卒論、そして修論

 家の整理をしていたら、忘れ形見の卒論が出てきた。Katherine Mansfieldの死生観について論じている。思わず読み返してみた。若い、若すぎる。文章も今みたいに虚飾に飾り立てられておらず、実に生き生きしている。ありえないぐらい伝記批評。そして純粋に物語への感動を表現している。ある意味、人生のピークだったのかもしれない。今やすっかり政治的批評へと転向してしまったが、実はこういう初々しい批評(感想文?)こそ文学本来の姿かもしれないとも思う。個人的には、常に政治と文学の感動との間の揺れを体感している。政治的に読む人、パブリックに自分の批評を開いていく人が一番凄いとは、内心信じてはいない。やっぱり、政治的な批評が文学の美学的な部分や感情的な部分をある意味殺してしまうのはどうしても否めない。心のどこかでは、文学の素晴らしさを表現するような類の論文を書いている人を羨ましいと思っているのだ。そうした揺れを殺して、今は政治的な批評を正しい、と信じようとしている。しかし、そうした態度は所詮作られたものでしかない。ただ、一方で「文学好きです」みたいな告白めいた研究は、パブリックなオナニーみたいに聞こえるのも間違いない。この世界で巨匠と呼ばれている人たちの研究には、どことなくそうした気恥ずかしいぐらいの純朴さがつきまとう。今の若手はそういう「私」を殺して「公」の仮面をつける。それは文学を批評として実践するには仕方が無い行為だ。でも、いつのまにか仮面こそが自分の顔になっているんじゃないか、と思うこともある。いつのまにか、政治的な仮面、文学理論好きの仮面、歴史勉強しましたという仮面、そうした仮面についたガラスの目で物事を見てしまっているように思う。「私」はどこにいったのか。
 文学批評がマスターベーションなのではないか、という思いから政治的批評に走ったが、一方で政治的批評は文学の魅力を奪い去る。これは明らかにアポリアだ。「私」を立てれば「公」が立たず。「公」を立てれば「私」が立たず。もともと文学なんて一人で楽しむものだ。みんなでこぞって研究するようなものではない。それが歴史学、経済学、政治学、哲学のような他の人文学と決定的に違うところだ。だから、このアポリアはもともと宿命付けられたものだったのかもしれない。
 文学批評をするということは、「公」と「私」のアポリアを戦いぬくことだ。批評をする上で、私は「公」の仮面を絶対化する。マスターベーションは許さない。しかし、いつも「公」の仮面をかぶっていると、「私」が消えていく。そして、「公」の仮面を長い間かぶりつづけなければならない博論執筆のような経験の中で、「私」は消滅したかのような感覚すら覚える。もはや、脱構築どころの騒ぎではない。「私」が破壊されてしまっているのだとしたら。今や、作られた「私」が、本当は「私」が作り出したはずの「公」に依存する形で存在しているのだとしたら、いやこうした代補のレトリックに順ずる形で書いている以上、もはや「私」はないのだろう。だが、作られた「私」であっても存在する価値はある。「公」が存在するのは、「私」あってこそだからだ。「公」だけ、あるいは「私」だけという偏った見方を持つ人間は、文学批評をやる資格はない。アポリアを引き受けるものだけが、その資格を有しているのである。それが正しいのであれば、私は「私」探しをやめてはならないのだろう。しかし、ブンガクっていやみな学問だとつくづく思う。
 ついでに修論も読んでみた。これは断言してもいい。ゴミだ。いや、ゴミはまだ燃えるだけまし。これは劣化ウラン弾だ。一ヶ月で書いたということと初めて英語で論文を書いたということを割り引いて考えても、あり得ない。だから、これまで封殺してきたのだともいえる。やろうとしていることは分かる。脱構築だ。実際、ほそーい目をして見てみると、脱構築になっていなくもない。しかし、目を見開いてみると、自分の論に入った無数の亀裂をまざまざと見せ付けられる。自分の論文自体が、脱構築を演じているかのように。これはあり得ない。論を立てた時点で壊れている論なんてそもそも論じゃない(壊れていない論なんて究極的にはないのだろうが)。卒論はまだ可愛げがある。しかし修論情状酌量の余地なし。よって、二度と人の目にふれないよう、ふかーいほのぐらーい穴の中に封印されるのであった。50年後ぐらいにまた読みたい。