『絨毯の下絵:十九世紀アメリカ小説のホモエロティックな欲望』

 

絨毯の下絵 ??十九世紀アメリカ小説のホモエロティックな欲望

絨毯の下絵 ??十九世紀アメリカ小説のホモエロティックな欲望

 C・B・ブラウンからヘンリー・ジェイムズに至る男性作家の作品を精読、そのテクスチュアリティにホモセクシュアル未満のホモエロティシズムが「下絵」として織り込まれており、それが物語を駆動させることを明らかにする。
 このような批評の難しい点として、登場人物や作家の隠された欲望を暴露することに終始してしまう可能性(たとえば白人男性作家の人種差別意識や性差別意識)であり、たとえそれが性器的性愛へと向かわないものであったとしても、愛情や友情というより幅広い感情の機微を性的なものに限定してしまいかねない。クローゼットのダブルバインド(カム・アウトしても潜伏してもLGBTQは被差別者にとどまる)にもかかわる問題であり、わたしには安易な答えが見つからない。
 が、そういうクィアの潜勢力をどこまで維持できるかという困難を意識しながら、膨大な数の先行研究を踏まえながら、精読していく手つきは誠実そのもの。
 特に第2章ハワード・オヴァリング・スタージスの「草食系男子」(他者を欲望しない、ただ愛されたい、アガペーを求める)、第7章ベイヤード・テイラーの"manly love"における(ヘテロセクシュアルな)「男らしさ」と(ホモエロティックな)「男同士」の意味の揺れをめぐる議論は、その切り口の独特さに、それぞれ現在、ほとんど忘れ去られている作家たちであるという新奇さも相俟って、特筆すべき論稿となっている。これらは友愛やパトスをめぐる現在の批評・哲学の活況にも資する新鮮さを湛えている。
 二十世紀アメリカ文学版も計画されているようなので、楽しみ。