となり町戦争

 暑い日が続く。泡盛オンザロックをからころ傾けているうちにだんだん体もゆらゆら傾いで、ソファの上で仰向けになる。背中の汗と熱気で目が覚める。
 故郷では最高気温33度を記録したという。熱帯魚ショップがなくなる日がくるかもしれない。
 
 

となり町戦争

となり町戦争

 目の前にあるはずなのに認識すらできない戦争の不条理を、どうにか乗り越えようともがく青年の物語。設定や展開はミステリのようでいて、謎に対する向き合い方は純文学のよう。
 仕事のために縁もゆかりもない舞坂町に越してきてから二年経ったころ、北原修路はふと手にとった町の広報誌の隅に、となり町との戦争の開戦を周知するお知らせを見つける。だが、通勤途中、見慣れたとなり町の風景に目を凝らしてみても何も起きているようすはない。戦争のことなど忘れかけていると、ある日、偵察業務に就くよう命令する封書が届く。となり町戦争係の香西と名乗る女性に導かれるまま役場で拝命し、通勤途中で見聞きした何の変哲もない日常を役場に報告する毎日が始まる。戦争に間接的に関わっていながら一向に戦争の姿を捉えられないことに業を煮やすころ、役場から新しい任務に就くよう命令される。となり町に引越し、香西との婚姻関係を偽装し、会社での仕事の合間にスパイ行為をはたらく毎日が始まる。しかし、どこにも戦争の痕跡は見当たらず、苛立ちだけがつのる。教育や読書、ニュースから得たささやかな戦争のイメージを総動員して、戦争の姿を炙り出そうと試みては挫折する。お役所仕事の四角四面さで淡々と業務を遂行する香西に疑問をぶつけても、官僚のような感情を交えないお仕着せの答弁にうんざりする。そんな毎日が続いたある日、事件は起きる。
 北原の苛立ちは戦争を実感できないことにある。戦争の原因も目的も方法もわからない。情報がない。情報を集める役職に就いても頭の中にある戦争のイメージに合致するものはない。どこの誰に訊いてみてもわからない。もやもややわだかまりが色のない綿菓子のように膨らんでいく。
 香西は役人のペルソナをしっかりと被り、理性的に行動しているかのように映る。システムの歯車として、淡々と仕事をこなす。北原の苛立ちに対しても、マニュアルを読み上げるような隙のない正論を返し、とりつくしまもない。だが、香西は戦争について問わないだけで、理性的に理解しているわけではない。
 戦争はふたりの間のどこか見えないところで起こっている。感情でも理性でも捉えられない。「ゲーム」ですらない「戯れ」のような戦争は、ふたりの思考や行動とは無関係に、勝手に始まって勝手に終わる。日常と地続きの「変わらない日常」のような戦争は、終戦を告げる空砲の余韻だけを残して消えていく。
 ただ、ふたりの関係は戦争へのかかわりを通じて、少しずつ変わっていく。言葉や感覚では捉えられない戦争を挟んで、ふたりは言葉を交わし、やがて「痛み」を共有する。ふたりの身体の間に「戦争のリアル」が宿る。
 戦争はどこにでも遍在していて、どこにもない。目の前の人間との関係の中に、(疑似)体験*1としての「戦争のリアル」が生まれるだけだ。理解できず感得もできないそれは、ただ「痛み」として体験される。

*1:疑似体験と体験の区別がなくなった現代的情況を表現しているような気もする。「練習する」主任と「実践する」主任の区別がよくわからないように。でも主任のエピソードは物語の主筋から浮いているような。