土台穴

 J−SPORTSにてリーガ・エスパニョーラの録画放送が始まる。何かを諦めないと寝る暇がなくなる。
 おでん2日目。料理酒が切れていたので、代わりに一か八か料理用の白ワインを投入したが、吉と出た模様。そういえば、以前、料理酒と同じ色をした容器に騙されて酢を投入した際には、やり場のない怒りを空容器に向けようとした。でもガラスだったので、手出しできなかった。健康にはいいのだろう、と開き直ることにした。

土台穴 (文学の冒険シリーズ)

土台穴 (文学の冒険シリーズ)

 ペレストロイカ期に再評価され、「20世紀のドストエフスキー」と讃えられているプラトーノフの逸品。執筆時期と物語内の時代がぴったり同期する実験小説で、スターリン体制下ロシアの暴政を進行形で批判する内容となっている。というのはもちろん解説から学んだこと。
 何の知識もないので再び解説によると、主な舞台となる「塔のような住居」は、スターリン第一次5ヵ年計画の掉尾を記念したもので、農村と都市における集団的強制労働の困難を時間的/空間的に集約したクロノトポスなのだそうだ。
 表題ともなっている土台穴は、「塔のような住居」に込められたユートピア建設の夢の土台となるだけではなく、その建設に携わる過程で息絶えていく労働者たちを葬る墓場でもある。こういう発想はおもしろい。
 ところでこの作家は、権力の問題点が、善/悪、敵/味方といった二分法にあると考えているらしい。しばしば権力批判は、単純な権力者批判に堕すが、権力批判の要諦は権力者に従属者や敵対者を対置させ、両者の間に「/」を生み出す力を分析するところにある。そんな趣旨のことを、ある作家のインタヴューやくそ難しいエッセーから導き出して、同時代の歴史論争と対比させるシンポをやったあの頃が懐かしい。反省することばかりだったけど。
 ちょっと検索すると、意味の上では全く何の関連もない言葉を複数並べる「くびき語法」という修辞法について論じた論文がヒットする。たぶんプラトーノフは、修辞のレベルから意識的に言葉を積み上げ、何の関連もない人々を二項に分断して対置する権力の作用を炙り出そうとしているのだろう。と勝手に曲解する。
 まあ、こういう本格的で政治的な正統派は、それなりにおもしろくはあるが、肩が凝る。