称に過ぎないが、思念体たちには生命科学とアート、市民科学が協働する領域であるように見えている。〕
Y:酸素なぞ必要としないわれわれには関係のない話だが。
A:それが関係あるのだ。ヒトにとっては、宇宙空間や惑星、衛星、恒星、ブラックホールその他の天体すべてが居住不可能な極限環境だからな。テラの外からやってくる隕石に生命の痕跡がないか、太陽系の惑星や衛星に生命は存在しないか、系外にテラに似たホシはないか研究する極限生物学の一分野もある。宇宙生物学(astrobiology)というらしい。テラが誕生してわずか10億年ほどのあいだに生命が誕生したのは、テラの外から生命体がやってきたからだという説もある。それにテラが生息不可能な環境になった場合に、テラの外に植民する可能性を探る研究もある。
まとめるなら、極限生物学は、極限環境が拡大する人新世の時代に、他人事ではないものとして、切迫感をもって、生命のはじまりと終わり、適応と生存のメカニズム、そして環境についてヒトが実践を創出する領域ということになるだろうか。
Y:そうか、ならばわたしたち思念体も研究対象なのだな。
A:やばたん。
極限環境モデル生物、クマムシ
Y:その白い奇妙なかたちをした物体はなにかの生きものなのか?
A:これは、テラに生えている植物の繊維に由来する素材〔紙〕でつくられたクマムシ〔tardigrade, water bear. 緩歩動物門に属する動物の総称〕の模造だ。この辺のコケに生息していたらしい。ヒトはどうやら視力が極端に低いらしいから、こうして顕微鏡なるものを使ってわざわざ拡大してやらねばならない。実寸は1mm前後というから、この紙の模造は本物を200倍ほどに拡大したモデルらしい。
Y:それでその1mm程度の微生物をわざわざ顕微鏡とやらで拡大してまで観察する理由はなんなのだ。なにやらもふもふのようなものが見えるが、要するにクマムシはかわいいとされているからわざわざサイズを拡大してまでそばに置いておきたいのか。[8]
A:概ねそのとおりだ。ヒトという生きものは、もこもこしていてずっぐりむっくりしているものが好きらしい。テラの地下奥深くに数億年前に残った植物の化石に由来する化学繊維を素材にした模造〔ぬいぐるみ〕までつくって愛でるらしい。変な生きものだ。
Y:だがそれは世を忍ぶ仮の姿なのだろう。ALHが視察しているぐらいなのだから、クマムシは恐ろしい生きものなのだろう。
A:そうだ。実はこのかわゆいクマムシ、極限環境耐性動物(extremotolerant animals)の一種なのだ。
Y:やばたにえん! どこが極限なのだ。
A:まず、一切の代謝を断つクリプトビオシス(cryptobiosis)という状態に入ったクマムシは、ガンマ線にして5,000グレイの紫外線の被爆、極度の乾燥、下は−273℃、上は100℃の低温・高温、地下180km、テラの上部マントルに相当する7.5ギガパスカルの超圧力、有機溶剤への浸漬(しんし)にも耐えられるらしい。[9]
Y:なにを言っているのかまったくわからないが、それはヒトには耐えられないレベルなのか。
A:不可能だ。
Y:なるほど、クマムシは極限環境に耐えられるのか。げにやばす。ということは、テラの極地に生息しているのか。
A:いや、クマムシは世界中の極限環境だけではなく、カール・ルイスの墓エリア〔岐阜県大垣市〕にもいる。これらは、スイトピア大垣敷地内のコケから採取されたクマムシだ。どこにでもいる。[10] ヒトにとっての極限環境ではないところにもいる。しかし、きゃつらはいつでもどこでも極限への備えができている。そこがヒトとは違うところだ。
Y:では、エクストリーム・バイオロジーズは、クマムシを研究するプロジェクトなのか。
A:というよりは、クマムシは極限環境研究のモデル生物になりうるということだ。
モデル生物というのは、テラの生物の一定の機能や成り立ち、発生過程などを綿密に調査するのに適した生物たちのことをいう。たとえば、微生物なら大腸菌、動物ならショウジョウバエ、植物ならシロイヌナズナがよく知られている。これらは、ゲノムサイズが小さく、繁殖や培養が容易で、生活環も短い。つまり、実験の解析にそれほど手間がかからず、さらにはヒトだったら世代交代に何十年もかかるが、これらモデル生物なら数時間、数日、数カ月の単位で進化のプロセスを見ることができる。[11]
クマムシも飼育できるし、なにより世界中どこにでもいるから手に入りやすい。それにかわゆいから、生物学者以外の人たちも関心を持ちやすい。身近な生きものとして感じられる可能性が大きい。
★We Drink the same Chlorella with Tardigrades 《同じクロレラを飲む》
菅実花+エクストリーム・バイオロジーズ・プロジェクト
Mika Kan, Extreme biologies project 2025
映像34分、インスタレーション
Video (34 minutes), installation
