狂熱

自己分析 (ブルデュー・ライブラリー)

自己分析 (ブルデュー・ライブラリー)

 ハビトゥスディスタンクシオン、シャン・・・。
 フランス知識人のひとり、社会学の泰斗、ピエール・ブルデューの「晩年の仕事」―それは自らの来し方を、自らが磨いてきた歪んだ鏡に映すことだった。
 経済格差のみならず、文化の格差をも議論の俎上に載せ指弾し続けたブルデュー。彼の仕事は、現下の情況分析においてもきっと参照されていることだろう。またそのうち、彼の仕事も古典となり、気鋭の鳳雛たちにとって乗り越えるべき踏み石、ときには立ち戻るべき礎石となるのだろう。
 もちろん、我が国を食む乾いた砂礫と大気に鑑みて、構造も歴史も気質も全く異なるフランスを分析したブルデューの著作群が霹靂の慈雨となることなどありえない。そもそも社会学は一個の独立した社会であり、現実社会から切り離されたところで自律している。ちょうど文学研究や評論が、小説それ自体とは完全に別個の言語宇宙を形作っているのと同じように。ある小説についての言説がその小説自体ではないように、社会についての言説は現実の社会とはなんの関係もない。牧歌的なアンガージュマンなどもはや過去のこと。たくさんの島宇宙がそれぞれ内在している今、社会学が複雑怪奇な現実社会の問題を解決してくれる、というような、およそ空色ピンクな期待を抱いても虚しいだけ。社会学それ自体が島宇宙なのだから。
 わたしが興奮するのは、役に立つ本や便利な本ではなく、虚栄や社交や損得を越えた、途轍もないばかげたものに夢中になる人間や著作。霧中で夢中になっているそんな誰か。
 現実とはなんら関係を結ばない地平が存在する可能性に胸を躍らせる。時間を浪費する余裕に涎を垂らす。スノッブな教師が御託を並べているあいだ、机をキャンバスに変えることのできる自由を満喫する。好奇心は功利や目的とは絶縁したところで遊ぶ。
 人文学系の研究がなにか「役にたつ」とするならば、研究者自身が自分自身の深淵へと降りていくための「蜘蛛の糸」を縒るぐらい。社会への影響力も、歴史を変えるような力も、人文系の研究は持ち合わせてはいない。
 学会や大学、学閥において、出世欲や名誉欲に駆られて動く人間がいる。アカデミアが現実社会の雛型でしかないのなら、避暑地を失った現実は枯れてしまう。アカデミアでは会社とちょっと手段が違うだけ。狭いフィールドで、誰かから借りた衒学を振りかざして、なにかの階段を登ろうと四苦八苦する。ロマンがない。ただの現実のように見える。
 もちろん現実での成功や出世は人間の幸福のひとつ。研究者といえどひとりひとり人間なのだから。それはそれで違う窓から眺めればおもしろい景色ではある。それにたくさんの大人の事情もある。ロマンじゃ食えない。だから多くのひとは、ロマンをあざ笑うことでロマンのない現実を肯定する。人並みの幸せは青臭いロマンを捨てて掴む。
 一般的な幸せとは無縁のわたしは、人真似ではない新しいフィールドを切り開く、荒唐無稽にも映るほどの壮大な画餅を愛する。そして、現実との照応に拘泥しない、そのひとにしかできない、そのひとの経験に根ざしたなにかを愛する。
 たとえば、『他者の記号学』等の仕事で知られるツベタン・トドロフ越境者の思想―トドロフ、自身を語る (叢書・ウニベルシタス)は、わたしの琴線に触れる本だった。故国喪失者として二重のアイデンティティを生きるトドロフの経験を追体験していると、「ポストコロニアル」や「クィア」な主体を安易に称揚する気にはなれない。たとえ、そういう生き方が「戦略的」であろうと、「政治的」であろうと。トドロフの文学批評のスタイルは古典的なものだ。理論の嵌め殺しや関係性の読みを退け、言葉の意味に拘る。退屈かもしれない。頑固な守旧派のように映るかもしれない。けれども、トドロフの読みはトドロフの経験に、生き方にどっぷり浸かっている。流行遅れ、とは言わせない重みがある。トドロフの読みが重いのは、彼が流行や流用に背を向け、自らの流謫の世界に内在しているから。だからこそ、自分の外にあるテクストという<他者>とのあいだにコミュニケーション(の失敗)が起こる。意味の読み取りに拘り、失敗し続ける。<他者>との出会いにさらされ、脆弱な自分を思う。トドロフの書き方・書くもの、エクリチュールは、権威的な引用源ではなく、彼自身の生き方の痕跡でしかない。喪失を生きているからこそ、トドロフは意味に拘る。拘らざるを得ない。
 ブルデューの場合、自己を対象化するという意味においてトドロフよりも徹底している。自伝ではない。自分を自分が設計した遠心分離機にかけ、切り分ける。社会学が「個」の社会学へと収斂する流れに抗うように、彼は「個としてのブルデュー」を解体する。社会のなかの個は幻想だとか、覚醒をもたらしたいわけではない。ただブルデューが実践した社会学が、社会学一般に包摂されるものでも、現実社会一般を反映したものでもないというだけのこと。彼の言葉は巨大な自己として措定される「社会」を説明するためにあるのではない。彼の言葉は、他者を記述しようと試みる。他者を言語化しようともがき、影絵のような自己をいつも置き去りにする。不断に遠ざかっていく他者を追いかけながら、自己を突き動かしていく。
 ブルデューにとって学問は、決して正鵠の見つけることのできない他者を必死に追い続けるために畳みかけられる言葉の運動のことなのだろう、と思う。いみじくもブルデューはその運動を「狂気じみた研究への没頭」、あるいは「狂熱」(impetus)と呼んでいる。
 狂熱。狂熱の衰微を残念に思うと同時に、まだ狂熱がひそやかに滾る音を聞くたび嬉しく思う。狂熱を帯びた書物を、わたしはいつも読みたい。

