負けた=失われた戦争

 早朝ランニング。ダメージがピークに。100メートルぐらいで足が止まりそうになる。今日は気合で1.5キロぐらい走りました。って自慢できるものではないけども。
 
 

負けた戦争の記憶―歴史のなかのヴェトナム戦争

負けた戦争の記憶―歴史のなかのヴェトナム戦争

ティム・オブライエンの翻訳や研究書を手がけ、ヴェトナム戦争を歴史/文化史的に考察している生井英考の著書。歴史と記憶という弁証法的対立関係を機軸に、ヴェトナム戦争をめぐる様々な動向を分析している。1章で歴史と記憶ではなく、公的な歴史と個人的な歴史という対立が扱われたりしたせいで論が分散していく恐れを感じたが、それ以降は概ね統一されていたので問題ない。以下、私見を大幅に組み込みながらコメントを。
 『負けた戦争の記憶』というタイトルの背景には、非常に複雑なアメリカの集合的記憶の形成過程が見え隠れする。そもそもアメリカ人はヴェトナム戦争を「負けた戦争」(the lost war)として決して認ようとはしなかった。著者はその代わりに、アメリカ人が一般的にヴェトナム戦争を表象していた言葉として「間違った戦争」(the wrong war)を挙げる。しかし、実のところその言葉は、皮肉にもヴェトナム戦争を表象しないために用いられた言葉だったとも言える。なぜなら「間違った戦争」という言葉は、ヴェトナム戦争を表象するのではなく、その「悲劇」を取り巻く戦後のアメリカ人の心性を表象してしまっているからだ。アメリカ人、殊に歴史家たちはヴェトナム戦争を悲劇的なものとして最大限悼むことで、それがなぜ悲劇的なのか、誰がそうせしめたのか、という戦争の剔抉を忌避していった。こうして、ヴェトナム戦争を「間違った戦争」として再生産していく、あるいは「負けた戦争」という言葉を忌避し続けることで、アメリカ人はヴェトナム戦争を閑却しておくことができた。ヴェトナム戦争ノスタルジア的欲望の対象となり、そして真正のthe lost war、すなわち「失われた戦争」になった。
 当然、著者の目的はヴェトナム戦争が「間違った戦争」なのではなく、「負けた戦争」だった、という事実を突きつけることにはない。そうではなく、著者が試みるのは、「負けた戦争」がいかにして「失われて」いたのか、と問い続けることであり、つまりそのヴェトナム戦争の言説を勘案し、the lost warの記号的振幅を追うことにある。「失われた戦争」の背後には、60年代に左翼を自認していた知識人たちが80年代に至って右翼的知識人と「野合」を果たし、新保守主義を成していく、という「大人の事情」があった。60年代以降、育まれた民衆史の系譜は、再び伝統的な国家像の中に回収されようとしていたのである。しかし、いかにして綜合を図ろうとも、記憶は完全に歴史と符合することはない。実際に戦争を体験した世代が持つ記憶は、海軍/陸軍/空軍によって、また内部の階級的偏差によって大きく変わる。80年代に流行ったoral historyや証言も、編集の力によって大きく様相を変える。反戦活動家は、ヴェトナム戦争終結と共に戦争という対立軸を失うや、退役軍人らと交わり、新たな戦争の礎を拵える。「イージー・ライダー」を模倣する退役軍人は、ハーレイで徒党を組んで二度目の青春を謳歌すると共に、戦争によって失われた青春の一ページに思いを馳せながら、旅の中で変容し続ける「ヴァナキュラーな」記憶を醸成していく。トバイアス・ウルフの『ファラオの軍隊』がベストセラーになると共に人口に膾炙し始める「負けた戦争」は、次第に歴史として公認されていくのかもしれない。しかし、ヴェトナム戦争の表象はそれでも失われたままである。分裂し、流動し、競合し合う記憶とそれを統合しようとする歴史。その綜合なき弁証法の中で、ヴェトナム戦争は「失われた」空虚な中心として確かに存在している。本書の読者は、その空虚な中心の周りを衛星のごとくぐるぐる回る。決して中心にたどり着くことはないが、ぐるぐる廻ることで中心を取り巻く関係の総体を捉えることはできる。表象不可能性といったところで何も始まらない。一直線にたどり着けないのであれば、回ればいいのだ。