寝正月

 毎度ながら年越しは人並みに蕎麦も食べるし、元旦には縁起物をいただくわけだが、実家に帰るわけでもなし、うちに籠って、本読んだり、書いたりを繰り返して過ごす。嫁は嫁でなぜだか知らないがこの時期は仕事が仕事をおんぶしている状態で、まったくなにが新年で、どのへんがめでたいのかよくわからない(「おめでたい」のは確かだが)。ぶつくさ言いながら餅を食う。
 そんな折、懇意にしていただいている先輩でありながら、なんの因果かヤマイダレの下で肝胆相照らす仲となっている風太さんからお誘いがかかり、「よっこらしょ」が板についてきた重い腰を板から引き剥がし、別府まで独り旅。これまたなんでこの日に限って、と天を恨むほどの寒気に襲われたその日、腹は据わってないが目は坐っているおっさんふたりが駅前で会う。聞けば実家まで歩いて15分ほどだと言う。無類の温泉好きとして、世に憚るのかわたしの口だけをせっせと膾炙する嫁が聞いたら、さぞ『やるっきゃナイト』のような涎を垂らすことだろう。犬を飼ったら温泉が出てしまうので猫しか飼えず、そういうわけで風太さんは猫好きになったのであろう、と邪推する、ぎりぎり34の夜だった。
 例によって週刊誌の中吊り広告のような話題で、夜は更けていく、はずだったのだが、関サバを平らげたところでまだ七時、そこからもう少し粘って八時、寒風吹きすさぶ中、ファミレスまで歩いてコーヒーを数杯飲んで九時、風太さんの目蓋は引力に逆らえなくなり、ほどよいところでお開きに。なんでもほどよい程度が持続の秘訣。それはともかく、「ブルボンなんとか」という言葉が脳内を駆け巡る。ミホノブルボンではなく。
 ホテルでごろごろして本を読み、いつの間にか意識を見失い、早朝覚醒より恐ろしい丑三つ時の覚醒によって眠りを見失い、そのまま本を読み続けること数時間、それでも明けない夜はない。
 風太さんちのファミリーカーの助手席に、いくら恐縮しても引っこまない身体を乗せて、奥様と子供たちとわいわい言いながら、近況の過激さと記憶の糸を試しながら、苅田の駅までお見送りいただく。申し訳ない。でもとても楽しかったのです。また福の神さんともご一緒に。
 帰宅後、ひとしきり、「待つ女」の話題で盛り上がって、寒かったせいか、はたまたあまりのホラーストーリーに凍えたのか、肩と首と右目が悲鳴を上げていたので昏々と眠る。そして眠る。ご飯のとき以外は眠る。こういうときは眠る。
 気がつくと、もう新年も6日が過ぎていた。
 臥薪嘗胆。いや、謹賀新年。