マラドーナと南北問題

 読書、その他。晩はナス入り麻婆豆腐にかつおのたたきなど。最近野菜が高い。今年はやたら天候不順なので、それが影響してのことだろうか。この前までサニーレタスは安いときで100円、高いときでも150円ぐらいだったのに、今や260円ぐらいする。キャベツも高い。いい加減勘弁して欲しい。
 四国遠征の予約。飛行機もJRも高いなー、と二の足を踏んでいたところで、もしかして船があったりしてなんて思って調べてみたら、なんとこれが一番安くて速い(所要時間2時間半!)。一日2便しかないのが玉に瑕なのだが、安いにこしたことは無い。2時間ほど遅れるが、まあよしとしよう。ホテルつきのパックで往復17600円也。JRだったら片道でもこれぐらいする。もうけた気分。
 
 

ナポリのマラドーナ―イタリアにおける「南」とは何か (historia)

ナポリのマラドーナ―イタリアにおける「南」とは何か (historia)

 「一番好きなサッカー選手は?」と聞かれたら、まず最初に頭に浮かぶのがマラドーナ。「神の手ゴール」や「5人抜き」といった伝説はもちろん、彼のテクニック全てが憧憬の対象となる。天才的なドリブル、類稀なスピード、正確無比のキック。アルゼンチンのみならず、世界的に見て彼と肩を並べることができるサッカー選手はペレぐらいもの(もっともマラドーナ自身はペレのことをあまりよくは思っていないようだが)。そんな誰からも愛されたマラドーナだが、同時にそれと同じぐらいの人から憎まれた、というのもまた英雄の性だろうか。空気銃を報道陣に向けて撃ったり、麻薬に手を出したり、ドーピングに引っかかったり、最近では太りすぎで一時危篤の状態になったり、と彼の人生は、人々の反感・憎悪の対象になるには事欠かないスキャンダルに満ちている。但し、本書はそんな愛憎入り混じるマラドーナの自伝本ではない。著者は、愛憎入り混じるマラドーナの普遍的な表象に、「1990年7月3日」という時間と「ナポリ」という空間の枠を設け、そこからイタリアの愛憎入り混じるクロノトープへと「命がけの飛躍」を試みる。
 「1990年7月3日ナポリ」で何が起こったか。マラドーナはピッチの上にいた。イタリアW杯準決勝、イタリアvsアルゼンチン。奇しくもナポリは、2度のスクデットUEFAカップ優勝トロフィーをクラブチームにもたらしたマラドーナの黄金期を支えた場所であった。そのマラドーナが今やイタリア=ナポリの敵役として、母国アルゼンチンの期待を一身に背負い、かつてのホームのピッチに立っている。アルゼンチンがマラドーナなら、対するイタリアにはサルヴァトーレ・スキラッチ。ゲームの舞台はイタリア南部を代表する都市ナポリ。そしてゲームの主役はそのナポリに最も愛された男マラドーナと、シチリア出身でこの時期に生涯最高の輝きを見せたスキラッチ。キーワードは「南」である。著者は、人種主義や国家統一の言説が噴出し始めていたこの試合のキックオフの場面に読者を鎮座させ、イタリアを巡る「南」の物語を綴っていく。
 統一期に噴出するイタリアの内なる他者としての南部、ロンブローゾの犯罪人類学に端を発する人種主義、文化的敵対と経済的後進地域としての南部。イタリア国内南北の裂け目は、グローバルな南北問題において変奏される。アルゼンチンに流入した移民の四割を占めるイタリア移民たちは、アルゼンチンの国策の一環として流入を奨励されながら、一定の経済成長を勝ち取った後には排外主義の餌食となる。しかし、万物流転の法則に従い、1970年代以降、イタリアは移民受け入れ国へと転じ、今度はアルゼンチンから移民がやってくる。外国人排斥・北部独立がひとつのイデオロギーとして富裕層を中心に流通するイタリアにおいて、かつて富を求めに南へ赴いた彼ら自身が、南から富を求めにやってくる地球の裏側の隣人を目にし、去来する思いとは何か。イタリア国籍を有する多数のアルゼンチン人がイタリアにやってくるとき、またアルゼンチン国籍を持つイタリア人がアルゼンチンに赴くとき、「南」が指し示すものは、人種主義が他者を劣位の存在として固定化できるほど単純なものではなくなっている。
 

 イタリアの国内には、19世紀半ばの統一以来、「先進的な北」と「後進的な南」という図式が描かれてきた。それが「南北問題」である。けれども、その「先進的な北」の人々も、ある時期までは「豊かなアルゼンチン」=南半球に引き寄せられて移民をしていた。この状況では、北と南という空間配置に序列を設定することは困難である。
 これに対し、現在では、南のアルゼンチンから北のイタリアへ人間が移動する。しかも、アルゼンチンからの移民はイタリアの北・中部だけではなく、南イタリアにも流入している。そして、北イタリアは相変わらず南イタリアに対して経済的な優位を誇示している。つまり、ここでは、北イタリア―南イタリア―アルゼンチンという南北の空間配置に沿った序列が形成されている。まさにアルゼンチンは「南のなかの南」を表象するのである。
 イタリアにおいてワールドカップが開催された1990年とは、こうした構図が人々の目にあらわになったときであった。(174)

 歴史的一戦を戦い、結果勝利したアルゼンチン=ナポリの英雄、マラドーナの決戦前日の「ナポリ人に対するひどい人種差別があるって、いまさら言わなきゃいけないのは情けないよね」や「排外主義的愛国主義(ショーヴィニズム)は嫌いだね」というコメントに、「北」と「南」、そして「南のなかの南」を横断する視点が鮮明に見える。案外、物事がよくわかっているのは、インテリなどではなく、こういう「トリックスター」だったりするのが、歴史の妙というものである。9.11以降、錯綜し続けるグローバルな南北問題を解き解そうとするとき、十重二十重に南北問題を重奏するイタリアに注目してみるのも一興かも知れない。決して大著ではないが、イタリアの魅力を十二分に描ききった快著。