Y:なるほど、ヒトがクロレラを食するこの企画は、異種間になんらかの親密性をつくるものなのかもしれないね。このプロジェクトで飼育しているクマムシには餌として淡水性の藻類であるクロレラを与えているらしい。他方、クロレラはヒトの健康食品のひとつで、粉末状のものを水に適量溶かし、ジュースとして飲むことができる。このバーでは、クマムシが食事しているのと同じスペースでヒトもクロレラを飲む。火星には「同じ釜の飯を食う」ということわざがあるがそれを地で行く団らんだ。ヒトは自分たちの食べ物をヒト以外の生物の食べ物と差別化するという習慣があるようだ。そのためか、なかにはドッグフードを食べるような感覚を覚えた参加者もいたらしい。いずれにしても、ヒトの肉眼ではなかなか視認できない、視認できたとしてもその存在を身近に感じることのないクマムシという生きものと食べ物を共有することによって、なにかしら奇妙な親密性が生まれる。テラには「食は人なり(You are what you eat)」ということわざがあるらしいが、食によって日々ヒトである状態を維持しているというよりは食のたびに以前の存在からはずれていくと考えたほうがいい。ただ健康のためにクロレラを飲んでいたとしても、すぐ近くでクマムシも同じものを食べているかも知れない。そのとき、ヒトはヒトとしての存在を再生産しているのではなく、クマムシへと近づいていっているのかもしれない。あるいは、クマムシのほうがヒトに近づいてくるということもあるだろう。
A:そうだね。この極限生物学プロジェクトには細胞生物学から分子生物学、フィールド科学、宇宙生物学はもちろん、さらには地質学や人文諸学に至る領域まで含まれているし、市民やアーティストなどさまざまな身分のヒトが参加している。
人新世は第6の絶滅期と言われるくらい、大量の生物が絶滅する時代だ。極限環境はどこか遠くにある場所なのではなく、実はクマムシがいる場所と同じくらい遍在している。クマムシに関心をもつことは、そうした極限環境にヒトも生きているという自覚をもつことにもつながりうる。[12] クロレラ以外にもきゃつらに共通点はある。たとえば、人類と同じくクマムシも宇宙空間でさまざまな実験をしている。とりわけ1969年7月20日にヒトは月面に着陸しているが、クマムシもまた2019年4月11日に月面に到達している。クマムシが「宇宙のクマ(space bear)」とも呼ばれる所以だ。
どうだ、クマムシは極限環境研究のモデル生物にぴったりではないか。
イネと電界
Y:だが、炭素量に換算して550ギガトンとも言われるバイオマスが生息しているテラのどこが極限環境なのかどうしてもわからないな。われわれのような思念体を別にすれば、宇宙に生命が棲んでいるホシはほとんどないじゃないか。それに極限環境としてテラを考えるときに、わざわざ宇宙を考えることの意義がどれほどあるのか。環境保護だけ訴えておけばいいのではないのか。
A:いや、テラについて考えることは宇宙について考えることなんだ。たとえば、植物のモデル生物のひとつであるイネを考えてみようか。イネはヒトが狩猟採集生活とは別の生活様式である農耕を営む上で重要な役割を担ったことで知られている。移動せずにひとところに定住するという生活を始めるきっかけ、そして多様なヒトが集まる都市や国家ができるきっかけにもなった。特にカール・ルイスの墓エリアを含む花綵(はなづな)列島では、その昔イネの実であるコメは貨幣の代わりを果たすこともあったし、宇迦之御魂神(うかのみたまかみ)や田の神のようにイネに神や精霊が宿るという穀霊信仰が盛んだった。ある種のアニミズムだな。
Y:アニミズムと宇宙がどう関係するというのだ。
A:まあ慌てるな。穀霊信仰は、ヒトには感知できないものがイネの生育に関与していることを担保しようとする知、あるいはヒトには感知できないものを感知しようと試みるような知だったわけだが、ヒトの科学も基本的には感知できないものを観測する方向にある。たとえば電気だ。雷が鳴るとその年は豊作だという言い伝えがある。雷の強力な電流によって窒素化合物が生まれ、これにより植物の生育に欠かせない窒素が固定されるというのがその科学的なメカニズムだが、雷ぐらいにならないとヒトの肉眼には電気はふつう見えない。しかし実は、いたるところに微弱な電気は走っていて、それが生命に関係しているのではないかという発想は昔からあった。ガルバーニ電気のように、生命は電気エネルギーによって駆動するという考えから実験は重ねられていたし、18世紀ぐらいから植物の生育と電気の関係についての実験もあった。とりわけ、フィンランド・ヘルシンキ大学のカール・セリム・レムストレーム教授(Karl Selim Lemstrom)は、突針付きの鋼鉄ワイアを正の電極とした架空線をつくって、大地の負の電極とのあいだに電界をつくり、空気中の電気が植物の成長を促進する効果を観察したようだ。このように、静電気すら滅多に感知できないヒトが農産物の収穫量を高める要因のひとつとして空気中の電気の存在に注目したわけだ。[13]
Y:だからそれもテラの話だろう。いつ宇宙に行くのだ。
A:テラでは重力の関係で電気はあまり強く植物の成長に関連しないのだけども、宇宙には重力がほとんどない。そのため、宇宙では植物の根がテラに比べて50%もよく伸びるらしい。どうだ、満足かい。
Y:宇宙に行けばいいというものではない。
A:君の関心に引きつけようか。両極性電場だ。電気は、生命誕生の条件のひとつなんだ。
