二分論

 読書、その他。猛暑。鶏をカレー味で蒸す。
 テレ東系の対決番組。素人にその道の達人が10日間レッスンし、対決させるというもの。今回はドラム対決。「ポンタ」がまちゃまちゃを元ルナシーの真也が安田大サーカスのヒロを担当。二人の上達ぶりにびっくり。右手が「タ」、右足が「ド」…etcと各部位を音に振り分けて、まずは口でリズム感を叩き込むという「ポンタ」の指導法は興味深かった。あんなに上手くなるんだなあ。プロの目から見たらまだまだなのだろうけど、小一音楽のカスタネットで躓いた暗い過去を持つ私の目から見たらほんと凄いもんだ。まちゃまちゃの方が上手かったように思ったんだけどね。
 
 NHKスペシャル「日中は歴史にどう向き合えばいいのか」。以下、連想や補強を大幅に含むあくまで私的なまとめ。1972年の日中共同声明前後を両国の歴史認識のズレと政治的確執の始まりと捉え、両国の歴史認識の問題を討論。焦点は「二分論」。すでに高度経済成長期に突入していた日本は、経済大国としての自画像を前面に押し出しつつあり、敗戦国というアイデンティティは受け入れ難かった。他方、中国は、国交を正常化するに当たり、喫緊の台湾問題もさることながら、戦争責任に言及することは避けられなかった。結局、日本側は「責任」の二文字を声明に盛り込むことに同意し、中国側は「軍国主義」というイデオロギーに踏み込んだ記述を引っ込めた(「日本側は、過去において日本国が戦争を通して中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。」*1)。こうした僅か3泊4日の強行日程で作成された両国の妥協的な歴史認識を下支えしたのが「二分論」である。
 二分論は、端的には戦犯と国民を切り離し、戦犯に全ての戦争責任を負わせる、という論法を指す。一部の軍国主義者が侵略戦争を扇動=先導したのであり、彼らに洗脳された日本国民に罪はない。戦争責任を過去の戦犯=指導者層に一方的に着せ、棄却することで、両国民を軍国主義者に対する被害者として同一視する二分論は、これ以降中国の公式的な歴史認識となった。日本側としても、中国側の賠償請求権の放棄と相俟って、現政府の戦争責任を免責できるメリットがあり、また中国側としても、常に変わらず悪人であり続ける戦犯を仮想敵として維持し、体制保守に利用できた(江沢民以降の愛国心教育にも通底する)。この二分論は、靖国問題や日本政府要人の問題発言の度に敷衍され、再び日本の指導者層が軍国主義を復活させ、国民を洗脳しようとしている、という反日発言を生む。注意しなければならないのは、この場合の反日が必ずしも日本国民に向けられたものではない、という点である。あくまでも日本国民は指導者層に洗脳される被害者なのであって、諸悪の根源は軍国主義を復活させようとしている政府側の人間に帰せられる。しかし、愛国心教育によって「上からの国づくり」を推進し、それを享受している中国/中国国民が、軍国主義に日本人を洗脳する「間違った」指導者を非難するのは皮肉な事態だといわざるを得ない。まるで、中国の国家体制を捩れた形で日本に投影しているかのようなこの二分論の敷衍は、日本国に対する怨嗟の声であると同時に、共産党独裁体制に対する内なる怨嗟の声とも重なっていくように見える(ジーコジャパンアジアカップなどを想起する限り)。この意味で二分論は、中国の歴史認識の理論であると同時にイデオロギーでもあり、またイデオロギーを突き崩す立脚点としての可能性をも秘めているような気がする。
 では、日本側の歴史認識に二分論に代わる理論はあったのか。討論で誰かが言及していたが、そもそも日中共同声明にこぎつけるまでが場当たり的で、日本側に歴史認識の問題が念頭にあったかどうかすら疑わしいらしい。というのも、戦後の日中関係は経済関係であり、それまで文化的・歴史的差異はほとんど無視されてきたからだ。「ご迷惑を」という田中角栄の有名な謝罪が、たとえ熟慮の末の発言だったとしても、この場合の熟慮はあくまで内輪の事情の斟酌ぐらいの意味でしかなく、そこに中国という歴史的・文化的他者を慮る意識が欠けていたという点は否めない。戦争は二者以上の敵対関係によって行われるものである以上、他者の存在しない歴史認識などというものはあり得ない。しかし、田中発言にはまず他者ありきの姿勢が欠けている。「ご迷惑を」という響きには、謝罪そのものの効果はなく、むしろ謝罪をした場合起こりうるであろう自尊心の毀損を未然に防ぐ防衛本能が、つまり謝罪したくないという愚直なまでの素直さが滲み出てしまっている(「ご迷惑とは何だ、ご迷惑をかけたとは、婦人のスカートに水がかかったのがご迷惑というのだ」と中国側は反応。「『迷惑をかけた』とは、過去をわびる言葉として『東洋的なもっとも素直な表現』と田中首相がみずから選び抜いたものだった(中略)それだけに、これを中国語にどう訳すか、外務省の専門家は練りに練ったにちがいない。そして『添了麻煩』(ティエンラマーファン)と通訳された。