軍神

 もろもろ。
 台風接近の報せ。めったに移動しない人間が、重い腰を上げてえっちらおっちら移動しようとするときに限って、どうしてもお前は邪魔をするのだ。それはさておき、ああ、今年は当たり年かもなあ。また野菜の値段が上がってしまう。
 
 高山宏の自伝的エッセー(連載中)。四方田犬彦に触発されはりましたか。http://www.nttpub.co.jp/webnttpub/sb.php?type=3#
 荻原魚雷の『古本暮らし』刊行に寄せたエッセー→http://www.shobunsha.co.jp/gyorai.html

 

軍神―近代日本が生んだ「英雄」たちの軌跡 (中公新書)

軍神―近代日本が生んだ「英雄」たちの軌跡 (中公新書)

 素晴らしい仕事。新書という形態を採りつつも、研究書並み、あるいはそれ以上の分厚さと濃厚さ。感情を主題に据えながら、決して感情的にならず、過去の出来事に敬意を払う。
 かつてナショナリズム論の始祖ベネディクト・アンダーソンは、国民と国家の結婚を、帝国主義植民地主義を背景とした上意下達(official nationalism)と様々なボトムアップ(print capitalismやcreole nationalismなど)という双方向的な運動へと分節して示した。ややそれを敷衍するなら、庶民の悲しみを国家の名誉へとまとめ上げていく国家の統治装置としての靖国神社高橋哲哉)は前者に、「軍神」は戦争という例外状況の枠内で、時として国家の理性的判断にさえ変更を迫る、感情飛び交う国民の共感装置であったという意味で後者に分類されるだろう。
 哲学者・高橋の立論は、庶民の感情と国家の統制とを対置させることで、両者をジンテーゼへと導く天皇を頂点とした国家宗教という絶対精神の堅牢さを鮮やかに跡付けている。しかし、高橋説の強みが、現代の立場から過去を捉える際に必要とされる思考の枠組みを提供する点にあると評価するにしても、彼の哲学的分析を概観する限り、現代の流転状況に比して過去の表象が滞留している観は否めないし、何よりも国家の力学を過大評価しすぎているきらいがある。主として方法論的には歴史学に依拠した本書が明らかにするのは、さまざまな感情を闊達に巡らせる戦時下の日本、またその感情が時として国家側の冷静な判断と対立し、やがては戦況の悪化に伴い精神主義的な国家と感情的な国民とが志を一致させていく変遷の版図である。
 本書が扱う「軍神」は、多岐に渡る。「日露戦役」時に爆死し突如として祭り上げられた廣瀬武夫と廣瀬には熱狂度において劣るものの国定教科書において一定の注目を浴びた橘周太、旅順攻略で名を上げるも明治天皇崩御に際して殉死した乃木希典満州事変勃発後の上海での戦闘において敵陣に爆弾を抱いて突入した「爆弾三勇士」、「支那事変」時、敵機と衝突して戦死した杉本五郎、戦車を離れて敵弾を浴び戦死した西住戦車長、真珠湾攻撃の際特殊潜航艇で敵艦目掛けて突入した特別攻撃隊の先駆け「九軍神」、南方での空中戦で戦死し海軍/陸軍の均衡をとる事情で軍神に昇格した加藤少将、山本五十六元帥戦死を悼む世論を背景に玉砕精神の範となった山崎軍神部隊、そして戦争末期に玉砕精神を身をもって体現した無数の特攻戦士。
 アンダーソンの説を理想的に実証する無名戦士("Cultural Roots"の章)がいるかと思えば、乃木将軍のように著名な指揮官もいる。軍部が率先して「軍神」へと祭り上げたものもあれば、軍部の意に反して民衆とメディアが勝手に礼賛した「軍神」もいる。毀誉褒貶相半ばする「軍神」がいるかと思えば、挙国一致的に礼賛される「軍神」もいる。戦間期に忘れ去られる「軍神」がいれば、ほぼ一貫して人心の心をしかと掴む「軍神」もいる。「軍神」の実像が多様であるように、その虚像を偶像として受容する方途も様々となる。
 しかし、時代を経るごとに、幾多の「事変」を戦いながら「戦争」へと没入していく中で、そうした振幅はひとつの束へと収斂していく。玉砕や殉死の思想が民族殲滅を意味することを説き、熱狂する群集を諌めた軍部や知識人は、やがて民衆の作り出す大きなうねりの中に飲まれていく。
 本書が描き出す感情のダイナミズムは、戦地に赴かなかった日本国民が戦った感情の戦争の激しさを跡付ける。戦時下に展開された感情のドラマを十把一絡げに「悲しみ」や「誇り」として単純化することはできない。むしろ、その複雑さが「大東亜戦争」末期にひとつの精神論へとまとめ上げられていった綜合の過程を勘案するなら、戦争を直情で撥ね付けたり、あるいは無関心や政治的正しさでもって抑圧するのではなく、戦史の背後で錯綜していた感情の澎湃を知り、理解することこそが戦史に対する誠実な態度なのではないか。著者の「あとがき」には、感情を抑えた本書の記述の底部に伏流するそうした熱い思いが静かに語られている。
 

 現代日本の価値観に従えば、軍神は日本を間違った方向に導いた象徴の最たるものなのかもしれない。しかし、私はその後の帰結を知ることのできる後世の高みから、軍神を裁きたくはなかった。さりとて、そうした戦後の風潮に反撥して、彼らを日本人の模範として仰ぎ見たいわけでもない。軍神を論することで、何かの教訓を得たいと考えたことは一度もなかった。ただ、善し悪しは別にして、記念館の中に今でもこもっている情熱が、かつては日本中に広がっていたことを、できる限り忠実に跡づけし、それをそのまま読者にも伝えたいと思っただけである。