いつデブ

 もろもろ。弁当。
 
 

いつまでもデブと思うなよ (新潮新書)

いつまでもデブと思うなよ (新潮新書)

 「とくだね」を観た嫁がみやげに買ってくる。どうも売れに売れているらしい。どれどれ、と半信半疑でページをめくると、あれ楽しい。やるかどうかは脇に置いたとしても、読み物として純粋におもしろい。
 「レコーディング・ダイエット」というキャッチーな名前がついているけど、中身は至って地味なもので、ただ自分の食べたものを根気強く記録していくというだけ。記録しているうちにだんだん自分の食生活を見直すようになって、やがてはそれがカロリー計算へと結びつき、次第に意識しなくとも体が勝手に食べる量を制限するようになる。
 ポイントは、ダイエットにありがちな禁欲とか我慢とは無縁なところか。身体鍛錬とは無縁の文系・文化系ダイエット。消費するカロリー以上のカロリーを燃やすためにひたすらトレーニングしたり、好きなものを我慢して絶食したり、指定された食品だけを毎食食べ続ける、といった難行苦行はここでは必要ない。大事なのは、いかにしてやせるか、ではなく、いかにして毎日続けるか、ということ。目標をせっかく達成しても、リバウンドしてしまったら意味がない。体重を減らして「変身」するよりも、体重が増え続けても違和感を感じない心を「変心」させることに、著者は心を砕く。
 ダイエットに勤勉さはつきもの。けれども、たいがいダイエットを挫折に導くのは、その勤勉さに他ならない。自分が勤勉であることに気づかないように、勤勉に生きること。勤勉で実直な「レコーディング・ダイエット」に勤勉さを感じないような自然な感覚を刷り込んでいくこと。食べたものを毎食記録していくというのは、簡単だけれども実は勤勉なこと。でも、その勤勉さは本書では意識されない。それはきっと他のダイエットと比較した上での相対的なハードルの低さのおかげなのだろうし、勤勉さをうまく隠して書いているからなのだろう。毎食記録するすらめんどくさい、と感じた人は、おそらくダイエットの必要性が全くない人なのか、もしくは他のダイエットをしたことがない人だと思う。それくらい、本書は勤勉さを巧みに潜在させている。
 50キロ痩せたなんていう劇的な変身よりも、その変身の持続可能性を下支えする変心こそがダイエットの鍵なんだろう。そして、その変心の鍵は、めんどくさいことをめんどくさいと感じない、さらにいえば、めんどくさいことをやっているということを意識すらしない、勤勉さの刷り込みにあるのだろう。だとしたら、隠れた勤勉さについてこんな風に書いてしまう私は、もう手遅れなのかもしれない。がはは(まだ65キロだし)。

 余談。かつては、ソフトクリームを食べながら、メンチカツ屋さんに並んでいた著者が、ビッグマックを6分割して6分の5を捨ててしまったり、ポテチをちょっとだけ食べて捨ててしまうというあたり、かなりの変心ぶりだなあ、と。と同時に、ついついもったない、とおもって全部食べてしまう自分を顧みて、捨てる勇気の大事さを痛感した。艱難辛苦よりも、キッチンシンクの精神だなあ(なんじゃそら)。とはいえ、やっぱりそこはダイエット、菓子パンの棚の前で齢48の大の男がメロンパンを見ながら泣いたりもするそうだから、やっぱ勤勉さを身につけようとがんばる勤勉さみたいなものが予め必要なんじゃないか、と思ってみたりもする。