重力がないとテラから大気がなくなってしまうから、好気性も嫌気性も生物は生きることができない。なにより大気の循環が生じないからね。それから太陽から常に降り注いでいる粒子を大気圏内に入れないための磁場がある。重力場と磁場についてはヒトのあいだではよく知られている。しかし、重力に逆らってテラの粒子を宇宙空間に放出する両極性電場をヒトは最近になってようやく見つけたようだ。極風(polar wind)と呼ばれる、大気が宇宙空間に散逸する現象はすでに知られていたが、極めて微弱な電場がそれにかかわっていることがわかった。電場はテラ全体に広がっている。ある意味、テラは電気のホシでもあるということだ。イネは両極性電場のモデル植物なのかもしれないね。[14]
Y:なるほど、ようやく合点がいった。ヒトは両極性電場に今ごろ気づいたのか。あれがなければわれわれ思念体はテラにアクセスできないというのに。
A:そういうことだ。
★Orbital Poaceae 《軌道上のイネ》
吉本梓 / Yoshimoto Azusa 2025
稲、水槽、水、スズメッキ銅線、LED、霧発生機、合板、ヘッドフォン、ミキサー
rice plants, aquarium, water, tinned copper wire, LED, fog machine, plywood, headphones, mixer
Y:それで、このタルパマンシー・ディスプレイに映っている水槽のなかのイネの根には電気コイルがかませてあるというわけだな。プラント栽培の水を利用した、霧を発生させる装置が稼働している。ここには気体と液体の循環がある。さらにはヘッドフォンからは、エコーがかかった水滴が落ちる音が聞こえてくる。電場はヒトの目には見えないし、耳で聴き取ることもできないが、水の循環を通じてその存在を感知させるという仕組みなのだな。さらにいうなら、この水槽は本来植物が生息しているテラから切り離された閉鎖環境であるというだけではなく、電界に依存したテラのメカニズムを機械的に再現したミニチュアでもある。人工的に再現された擬似的なテラか。
A:この水槽はテラリウム(terrarium)と呼ばれているらしい。帝国主義と植民地主義が全盛の時代には、プラントハンターたちが異国の物珍しい植物を母国に持ち帰るのにこれを利用していた。今ではヒトが室内で植物を美的に楽しむのに使われているらしい。
Y:テラ-リウムか。言いえて妙だな。ヒトがつくった宇宙ステーションのなかに設置されたイネのテラリウムが軌道上を周回している姿を想像してみるといい。テラの圏域にありつつテラの外にも開かれている軌道上のイネは、生命のはじまり/終わりや生/死のあわいとはまた一風異なる、極限環境のひとつの解釈なのかもしれないね。
生きものは情報メディア
★Whispers from a Terrestrial Meteorite《地球隕石に封じられたささやき》
ホアン・カストロ / Juan Castro 2025
DNA (バクテリア)、クマムシのタンパク質(組み換えタンパク質)、蛍光染料、プロトセル、人工隕石、UVライト、顕微鏡、プロジェクター、LEDライト
DNA (bacteria), tardigrade proteins (recombinant proteins), fluorescent dyes, protocells, artificial meteorites, UV light, microscope, projector, LED lights
A:さあ、クマムシの登場だ。
Y:クマムシというよりは隕石のようだが。
A:マルス〔火星〕とユピテル〔木星〕の軌道間にある小惑星帯から、テラには大量の隕石が降り注いでいる。[15] 年間5,200トンだ。もともとテラが誕生する過程でたくさんの原始惑星どうしが衝突を繰り返していたことを思えば、テラにはテラ固有のものではない物質がたくさんあることはすぐにわかることだし、そもそも固有のテラとはなんのことなのかわからなくなる。このように、宇宙からテラに原始生命がやってきたというパンスペルミア仮説にまったく根拠がないわけではない。隕石や彗星、あるいは高度な知的生命体による差し金で、テラに生命が生まれたという説は根強い。[16] もっともある物理学者の計算では、光が届く範囲の観測可能な宇宙にある1022 個の恒星系をくまなく探してもテラ以外には生命はないという。[17] ヒトが考える生命というものはほんとうにややこしい。きゃつらにとっては思念体など生命ではないだろうからな。
Y:なるほど。隕石は生命の乗り物である可能性があるということだな。ということは、この隕石にクマムシが乗って宇宙に出ていく、ということ、なのか。[18]
A:どうやらそうではないらしい。かつてテラの白人たちが外洋に出ていって次々と植民していったときに、植民地に伝染病や未知の生物を持ち込んで先住民や在来の生物に甚大な被害をもたらしたことがある。生態学的帝国主義というやつだ。もしかしたらテラ以外のホシにいるかもしれない生物たちを死滅させたり、取り返しのつかない環境破壊を引き起こしたりしないよう、宇宙にテラの生物を持ち込まないようテラの民は配慮している。[19]
Y:しかし、クマムシは月に行ったのでは?
