光文社の新訳シリーズのひとつが、仏文学界に激震をもたらしているらしいことを今頃たまたま知った。学会のホームページにその発端となった書評が載っている。今回の件というよりも、以前から因縁があったことを匂わせる強烈な筆誅に、翻訳というのはげに責任の重い仕事なのだな、と痛感する。それにしても、誤訳はまだしも、いくつも訳し忘れがあるというのはどういうことなのだろう。
![どすこい(仮) どすこい(仮)](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/4109TQ43JXL._SL160_.jpg)
- 作者: 京極夏彦
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2000/02
- メディア: 単行本
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執筆はもちろん、装丁、レイアウトまで自分で手がける著者のこと、頁の角が丸みを帯びているのは、相撲取りの丸みをイメージして加えた手心に違いない。
夢中に読み終わると、「はて何の話だったっけ」。記憶のバミューダ・トライアングル体験がもれなくついてくる。
47人の力士が吉良邸討ち入り、いや押し入り、いや押し出しに出立する話、「四十七人の力士」は、相撲の歴史的考証つきでまだまともな印象だが、外からは入れるが中からは開かない密室の中に力士の形をしたきのこが増殖する「すべてがデブがなる」あたりから思考が停止する。掉尾を飾る「ウロボロスの基礎代謝」に至っては、現存するベストセラー作家たちに失踪した京極の行方を推理させ、挙句その話を架空の作家が書いているという設定になっており、ああ小説ここに窮まれり。スピンオフ小説もあるそうだが、しばらく遠ざかりたい。トラウマになりそうだ。