ところが、これだと中国語で「めんどうをかけた」の意味になり、首相の真意を十分に伝えない、まずい訳だったという批判もきく」「日本語は漢字をとり入れて発達したから、中国語の文字には親しみ深いものが多い。しかし同じ文字が全くちがう意味に使われる場合も少なくない。同文に甘えていると、とんでもない失敗をする」という言い訳が事後的には通用するにしても、謝罪は他者に対して行うものである以上、他者がどのように解釈するかという熟慮は予め謝罪の文言を斟酌する過程で考慮されていなければならないように思う)*2。結局のところ、これが意味するのは過去の戦争に対する歴史認識を披瀝することより、当時の国内的事情の方が田中を始めとする日本側の意識を支配していたということなのではないか。そしてそれは、日本に歴史認識の理論が事実上存在しなかったことを如実に物語っている。だからこそ、日本は二分論を容認し、そしてそれゆえに二分論の餌食となり続けるのである。反日運動の批判は、歴史認識を、ひいては歴史認識の理論の重要性を疎かにしてきた日本の戦後史を批判することから始めなければならない。この意味で、二分論はそれを信奉してきた中国の問題であると同時に、それ以外の方法論を知らなかった日本の問題でもある。
 では、日中両国は今後どのように歴史認識を構築していけばよいのか。番組中パネリストたちは、様々に意見を交換した。草の根の交流を進める、日本の戦後を中国が学び、日本は大日本帝国時代の歴史を学ぶ、などなど。いろいろな方向性があると思う。二分論が国民に対する国家の優位を前提としている以上、その非対称性を突き崩す「下からの歴史構築」は当然であろうし、両国の恥部も矜持も曝け出すことで、二分論が隠す両国の関係のダイナミズムを手繰り寄せることもできるかもしれない。しかし、私は番組中の坂元一哉氏の提案には全面的に反対する。「個人に責任はなく、個人の所属する国家に義務を負うだけ」、「他人に左右されることなく、自分の歴史観を保持することが重要」、「絶対に埋まらない歴史の溝を穿り返すよりも、互いの心のあり様を詳らかにすることが大事」(正確ではありません。大意です)*3。ここで注目すべきは、歴史認識を構築するプロセスに他者は関わらず、結果として独力で完成した歴史認識を他者に提示するのみ、という過剰なまでの自己決定論である。形成過程に他者は関わらず、自己が完全に自由に形成した歴史認識(そんなものがあるとして)が他者の存在を前提していることになるだろうか(坂元は今の両国には友好よりも喧嘩が必要だ、というが、こうした歴史認識が不毛な喧嘩以外の結末をもたらすとは到底思えない)。「他人に左右されることなく」作られた歴史は、他者の他者性を無視する。何も面と向き合って逐一議論しながら歴史認識を構築しろ、といっているのではない。中国を含む歴史を構築する際に、全く中国に左右されない歴史を日本の見方だけで構築し中国に提示することは無意味、というより不可能だというだけの話である。日本の独自の見方といっても、そこには確実に他者の影響力は入り込んでいる。要は、日本独自の見方という見方そのものが他者独自の見方があるという見方を前提にしないと成立し得ない、つまり他者を想定しないと歴史認識は作れない、ということを歴史認識を構築するプロセスの中で想定しうるかどうかという問題である。歴史は政治と切り離さなければならない、とも坂元はいっていたが、わざわざそういわなければならないのは、歴史は政治的プロセスに他ならないからである。他者のいない政治などない。他者の他者性を想定して構築された歴史認識であれば、両国の溝をなくさないまでも、限りなくその距離を縮める効果を生むだろう。ここで二分論に有意義な教訓を求めるとすれば、それが歴史認識の問題を解きほぐすのを阻害してきた一方で、一時的にであれ両国の政治的事情を慮った妥協を下支えした点である。二分論の方法論的限界を厳しく糾弾する一方で、相互の尊厳を承認するその融和的な面に学ぶところもあるのかもしれない。二分論は、案外奥が深いのかもしれない。
 あくまで素人の戯言です。事実誤認等あるかもしれません。ご容赦ください。
 

*1:http://list.room.ne.jp/~lawtext/1972Japan-China.html

*2:http://www.21ccs.jp/china_quarterly/China_Quarterly_01.html

*3:個の免責と国家の問題は、個人的には戦争責任の問題そのものを議論から除外する結果を生むように思う。議論をするのは、予め免責された個であるから。たとえ、責任の問題が議論の俎上に上ったとしても、他人事の議論になってしまう恐れがある。私は戦争責任を戦争当事者の責任だけではなく、それを語る責任まで含めて考えた方がいいのではないかと思っている。心のあり様を曝すべきという件は、議論の非政治化の意図がありありと覗える。歴史のことを語るのに、非政治的な「心のあり様」などというものをさらけ出せるかどうか甚だ疑問である。いろんなものが渾然一体となった「心のあり様」でしかないように思うが。毛里和子氏は、その論理は細かい歴史認識を詰めなかった日中共同声明と同じ轍を踏む、と批判していた