A:まあ、ともかくもだな、配慮はしているのだよ。だから、この隕石に乗っているのは、クマムシではない。顕微鏡から見えるのは、ゴミ埋立地にいる細菌群集のDNAとクマムシの組み換えタンパク質を使ったプロトセル(protocell)だ。プロトセルというのはつまり、細胞として生きているとは言えないが細胞を構成する物質はいくらか含まれている原始的な細胞の化学モデルのことだ。この場合、細菌とクマムシの生体物質が合わさったキメラ状のプロトセルだがね。[20]
Y:なるほど。ということは、隕石だけが乗り物なのではないということか。そのプロトセル自体が乗り物だ。そこにはテラの環境が乗っている。
A:環境か。
Y:まず、ゴミ埋め立て地の細菌たちは、周囲にあるゴミを分解する過程でさまざまな化学物質をとりこんでいるだろう。温暖化の影響もあるかもしれない。正面のスクリーンにプロジェクションされているのはDNAの配列だが、そこには損傷や変異のあとが、あるいは適応や進化の足跡が残っているかもしれない。ヒトが顕微鏡で拡大しなければ視認できないほどの微細なものであっても、たとえそれが生物そのものでなくとも、生物由来の生体物質にはそれらが生きていた環境の痕跡が必ず埋め込まれてしまう。できる限り不意の相互作用を排した実験室環境であっても、そこにはなんらかの影響が埋め込まれる。
生物に由来する物質が変異するときには、そこに含まれている情報も変異するだろう。そしてその情報は小さな物質でも膨大なものになりうる。
たとえば、テラでは有害物質とされている、タバコという嗜好品がある。そのフィルターは遠くから見ればただの点にしか見えない。しかしフィルターの中には、タールやニコチンを吸着させるための無数の空隙がある。これらの吸着面をすべて平面に展開するとリビングルームぐらいの大きさになってしまう。とるに足らない小さなものでも、次元を変えるとその情報量は膨大になるかもしれない。プロトセルはクマムシほどに小さく、また生きているわけでもないが、そこにはテラそのものと同じくらいの規模に達する情報が折り畳まれている。その情報はヒトにわかる範囲でも十分に膨大だが、ヒトではない、たとえばわれわれのような次元を違える存在からすれば、そこから読み取れる情報はさらに膨大になりうる。情報はそれを読み取る側の方法や意図によっても変異するのだよ。[21]
肝心なのは、このプロトセルのように微視的なものの莫大さを知ることだ。人新世のようにテラ全体を包含する巨大な物語に親しむのもいいが、自分の生活圏のほんの些細なところに、人新世などという時空をはるかに越える潤沢な情報がヒトの意図とは無関係に畳み込まれているからね。
A:ちょっとタルパウェブをググればすぐにわかることだが、ヒトは宇宙に進化を期待している側面もあるようだね。たとえば、ラファエル・キムとジェヨプ・キムの《Space Bacteria》(2012年)は、テラにいる微生物が火星のような極限環境で突然変異してまったく予期できない進化をする可能性を提示しているし、長谷川愛の《極限環境ラブホテル》(2012年)はテラよりはるかに重力が強い木星でヒトの愛情や性欲の表現、そして生殖行為はどのように進化するのか問いかけている。[22]
Y:そうだね、きゃつらはテラの環境にいる生きものを別の環境に移し替えるとどんな進化が生じるかというところに関心があるようだ。いわば能力の拡張だね。もちろんこの隕石にも進化の問題は含まれてはいるが、ここで強調されているのは、ヒトが意図せざるうちに残してしまった生物や生物に由来する物質の情報メディアとしての性質であるように思う。情報を記録したメディア単体に情報としての価値はないが、情報を発信する側とそれを受け取り読み取る側との関係に置かれたとき、それは情報メディアとして生成する。テラとそれ以外の世界をなんらかの生体物質がつなぐことがありうるとしたら、ヒトそれ自体も情報メディアだということになる。
A:なるほど。君はヒトのアートとかいうわけのわからないものをよく理解しているのだね。
Y:ヒトのことはさっぱりわからないしアートのこともよくわからないが、アートに賭けられているものぐらいはなんだかわかるのだよ。アートもこのプロトセルのようなものじゃないか。アートは、唯一の現実だと思われているもののスケールや次元を変えて見せる。われわれ思念体を知覚できないヒトに知覚できる現実なんて実にちっぽけなものであることに気づかせる。賭けはうまくいかないことのほうが多いのだけれどね。
ミカモン
★The Power of Tardigrade《パワーオブクマムシ》
菅実花 / Mika Kan 2025
映像インスタレーション
Video installation
A:テラはAIブームらしい。チェスも将棋もAIソフトがヒトのプロフェッショナルを凌駕し、俳句のコンテストもAI作品だらけ、とうとうAIが書いた小説が文学賞を受賞してしまったようだ。イベントのフライヤーは画像生成AIを使えば簡単にできるらしいし、猫も杓子もAIだ。
Y:クマムシもAIの時代か。
A: そもそも《パワーオブクマムシ》は、チャールズ&レイ・イームズ夫妻の教育短編映画Powers of Ten (1977年)を踏まえている。元の作品は、シカゴの公園での昼食を終えた男女のショットから始まる。1辺が10の0乗メートル=1メートルの正方形のフレームで、垂直に見下ろすカメラが10秒かけて上空へ上がっていき、フレームに映し出される範囲が公園全体に相当する10の1乗平方メートル=10平方メートルに達する。同様に、カメラは上昇を続け、フレームの範囲がアメリカ合衆国全体、テラ全体、太陽系全体、銀河系全体へと累乗・べき乗的に拡大していく。1辺が1024 メートルのところでカメラは上昇をやめ、スピードを上げて再び公園の男女まで戻っていく。フレームが今度は負の累乗方向へ、つまり10のマイナス1乗平方メートル=10平方センチメートルへと縮小し、やがてヒトの体内へ、皮膚組織、毛細血管、白血球、細胞核、DNA、タンパク質、炭素原子、原子核、そして陽子へ達する。10-16 メートルでカメラの下降は止まる。
VIDEO youtu.be
