極楽・加藤の娘は枕についた親父の加齢臭に泣いたらしい

 シチューのCMソングだった「デイドリーム・ビリーバー」や代表曲「雨上がりの夜空」、完全に別の歌になっているカバー曲「上を向いて歩こう」・「イマジン」と、ときどき動画サイトをめぐっている。熱狂的なファンどころか、そもそも彼のCDを一枚ももっていない私でも、彼の凄さはなんとなくわかる。
 手触りは今にも折れそうな線の細さ、だけど腹を割ってみたらピッチが揺れてもなぜかブレない丈夫な骨が出てくる。深い懐だが、腕を突っ込んでみてもなにもない。固い何かを掴んだ実感だけが残る。そもそもそれは懐だったのかい、と疑いつつ、感触を残した腕で頭をゴシゴシ、疑念を拭い去る。そんな声音。
 たおやかさとたくましさが同居した不思議な声音は、上手/下手のフィルターをあっさりすり抜け、楽器としての優秀さを体現している。歌詞の社会性とか、フロントマンとしての有能さとか、ビブラートのテクニックなどの小手先はどうでもいい。歌うたいの存在理由は、楽器としてかっちょよくてなんぼなんじゃないか、と思った。
 巡っているうちに「木村充揮×近藤房之助酒と泪と男と女」にたどり着いた。この木村という人(初めて知った)の、スナックで熱唱する居酒屋のマスターみたいな歌い方に心を揺さぶられる。会ったことはないが懐かしい*1
 その下は「パパの歌」。パパになったことはないが、ちょっとだけなってみてもいいかもしんない。

*1:憂歌団の人だったのか。無知というのは怖い。ぶるる。