ローカル局のグルメリポーターが汁物をすすりながら一言。
「ほっとするね。DNAがほっとするね。」
- 作者: 久坂部羊
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2008/09/01
- メディア: 文庫
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隠れた病気の兆候だけではなく、犯罪の徴候まで「診」ぬける外科医や、生まれつき痛覚を持たない男、性倒錯者など、キャラクターの多彩さには事欠かない。ほとんどギャグかと見紛うほど、世間離れしている。世田谷一家惨殺事件をモデルにしたと思しき凄惨な事件や、生体解剖などの描写も極めて精緻で、作家自身、医者として持ちうる知見を存分に揮っている。グロさや際どさが怖いもの見たさを刺激し、頁を繰る手を動かす。しかし、刑法39条や精神障害者、医療現場の理想と現実など、それらしいネタは詰め込まれているが、どれも徹底して深化されてはいない。トピックを詰め込みすぎている。しかし、グロテスクのばら撒きが効力を発揮する犯罪小説としてみるならば、そうした短所が長所に転ずる、とも思う。
予後不良の患者の治療を諦め、犯罪者を生来の犯罪者とみなす外科医は、ロンブローゾまで動員して運命論者として印象づけられている。しかし、それと対になるべき心理カウンセラーは、患者の矯正可能性を信じつつも、外科医の信念になんら影響を与えることはない。物語の流れも、外科医の見解を裏書きするような形で展開・収斂し、心理カウンセラーは運命に翻弄される受動的な役割に甘んずる。もし(広義の)ミステリとして書くのであれば、nature/nurtureの軸を劇化して、人物関係の変化と彼らの事件に対する態度の変節を前景化し、そこから謎解きの展開をひねり出すべきだと思う。しかし、犯罪に対する怖いもの見たさを刺激する犯罪小説ならば、人物の性向は定まっている方が読む方としては集中できて都合がいい。
600頁以上読んだ挙句、終章が興ざめ。安いホラー映画のラストと月9の最終回を掛け合わせたような終わりかた。もう少しなんとかならなかったのか。