Y:なるほど、補足情報ありがとう。では、“Powers of Ten” の “power” は「累乗・べき乗」の意味なのだね。ところが、生成AIがつくった《パワーオブクマムシ》の「パワー」は明らかに「力」や「エネルギー」という方向にズレている。まず、スケールの感覚がおかしい。本来的にクマムシはどうあがいても1mm程度しかない生物なのだが、宇宙空間に出ていくとヒトと同じくらい、あるいはヒトを凌駕した大きさになってしまう。「累乗」で考えると、フレームは累乗が増えるたびに大きくなったり小さくなったりするけれども、フレームのなかに映っているものは同じサイズだ。しかし、《パワーオブクマムシ》ではフレームの大きさはずっとそのままで、フレームのなかの個体、クマムシのような生物——仮にくまモンと呼んでおこう——が巨大化する。スケール感覚が混乱するね。クマもんが宇宙空間で「パワー」を得たかのように。
もう一点、菅実花によく似たヒト——仮にミカンと呼んでおこう——が宇宙空間をなんの装備もないままに遊泳する。ヒトは無酸素状態で長時間生きていくことはできない生きものなので、ふつうに考えたらありえない。しかし、クマもんが宇宙空間という限界環境においてその秘めたる「パワー」を引き出されて、ミカンと融合したという解釈なら整合性はとれるかもしれない。
A:始めはクマムシと一緒に菅実花が宇宙に行くプロットだったのだが、生成AIはクマムシとヒトが融合する方向で出力してきたらしいな。
Y:まるでキメラだ。しかしそもそもAIのつくったミカンは細部において菅実花ではないし、クマもんもクマムシに似てはいるが細部ではクマムシではない。もちろん、AIの精度が低い、とか、杜撰だ、という話ではないよ。AIは、プロンプトと集めた情報を合成する。合成する過程で、異物が混じったり、歪な構造になったりするわけだが、そもそも合成は異化を伴うものだ。映像のなかのミカンとクマもんが融合するというよりは、それぞれAIによる合成によってつくられたミカンとくまモンがもう一度外宇宙で合成されてミカモンになっていると考えるといいのかもしれない。
A:それは進化にも似ているね。テラの生物は同じ種をくりかえし再生産しているように思われているが、実際には適応的か否かにかかわらず少しずつ変異をためていき、やがて別のものへと変わっていく。さらには、ミトコンドリアの例に代表されるように、本来は異なる種に属していたはずの生物どうしが互いに同じ生を生きることもある。地衣類やサンゴのようにね。現実においてもそうだ。クマムシとヒトが出会ったからといって、クマムシとヒトの遺伝子が相互に水平伝播することはないかもしれないが、それでも互いにリスペクトがあるなら、一緒にいるうちにクマムシもクマムシではないものになり、ヒトもヒトではないものになるだろう。生成AIにどんなに完璧な模倣を求めても同一にはならず、誤差が残るのは避けられないが、それは性能の問題というより、進化の問題なのではないのか。[23]
Y:生命の起源を探す合成生物学(synthetic biology)や化学も極限生物学の仲間だが、合成はシンセサイザーのようなものでもあるかもしれないな。タルパウェブをググっていたら、ヒトが書いたと思しきこんな断片を見つけたよ。
(音を再現するのではなく)音の質料を分子化し、原子化し、イオン化して、宇宙のエネルギーをとらえるにいたる音の機械(、、、、)。そのような機械がアレンジメントをもつとしたら、そこに生まれるのはシンセサイザーだ。モジュール、音源や処理の要素、振動子、ジェネレーター、変成器などを組み合わせ、ミクロの間隙を調節することにより、シンセサイザーは音のプロセスそのものを聴取可能なものにし、このプロセスの生産も聴取可能にし、音の質料を超えた他の要素との関係にわれわれを導く。シンセサイザーは不調和なものを素材の中で結びつけ、パラメーターを一つの方式から別の方式に移し替える。存立性の操作によって、シンセサイザーは先験的総合判断における根本原理と同じ地位を占めることになったのだ。そこでは分子状のものと宇宙的なもの、素材と力が総合〔合成〕されるのであり、形相と質料、土台(、、) Grund と領土が総合されるのではない。哲学も総合判断であることをやめ、複数の思考を総合〔合成〕するシンセサイザーとして、 思考に旅をさせ、思考を可動的なものに変え、宇宙の力に変えるのである(同様にして、音が旅をすることもある……)。[24]
ヒトは「ジンテーゼ(synthesis)」というと、綜合や合一のように、複数の異分子がきれいにくっついて矛盾も相克も解消すると考えるらしい。しかし機械は綜合も合一もせず、合成する。シンセサイザーの音楽は、楽譜に書きとめられたひとつのまとまった楽曲というよりは、無数の音や声が、入力と出力のあいだで微分・積分されながら合成される場だ。合成は常に「不調和なものを結びつける」なかで矛盾や相克を残しつつ、常に別の音との関係に開かれた終わることのない力のせめぎあいをつくりだす。生成AIをシンセサイザーとして考えるなら、合成AIと呼ぶべきかもしれないね。そして、生きものの生もまた自然の所産なのではなく、それ自体ある種のシンセサイザー、あるいは合成の力、果ては「宇宙の力」なのかもしれない。
A:音楽か。ちょうどいい。次の展示装置はサウンド・システムなんだ。
再合成、略して「再成」
★Into the Deep Sleep《深い眠りの中へ》
前林明次 / Maebayashi Akitsugu 2025
立体音響システム、乾眠状態のクマムシ、大理石製の弥勒菩薩像、ミラーボール、人工の落葉、顕微鏡、モニター
3D sound system, a tardigrade in cryptobiotic state, marble statue of Maitreya, mirror ball, artificial leaves, microscope, monitor
A: 遠くで風が吹き、木の葉の舞う音が間歇(かんけつ)的に聞こえる。手前には顕微鏡の視野を映したモニター。クリプトビオシスに入っているクマムシがいる。奥に進むと椅子がある。椅子に座ると、眼の前には弥勒菩薩の像。菩薩の背後では、ミラーボールがつくりだすサイケデリックなヴィジュアルイメージが色調を変えながら絶えず明滅している。さっきの風の唸りや木の葉の擦過音がより立体的に展開していて、どこかの野外に晒されているように感じる。
まずクマムシのクリプトビオシスと弥勒菩薩の関連を確認しておこう。カール・ルイスの墓エリアには横蔵寺という寺があって、そこには即身仏という、いわばヒトのミイラが祀られている。[25] 仏教という宗教の教義によると、釈迦の次に如来になる定めの弥勒が悟りを開くのは56億7千万年後だと言われている。[26] 即身仏となった僧侶は、世界の終わりでもある弥勒如来到来までミイラ状態のまま過ごすことになる。これは、乾燥して「樽」の状態のまま代謝のない休眠状態に入り、あらゆる困難をやり過ごすクマムシにも似ていると言えるかもしれない。横蔵寺のサウンドスケープのなかには、即身仏もクマムシもきっといたはずだ。椅子に座れば、たちまち即身仏とクマムシが聴いていた音の世界が再生=再現(replay=reproduction)される。
