せっかくミュージアムパスを手に入れたというのに、ぐずぐずしているうちに有効期限が切れてしまい、オルセー美術館に出かける段になって行列に並ぶ羽目になる。
雨も降っていたことだし、寒くてかなわないことこの上ない一時間を凌いで、入場する。例によってなにがあるのかよくわかっていないため、パンフレットへしきりに目を落としてせめて建物の構造だけでも理解するよう努め、半知半解を承知で虱潰しに闊歩することに決める。
印象派の殿堂に辿りつくに及んで、わたしの絵画観(今やほとんど文学観、世界観といってもいいかもしれない)を、極私的な「印象」として綴ってみるのもいいかもしれない。なにやら思いつくかもしれない。
絵画の近代はここに所蔵してある絵たちとともに始まった。有名なところではマネ、モネ、ルノワール、セザンヌといった面々。それからゴッホやマクシミリアン・リュス、ピカソ、シスレー、ゴーギャン、スーラ、シニャック、ピサーロなどなどが続いて、20世紀も半ばにさしかかってグリーンバーグいうところのモダニズム絵画へ時代は舵を切り、瞬く間に進路は隘路へと切迫していく。今回は結局縁がなかった近現代美術館のほうには、ジャクソン・ポロックなどの前衛がもーもーと犇めいていることだろう。どんどん絵画が「線」を喪っていき、意図や意匠や完璧に代わって、偶然や遊びや未完成が芸術を限りなく死へと近づけていく。遠近法や奥行きは消え、絵は壁になる。モダニズムは、モダンの最果てにおいてその死と同衾し生まれる。芸術ではなく、始めから美学として生まれる*1。わたしはそう思っている。
彫刻は嵩のある三次元芸術であり、ポータブルなものではない*2。19世紀においても彫刻が芸術の頂点にあったとわたしは推測するが、死に顔としての肖像画、バチカン翼賛の宗教画、政治的権威の強化としての歴史画、民衆の教化としての寓意画などなど、絵画は彫刻に比べるとよりポップで彩色に富み、なにより運びやすい。市民革命が絵画の画架を後押しし、大作ではないポータブルな小品が市場に出回り、画商によって売られる時代が来ると、一気に絵画は芸術の至高点に達する。かてて加えて、ひとびとの顔や風景をリアルに記録する*3写真が登場してくると、眼に映るまま「生き写し」を画布に描くことの意味、リアリズム絵画の存在理由が脅かされるようになる*4。印象派がスキャンダルであり、革命であり、また新大陸の成金たちの垂涎の的となりえた背景には、以上のような事情があった、とわたしは理解している。
わたしは、レンブラントが描く額縁から手を伸ばす老学者、あるいはミケランジェロがシスティーナ礼拝堂に描いたまるで彫刻のような天井画、といった騙し絵(トロンプ・ルイユ)の系譜を除けば、絵画の平面性(絵画の絵画たる所以)を意識的に追求し始めるのは印象派以降の画家たちではないかな、と思っている。印象派以降、モダニズム絵画で平面性の追求(言い換えるなら絵画芸術の批評を絵画においてなすような「絶対絵画」、自己言及なしには成立しない絵画)はひとつの極に達する。
わたしがオルセーその他で確認したかったのは、写真でもだいたいわかる構図や色遣いではなく、絵画の厚み、皺襞、窪み、峨峨、そういった絵画の手触り、肌触りだった。
実際に観賞してみると、感慨はひとしおだった。昼食を挟んでほぼ一日を過ごした。
ルノワール『ムーラン・ド・ギャレット』は、「木漏れ日」という情緒ある語彙を持たない国の人が描いたとは思えない。一見スポットライトやカクテル光線のよう。でも、図と地を反転させると、光のなかに翳が射しているようにも映る。光の表現を追求した印象派を代表する絵画だとつくづく思う。
ギュスターヴ・カイユボットについてはまったく知らなかった。とてもおもしろい絵を描く人だ。あと知恵ながら→http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/caillebotte.htmlにて学ぶ。わたしの関心から言えば、職人たちが鉋で床板を削る図は、絵の平面性への先駆的批評となっているように思う。削る行為によって、そこに厚みがあることを知らされる。絵画の厚みまでもう少しだ。
他では、ゴッホ。筆致のひとつひとつをつぶさに追っていくと、色を紐のように使うその独特の手際に惹きつけられる。まるで絨毯のように編まれている。そう、平面には隙間があってもいい。画布は、単に印象(impression)を刻む画布ではなく、絵画が編み物であることを表現(expression)するスクリーンに変わる。塗り残しを「描く」。まるで絵画が白い肌を隠す衣服であるかのように。
印象派からは外れるが、オルセーにおいてわたしを最も惹きつけた絵画は、ギュスターヴ・モローのものだった。アール・ヌーヴォーを代表するアルフォンソ・ミュシャのデザイン性、あるいはデカダンの表徴とでもいうべき憂鬱と耽美、それから見透しの悪い闇の中に皓皓と照る光明。モローについてはもう少し時間をかけよう。
オルセーの箱はかつて駅舎だったという。どこからともなく人々が集まり、親密に交わることなどなく、むしろすれ違いながら別々の場所へと三々五々散っていく。ただの中継点。ただの踊り場。長い間奏。儚い夢。
ベンヤミンが愛した駅は、なるほど美術館とよく似ているのかもしれない。そこに人が集まるのは、人と出会うためではないから。駅の群衆がそうであるように、絵画も夢や欲望を映しだすスクリーンなのかもしれない。覚束ない夢を、束の間。
裏返しになった時が流れている。