平成四年のダビスタ

 もろもろ。朝方CL準々決勝、PSVvsリヴァプールを見る。主力級に怪我人続出のPSVに対して、新加入のマスチェラーノがシソコの穴を埋めて中盤のバランスをとり、ジェラードが前で仕事ができるようになってから上げ潮のリヴァプール。加えて前節のプレミアでクラウチアーセナル相手にハットトリック。シーズン終盤に来て確変モードのクラウチ。と、好対照な両チーム。結果もそのまま0-3。立ち上がりこそ良かったが、大事なところでミスを連発し自分の首を自分で絞めていったPSV。対して抜け目なく相手のミスを突いて得点を重ねたリヴァプール。一戦目にして勝負アリ。ミランvsバイエルンは、終了直前に後者が追いついて2−2のドローだとか。
 今日は嫁さんが職場の花見なので、ベランダから見える桜を眺めながら弁当でも食おうかなあ。と思っていたら、強風で中止になったらしく嫁帰宅。ゆっくりしてくればいいのに。
 

グランプリで会おう (亀造競馬劇場)

グランプリで会おう (亀造競馬劇場)

 私の志向/嗜好を正確に反映した本が、どこからともなくやってきて(そんなわけはないのだが)、郵便ポストに収まっていたので、これ幸いと読み進める。ご存知、ノーベル賞、いやイグ・ノーベル賞作家(嘘)、油来亀造のデビュー作である。
 競馬史に残る名勝負の主役たち、あるいは檜舞台の舞台裏で盛り上げ役に徹する脇役たち。そうした競馬史上の一場面に市井の日常と庶民の人生を織り合わせる。不幸な話あり、ちょっぴり切ない話あり、微笑ましい話あり。
 中でも「平成四年のダビスタ」は秀逸。出自も職業も性格も見た目も競馬に対するアプローチもまるで違う3人の男が、ひょんな巡り会わせで出会い、夜な夜な主人公の家に集うようになる。そんなこんなで主人公のダビスタの記録が消されてしまったのを契機に、3人は最強馬作りに勤しむようになる。20代から40代までのまるで記憶も経験も異なる男三人の公共圏となるダビスタ。そこには期せずして各々の嗜好が現れる。競走馬育成ゲームを介してお互いの新たな一面を知ることになるというわけだ。
 もっともこの小品の味が際立つのは、それがすでに過ぎ去った昔話だからだ。ここに収められた短編集の基調は、すでに終焉を迎えた青春というテーゼが構成する。なぜか懐かしい匂いがするのは、競馬がなんとなく短い青春のはかなさのようなものを随伴するジャンルだからなのか。なんせ競走馬の青春は短い。2歳の夏から3歳の春にかけてデビューを迎え、5歳の終わりぐらいがひとつの潮時となる。もちろん成績が悪ければ短い青春はもっともっと短くなる。引退後、競走馬は種馬・繁殖牝馬・乗馬として、長い長い余生を過ごすことになる。もっとも、青春時代が短すぎた馬たちには余生は与えられない。いずれにしても、競走馬の青春は短い。
 「余生」を生きる者にとって、ある意味青春は人生の中で最も「イタイ」時代を意味する。しかし油来亀造は、青春の短さを競走馬の青春の短さ、あるいは競馬のサイクルの短さと重ね合わせながら暖かく表現する。短いからこそ青春は輝くのだ。青春が輝くからこそ余生は実りあるものになるのだ。とかなんとか、念仏のように唱えながら、(少なくとも客観的には)引き伸ばされた青春を生きる私は、自戒を込めて我が身に鞭を打つのである。ヒヒーン。