不鮮明なイメージの壁:『不鮮明の歴史』について

不鮮明の歴史

不鮮明の歴史

 芸術表現への昇格を夢見て不鮮明さを追究した写真家たち。やがて不鮮明さは陳腐になって求心力を失い、ふわふわと漂うありふれた背景となる。情報過多の時代に、情報不足のイメージが流通する理由。輪郭が暈けた不鮮明なイメージの動線を追うことをつうじて、イメージの危機を旗幟鮮明とする一冊。
           
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 写真を撮ると、必ず図と地が構成される。集合写真や記念写真を思い出してもいいだろう。前景の人物たちに焦点が当たり、その後景に位置する街並みや絶景はどこか朧な様相を帯びる。いわゆるピンボケと呼ばれる記念写真の失敗は、この図と地のはっきりした区分けに失敗したことを意味する。はっきりと映っているべき被写体が手ぶれやフォーカスのずれによって暈けてしまっている。このピンボケに対する感覚は、わたしたちの視覚が常にはっきり見える鮮明な映像とその背景を為す不鮮明な映像とによって構成されていることを証言している。見るという行為は、すべてを鮮明に見るのではなく、選択された対象以外の無関心な背景を不鮮明にして遠ざけることによって成立する。
 絵画史を紐解けば、肖像画に典型なように、フォーカスされた人物が浮き立つようにはっきりと描かれ、その人物の地位を示すアトリビュートとしての装飾品や土地は、その量や質がわかるように配置されるのが常だった。遠近法という平面に奥行きをもたらす描写法は、不鮮明さによって後景を構成する、人間の眼の機能を表象するテクノロジーだったと言えるだろう。
 ターナーに代表される19世紀以降の風景画、あるいはクロード・ロランの黄昏の風景、そしてモネやマネを嚆矢とする印象派絵画の登場は、それまでの図と地の対比を溶解させていった。海の変幻自在な表情を捉え続けたターナーは、海の揺れ動きを不鮮明に描き、またクロードはクロードグラスと呼ばれる黒い凸面鏡を介して、柔らかな光と歪んだ輪郭を自然の風景に重ね、人工的な自然をつくりあげた。印象派の画家たちは、風景にとどまらず、あらゆる人物や出来事から遠近法的構図を奪い、その平面の世界に画家の心象風景を描き始めた。絵画は、人間の眼による焦点化を逃れ、広く表面を撫でる漂いわたる注意という、あの忘我や白昼夢のような不鮮明な視覚イメージを獲得した。
 ちょうど印象派が美術界を席巻しているころ登場してきた写真は、死後も面影を記憶に留めるために求められた肖像画の後継媒体としての役割を忠実にこなしていくことになる。しかし写真もまた、芸術的評価を得たいという衝動から無縁ではいられなかった。上述した視覚イメージ変容の文脈に照らせば、芸術としての顕彰を欲する写真もまた、絵画のような不鮮明さを求められたのではないか、という憶測は、本書を開けばすぐに正鵠を得た指摘だということが判明する。だが本書の指摘は、このような不鮮明な私的補足よりもはるかに微に入り細を穿つ克明な分析となっている。
 まず不鮮明さを欲望する素地を見てみよう。19世紀が視覚の時代という形容を戴いている事実を思えば、不鮮明さが望遠鏡のような鷹の眼や、顕微鏡的微視に対する反動的な敵意の現れと考えるのが自然だろう。ここに『闇をひらく光』(http://d.hatena.ne.jp/pilate/20130913/1379040218)における照明の発達史を加えてもいい。今まで視野に入らなかったものが次々と現れてくる時代は、科学や医学に対する好奇心と共に、そうした不気味なものたちに対する忌避をも養ってしまう。近年の除菌ブームを思い浮かべてもいい。たとえば東野圭吾は人間の生活圏に潜在する細菌やバクテリアの類がすべて見えてしまう男の不幸をコメディとして描いている(『黒笑小説』所収「みえすぎ」http://d.hatena.ne.jp/pilate/20080619)。この短篇が現代的なのは、潔癖症が視覚に対する不信に由来することを逆手にとって黒い笑いへと変えているからだ。視覚がテクノロジーの進歩に応じて研ぎ澄まされていくにつれ、それでもまだ見えないものへの不安をいっそう掻き立てる。と同時にその不安は、テクノロジーがそれまで見なくてすんでいたものを細部に渡って明るみに出すことにより増幅する。「なぜもっとよく見えないのか」という苛立ちと「なぜこんなものを見せるのか」という腹立ち。このように視覚の高精細化は、なにかを見る経験に心的外傷を刷りこんでしまう。技術が発達すればするほど、不鮮明さの需要は反動形成されていく。
