コラツチとエレクトーン

 もろもろ。パスタ。
 
 最近、日が落ちると「大地讃頌」を奏でるピアノの調べが辺りを包む。少し前まで、演目はクラシック音楽が主流だったのだが、合唱コンクールか文化祭が近いのだろう、伴奏の練習をしているようだ。
 この「大地讃頌(さんしょう)」、私も中学だったか高校だったかで意味もよくわからないままひたすら歌わされた。しかし、ひらがなで歌詞の書かれた譜面を渡され、さあ歌うぞ、という具合だったので、深遠な意味を内蔵した暗号の羅列をあり難くなぞっているような不思議な感覚だった。特に「ヒトノコラツチニカンシャセヨ」という箇所は、長い間意味不明だった。「人のコラツチに感謝せよ」。コラツチって。「重いコンダラ」ではないが、喉に引っかかったコラツチは、私がこの曲を耳にするたびに、ちくちくと私を苛めた。もっとも、多くの小骨と同じく、私を悩ませたコラツチもいつのまにか喉から外れ、胃袋から腸を経て、外に排出されていった。いつの間にか気づかないうちに、その意味するところを知っていた。多分、コラツチは私にとって通過儀礼だったに違いない。いや、きっとそうだ。そういうことにしておこう。コラツチで悩んでいる人は→
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 コラツチのことを思い出したところで、よせばいいのに、幼少時エレクトーンを習っていたという抑圧された記憶まで蘇ってきた。いまや田吾作の私が、まだシチーボーイだった頃のことである。肝心のレッスンの風景は蘇ってこない。思い出せるのは、帰りに必ず立ち寄っていたロッテリアの映像ぐらいのもの。家にもエレクトーンがあった。が、当然弾けない。弾けるのであれば、小一音楽のカスタネットで躓いたりはしない。乾坤一擲、母の情操教育の試みは、水泡に帰した。あれは、ポトラッチ、あるいはバタイユ的蕩尽とでもいうべき散財だった。事実、私の音楽的才能は今も眠ったままである。多分、起きることはないだろう。いや、そもそもあったのか、それ。