星になったのさ

 土産の泡盛、ラフティ、沖縄蕎麦が届く。そして「蘇精回春」と銘打たれたハブ酒も。封は解かずに、来るべきどんちゃんに備えて置いておこう。

 
 早世した「どんと」を偲んで大騒ぎすべく、たくさんのアーティストが一堂に会して行われた「どんと紅白2006」にて。白組のトリを飾ったのは忌野清志郎の「孤独な詩人」。どんとの歌だが、忌野のための歌のような気がしてならない。何度も繰り返される「星になったのさ」というフレーズには、此岸での成功と彼岸に至ってもなお天井知らずの求心力とがまばゆい光を放って同衾している。マントでも布団でも隠せない天然のスターの輝きは隠せない。どこにいてもどこにいっても、スポットライトが似合う男だ。
 
 
 昨夜、NHK「SONGS」の再放送で「JUMP」を聴いた。のりのりの観客にぐるりとまわりを囲まれた、ぎらぎら光るスポットライトが降り注ぐステージの上に、汗をだらだら流しながら歌う清志郎がいた。「夜が落ちてくるその前に、もう一度高くジャンプするよ」、というシンプルなフレーズが届いたことがない場所に届く。暗くじめじめした話題を一刀両断、光のあたる場所にいたい、という欲求を歌い上げると同時に、光は常に上の方にある、という常識を呼び起こす。この人の歌というのは、どれもこれも前向きどころじゃなくて、思いっきり上向きなんだな、とつくづく思う。
 
 
 忌野からは離れてしまうが、シンプルな言葉のよさは、竹内まりや「人生の扉」を聴いたときにも感じた。五十路に恐る恐る分け入ろうとしている人たちの心境に分け入って、これまでの半生に頷き、これからの半生の背中を押す。老境を心から理解できるほどまだ成熟はしていないので、まだまだ自分には重過ぎるが、それでも五十路を "nice" なんていうありふれた飾らない気負いのない一葉の言の葉で包んでしまうセンスはさすがだ、と思う。