映画館と観客の文化史 (中公新書)

映画館と観客の文化史 (中公新書)

 上映される映画ではなく、上映を可能にするハード、あるいはインフラの文化史。寝る前に。ドライヴ・イン・シアターの存在は知っていたが、フライ・イン=ドライヴ・イン・シアターまであったとは知らなかった。どう考えても儲からないと思うんですけど。史的事実の羅列はそれ自体面白いが、分析めいた部分になると雲行きが怪しいところも。業界では常識に属する事柄を並べているので大して説明もいらないと思われたのか、それとも著者の雑感に留まるものなのか、あまり詳しくないので判断がつかない。特に、映画文化とウィンドウ・ショッピングの視覚文化的融合を指摘するあたり(シネコンあたり)、どう考えても連想だとしか思えない(新書なので細部までは難しいのでしょう)。どうもこういう視覚文化系の研究にあまり説得力を感じないのは、それらが視覚文化を忌避する人間やその文化の中にいながらしてそれをあざ笑いながら享受する人間がいることをあまり考慮していないからのような気がする。アルチュセール的な一方通行な印象を受ける。観客=騙されるマヌケのような。まあ、映画という「装置」が、それに見合った理想的な観客を生産しているという議論なわけなので、一概にそういうわけでもないと思うが、理想的ではない観客をも生み出し、それをも許容する下地が「装置」にあるという点(あるのだとしたら)は強調しておかなければならないような気がする。ドライヴ・イン・シアターが昼間は説教師に無料開放する一方で、夜はカップルの乳繰り合いの場と化していた、と指摘する箇所のように。
 
 どなたかが訳している最中のようですが、こんな本もありましたな。
 
Window Shopping: Cinema and the Postmodern

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