                      

                    取り返しのつかない不幸

 気取りも思わせぶりもなしに言うのだが、わたしの自信はまたある確信にもとづいていた。それは、わたしの社会学者としての仕事は(天賦のものでもなければ運命でもなく、ましてや、ごたいそうな言い方だが、「使命」などでもなく)まったく疑う余地なくひとつの特権、その代償としてひとつの義務を伴った特権であるという確信である。にもかかわらず、どうしても言わないわけにはいかないのだが、あれこれすべての理由は、より深いひとつの理由あるいは原因の代替物、合理化にすぎない。より深い理由ないし原因とは、わたしの子供時代の楽園に取り返しのつかないものを引き入れた、ある残酷きわまる不幸な出来事である。それは、一九五〇年代のはじめから、わたしの生活のひとつひとつの瞬間に重くのしかかり、たとえばエコル・ノルマンや知的傲慢のペテンに対する最初の嫌悪を大学にかかわる事物の虚妄との根底的な断絶に変えたのであった。つまり、これまで述べた記述や説明は、けっして嘘ではないが、不正確かつ部分的であるということである。というのも、わたしのすべての行動(たとえば、初任地としてムーラン市の高校を選んだことも、一時、音楽家の道に進もうとしたことも、あるいはまた、カンギレームへわたしを導いた、感情生活と医学とに対する初期の関心も)は、孤独な不幸の内密な悲嘆によって多元決定(あるいは裏打ち)されていたからである。無我夢中で仕事に打ち込んだのも他者に関心を寄せることによって大きな空虚を埋め、絶望を脱するひとつのやり方だった。哲学の高みを捨て、スラム街の貧困を選んだのも少年期の現実回避を供犠によってあがなう行為だった。苦労を重ねて、学校的レトリックの手練手管を取り去った言語に戻ったのも、新たな誕生の清めの儀式だった。アルジェリア体験や学問への没頭のような、あれこれの来歴について述べた原因あるいは理由は二重の生活の隠された面である地下の欲動と密やかな志向を覆い隠しているのである。