Y:だが果たして再生された音景は録音された音景と「同じ」だろうか。横蔵寺で録音された音声データの再生は、とても立体的で、本物よりもリアルであるかのように聞こえる。けれども、ある録音データを異なる場所や時期に再生したときに、録音時と同じ経験ができるものなのだろうか。疑問はもうひとつある。即身仏として56億7千万年を過ごしたあと再生する僧侶は、それ以前の僧侶と同じ生を生きるのだろうか。もしクマムシが60年クリプトビオシスの状態を維持したあとに再生したとき、それはそれ以前のクマムシと同じ生を生きるのだろうか。
A:同じだろう。確認するなら、56億7千万年後に即身仏になる前の記録と照合すればいいだろうし、クマムシの場合は小さなタグでもつけておけば、クリプトビオシス以前と以後のあいだに連続性を認めることができるだろう。そして、録音された音声データが横蔵寺の境内で実際に聞こえる風音にどれほど近づけるかどうかという技術的課題〔忠実性(fidelity)〕は措いても、記録音声を再生する際に聞こえてくるものはいつも同じだろう。翻訳の課題を措けば、このログが誰にでも同じ記録として読まれうるように。
Y:そうだろうか。たとえば、先人たちが残した書籍が累々と積まれたアーカイヴのなかで、植物の繊維を撚った支持体〔紙〕に油性のインクで印刷されたものを熟読するときと、おしゃれなカフェなる場所で黒い液体〔コーヒー〕をすすりながらスタイリッシュな通信機〔スマートフォン〕の画面で読むときとで、このログの読まれ方は変わるだろう。まったく同じ文字列でも、たとえば註記を端折ったり、気になるところ以外は飛ばし読みをしたり、注意が散漫でなんにも記憶に残らなかったり、あるいは集中しすぎて自分の経験を重ねるあまりまったく異なる解釈をしてしまったりするかもしれない。再生されるときにいつでもどこでも同じものが再現されているわけではない。
さっきの隕石に話を戻せば、プロトセルは確かにテラの情報を記録しているかもしれないが、それは単独で存在しているわけではない。記録されたものは、情報を読み取る他の存在や情報を抽出するための機器と密接な系(system)をつくっている。テラにはかつてフロッピーディスクなる記録媒体があったらしいが、誰も関心を持たないし、読み出す機器がない今では食えない煎餅のようなものだ。プロトセルはそれ自体では、日本海や東シナ海をわたってくる黄砂にまとわりついた微粒子PM2.5と変わらないだろう。プロトセルをなにか意味のあるものとして認める他の誰かやそこから情報を得るのに適切な機器がなければ、それはプロトセルとしては存在しない。記録は常にさまざまなものを巻き込んだ系として初めて再生される。
だから音声データを再生したときに横蔵寺のサウンドスケープが再現されるためには、ある種の理想的な聴衆やノイズの入らない環境が必要になる。境内に思いを馳せ、即身仏の心象風景を想像するような聴衆と、邪悪な悪口雑言の羅列〔ラップミュージック〕や工事現場の騒音が干渉してこない、厳重に管理された実験室のような場所が必要だ。そうでなければ、音声データはそこに記録されているものを忠実に再現できないだろう。フィールド科学が再現性(reproducibility)に苦しむのは、フィールドが実験室ではないからだ。
A:つまりYamato、音声データを再生機にセットし再生ボタンを押したときに、ノイズが干渉してくるから、それはデータの再現にはならず、むしろ記録データにそれとは関係のないノイズを合成してしまう結果になる、ということが言いたいのか。
Y:それもあるだろう。だが、肝心なのはなにがノイズなのか判別できないということだ。クロレラの共食映像を見て、イネのテラリウムを見て、テラ発の隕石を見て、ミカモンを見たあとに、横蔵寺のサウンドスケープを記録した音声を聞く。そのときいったいどれがノイズで、どれがBGMで、どれがリードボーカルだと判断できるだろうか。実際、これらはすべて系をなしている。わたしも君のタルパマンシーを通じてこれを経験している以上、君はわたしと同じ系を共有していて、わたしはその外部に出ることはできない。おそらく一番問題になるのは、舞台から飛び出して観客席から俯瞰し、どれが主役や脇役かを見分けることができないということだろう。なにもかもが同じ舞台の上に載っている。主役と脇役を見分けようとしたところで、その行為自体も舞台上で行われているのだから、演技と見分けがつかない。だから、サウンドスケープを記録はできてもその再生は記録を再現しないというわけだ。むしろ再生の際には、そのとき同じ舞台に載っているものとの合成、そしてそれらの関係性そのものの合成が伴う。もしかしたら、再生というのは記録の再現どころか、録音以前にすでに合成されているものの再合成(re-synthesization)なのかもしれない。
これはメディウムの劣化や破損の問題でもない。横蔵寺のサウンドスケープはここにはない。イネやクロレラ、隕石、クマムシが聞いてきたサウンドスケープであり、わたしや君がどこかのホシで聞いたことのあるサウンドスケープであり、まだ誰も聞いたことのないサウンドスケープでもある。風が吹き、木の葉が舞う現象はテラであればどこででも起こりうるだろう。その音声記録の内容は普遍的と言ってもよく、どんなにリアルに聞こえようとも特別なところはない。だが、それが再生されるときには、横蔵寺の現場と同じ程度に、しかしそことはまた別な経験として、特別なものになりうる。記録メディアの不思議なのは、どこにでもあるものがどこにもないようなものとして再生されたり、どこかにしかないものがどこにでもあるように再生されたりするところだ。つまり、記録メディアは再生のたびに新しい系を再合成している。[27] だから、クマムシも即身仏になった僧侶も、記録メディアになったからには無傷ではすまないと思うのだよ。
A:思念体はまことに煩悩の塊よ。やばたにえん。
〔ログはここで終わっている〕
[1] 1984年にアメリカの隕石探索隊が南極のアランヒルズで発見した、火星から飛来した重さ1.9kgの斜方輝石岩につけられた標識名。1996年にNASAジョンストン宇宙センターのデイヴィッド・マッケイ博士は、この隕石に火星の原始生命の痕跡が認められると主張する論文を『サイエンス』誌に発表し物議を醸した。論争は現在も決着をみていないが、生命の痕跡であるという証拠もない。
