容疑者xの献身

容疑者Xの献身

容疑者Xの献身

 旧知の間柄にある天才理系学者同士の対決、理性的な仮面の下で密かに熱を蓄える情念、秘密そのものではなく、秘密があるというメタ秘密の共有を利用した共犯性、死体を隠すための死体、殺人を隠蔽するための殺人、手がかりと思いきや煙幕。ホー○×△がオチだというのは最初のほうから仄めかされているものの、予想を根底から覆すラストに度肝を抜かれた。
 容疑者は、正体が暴かれるのを黙して待つ定数xではなく、その正体を臨機応変に変容させながら変現する変数x。無手勝流の足で稼ぐ捜査も、与件から真実を剔抉せんとする明察も、漸近線のごとくどこまでもxと交わらない。だが、数学的様式美の実現と引き換えに、「計算する独房の理性」を演じるxの隠された内面に澎湃と、しかし人知れず伏流する恋慕の情が、リアルな像を結ぶことはない。割り切れないはずの生をさながら因数分解するかのごとく切り分け、海へと投棄する男は、自らの生をも記号xとして冷徹に扱うことを選ぶ。
 ただし、学者として生きる道を閉ざされ、数学教師として俗世に身を置くことを余儀なくされたxは、冷徹にはなりきれなかった。落ちこぼれの生徒たちを相手にして追試を重ねるうちにふと助け舟を出してしまう教師石神の情は、冷徹な完璧主義者xの像の揺らぎを予告しているようにみえる。事実、湯川は、数学の世界に滅私奉公していたかつての旧友が、ガラスに映る自らの鏡像の容姿を気にする姿に、事件解決の糸口を見出す。すなわち、彼の鏡像への関心は、石神の中に自分を対象化する愛憎相半ばする関心が芽生え、それが他者へと向かいつつあることを示していた。自己に対する愛や憎しみの萌芽は、対象に対する関係を開く。隣人と出会い、自己や他者という対象に対する無関心から解き放たれ、対象に対する関心が石神に芽生えるとき、石神の願望は、偶然とはいえ、「自死」というひとつの極から「他殺の隠蔽を幇助するための他殺」という別の極へと一気に振れる*1
 粉骨砕身、他者に命がけの献身を果たす石神。 他者の罪を隠すための、そして己の儚い恋心を隠すための献身。最も隠されているものが、最も見え透いているという皮肉。犯罪の痕跡は巧みに隠せても、恋心までは隠せない天才数学者。感情を削ぎ落とした理性的でハードボイルドな文体が、感情の秘密、あるいは秘密の感情を内的に構成し、逆説的にスリリングな心理劇を演出している。おもろい、というか参った*2

*1:たとえば、自己愛と自己嫌悪は対立しない。それらは自己に対する関心という点で一致している。マドンナはかつて「関心を持たれないくらいなら嫌われた方がいい」と発言したが、同様に自己愛・自己嫌悪と対立するのは、自己に対する無関心である。

*2:来年、映画になるらしい。どういう配役なのか。