人文学

 こたつで寝て起きたら、右手の小指以外の指が痺れている。ちょっとほっとけば直るだろうと思っていたら、丸一日その症状が続く。それにしてもネットで検索すると、どうしてこうも怖い病名が並ぶのか。
 
 

 スピヴァク講演@一橋大学を収録。普段、こういう批評系雑誌は全く読まない。手にとってみて、こんなマニアックな雑誌が存続しているのだから、まだまだ世の中捨てたもんじゃない、と喜ばしく思うと同時に、誰が買っているのだろう、と訝る。本田由紀って美人さんだったんだなあ。コホン。なんてことは置いておいて。

 言い換えれば、グローバリゼーションを疑いながらも耳を傾けてみるなどということはもうやめにして、ダブルバインドのもう一方の側を体験してみるべき時なのではないか。

 
 アレントのいう「活動」を「人文学」として組織化し、それとグローバリゼーションとの間に生まれるダブルバインドを世界の中に維持していかなければならない、というお話。ダブルバインドをほぼ「維持可能性」(多分sustainability)と同義に捉えて、「矛盾する一連の要求をつねにバランスよく配しておくこと」と説くあたり、おもしろい。
 最後らへんでは、体験vs理論という対立が扱われている。自分の体験に基づく判断だけでは「自己免疫的」、まあ自己完結的になってしまう。今、スピヴァクが求めているのは、理論を体験するような、ダブルバインドを生きる「活動」。上の引用は、多分そういうことをいっているのだろうと想像する。

グローバリゼーションを<代補>すること、つまりグローバリゼーションの体系の欠如を補うように見えながら過剰な供給を行い、グローバリゼーションの体系そのものを脅かすような可能性をはらんだ利害関係のなかで、こうした定義を変えていくことを求められている。