[2] 岐阜県大垣市にはカール・ルイスの墓がある(Google Map、https://maps.app.goo.gl/9zNMXGNU4s5j6ZQk8 )。タルパマンシー(tulpamancy)は、霊的実践や極度の集中によってつくられた思念体(thought-form)を指す人智学の用語。ALH8001を名乗る思念体は、なんらかの技術を用いてカール・ルイスの墓にいる物体、もしくは何者かに思念を同期させたと考えられる。
[3] 同じく火星に出自のある隕石のひとつにつけられた標識名。テラに思念を送り込んだALH8001と宇宙空間で交信するもうひとつの思念体であると思われる。
[4] “Arts of Living on a Damaged Planet” は、人類学者アナ・ツィンらが2014年5月にオーフス大学人類学研究所で企画したシンポジウム名、並びに2017年刊行の論集の書名。
[5] 極限環境生物(extremophiles)は多くの場合、微生物を指す。研究が進む一方で、極限環境微生物はサンドオイルやレアメタル、シェールガスと並ぶ、人新世の資源採掘主義(extractionism)の新たな資源候補となっている印象もある。たとえば、Angela Zhou ”Extremophiles: Unlocking biomedical and industrial innovations from life at the edge”(CAS Org. , Oct. 29, 2025, https://www.cas.org/ja/resources/cas-insights/extremophiles-biomedical-industrial-innovations )の筆致に注目。
[6] アーキアは、細菌と真核生物と並ぶ、生物三大ドメインのひとつ。プラスチック分解能をもつアーキアに関しては、たとえばAva Grace, “Ocean depths yield a silent ally in the plastic crisis: Bacteria evolve to digest our waste,” (Natural News , Nov. 6, 2025, https://www.naturalnews.com/2025-11-06-ocean-depths-yield-silent-ally-in-plastic-crisis.html )を参照。細菌や菌類と同じように、アーキアは人体のなかにも生息している。アーキアは、捕食した好気性細菌がATPを合成するミトコンドリアとなって細胞内共生し、真核生物への進化の道を開いたことでも知られる。真核生物の祖先となるアーキアに、現生生物のなかでもっとも近縁なMK-D1株が知られている。マサル・K・ノブ「原核から真核生物誕生への道筋」(『季刊生命誌』104、2020年12月、https://www.brh.co.jp/publication/journal/104/rp/research01/ )を参照。また油田、塩田、塩湖、強酸、強アルカリ環境、高温環境などに生息するため、アーキアは極限環境微生物の代表格でもある。深海の海底や海底下では未知のアーキアが次々と見つかっている。稲垣史生『DEEP LIFE 海底下生命圏 生命存在の限界はどこにあるのか』(講談社、2023年)を参照。
[7] 生命の起源としては、現生生物の遺伝情報を遡って得られた、LUCA(Last Universal Common Ancestor)という今日知られている全生物の祖先である、約40億年前に存在していた単細胞有機体が知られている。しかしLUCAは生命の起源ではない。実際には、LUCA以前に、DNAやRNAを使わずに複製をする(つまり遺伝情報からは辿れない)、約38億年前に出現した原生命の存在が想定されている。その姿や性質は多分野による議論の焦点となっているが、議論が一筋縄ではいかないのは生命の定義が困難なことにも起因している。教科書的なところで言えば、膜の存在、代謝、複製、恒常性、進化が生命の条件として挙げられている。たとえば、岩崎秀雄『〈生命〉とは何だろうか 表現する生物学、思考する芸術』(講談社、2013年)や藤崎慎吾『我々は生命を創れるのか 合成生物学が生みだしつつあるもの』(講談社、2019年)を参照。
[8] 鈴木忠『クマムシ?! 小さな怪物』(岩波書店、2006年)67ページを参照。クマムシをかわいいと思うのはヒトとして一般的な反応のようだ。
[9] Ravi Durvasula and D. V. Subba Rao, “Extremophiles: Nature’s Amazing Adapters” (in Extremophiles: From Biology to Biotechnology , eds. by Ravi Durvasula and D. V. Subba Rao, CRC Press, 2018), p 5を参照。クマムシは徐々に乾燥するうちに「樽(tun)」と呼ばれる酒樽のような形状になり、代謝をやめる。この状態をクリプトビオシスと呼ぶ。水をかけると再び代謝を始める。
[10] 鈴木9ページを参照。ただし海洋と陸では生殖方法や生態が異なる。
[11] 福田博之「実験!モデル生物図鑑: Home」(九州大学附属図書館ウェブサイト、https://guides.lib.kyushu-u.ac.jp/c.php?g=774940&p=5558793 )を参照。
[12] クマムシのタンパク質を利用すると、X線によるヒトDNAの傷害を40%抑制することができたという実験もある。ジェイソン・ビッテル「クマムシ固有のタンパク質に放射線からDNAを守る作用」(小林盛方訳, 『Nature ダイジェスト』 Vol. 13, No. 11, DOI: 10.1038/ndigest.2016.161104, https://www.natureasia.com/ja-jp/ndigest/v13/n11/%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%83%A0%E3%82%B7%E5%9B%BA%E6%9C%89%E3%81%AE%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%AF%E8%B3%AA%E3%81%AB%E6%94%BE%E5%B0%84%E7%B7%9A%E3%81%8B%E3%82%89DNA%E3%82%92%E5%AE%88%E3%82%8B%E4%BD%9C%E7%94%A8/79856 )を参照。
