陥穽と振り子

 見事な秋晴れ。真っ青な空。

ポオ小説全集 3 (創元推理文庫 522-3)

ポオ小説全集 3 (創元推理文庫 522-3)

 穴といえば、「陥穽と振り子」。
 異端審問官によって、真っ暗な部屋の中に閉じ込められた一人の男。漆黒の闇の中、暗中模索、手探りで部屋の形状を確かめようと奮闘する。ひとたび、明かりが灯ってみると、実際の部屋の大きさは想像の半分ほどで、その形状も男の予想に反して歪な鋭角は備えてはおらず、実際は正方形の静謐さを湛えている。真夜中、てさぐりで何度も空振りしながら電灯をつけるときに味わう感覚と同じだな、と。闇というのは広い。
 明るい部屋の中で、男は部屋の真ん中に穴が開いていることに気づく。そして、どうにかして外に出る方途を探っているうちに、何度目かのまどろみに襲われる。目を覚ましてみると、男の身体は横たわったまま座椅子のような台に縛り付けられている。頭上にはゆらりゆらりと揺れるたびに振幅の度合いを増しながら下降してくる大きな振り子がある。末端が鋭く切れ上がった振り子の刃は、男の身体と十字を作るような位置で揺れている。そして、男の身体と振り子が十字を作るとき、ちょうどそれは男の心臓を裂くようになっている。
 咄嗟の機転で、男の身体を縛り付ける紐に差し入れの肉を振りまき、辺りの鼠にそれを齧らせ、間一髪のところで脱出する男。ところが、今度は壁が急激に迫り出してくる。瞬く間にその形状は正方形から菱形へと変わっていく。と同時に、壁の向こうに火の手が上がる。熱気に焼かれる男。部屋の真ん中に開いた穴。断固として穴に落ちるのだけは拒絶し、堪える男。我慢の限度を超え、男が穴へと倒れこもうとするとき、異端審問所を制圧したラサァル将軍の腕に抱かれる。
 なんとも解釈不能な話に映ると同時に、どのようにでも解釈できそうな掌編でもある。歴史的コンテクストや理論を参照したり、選りどりみどり、なんでもござれの観がある。特にラカンなんか相性よさそうな話だと思う。
 敢えて陳腐な印象批評的自説を講じるならば、物語の構築に微に入り細を穿つこだわりをもっていたポオならではというか、この掌編は読者をどのように翻弄すればよいかという読者論であるように私にはみえる。
 物語を読み始めて暗中模索の読者に、まず部屋=物語の形状を予想させる。そののち、物語の全体像を提示する。裏切られた読者はますます部屋の中にがんじがらめ、物語にのめりこんでいく。そこへ主人公とすっかり一心同体となった読者に訪れる危機。間一髪逃れる。胸を撫で下ろすのも束の間、今度はすっかり信じ込まされていた物語=部屋の全貌が一変し始める。えっ、そっちかよ、と再び危機に陥る主人公=読者。しかし、物語の外から訪れた到来者の助けにより、危うく物語のなかで死す運命を回避する。フィクションの魔力に酔わせるだけ酔わせておいて、最後は現実に返してやれ、と、ええ、思いつきだけで表面を撫でるのもこれが限界です。
 それにしても、穴の使い方が上手だな、と。ポオは、穴の向こうに何があるのか、について最後まで書かない。穴の下には鉄の針の板が備え付けられている、と想像するのも一興だし、あるいはもしかしたらこれは悪夢から逃れる抜け穴なのかもしれない。探偵デュパンが活躍する「盗まれた手紙」における手紙のように、部屋=物語の真ん中に開いている穴が何を指し示しているのかは最後まで提示されない。マクガフィン、あるいは浮遊するシニフィアンですか。いずれにしても、ポオはイメージの宝庫。ホラー映画がこのテクストを参照してたりするのも頷ける。
 穴かあ。あとは『マルコヴィッチの穴』ぐらいしか思いつかない。古今東西なんでもいいので、どなたか何か思いついて、教えてやってもいい、というウルトラ寛大な方、できればこっそりでもご一報をお願いします。なんつって。尚、当方、small Japanese, less Englishなので、タガログ語の字幕なし映画とかはできれば避けたいです。