閉鎖病棟

 バケツをひっくり返したような大雨が降って、何事もなかったかのようにぱたっと止む。こっちの梅雨はいつもメリハリがきいている。

閉鎖病棟 (新潮文庫)

閉鎖病棟 (新潮文庫)

 かつて、とある先輩に薦められて読んだ記憶がある。しばらく前に嫁が買ってきてすぐに読破、感想を聞くとよかったというので、もう一度読んでみようかと思ったら、どこかにいってしまった。もう一度買いなおして読んだ。
 精神病院の日常を患者の記憶や来歴を交えながら淡々と語っていき、慰労会で病棟総出で母子関係をテーマにした創作演劇を披露したあたりから、徐々に内外の軋轢がはっきりしてくる。中途、いくつか事件が起きて少しずつ展開していき、30年の紆余曲折の果てにある患者の自立が達成され、幕切れとなる。戦時中のエピソードが、物語に奥行きを与えている。
 伊坂の本などは物語の勢いに乗せられてあっという間に読んでしまうのだが、こういう叙情に重きを置いた物語はずいぶんゆっくりになる。堅実な筆致で表現も奇を衒うことなく正鵠を得ており、感心する。読後の余韻が長い物語。
 たとえばこんな文章に著者の年輪を感じる。

 バックネットの前に人が集まってきた。作業班ごとに整列する。班長が七、八人前に出て他の連中と向かいあう。百五十人ほど揃ったところで、音楽はラジオ体操第一に切りかわった。すり切れたテープで音色が悪い。みんなの動きもテープ同様間のびしている。どうせ下げる腕だから、最小限しか上げない。跳躍は足を地面からはなさず、膝を軽く曲げて体を上下させるだけだ。テープ係のテシバさんがカセットデッキの横で模範体操をしているが、身体を左右に捻るのも前後に曲げるのも旋回させるのも、見事に同じ動作になっている。長年波に洗われて丸くなった石ころと同じだ。

 長い入院生活が日常を慣性と惰性で塗り固めてきた過程がよく伝わってくる。同時に、患者たちと医者や看護士、延いては精神医学との微妙な関係もうまく表現されている。簡にして要を得た文章。
 読んでいるうちに、名著『精神病棟の二十年』を思い出した。「法的な自由」は、主体の行為の明確さによって測られるが、主体に対する「法的な免罪」の方は、主体の行為の不明確さによって判断される法の背理、それから、犯罪加害者が精神病だと診断された時点で事後的に遡ってその主体性が否定される、というフーコーの指摘も思い出した。

精神病棟の二十年

精神病棟の二十年