アヒルと鴨のコインロッカー

 某ファミレスにて。
 各種おこさまランチに、もれなく枝豆がついてくるのはどうしてだろう。
 道交法改正で飲酒運転関連の違反に対する罰則が強化された結果、ビールをひっかける世のお父さんがいなくなり、かつてほど枝豆を注文する客がいなくなったため、やむなく転用しているのか。
 枝豆が、いわゆる「健脳食指定」を受けたからなのか。
 一杯ひっかける子連れの奥さん連中が枝豆を肴にするための粋な計らいなのか。
 さやえんどうが値上がりして、代替で安価な枝豆をつかっているだけなのか。
 私の知らないところで、「エダマメマン」とかいう正義のヒーローが子供たちの憧れの的になっているからなのか。
 さらにいうなら、これはライバルの「双生児マン」と皿の上であの(どの?)世紀の決闘を再現するためのお膳立てなのか。
 「頑張れ、エダマメマン」と声援を送りながら、ソーセージの端を齧り、「いいぞ、双生児マン」と快哉を叫びながら枝豆の粒をすする。
 あくまで子供のさじ加減ひとつだが、接戦に持ち込むことのできる子供ほどよい子だとされる。
 数度の決戦を通じて、子供は出された料理を少しずつバランスよく食べる、という食卓の不文律を刷り込んでいく・・・。
 と、まあ悩んでみたところで結局わからない。
 いずれにしても、おこさまカレーに枝豆を添えるという発想は、新人類のそれだと思う。

アヒルと鴨のコインロッカー (創元推理文庫)

アヒルと鴨のコインロッカー (創元推理文庫)

 本屋で広辞苑を強奪しようと企む2人の青年が中心となる語りの現在と、ペット殺し事件を起点とする2年前のサスペンスとが合流する。佳作。
 最後のオチはあまり驚かなかったものの、最後よりひとつ前のオチに手ひどくやられる。本当にこの人は叙述トリックを華麗に使う。
 痴漢を撃退する「麗子さん」のエピソードで強調されているように、主人公は基本的には途中参加の傍観者。あくまで普通の大学生として登場する主人公は、異界に深入りすることなく、その裏口を少々荒っぽく蹴っ飛ばす程度で、最後には爽やかに去っていく。奇天烈に走らない適度なさじ加減が、心地よい違和感を作り出している。とはいえ、解説で言及されている「地上数センチの飛翔」というのは誇張ではないか。それほどぶっ飛んでいないかもしれないが、やっぱり2メートルぐらいは飛んでいると思う。