リチャード三世は悪人か

 

日本でも人気の高いシェイクスピア劇『リチャード三世』。そこで描かれるリチャード三世の姿はしかし、実在のイングランド王、リチャード三世とは大きくかけ離れたものだった! 本書は『もてない男』の著者にしてすぐれた英文学者でもある小谷野敦が、当時の貴重な未邦訳文献を読み解き、真実のリチャード三世の姿に迫っていくスリリングな試み。シェイクスピアはなぜ「リチャード三世」を醜い悪人として描いたのか? そして、この「リチャード三世悪人説」はどのようにして定着していったのか? 文学作品に描かれる歴史と史実とではいかに大きな違いがあるのか、ということを明らかにしていく。第?部では「マクベス」「リア王」「オセロ」などのシェイクスピア作品をユーモアたっぷりに読み解く。

 エリザベス朝演劇の一作家に留まらず、不世出の劇作家として名高いシェイクスピアの作品、『リチャード三世』、『マクベス』、『リア王』、『オセロウ』をじっくり史実に照らして分析した本。
 一般的に悪人とされてきたリチャードだが、それは根拠薄弱だという反論も根強く、これまで長い間論争が戦わされてきた、というのが出発点で、本書の大半はこのリチャード悪人説の真偽の判定に費やされる。膨大な数の王族が登場し、まさに先ごろ日本の有名一族に関する著書を出版した家系マニアたる著者の面目躍如といったところか。巻末についた年表と系図を手に、イングランド中世史を総ざらい。例えには著者の慣れ親しんだ日本史が動員される。
 結果として、リチャードが実際に悪人だったかどうかを実証的に分析しようとする歴史家たちを尻目に、著者はリチャードの所業に白黒をつけようとする価値観自体を俎上に載せ、当時の王権との比較をしようとしない絶対的判断を指弾する。すなわち、リチャードは、政敵を抹殺したり、前妻を処刑したりするのが茶飯事だった当時の王権に照らせばそれほど悪人でもなく、単にトマス・モアやシェイクスピアによる脚色によって悪人としてのイメージがついてしまったというだけではないか、ということ。絶対評価ではなく、相対評価。(悪いことやったかどうかなんてしらないけど、やってたとしても他の王様もやってたんだし必ずしも悪いことだっていえないよ。)
 その他のテクストも史実に照らして比較検討が試みられている。個人的には、『マクベス』のネタ本に関する部分が印象に残った。そこらへんの一文が帯の惹句になっている。リチャード三世の配役(市川海老蔵とか石橋蓮司とか伊東四郎とか)をあーでもないこーでもないと夢想したり、『キャンディ・キャンディ』を絶賛したりするところで、にやりとする。