二重九の日

 もろもろ。弁当。
 ちょっと涼しくなってきたなあ、ぐらいしか書くこと無いなあ。

世界文学空間―文学資本と文学革命

世界文学空間―文学資本と文学革命

 本棚にて。世界の文学が形作る空間を、間テクスト性のように平等な影響関係の場(理論による一般化)としてでも、伝統的な比較批評のように先行する作家の一方通行的な影響が浸透する場(文学史による正典化)としてでもなく、歴史的に階層化された権力の場として描き出す、壮大な試み(分厚いし、高い)。ブルデューブローデルなどに依拠しながら、文化資本ならぬ文学資本なる造語まで作り上げて、世界文学の構造的再生産を描出しようという試みは、私にはちょっと壮大すぎてなんともいえない。世界文学(史)を歴史的(ナショナリズム植民地主義、言語帝国主義などなど)によって非対称な形で構造化された場として考える、というのは、ミクロなレベル(せめてアメリカ文学ぐらいの枠)に置き換えて考えてみると、実感できる。でもちょっと壮大なので、さらに俗っぽく置き換えると、テレビ業界とかなんでもいいのだけど、新規参入が難しい業種。すでにある流行や様式に乗っていかないとその世界では生きていけない。だから、周縁にいるものは、売れている中心のものを真似て、市場に乗っからないといけない。なかには中心のものに対して反発することで、市場に認められるものもいるかもしれない。いずれにしても、歴史的に作られた権力関係から逃げられない。同じ土俵にのるには、中心に対して反応しなければならないということ。とかなんとかのたまいながらも、大変壮大なので、私には評価不能