Cahiers

 ≪婚学≫の始まり

緒方房子「大学における「結婚講座」の始まり――1920年代の結婚観」(『アメリカ研究』15 1981:35−51) 以下、論稿の骨子をまとめて、私見を付す。 1920年代のアメリカでは、いくつかの大学で結婚講座が開講され始め、35年に255大学、40年代末には500大学以…

 深夜の繰り言

三人称の哲学 生の政治と非人称の思想 (講談社選書メチエ)作者: ロベルト・エスポジト,岡田温司,佐藤真理恵,長友文史,武田宙也出版社/メーカー: 講談社発売日: 2011/02/10メディア: 単行本(ソフトカバー)購入: 2人 クリック: 16回この商品を含むブログ (12…

 (間)テクスト論からメディア論へ

Convergence Culture: Where Old and New Media Collide作者: Henry Jenkins出版社/メーカー: NYU Press発売日: 2006/12/24メディア: ペーパーバック クリック: 11回この商品を含むブログ (7件) を見る ツイートの予定が長くなってしまったのでここに捨てて…

 「イメージ=事実あるいはイメージ=フェティッシュ」の章、および「イメージ=アルシーヴあるいはイメージ=外観」の章についてのツイート

イメージ、それでもなお アウシュヴィッツからもぎ取られた四枚の写真作者: ジョルジュ・ディディ=ユベルマン,Georges Didi-Huberman,橋本一径出版社/メーカー: 平凡社発売日: 2006/08/08メディア: 単行本 クリック: 99回この商品を含むブログ (38件) を見る…

 『イメージ、それでもなお』、第1章を振り返りつつ「イメージ=事実あるいはイメージ=フェティッシュ」の節(p87まで)について

イメージ、それでもなお アウシュヴィッツからもぎ取られた四枚の写真作者: ジョルジュ・ディディ=ユベルマン,Georges Didi-Huberman,橋本一径出版社/メーカー: 平凡社発売日: 2006/08/08メディア: 単行本 クリック: 99回この商品を含むブログ (38件) を見る…

 曖昧さとアイロニー

※書き直しているうちにすっかり内容が変わってしまいましたので、アップしたてほやほやのときに読まれた方には申し訳ないです。あれは幻です。※【追記】 ド・マンのいう「美学イデオロギー」や「物質性」について背景説明を加えているこちらの書評は非常に参…

 将棋と数独

高知に学会で赴くのはこれで二度目か。記憶に依れば、前回は闘犬を観戦したのだった。あれは貴重な体験で、しばしば私を裡へと巻き込む「想起」というものの力をよくよく思い知ることがある。発火剤となるのは、マーマレードのようなお上品な匂いではもちろ…

   鏡のなかのヨーロッパ、あるいは『ジョヴァンニ・アルノルフィニの結婚記念の肖像』

鏡のなかのヨーロッパ―歪められた過去 (叢書ヨーロッパ)作者: ジョゼップ・フォンターナ,立石博高,花方寿行出版社/メーカー: 平凡社発売日: 2000/08/01メディア: 単行本この商品を含むブログ (3件) を見る ヨーロッパについて語る方法は大きくふたつに分かれ…

 情念のクローゼット

ヴィーナス氏 (1980年)作者: ラシルド,高橋たか子,鈴木晶出版社/メーカー: 人文書院発売日: 1980/10メディア: 単行本この商品を含むブログ (1件) を見る 或る共通の考え……二人の性別を取り払うこと(93) 1884年、『ヴィーナス氏』はブリュッセルにて上梓され…

 アンフォルムからシェイプへ、それから音環

鬘と天然の分け目は曖昧模糊として、誰かの叫びが口移しで誰かの溜息になる。統合失調の躰を抱懐する濡れたシーツはどこにも見当たらない。シーツがあったとしても、それを濡らす涙を涙腺は忘れてしまった。あるのはただリズムであり、パルスであり、踊るこ…

 膜と塔

靄、排気ガス、陽の光、雲、いきれ、ヒコウキグモ、鳥、エジプトのオベリスク。 目に映るものは白濁している。 ディアファーネス、スクリーン、蒸気機関車と駅。 近代はエキゾチック。

 おとしもの

なにもかもいやになってしまうとき。 脱ぎ捨てるものがまだあるということは幸福なこと。

 intact, tangilble, tactile

触われない皮膚、触れることを禁じられた躰。 それでもわたしの眼球は布に、石にこっそり触れる。眼球についた疵と痕を全身がなぞる。全身が触る。 絵画にも法にも触れずに、あの触感はわたしのものになる。 ざらざら、ちくちく、ごわごわ、つるつる、とげと…

 髑髏の窟

どこの墓地もちょうど閉園しているので文人の墓参りは叶わない(墓参りというより、ロダンを始めとする彫刻の観賞にいくようなものらしいが)。嫁さんはモンサンミッシェル行を乞う。でも、パリくんだりまで来てもっともおもしろそうなところにまだ行ってい…

