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 帰宅して吃驚した。なんと競馬界の最高峰、第74回ダービーを制したのは牝馬ウォッカ。クリフジ以来、64年ぶり3頭目牝馬載冠である。近年、優れた牝馬を輩出し続け、競馬界を席巻し続けてきた角居厩舎が、とうとう最高峰登頂を達成してしまった。それも牝馬で。
 統計的観点ならいざ知らず、トップレベルの牝馬であれば、牡馬との実力差はそれほど大きくはない、というのは言を俟たない。世界最高賞金を誇るドバイ・ワールドカップで2着入選を果たしたトゥザヴィクトリーを筆頭に、天皇賞を制したエアグルーヴヘヴンリーロマンス、それから宝塚記念を獲ったスウィープトウショウなど、牡馬一線級を打ち負かす名牝は近年頓に目立つようになってきた。短距離戦線に至っては、ほとんど牡馬と牝馬の差を語ることすら難しい。しかしそれにも関わらず、奇妙なことに牝馬が牡馬に劣るというのはほとんど定説化している*1。そのせいか、牡馬と牝馬がそれぞれ採る針路が明確に分岐するクラシック勢力図を俯瞰する場合、牡馬クラシック三冠(正確には牡馬牝馬混合クラシック三冠)路線に牝馬が加わることはまずない、といっていい。実力差の問題、というより、牡馬牝馬を切り離す番組制作の都合上、そして種牡馬となり莫大な利益をもたらす牡馬に比して市場価値の劣る牝馬を保護する生産者的観点からいって、牝馬が牡馬のレースに出走すること自体、あまり利益にならないからだろう。いやむしろ、牡馬と牝馬の実力差に関する信仰、そして牡馬との混合戦を避けて牝馬を出走させる傾向は、市場価値の差に端を発しているのかもしれない。
 牝馬の方が全体的なレベルは落ちる、とよく言われる。いくら強い牝馬であっても、わざわざ強い牡馬との対戦を選ぶリスクを冒す必要はない、と。それは、牝馬はどんなに強くとも種牡馬にはなれないからではないか。そして、一年に一頭しか受胎できない繁殖牝馬は年に100頭を超える繁殖牝馬に種付けをする種牡馬よりもはるかに市場価値が劣るからなのではないか*2。強い牝馬より、強い牡馬の方が圧倒的に市場価値は高い。しかし、だからといって、牝馬はいくら強くとも、目先の牝馬限定レースの賞金を逃してまで、リスクを冒してトップを目指す必要はない、と思われているのだとしたら、市場原理の安易な敷衍を憂慮せざるを得ない。牝馬の現役生活は、市場原理の観点から見れば、種牡馬よりも価値の劣る繁殖牝馬になるための助走期間に過ぎないのかもしれない。しかし、その助走がレースにおいて一握りの種牡馬になろうとする牡馬たちの全力疾走より劣るとされるのだとしたら、それは飛躍と歪曲に塗れている。レースを走る前から<種を持たない馬>が<種を持つ馬>に勝つことを期待されていない、いやそれ以前に牡馬と同じようにダービーのスタートラインに立つことすら期待されていないのだとしたら、市場原理がレースの世界にも影響しているということになるだろう。現にダービーのようなホースマンの垂涎の的となる特別なレースに、牝馬が出走することは極めて稀である*3
 しかし、市場原理が牝馬の金銭的価値のみならず、その能力、ひいては出走機会をも割り引く一方で、実際のところ、レースの世界は牡馬であろうと牝馬であろうと常に勝者となるチャンスを平等に分配している*4。レースの世界において、牝馬の方が勝負根性やスタミナに欠けるといった常識は、所詮市場原理を薄く引き伸ばした一般論(または証明不可能な仮説)でしかありえないのかもしれない。いずれにしても、引退後、市場原理が貨幣で牝馬を牡馬以下に見積もるとしても、少なくとも強いものが勝つという競争の原理は、市場原理とは別の方法で勝者を記憶し続ける。ウォッカの圧勝は、改めて強いものが勝つという極めて当然の公理を再認識させた。そしてそれは、市場原理が深く深く浸透した競馬界にあって、どんなに強くとも牡馬に劣ると見做され続けてきた牝馬*5をダービーに出走させた角居師の英断と慧眼がもたらした。私は牝馬がダービーに勝ったこと以上に、ウォッカの強さに吃驚した。しかし、その驚きは結局のところ、私が競馬界の市場原理を基盤として牝馬を眺めていたからなのかもしれない。*6ウォッカは証明した。牝馬種牡馬になることはできないし、繁殖牝馬種牡馬よりも高く売買されることはないが、現役生活においてダービー馬になることはできる。強い馬が勝つのだ。

*1:例えばhttp://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2007052701000484.htmlhttp://www.equinst.go.jp/JP/arakaruto/colum/colum38.htmlでは、人間の男女差と馬の男女差がほとんど重ねられている。http://umasen.blog23.fc2.com/blog-entry-585.htmlでは、牝馬と牡馬の実力差について検討をしている。レースの検討をする前に牝馬と牡馬の実力差を検討しなければならないという時点で、両者の実力差に関する先入見の浸透具合がわかるだろう。

*2:男系のみを追い続ける血統理論を見れば、その差は一目瞭然である。血の勢力を拡大させるのは牡馬ということになっている。事実、種牡馬は数十億単位のシンジケートが組まれ、中には種付け料数千万を誇る名種牡馬がいる一方で、繁殖牝馬http://www.jscompany.jp/02_sales/2006seiseki.htmlによれば高くとも二千万前後で取引されている。基本的に種牡馬が毎年コンスタントに種付けで利益を上げる一方で、繁殖牝馬の場合、1年に一頭生まれる子馬を売ることで利益を上げるより他はない。当然、出産によるリスクは、種牡馬に比べてはるかに大きい。その一方で、種牡馬が引退後も厳しい競争原理に曝され、種牡馬として最期の時を迎えることは極めて稀であるという点についても忘れてはならない。

*3:強い古馬牝馬の場合、牝馬限定レースはかなり限られてくるので、戦績に傷がつく前に引退するのでなければ、牡馬との混合戦に出走する。しかし、3歳クラシックとなると、牝馬が牡馬に挑戦することは滅多にない。

*4:しかし、負担重量の軽減という牝馬に対するアファーマティヴアクションについては保留。この処置は、牝馬を牡馬の競争原理から保護する観点からのものなので、レースの世界が純粋に強いものが勝つ世界と考えるのは少々ロマンティックすぎるかもしれない。とはいえ、だからこそいっそう強い牝馬は強い牡馬と共に走る必然性は増すように感じる。

*5:過去十年、ダービーに出走した牝馬は一頭もいない。牡馬クラシックに牝馬を出走させた有名な一例として、95年第56回菊花賞に出走したオークスダンスパートナー(5着)が挙げられる。

*6:一番人気だったフサイチホウオーから離されているとはいえ、ウォッカを3番人気に推した競馬ファンの慧眼に敬意を表する。そして、同日に行われた古馬1000万条件戦の時計を1秒6上回り、全出走馬中最速の上がり時計(33秒フラット)を記録したウォッカの強さに脱帽。