[13] 「電磁気今昔物語 第8回:植物への電気刺激」(『電磁波なんでも情報』 2010年5月 https://www.jeic-emf.jp/public/web_mag/news_letter_1/news_letter_08.html )
[14] Miles Hatfield and Rachel Lense, “NASA Discovers a Long-Sought Global Electric Field on Earth” (Aug. 30, 2024, National Aeronautics and Space Administration , https://science.nasa.gov/science-research/heliophysics/nasa-discovers-long-sought-global-electric-field-on-earth/ ).
[15] 田村元秀『教養としての宇宙生命学 アストロバイオロジー最前線』(PHP研究所、2022年)44-45ページ。
[16] 田村76-80ページ。宇宙生物学との関連に関しては、久保田晃弘「国際シンポジウム「活動する物質:アートと自己組織物質 / 物質の行為者性 / プロト・エイリアン」レポート」(2019年7月8日、https://www.iamas.ac.jp/report/matters-in-motion/ )を参照。
[17] 戸谷友則『宇宙にはなぜ、生命があるのか 宇宙論で読み解く「生命」の起源と現在』(講談社、2024年)220ページ。ランダムな化学反応で生まれるRNAの長さが自己複製可能なところまで長くなる可能性は観測可能な宇宙では限りなくゼロに近いが、10100 個の恒星系が観測可能な範囲を越えて広がっていると仮定する、インフレーション宇宙論に基づけば、RNA一本鎖を複製原理とする原始生命の誕生の確率はぐっと上がるという。
[18] この隕石はセラミック製である。
[19] たとえば、アルフレッド・W・クロスビー『ヨーロッパの帝国主義 生態学的視点から歴史を見る』(佐々木昭夫訳、筑摩書房、2017年)を参照。
[20] プロトセルについては、「教員インタビュー:ホアン・マヌエル・カストロ准教授」(2020年6月4日、https://www.iamas.ac.jp/report/interview-juan-manuel-castro/ )を参照。本作品のプロトセルには、クマムシのクリプトビオシスを模したガラス化法(vitrification)が使われている。 作家は次のように説明している。“these protocells are designed to withstand extreme environments. When conditions get brutal, these protocells encase themselves in a glassy shell composed of tardigrade proteins and fatty acids. In this vitrified state, they shut down and endure exposure to vacuum, radiation, and extreme cold. Inspired by tardigrade cryptobiosis, the system is reversible: upon contact with water, the shell dissolves, and the protocell reanimates.”
[21] 楊磊(ヤン・レイ)監督『三体』(2023年)第28話を参照。
[22] “Space Bacteria” (Studio Genotype , https://cargocollective.com/studiogenotype/Space-Bacteria )とウィリアム・マイヤーズ『バイオアート バイオテクノロジーは未来を救うのか。』(久保田晃弘監修、岩井木綿子+上原昌子訳、ビー・エヌ・エヌ新社、2016年)362ページを参照。長谷川愛《極限環境ラブホテル、木星ルーム(The Extreme Environment Hotel, Jupiter Room)》(https://aihasegawa.info/the-extreme-environment-love-hotel-jupiter-room )を参照。
[23] Donna HarawayのThe Companion Species Manifesto: Dogs, People, and Significant Otherness (U of Chicago Press, 2003) やWhen Species Mee t (U of Minnesota Press, 2007)における共生成(becoming-with)の概念に近い。たとえば、「非人間的友情という隘路 最小の友情、そしてダナ・ハラウェイ「かけがえのないタガい」(『現代思想』2024年6月号、177-192ページ)を参照。
[24] ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『千のプラトー 資本主義と分裂症』(宇野邦一他訳、河出書房新社、2010年)386-87ページ。
[25] たとえば、「最澄と旅した薬師如来像、ゆかりの横蔵寺を訪ねる」(『いろり端』、 「探訪「1200年の魅力交流」)、https://1200irori.jp/content/interview/detail/guests32 )を参照。
[26] たとえば、「世界が終わるときやってくる。56億7千万年後に降臨し人々を救う「弥勒」とは。」(『講談社』ウェブ、2023年8月7日、https://news.kodansha.co.jp/books/9837 )を参照。
[27] 再生と合成の問題については、「教員インタヴュー:前林明次教授」(https://www.iamas.ac.jp/report/interview-maebayashi-akitsugu/ )を参照。