密室キングダム

 選挙運動の車が入れかわりたちかわりあたりを行き交う。「ありがとうございます、お仕事中のご声援ありがとうございます」と連呼するが、声援を送っている人を見たことがないのはどうしてだろう。それにしても街宣車に責めたてられている人の気分は、こんな感じなんだろうか。

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 いまごろ思い出したが、昨年末、Uターンした際、電車のオーバーランに初遭遇した。
 制動の加減に少し違和感を感じた。降りようと外を見たら案の定真っ暗で、おまけにドアが開く気配がない。イカだといわれて食ってみたらクリオネだった、というような居たたまれなさである。一両目に乗っていたため、運転室の粟立ちがやり場のない怒気を押し殺した無線のやりとりとなって漏れ出し、静かな車内のまばらな乗客に伝播していくのがよくわかる。素人考えではさっさとバックしてしまえばいいではないか、と思ってしまうものだが、公共の交通機関たるもの安全確認を徹底しないといけないようで、無線のやりとりは延々と続き、謝罪の鸚鵡返しがたびたび車内に流れた。15分ほどして電車は100メートル以上後進し、正規の停止位置に到着、深夜のホームにまばらな乗客を吐き出して、何事もなかったかのように走り去った。いや、何事もなかったかのように感じるのはこちらの勝手で、学級から隔離された問題児のように、あの運転士は日勤教育にせっせと殉ずるのだろう。かわいそうに。居眠りしてたんだろう、あの外し方をみる限り。

密室キングダム

密室キングダム

 心躍るタイトルである。宮沢りえではないが、「ぶっ飛び〜」な密室ミステリである。
 1000頁弱の紙幅に畳み掛けるような密室の嵐。豪華で巧緻な物理トリックはもちろん、心理トリックにも技術の粋を結集。密室初心者の私でも密室の奥深さがよくわかったつもりになる。ところで、犬笛はこうもりと関係があると睨んでいたのだが、これは捨て札だったか。
 優れた本格推理/ミステリは、ジャンルに対する言及、物語の構造に対する自己言及に満ちているが、本書も例外ではない。ただし、本書の場合、密室にまつわる薀蓄は衒学趣味の穴蔵で沈潜するのではなく、密室という形式の形而上学的考察へと上昇していく。本書の密室は、破られるべき論理の鉄壁である以上に、動機を始めとする犯人の深謀遠慮を秘匿する「匣(はこ)」、ミステリの構造をアナロジカルに示す「匣」としての意義を帯びている。
 さらに、密室作り、密室破りにマジックの思考法が用いられるのも、この事件が昭和最後の年に起こり、それを平成の世から回顧するという形式になっているのも、物語の大枠から細部に至るまで密室の機能と意味を徹底的に問う本書の密室研究的性格を裏打ちしている。
 マジックはミステリの題材であると同時に、ミステリの技法でもある。読者の注意を片手に集めておいて、その隙にもう片方で詐術を弄したり、入れ物の中身が空であることを確認させておいて、入れ物の外に仕掛けを施す。そうしたマジック的ミスディレクション、キャナリゼーションは物語の小道具として奉仕する。しかし、それらはミステリの方法論、読者を一時的に幽閉する匣=物語の設計図でもある。匣はミステリの題材には止まらない、ミステリの運動原理そのものであることを、マジシャンの物語は遂行的に示す。
 昭和の掉尾を飾る最後の大花火のような連続密室事件は、密室という形式の古さを体現している。振り返れば、推理小説の原点である「モルグ街の殺人」も密室殺人だった。以来、推理小説、敷衍すればミステリの歴史は、密室に始まり、密室とともにあった。密室はミステリの古さそのものである。本書における昭和と並置される密室も、古めかしさの輪郭を重ね着している。昭和の終わりに密室がつくられ、破られる。かつてそこにあった死せる密室、ミステリを懐かしむような感傷こそが匣の廃墟にはふさわしい。
 しかし、この昭和最後の大花火を、平成の視点から回顧的に俯瞰する語りの存在が事態を複雑にする。というのも、事件に居合わせたかつての名探偵と医師による回顧が、昭和の密室事件を取り囲むように冒頭と末尾に鎮座しているからに他ならない。つまり、平成の語りは昭和の密室物語を外側から取り囲む匣の役を演じる。他方、匣として読みつくされ解体された昭和の物語は、匣から「匣の中身」へと反転する。昭和とともにあった古式ゆかしき匣たちは、平成に生まれる新しい匣の中に埋葬される。かつては推理作家の参照する対象だった形式としての匣たちは、たんに葬られるのではなく、平成の物語の一部を担う内容へと転生する、と言い換えてもいいかもしれない。
 過去のものとなった匣たちを弔いつつ、それらを新しい匣でパッキングし、匣創りの原理、理念と方法論を、物語の構造へと昇華して平成へと語り継ぐ。
 平成の読者は外から昭和の密室を読んでいるのではなく、平成のミステリという名の密室の内にいる。
 物語自体がもうひとつの密室だったのだよ。本書自体が多重密室だったのだよ。そして、すべてのミステリは密室ミステリなのだよ。
 彫心鏤骨とは、柄刀一の本書に向き合う姿勢を言い表すためにあるような言葉だね。
 もうちょっと砕いて書けばよかったなと思いつつ、凄いのに出会うとすぐ足がしびれるくせに正座したくなる自分に抗えない。
 勝手に納得したところで、うちの嫁がこれ(すきっ腹)でこれ(角)なもんで、そろそろ私はこのへんで(ドロン)。

 ドアの外、雪の上に、男の足跡がなかったらどうするのか?
 いや、まさか・・・・・・・、南美希風の足跡もなかったりしたら・・・・・・・。
 このような愚かな物思いを弄ぶことこそが、自分の中の――匣、なのか。
 ノブに手をのばす。
 それは、あけるべきドア・・・・・・?
 それをあけても、見るべきなのか?
 今は閉ざされている隔ての戸口が、そこにある。