もろもろ。鍋二日目。毎日祭りみたいだ。
- 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
- 発売日: 2005/12/17
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犯人は最後まで明かされないまま。犯行は遠隔操作された爆発物や無人列車によって代行される。意思決定の主体は、テクノロジーによって媒介されることでその存在を仄めかされはするものの、正体は明かされない。その空虚を解明しようと警察の捜査は進展していくわけだが、その空虚な中心をぐるぐる回る警察や鉄道会社の社員たちの人間関係が同時に明かされていく。いわば犯人はマクガフィンとして機能している。そして、空虚な犯人像は、物語的には誰でも犯人になりえるという警察権力の対象の普遍性を指示する一方で(木島が真下に事件解決後にいう台詞はそれを仄めかす)、それがその空虚の位置を占めるまた別の犯人の登場を予期させ、その空虚を取り巻く人物たちの魅力に焦点を合わせるという意味において、さらなる続編を観客に欲望させる宣伝映画的な意味合いを帯びる。つまりは、このマクガフィンは、映画自体に続編の予告編としての機能を与えているといえるのではないか。マクガフィンを追いながら、その周囲の関係を、魅力あるものとして描き出す。より具体的には、新キャラ木島を『踊る』の物語に組み込むことこそ、この映画の目的だったのではないか。だからこそ、犯人役に有名俳優を配し、犯人逮捕の瞬間に焦点を合わせるよりも、その犯人の座を空位にし、犯人を追っていた捜査員たちのキャラ、特に木島に光が当たるような結末を選んだのではないか。『踊る』シリーズには、同シリーズの他作品、映画を製作するフジテレビ、そして東京近郊の観光スポット等に対する言及が数多く見られる。この物語も、物語を語りながら、『踊る』シリーズを、フジテレビを、そして東京を宣伝していく映画として、位置づけることができるのかもしれない。物語の上ではややカタルシスを損なうマクガフィンは、キャラの魅力を引き出し、新しい『踊る』を欲望させる上ではうまく機能しているようにみえる。*1
*1:コンセプト自体は面白いが、謎解きの細部にはかなり不満が残る。なんでもかんでも、「勘」とか「裏の裏」とかで単純に解決されると、謎解きの深みが失われる。