引越し完了!

 引越し完了。荷物はかなり捨てたので、思っていたよりも少なめにすんだ。掃除は、モノノフ氏のご尽力により想像以上に早めに終了。非常に助かった。敷金戻ってこないかもしれないけど、払わないで済むならゴネるつもりはない。
 地方の僻地で愚痴をこぼしながら世間的に肩身の狭い研究者人生を共に過ごしてくださった皆々様、おかげさまで楽しい5+1年を過ごすことができました。これを見ている物好きな方だけではなく、見ていない方にも感謝しております。これからもちょくちょく何かしら出向くことがあるとは思いますが、そのときはどうか石打ちなしでスルーさせてください。逆に九州上陸の機会があれば、喜んでご案内させていただきます(案内するようなところはないけれども)。お世話になりやした。

 と、感謝をした後にキレるのもどうかと思うが、新幹線の中でフツフツとコメカミあたりを刺激する出来事があったのを思い出したのでご報告。
 どこでもあると思うが、ウチの研究室には院生の組織がある。そして当然のごとく院生が編纂する学術雑誌(というと聞こえはいい)がある。遡ること約1年前、この「学術雑誌」の送付先を増やそうという提案が会長を中心とする「役員会」なる組織(そもそもたかだか30人ぐらいの組織なのに何が「役員会」だ!)から提案された(私がまだM生だったころ、一度この提案は却下されている)。理由はウチの研究室ないしは大学の宣伝のため、というものだった。たわけぇー!とそのときは猛反発したのだが、周りを見て気がついた。反対するような人間が一人もいなくなっているのである。ははーん、「小沢一郎」の仕業だな、と内心思ったものだ。以前却下されたときの黒幕もこの「小沢一郎」だった(多分反対する人間がいないのを見計らって提案してきたのだろう)。この世界にいる人なら誰しもわかることだと思うが、院生の雑誌にそんな宣伝をする力なんかあるわけない。しかも会長はその「学術雑誌」が地方学会の機関誌よりも学術的に素晴らしい、とのたまった。うつけものー!そもそもそんなに内容的に優れているならなんでもっといい雑誌に投稿しないんだい?院生の雑誌の地位を上げることに何か意味なんかあるのかい?第一、お前らの論文ってそんなに威張れるほど凄いのかい?院生の雑誌で宣伝してもっと院生を増やす、などというおよそ学生の本分とはかけ離れたところで繰り広げられる幼稚な発想を聞いてて頭が痛くなった。そして、それに反対する者が誰もいないことに戦慄を覚えた。院生の雑誌なんて現状維持でいいのよ、何も変えなくったって。それでも変えたいんだったら、頑張ってねと。ここで終わっておけばよかったのだ。
 それから10ヶ月後。院生の雑誌の編集長(彼も「役員会」の一人)が「投稿者がいません、どうしましょ」だって。お前らが出せ!院生の雑誌よりも「下」だと彼ら自身が主張した雑誌に彼らは投稿を始めている。なんだこの変わり身の速さは?「そのうち1年1冊(今は2冊)にしないといけませんね」だと!お前ら宣伝はどうした?と、ここまでで終わっておけばまだよかったのだ。院生の数もまあ減ってるし、彼らも忙しいわけだし。宣伝どころじゃなくなったんだね。
 会長が先日一眼レフの高そうなデジカメを買ってきた。「それ、どうしたの?」と聞くと、「役員会でデジカメを買うことになって、院生の組織のお金で買いました」。「何に使うの?」と聞くと、「いろんな行事で写真を撮って、院生の組織のホームページに載せる」。もう何も言いたくない。デジカメ買ったんだ・・・。それも誰も知らないうちに・・・。何の報告もなしに・・・。彼らがお金を出して研究室に寄付したのなら、拍手を送ろう。けど、そのお金はそもそも長い長い諸先輩方の積み立てによって作られたもので、そんな簡単に使えるものではないはずないのでは。それにデジカメって本当に必要なの?毎年、誰か持っているでしょ、それぐらい。それにやっぱり宣伝は諦めてないのね、どうせ誰も見ないのに。さらに、「小沢一郎」が嬉々として「一眼レフは難しいよ、ちゃんと撮れる?」とかそばで言っている。ははーん、またお前か。もう知らん。落ちるところまで落ちていけ。
 ウチの大学は、文字通りお山の大将的な位置にある。地方の学会はほとんどウチの先生たちが牛耳っているし、博士課程まで設けている大学院がほとんどないもんだからどこにいっても院生はわりと大きな顔をしている(ように見える)。そういうお山の大将的な環境が彼らをそうしてしまったのだろうか? 自分たちは凄い。凄いから情報を発信する立場にならなければならない。そう考えてしまってこういう状況になっているのだったら、少し気の毒な感じはする。昔は身の程を弁えることを自覚させてくれる怪物的な先輩方が大勢いたもんだが、今は正直レベルの低下が激しいような気がする。これは自分も含めて激しく猛省しなければならないところだ。このままだと、益々勘違い人間が増えていく。
 付け足しておくが、彼らは別に悪い人たちではない。むしろ世間的にはいい人たちに分類されるかもしれない。ただ幼稚なだけだ。そしてその幼稚さが私を激しく苛立たせる。