 オルセーの肌理

せっかくミュージアムパスを手に入れたというのに、ぐずぐずしているうちに有効期限が切れてしまい、オルセー美術館に出かける段になって行列に並ぶ羽目になる。 雨も降っていたことだし、寒くてかなわないことこの上ない一時間を凌いで、入場する。例によっ…

 旅を忘れた膂人

帰宅する。 我が家へ帰ってくると、たいていほっとするものなのに、どこか落ち着かない。眠れない。 機内での生命活動といえば『千のプラトー』を100ページほど読み、機内食を箸でつつき、赤ワインと薬を飲み、後ろからわたしの背もたれをがんがんと叩き、脅…

 金の指輪と錬金術

アパルトマンとオルセーを線で結んでみよう。印象派の殿堂からエッフェル塔まで、セーヌの左曲がりが描線の痕を継いで、大通りが鉄塔を凱旋門へとディアゴナルに繋いでくれる。へとへとになりながら、無名戦士の墓からアパルトマンまで足跡のような破線を散…

 サイコロジカル・ボディ・ブルース

福岡発インチョン経由シャルル・ド・ゴール。機内の友は『サイコロジカル・ボディ・ブルース・解凍』。実に短命に終わったことに愕然とする日本の総合格闘技シーンを思いながら、すし詰めの機内で身を固くし、漠とした(主にパニック的な)不安と内なる戦い…

 フランス文学講義

フランス文学講義 - 言葉とイメージをめぐる12章 (中公新書)作者: 塚本 昌則出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 2012/01/24メディア: 新書購入: 2人 クリック: 12回この商品を含むブログ (10件) を見る 「フランス文学講義」と聞くと腰が引けてしまう。敷…

パリ、敷閾、夢

パリ―都市の記憶を探る (ちくま新書)作者: 石井洋二郎出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 1997/08メディア: 新書購入: 1人 クリック: 7回この商品を含むブログ (1件) を見る パリは、あらゆる解釈を受け入れつつ許容し、しかしひとつも残さず呑みこんでしまう…

 思考とはなにかについて思考する

フランス的思考―野生の思考者たちの系譜 (中公新書)作者: 石井洋二郎出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 2010/12/01メディア: 単行本購入: 1人 クリック: 20回この商品を含むブログ (20件) を見る 『パリ』と同じ著者によるフランス思想入門書、という思…

 ゼロの章

この章の最後まで行きましたら(それよりも前はだめですが)、ひとつ皆さんと一緒に前に引き返して、空白のままだった二つの章にもどらねばなりません。あの二章のおかげで、私の名誉は、ここ半時間ばかり血を流しっぱなしなのです――私は何とかその血を止め…

 書く機械、書く解剖標本

少なくとも一つだけ私にとって慰めになるのは、私はこの章のはじめの所で、批評家の攻撃とは無関係のほんものの熱病におそわれて、ざっと八十オンスばかりの血をこの週とられていることです。したがって今のところは、私の筆のしぶる原因は脳髄の発する微妙…

 interiorを宿す外套、もの書くマテリアリスト

ルドヴィコス・ソルボネンシスはこういうことはすべて肉体(本人の言葉でいえば「外的物質」)だけの問題だといっていますが――これはまちがっています。魂と肉体は、何かを受けるという場合には必ず共同受益者の関係にあるのです。人間が衣服を身につければ…

 騾馬と欲望

これはわれわれ人間の下半身が持つ情欲あるいは欲望を、簡潔に表現した、というだけではなく――同時に実に巧みに揶揄もしている言葉だというのです。そういうわけで私の父はその生涯のずいぶん長い期間にわたって、いつもこれを借用することにきめていました―…

血管、血流

母の血管には一年十二カ月の全部を通じて、節度を心得た血の流れが整然と流れていましたし、それは昼と夜とにかかわりなく、いざというような時でもまったく同じでした。あるいは信心深い人の手に成る論文に見られる初心者的熱烈さから、体液の中にすこしで…

 眼の虜、眼を覗く

――その眼にみちあふれていたものは、やさしい挨拶であり――柔らかな応答であり――つまりそれはものいう眼だったのです――と申してもそこらにある出来そこないの楽器の一番高い音みたいな、お粗末なキーキー声で会話する眼というのにも私はたくさんお目にかかり…

 皮膚と「落ちる」

五、六分もするうちに、私には彼女の中指のさきもかすかに感じられました――やがてその指は人さし指といっしょにピッタリ私の肌の上におかれ、しばらくはそのまま二本の指がグルグルグルグルとさすりまわっていました。そのうちに私の頭に、これは恋に落ちる…

 霊感、自然、秩序

既知の世界のあらゆる地域を通じて現今用いられている、一巻の書物を書きはじめる際の数多くの方法の中で、私は私自身のやり方こそ最上なのだと確信しています――同時に最も宗教的なやり方であることも、疑いをいれません――私はまず最初の一文を書きます――そ…

 騾馬の顔

ところでこの騾馬という奴は、私には(たとえどんなにいそいでおろうとも)到底たたく気持ちになれない動物なのです――騾馬という奴はその顔つきにも物ごしにも、辛抱強く苦しみにたえておりますという文字が、いささかのてらいもなくありありと書いてあって…