性と暴力のアメリカ―理念先行国家の矛盾と苦悶 (中公新書)

性と暴力のアメリカ―理念先行国家の矛盾と苦悶 (中公新書)

 大学の講義ノートを基にしたアメリカ論。前半は入植期から1950年代ぐらいまでを主に19世紀に軸足を置いて論じ、後半で1950年代以降に議論が移る。性と暴力という2つのテーマを切り口にアメリカ史/文化史の流れを概観していくが、その2つのテーマは別々の特化したカテゴリーとして当初は扱われながらも、だんだんと互いに侵食し、時にはどっちがどっちか分からなくなる。そうした性と暴力の言説的ダイナミズムが本書の特質か。また、タイトルには現れていないが、「人種」のテーマはかなりの比重を占める。特に、著者が性と暴力の接合面として重視するリンチは、他人種によるレイプに対する報復としての他人種への暴力という形態を採っており、著者のアメリカ論の中核を成すレトリックとなっている。(ただ終盤でリンチからリンチ型戦争へと議論が移るあたりは連想、あるいは飛躍の謗りを免れ得ないのではないか。もっとも結論としては面白いので、まずはリンチと戦争の違いを詳細に分析し、それでも残る共通点を強調して論を進めた方が説得力があったように思う。)
 このように、性と暴力による相互浸透的なアメリカ史の叙述という形態を採る本書であるが、性が性解放/性抑圧という矛盾を、そして暴力が秩序維持暴力/秩序破壊暴力や軍縮/軍拡といった矛盾を内的に孕んでおり、これら性や暴力の内包にかなりの幅がある点が論の更なるダイナミズムを生む源泉となり、また同時にアメリカ史を駆動させるダイナモともなっている。そうした性と暴力の内的矛盾に着火する導火線として見逃せないのが、19世紀アメリカにおける中世ブームである。ピューリタニズムからフランクリン的啓蒙思想へと少し緩和するアメリカの性道徳が、ヴィクトリアニズムと共に中世的な純潔や「レディ・ファースト」の概念を組み込みながら、売春や同性愛などの性解放の問題に向き合う辺り、もう少し詳しく読んでみたい。一方の暴力に関しては、シビリアン・コントロールの伝統と中世的騎士道の精神が一体となり、リンチの伝統の基底を作るという形ですんなり理解できる。この辺りの「中世ブーム」はおぼろげながら知ってはいたものの、このような形で整理されると大変助かる。(自警団、KKK、マフィアといった19世紀的秘密組織が、リンチの伝統を形成していくという件、フリーメイソンのことも合わせて考えると、19世紀というのは実に秘密好きだったのだなあ、と改めて思う。そういえば、地下鉄道もそうだ。)
 本書で最も興味深かったのは、環境正義、あるいは環境人種主義の議論。「ジム・クロウと環境保護運動が、期せずしてほぼ同時期に登場した事実は、十九世紀末を一つの契機として、空間の序列化がアメリカで進んだ様子をうかがわせる」(200)。ここは、プランテーションのslave quarterと本邸の配置がパノプティックだったという主人側の事情(house slaveが本邸の中にいたりするのだけど)と合わせて考察すると面白いかもしれない。大変面白かった。以上。