godspeed

 人馬一体、と申します。
 競馬中継を見ていると、道中、馬がかぶりを振って騎手の命令に背くシーンがままあります。騎手は手綱を緩めたり、締めたりしながら、馬の機嫌を損ねないようになんとか「折り合い」をつけなければならないのですが、下手な騎手はその加減がうまくいかず、馬の走る気持ちを害してしまいます。どうにもならない馬も中にはいるでしょうが、結局は上に乗る人間の技術や知恵、気遣いが、馬の走りを左右するというわけです。人馬一体というのは、馬が人間に対して従順な様子に快哉を叫ぶ言葉なのではなく、馬に乗る人間の力量を褒め称える言葉なのでしょう。どんなに走る馬でも上に乗る人間の力が足りないと、人馬一体の境地には至らないものです。
 私の馬は、なにぶん気性が荒く、乗りこなすには少々骨の折れる馬でした。
 「ゴッドスピード号」のようなものでしょうか*1ゴッドスピードはデビュー後、大敗を喫しながらもレースをこなすたびに着順を上げ、G3というやや格付けの高いレースの勝者となります。その後、ひとつ大敗を挟んで、またもやG3を勝ち取り、世代の頂点を狙うレースに出走する権利を得ました。ところが、相手が一線級になるや、ゴッドスピードは全く勝てなくなります。千尋の谷底に続く坂道を転がるように、敗戦の日々が続きました。
 私の馬も、ゴッドスピードのように、日々気性の荒さを増していき、気まぐれな競走馬になり、なかなかレースに勝てなくなりました。いや、実際のところ、私の馬はレースに出ることさえ拒みました。馬同士の強さやスピードを競う前に、人間と馬の関係がうまくいかなくなってしまったのです。騎手としての天賦や情熱に欠けていたからでしょうか。時には本意ではありませんが、鞭をかましたこともあります。けれど、笛吹けど踊らず、鞭打てど進まず。目がゴールに向いていない、いやそれ以前に気持ちがレースに向いていない馬を御す力は、私にはありませんでした。
 ほとほと困り果てた私は、オーバルコースをぐるぐる回る平地競争ではなく、コース形態が複雑で多岐に渡る障害競走なら目先も変わり、馬もやる気を取り戻してくれるのではないか、と考えるようになりました。いや、もとを正せば騎手の技量不足こそが馬のやる気を殺いでいたわけで、障害競走に出るのであれば、騎手はそれ相応の技術を磨きなおす必要があるのはいうまでもありません。どちらにしても、茨の道であることには変わりはないのですから。それは騎手にとって、生垣や水壕よりもはるかに飛越困難な障害なのかもしれません。落馬の危険性も平地競争の比ではありません。もっとも、すでにこの暴れ馬と生活を共にする中で、落馬の痛みには慣れてしまいましたが。
 そういうわけで、決意を胸に、調教師の許可をとるべく、ミラーマウンテン厩舎をこのたび訪問しました。師の説得は熱を帯び、私も思わず翻意してしまいそうなほどの力が込められていました。日本のレースに気持ちが向かないのであれば、海外に転厩して本場の馬と競争したらどうか。しばらく放牧に出して、英気を養ってみてはどうだろうか。勝てなくてもかまわないし、ゲートから出ないようなことになってもいいから、レースに参加してみてはどうか。そのひとつひとつが私の心を揺さぶりました。しかし、私の決意は揺らぎません。師は心中穏やかではなかったでしょう。それでも最後には転向を許可してくださいました。馬から下りるわけではありませんから。また別のレースを戦うだけのことです。
 馬運車に揺られた帰り道、憑き物が落ちたせいか、柄にもなく、感激とも郷愁とも悔恨ともつかない無念の涙に襲われました。相乗りしていた乗客たちはおそらく怪訝な表情を浮かべていたことでしょう。ふられたわけじゃないんだからね。ふってやったんだからね。ええ。しょうもないいい訳です。
 牧場では、今も日々レースに向けて鍛錬を積んでいる戦友たちが出迎えてくれました。そのうちの一人の騎手は、3日後にレースを控えているのにもかかわらず、付き合ってくれました。例によって、競馬道にまい進すべき立場にありながら、話の大半はサッカーとサッカーのアレゴリーに割かれたのですが。これでいいのでしょうか。いいにきまっています。
 馬房のひとつをお借りして夜を過ごす幸甚に恵まれ、揃ってレース出走を目前に控えているご夫婦に、もてなしを受けてしまいました。遠征の前に電話一本入れる配慮を欠く、不徳と非礼を恥じる30がらみの男がそこにはいました。事の顛末はそういったところです。
 ゴッドスピードは平地から障害へと転向したのち、中山大障害を含む大レースでいくつも優勝しました。水を得た魚ならぬ、翼を得た天馬のように華麗に飛越をこなしていきました。
 ゴッドスピードのように、は、なかなかうまくいかないでしょうが、とりあえず人馬一体を目指してみたいと思います。馬の速さを競うのはそれが達成できたあとのこと。当面、馬の好きなように走らせてみるのがいいでしょうか。走る喜びをようやく思い出し始めたようなので。あとは上に乗る人間が腕を磨くだけのこと。
 僭越ではありますが、みなさまの道中のご健康とご多幸を、少し離れたところから祈念申し上げます。

*1:日本語の感覚に照らせば、「ゴッドスピード」は暴走族的感性と紙一重の観がありますが、英語では旅や航海に出立する人に向けて送る餞別の言葉で、フランス語の「ボン・ボヤージュ」と同じような意味があります。