13日の金曜日

 2時半起床。何か目的を持ってこの時間に起きるのは、新聞奨学生として過ごしたあの地獄の一ヶ月以来のことである。と、その話を語りたいもう一人の自分に水を向けると、くだらない話を書き連ねることになるので、さっさと寝かしつける。話を戻して。朝一羽田行きの飛行機に乗る。
 田舎ものにとって都会は上を見ながら歩かなければならない場所なので、まことに首が疲れる。フォークナー協会@青山。他にも同じ建物でベローやソローの研究会が催されているよう。他ではトウェイン協会の大会もどこかで行われていると聞く。
 全くの門外漢にとって、専門ど真ん中のお話は大変疲れる。発表の批評的位置(つまり批評史的にどのくらい新しいのか)がまったく捕捉できないからである。しかし、相手の話の細部は分からないまでも、輪郭を掴む訓練は積んできた(つもりな)ので、格好だけはつけることができたか。
 やや遅れて到着。2つ目から。後ろに座りすぎたせいか(それだけではないと思うのだが)全く聞こえない発表。10分ほど経過したところでマイクに救われる。問題設定の部分を聞き逃したので、考え事にふけることに。次は理論や(新)歴史主義に対するバックラッシュ的御発表。歴史を用いる最近の研究が、作品をリアリズム的な傾向を持つものとして捉えている(!)、というのをほぼ前提として、リアリズムから逃れるフォークナーの作品の分析へと論を進めておられたが、はてさて前提がまず間違っているような気がする。ジャンルの問題ではないような気がするのですが。いや、あくまで気がするだけです(汗)。
 近くの韓国料理屋でシーフード系の混ぜご飯を食べる。めちゃ辛い。ますますリメディアル的傾向を強めつつある昨今の大学教育の現状、つまりは「2006年問題」を涙ながらに語る先生(泣いてはいませんが、きっと心の中で)と。英語なんかよりもまず日本語が…。とうとう英語教師が日本語を懇切丁寧に教える時代がやってきてしまいました。
 シンポ。30年前の読書会のノートを披露してくださった先生。30年前の日本において、たとえ示唆に留まるものであろうとクィアな読みを試みるというのは慧眼であったと感服(成否の如何については放置します)。授業での「あの夕陽」の様々な読みをもとに、実験的な読みを披露された先生。ブルーズを作品とつき合わせて読むというのも、確かに面白そう。『響きと怒り』の注釈をつける作業をされている先生の御発表。ぬあ。流石にマニアック過ぎて、そこはついていけません。最後に、フォークナー作品の手紙の機能についての発表。時間が押して端折られたのが残念。過去に書かれたものの上に重ね書きしていくというのは、一般的にはpalimpsestとして知られていると思うのだけど、一枚の紙に重ね書きという感じではなく、複数の紙を重ねていくというところにこだわりを持っておられた。おもろい。
 懇親会。フォークナーが来日した際に長野のセミナーに参加されたという先生とお話。戦争体験や留学に船で行った話。そっかあ、船ですよねえ、やっぱり。様々な先生とお話。ある編集者の方と急逝された先生の思い出話を少し。うん。その後、二次会へ。ここでも最近の学生に教えることの困難について。ええ、目の前にいるのが多分そうです。少し遅くなったので、タクシーで。渋滞に巻き込まれ、お会計5000円也。もう一泊できたんじゃないかねえ、これ。疲れで即座に昏倒。
 そうそう、シンポのとき、私の真ん前に座っていた方が内田樹にそっくりだったのだけど、多分他人の空似だよなあ。→どうもアリバイがあるみたいで、やっぱり違うみたい。来るわきゃないよなあ。