ワインと外交

ワインと外交 (新潮新書)

ワインと外交 (新潮新書)

 新聞記者による饗宴外交の内幕。おもしろい。
 『ワインと外交』は、襟を正し、喧々囂々、遠慮なく闘論を戦う会談の潤滑油として、また時にはその枠を逸脱し、政治の表舞台に大きな影響を及ぼすことすらある、「饗宴外交」についての一冊。東西現代国際政治の舞台裏が明かされる。
 たとえば、シラクが海の幸の盛り合わせのみでシュレーダーを歓待したシーンでは、両者の特別な関係を演出したいフランス側の事情が明らかになる。食中毒の含みを残す生ものは、国際的な饗宴の場ではタブーだが、フランス側はあえてメインディシュを排し、この生もののみを供することで両者の特別な関係を際立たせる。
 「大東亜戦争」の遺恨を色濃く残したオランダと我が国との政治的関係において、天皇・皇后の訪蘭が果たした大きな役割についても興味深い。国際政治においてエクストラな立場にある王族たちが、しばしば主役よりも高いパフォーマンス効果を発揮することはよく知られている。短絡的に王制を無価値なものと断罪するのではなく、その潤滑油としての補助的機能に光を当てることはバランスの観点からも肝要であろう。フランスがエリザベス女王を例外的な饗宴でもてなすように、表向きには激しい鍔競り合いを繰り広げる好敵手であっても、歴史的背景を踏まえた本音の友愛を王室外交で表現することで互いに信頼感が生まれる。その点、日本は王族外交が下手な国だと痛感する。
 本書中、私が最も感心したのは、2004年5月1日、アイルランドが主催したEUの拡大式典の饗宴である。その場で、アイルランド側は、新加盟国スロベニア産の白ワイン、「テオドール・ベロ・レゼルヴ 01」、そしてボルドーワイン「シャトー・ランシュ・バージュ 97」を供した。前者にはいうまでもなく、新加盟国を歓迎する意味が込められているが、それ以上にアイルランドスロベニアケルト民族が定住した地域として高い親和性をもつ。
 そして、後者のフランスワインは、1690年、ボイン川の戦いでジェームズ2世が英国ウィリアム3世に大敗した際、フランスに逃げ延びたアイルランド貴族ジョン・リンチに由来する。当時のフランスは、ヨーロッパの覇権を争う英国に対抗するスコットランドアイルランドを人的・財政的に支援した。そんな縁もあり、リンチはそのままボルドーに定着、商売で頭角を現し、子を授かる。そして、息子トーマスが地元のワイナリーの娘と結婚し、1740年義父の死に伴い、広大なワイナリーを相続する。果たして、トーマスは、地元の集落の名前をとって「バージュ」と呼ばれていたワイナリーに「ランシュ」(Lynch)、すなわち英語読みでは「リンチ」を加え、現在に至る。
 かくして、アイルランドが首都ダブリンで主催した晩餐会において供したワインの意味は明白である。すなわち、この2本のワインは、共にアイルランドの苦難と離散、そしてそれでも現在に至るまで持続する文化的遺産のたくましさを含蓄豊かに物語る。ここでワインの選択は、「様々な文化と人々の行き来の中で築かれてきたヨーロッパの大きな骨格」をアイルランドの歴史を通じて表象しているのである。
 本書は政治の舞台裏で繰り広げられる、饗宴のテーブルをわれわれ庶民に開示する。しかし、それはただの儀礼ではない。著者のように饗宴を「もうひとつの政治」とまで断言するのは腰が引けるが、少なくとも一定程度政治化された儀礼として見直すのはおもしろい。書類が山積するデスクの上では誰も首肯しない主張が、ワインと料理を積んだテーブルの上ではエスプリが効いて魅力的に映ることもある。さながら、くさいベタベタのラブレターがノリのいい音楽に乗り、「オン・ザ・ロック」になった途端、魔力を発揮するように、テーブルの上にかけられたクロスには、言いしれぬ魔力が込められているようである。*1

*1:互いに「ジョン・ウェイン」と「エルビス」と呼び合ってはしゃいだどこかの首相と大統領のエピソードも収められているが、あれこそ魔力と呼ばずして何と呼ぶ。