最近の文学事情

 7+2衆アメリカ文学会@8+1大9-3本松。嫁のプレゼンと後輩の発表を数本。嫁のプレゼンは、聴衆5、6人という記録的な閑古鳥。たとえ聴衆がひとりでも同じテンションでネタをやる芸人・ミュージシャンのプロ根性を見習うべし。いやテンションはいつも通り高かったですよ(褒めてます)。昼食は木久蔵ラーメン。平凡。
 特別講演は柴田元幸。いつも通りの柴田節。美しいリズムと発音で英文を読んで、これまた同じリズムでぽんぽん訳していく名人芸も健在。「90年代以降の世界文学」という、何話すかは直前に考える、みたいなタイトルだったが、いつも通り、膨大な読書量に裏打ちされた巨視的な概括を披露。
 反リアリズムとしてのポストモダン小説、それに対して物語の復権を唱えた80年代小説、そして80年代小説に対抗心を燃やし、90年代以降の文学は再び脱リアリズム的傾向を帯び始める、という大枠を、それぞれの時代の批評から抜粋して端的に示す。
 Aimee BenderやKelly Linkのような女性作家を見本にして示すのは、70〜80sの女性作家が自分の体験に即したリアリズム的物語を書いていたのに対して、90s以降の女性作家は自分の経験をユーモアやファンタジーを通じて相対化していく、というもの。いわば、幻想とリアルの境界を自明視するのではなく、幻想的な状況をリアルに語る。
 そういう脱領域的な語りは、Matthew SharpeJamestown (2007) に顕著に現れ、過去・現在・未来がremix的に処理され、混淆状態として示される。しかし、後の質疑応答でも答弁されておられたように、こうした処理は歴史意識とは無縁のように思われる。結局、断片の寄せ集めは、全体像の提示には至らない。歴史上の出来事や人物が言及はされても、それはパスティーシュ的な断片に留まり、他の断片との関わりの中で予め無害化されている。9・11が物語の中に現れたとしても、それは件の大事件に対する歴史的・政治的処理ではありえず、あくまで一個の断片に対する扱いに留まる。9・11を小説の中に取り込む試みがちらほら出てきたとはいえ、それらは9・11を歴史として扱うまでには至っていない(9・11に対する並み居る大作家たちのあまりに凡庸な反応も含めて)。ということは、やはり9・11はまだ歴史にはなっていない、ということだろう(私見)。
 とはいえ、Sharpeの事例は、今回のテーマの上ではかなり特殊な事例。この辺で本題に帰り(というか錯綜しながら抜け道を探る)、Paul LaFargeやJonathan Lethemの作品に死者が生者を語ったり、ポップカルチャーのアイテムが物語中に違和感なく織り込まれたり、といった特徴を見出すお話が続く。その前に、Aimee Benderの翻訳本に対する川上弘美の書評がまんま川上弘美本に対する書評みたい、という点が指摘されていたのだが、終盤はそれをもう少し引き伸ばして、90年代以降の米文学と日本文学との間の垣根が限りなく無化されて行くという現象をいくつかの状況証拠を示しながら説明する。
 90s以降の米文学と日本文学に共通するのは、家族をテーマとした作品の頻出。しかし、理想する家族像が曖昧な日本の場合に比べて、アメリカの場合は40〜50sにテレビなどの新メディアを通じて確立された古きよきアメリカ家族像が根本としてある。90s米文学はその理想的家族の崩壊をまず扱っている。しかし、70s以前の「強すぎる父」からCarverあたりの「弱すぎる父」という系譜を念頭に置くと、どうも90s以降の米文学は、いたずらに家族の崩壊をシニカルに眺めているというわけでもなく、その機能していない父の(部分的)再生を試みているような兆候(息子が父親の代理父になるとか)も見られる、とのこと。
 という感じで、講演者本人が始まる前に断っておられたように、世界文学というよりアメリカ文学の現況分析に近い内容。一言でまとめるならば、柴田先生がどなたからか借りてこられた「ジャンルとジャンルの間のno man's landを志向する現代文学」というワンフレーズ。近い将来御著書や論文のネタになるであろう、繋がっているかどうか不確かなほやほやの思考回路を、引用文羅列式のレジュメ片手に即興的に辿っていく、という講演は大変スリルがある。結局のところ、「ジャンルとジャンルの間のno man's land」を志向しているのは、無数の翻訳を手がけながら、それとは何か違う「no man's land」を副産物=論文・著書として創出していく著者自身であるような気もする。翻訳を業績とは認めない風潮は今でもこの業界に根強いが、翻訳を批評の原理としている(ような気がする)この方のお話を拝聴する限り、翻訳も一種の批評であり、翻訳もまた一級の業績なのではないか、と改めて思う次第。ちなみに、言及された膨大な小説の殆どは、私は読んだことがありません。あしからず。ちなみに、90s以降の米文学を代表する作品(というか柴田さん本人の大好きな本)として The Virgin Suicidesを、そしてそうした傾向からは離れたリアリズムの流れを汲む作品の傑作として The Known World を挙げておられた。両方持っているものの積読状態。
 居酒屋でこじんまりと2人で慰労会兼残念会(?)。ご苦労さん。

モナ・リザは妊娠中?―出産の美術誌 (平凡社新書)

モナ・リザは妊娠中?―出産の美術誌 (平凡社新書)

 移動中に読了。古今東西、妊娠・出産に関する絵画や写真について短評していくという形態。当然ながら、フェミニズム色が強く、また著者本人の自伝的情報も差し挟まれるため、やや主情的な傾向があるような気もする。扱われている素材はどれも興味深く、特に胎児の写真のところは面白かった。生の尊さを強調する作品であるにもかかわらず、この写真を撮るには胎児は死んでいなければならない。禁断の裏技。