『永久機関』

 

永久機関 附・ガラス建築―シェーアバルトの世界

永久機関 附・ガラス建築―シェーアバルトの世界

 『独身者の機械』にて論じられていたシェーアバルト。本書には「永久機関」、「フローラ・モール」、「シェーア・バルティアーナ」、「ガラス建築」の五篇が収録されている。あらすじらしきものを抽出できなくはないかもしれないが、どれも断片の組み合わせであり、物語というよりはシェーアバルトの理想や思想を表現したものだと思う。アントニオ猪木は間違いなく愛読していることだろう。
 ガラスという素材へのこだわりは著しい。ガラスが持つ透明性もさることながら、シェーアバルトが執着するのはそれが湛える光だ。科学的な妄想をたくましくさせるシュルレアリストら前衛の作家たちとも一脈相通ずる、プロメテウス、あるいは理性の暴走を思う。ただシェーアバルトは、光の輝度や明度ではなく、その淡さにこそ拘る。ただたんに眩いだけの光は人間の生活にそぐわないからだ。彼は野放図なユートピアンではなく、現実と地続きの夢を追うプラグマティックな夢想者を自任する。現実味に乏しいジャリらとシェーアバルトを同列に並べる『独身者の機械』の構図には無理がある、と言わざるを得ないだろう。
 ただし、シェーアバルトの思想が向かう実利は、実利の範疇を突き抜ける。訳者・種村が解説しているように、シェーアバルトの建築思想には、永久機関に代表される無限性の力学が組み込まれている。永久機関は自然を模倣するのではなく新しい自然、不朽の自然を産み出す。だがそのテクネーは、建築の死をも宣告するだろう。人の手を離れ、有機的な自然とはまた別のエコノミーを生きる無機的な自然としての建築物は、もはや新しい建築を不要のものとするからだ。このように実利の追求がその死と循環するアイロニーこそ、シェーアバルトの淡い光、人工的な黄昏の光の光源だろう。クロード・グラスがつくる自然の黄昏とは無関係な人工的な黄昏のように。無機的な光は蒙を啓かない。その危うい推論を繰り返す理性は蒙をこそまなざす。かくてプロメテウスの火は実利の欲望を焦がし、妄想の極に至るまで焼尽させる。
 永久機関とは、合理の徹底が帰結する無機的な焼け野への一本道である。