 しかし写真に関する限り、不鮮明さは、本来見えるはずのないものを視覚化する際のイメージとしても有効だった。たとえば心霊写真やUFOなどがその好個の例だろう。超自然現象や誰も目撃したことがないものが視覚化されるとき、それは不鮮明であればある程信憑性を帯びる。目撃したものの心理状態、あるいは常人には理解しがたい天才の表象として、不鮮明さは恰好のイメージとなる。スタイケンやスティーグリッツの写真は、人間の眼には見えない≪音楽的な雰囲気≫を視覚化したイメージの不鮮明さによって芸術として認知された。いずれにしても、時代の細部に対する忌避と合致するかたちで、不鮮明さは芸術写真のステータスとなった。ちょうど、細部をそぎ落とされた抽象画が堰を叩き斬って、美術界を席巻していた時期だった。
 「利害関心のない適意」(カント)や「無意志の所産」(ショーペンハウエル)、「無垢な眼」(ラスキン)といった美学の理にも、焦点を暈かした不鮮明は沿う。また記憶や心的イメージといった内面世界、あるいは共感覚現象を記述する上でも、不鮮明さは迫真性を演出する。静止したイメージだけではない。ものの素早い運動を描く上でも、露光時間を長くすることによって得られた「全体としては不鮮明だが動きの推移は鮮明」な写真はリアリティをもっていた。やがて動くイメージは映画の特権的な縄張りとなっていくが、映画が用いる手ぶれ効果やイメージのブレはおそらくはこうした写真技術の影響を受けている。事件や突発的な出来事をフレームに収めた写真がいつも不鮮明なように。不鮮明さはある種、意図や作為が作品に入り込むことに対する防護壁であり、皮肉にもその防護壁は意図や作為に満ちた技術的介入によってつくられる。
 このように輻輳するテーマを内包した不鮮明さは、急速にその求心力を失っていく。著者ウルリヒによれば、不鮮明さは「ルサンチマンと防御の美学から始まって、勝利者の美学に行き着いた」という。情報が少ないイメージの氾濫、特定しがたい朧なイメージの使いまわし、そして複数の不鮮明なイメージ同士のアナロジー作用。現代の不鮮明なイメージは、その朧な輪郭を介して相互に溶けあい、係争を中和して、イデオロギー色を脱色し、商業活動を円滑に回す原理として作用しているようだ。地獄も天国もない全体化された平坦な世界は、それ自体を誰にもイメージできなくさせるイメージの氾濫によって、わたしたちの眼路を離れていく。
 わたしたちが思い描くイメージは、どれも酷似している。宇多田ヒカルとミラクルヒカルの違いがわからないように。そしてメディアに流通するイメージは、たとえそれが鮮明なものに見えたとしても、価値中立的で誰かの感情を激することは少ない。消費者金融のCMのように。
 イメージの不鮮明さは、わたしたちのイメージに対する関心を失わせるきっかけだったのかもしれない。しかし今問題なのは、すべてのイメージに対してわたしたちが不感症に陥っている現状だろう。アフガニスタンの爆撃、WTCの倒壊、東北を襲う津波に既視感を覚えたとしたら、わたしたちはイメージに対してなにも感じないように自分を訓練し過ぎてしまったのかもしれない。刺激が強く、情報過多の時代を平然と生き抜くために。他人の感情を逆撫でにしないように。基調和音となる空気をほどよく意識できる程度に、感性をチューニングして。
 「市場は肖像画や概観図を要求していて、それ以外のものは、適当に受け入れ、批評し、その前を通り過ぎるだけだ」というアダム・ミュラーの言は今こそ真に迫る。なればこそ、イメージにとり憑かれることの重要性を訴えるソンタグ写真論』や認識の枠組みを問い直すためには感じることが重要だとするバトラー『戦争の枠組み―生はいつ嘆きうるものであるのか』、写真を前に自分なりの「真実」を生産しようともがくバルト『明るい部屋―写真についての覚書』を、今こそ読み返すときであるようにわたしには思われる。全体/部分の論理に回収されない細部にこだわり、イメージの可能性を詮索し続ける一連のディディ=ユベルマンによる読み(たとえば『時間の前で』→ http://d.hatena.ne.jp/pilate/20130129/1359447279)がくだらない試みに映るとしたら、技術的革新による画素数の向上とは裏腹に、人間の解像度は冥くなる一方なのかもしれない。

逆説的なことだが、見えないものを模倣する試みには、見えるものを写し取る場合よりも、自由な表現の余地は少なかった。現実の対象を<正しく>描いたり撮影したりするのには無数の可能性があるのに、目に見えないものは、常にただ一つのやり方でしか表現することができなかったのだ。


 複数のやりかたを、≪自由≫を模索してみようと思う。