http://www.taspo.jp/subscription/index.html。申し込むべきか、思いとどまるべきか。5月まで考えてみる。顔写真入り、ということは、身分証明書としても使えるということなのか。というよりも、お国の何かの機関にヘビースモーカー=危険人物として登録されるという理解の方が正しいかもしれん。発行手数料などなど無料、ということは、もろもろの手間ひまに対する対価は税金でまかなわれるということ。ええい待て。その財源は、もしかして、考えたくもないが煙草税なのか。ということは、これに申し込むということは、自縄自縛に等しい行為なわけで、そこまでして吸いたいのかオレ。かといって、無人島にコンビニがなくて、自販機しかなかったときが困る。いや、無人島になど行くものか。いや、その前に無人島になんで自販機があるのだ。むむむ。考えれば考えるほど分からない。これはきっと罠に違いない。危ないところだった。

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沖縄ノート (岩波新書)

沖縄ノート (岩波新書)

女は何を欲望するか? (角川oneテーマ21)

女は何を欲望するか? (角川oneテーマ21)

沖縄のいまガイドブック (岩波ジュニア新書 (254))

沖縄のいまガイドブック (岩波ジュニア新書 (254))

The Wolf Man's Magic Word: A Cryptonymy (Theory And History of Literature)

The Wolf Man's Magic Word: A Cryptonymy (Theory And History of Literature)

The Shell and the Kernel: Renewals of Psychoanalysis

The Shell and the Kernel: Renewals of Psychoanalysis

読んだ。
 『沖縄ノート』。日本の沖縄化。1970年に書いた、というところに感動を覚える。
 『女は何を欲望するか?』。フェミニストの読解を批判する一方で、フェミニストの書記を賞賛するのはどういうわけか。フェミニストの読解は、書記を通じてしか現われないのではないか。というのは瑣末な疑問。
 フェミニズムの武器は、女性を無謬化する被害者の視点から語るというものだった。それは常に「正しい」。常に「正しい」ので、フェミニズムは理論的絶頂を謳歌した。しかし、まさにその「正しさ」を問い直すことがなかったせいで、思想史的凋落に瀕することになった。というのが大枠。その大枠の中で、女について語る言葉は、あるいはそれを創出する試みは、常に男についても語ってしまう、つまり人間一般について語っていることになる、という論証を繰り返す。「正しさ」を徴候的に読み直す作業。フェミニストが前面に押し出す彼らの「正しさ」は、思想史的凋落をフェミニズムにもたらす瑕疵である一方で、普遍的な人間性を語る哲学という意味では、それは理論的に正当だということ。女だけについて語る必要はなかったんじゃないの、ということ。いやむしろ、女を出発点にしながらその出発点を問い直す必要があったんじゃないの、ということか。その問いが欠けていたから、フェミニズムは没落した、という理解でいいでしょうか。語ろうとすることと語っていることのずれに無自覚だったというか。そんなことよりも、『エイリアン』論がおもしろい。
 『沖縄のいまガイドブック』。沖縄のミュージシャンたちが沖縄について語る。ジュニア向けですけど。the changing same。
 あとの2冊はパスで。