≪内在≫の思想

 

近代政治の脱構築 共同体・免疫・生政治 (講談社選書メチエ)

近代政治の脱構築 共同体・免疫・生政治 (講談社選書メチエ)

 
 エスポジト『近代政治の脱構築』読了。エスポジトのエッセンスが詰まっている良書。訳者による巻頭解題はよい見取り図となっている。
 生と政治を外在的な関係として論じたフーコーや、生をビオス/ゾーエーに分割して思考するアガンベンとは異なり、ビオスのなかに政治もゾーエーも内在化されていると考える。*1デリダのように自己免疫の観点から共同体論を展開しているのが彼の特徴。
 共同性が普遍的な生にまで敷衍される彼の共同体論を考慮に入れると、生政治は生と死をめぐる権力と自己の係争というだけでなく、≪ひとつの生としてのポリスについての学≫というようなニュアンスもあるのではないか、と勘繰ってしまう。もちろん本書には彼の≪生ポリス学≫のハイライト、三人称の哲学 生の政治と非人称の思想 (講談社選書メチエ)のダイジェスト的な章も収録されている。*2
 エスポジトに特徴的な論理は、なにかしらの概念装置が分割されてしまった二者をくっつける媒質役を担うかのように装いつつ、その実もともと同一のものを分割し「距たり」をつくりだしている、というもの。共同体にプログラムされた未完成性などもそう。人間の非自然化についてのハイデガー批判もそう。人格=ペルソナ批判はその代表格だろう。彼のペルソナ論を読んだ際にわたしはどうやら誤読していたようだが、非人称性=三人称は、人称性の外部を希求する実践なのではなく、人称性にプログラムされ、人称の獅子身中の虫として変容をもたらすメカニズムのようだ。このあたりまで彼の≪内在≫の思想は徹底されている。
 わたしが一番興味深く読んだのは「自由と免疫」の章。自由は理念ではなく、常に新しくその都度経験されるものとして、つまりex-、外へ向かう行為として読んでいる。超越論的経験論(ドゥルーズ)の一種と言えるだろうか。というよりはカトリーヌ・マラブーのほうが近いだろうか。
 また「ナチズムとわたしたち」の章は、生政治を真に迫るものとして体験させてくれる。内容も平易。
 全体としては、エスポジトの仕事の中間報告、あるいは「ベストアルバム」といった趣きだが、現代思想上の用語法(原題は『政治の語彙』)を再考するという趣旨の一冊。ここからしてもエスポジトの生に内在する言語(生-言語学)に対する鋭敏な問題意識を感じる。とにかくもエスポジトの代表作と目されている三部作翻訳への一里塚として、たいへん意義のある仕事だと思う。

        

        ※免疫について付記※ 
 
 以下、参考と備忘のために宮崎裕助「自己免疫的民主主義とはなにか」についての私的ツイートをペーストしておく。

思想 2012年 08月号 [雑誌]

思想 2012年 08月号 [雑誌]

 1.宮崎論文は民主主義をギリシャ語源「デモス」まで遡行し、「自己支配」と「多数支配」の観点からデリダの「来るべき民主主義」の問題系を解きほぐす。《マルチチュード》のように遍在する敵と、それを擬態する《帝国》のような主権との共犯性のメカニズムを、民主主義の「自己免疫性」として呈示。
2.民主主義は他者へと開かれ続け、それ自体未完成である限り存続する。常に来るべきものに留まりつづける民主主義は、外敵に備える(予防注射のような)免疫機制ではなく、自己自体の鎧を剥ぎ、他者へとおのずと開いてしまう(アレルギー性疾患のような)自己免疫機制をその裡に常在させている。
3.デリダの自己免疫への問いは、信仰とテクノロジーへと分節できる。が、宮崎論文は前者は措き後者の問いを、主権者/敵問わず情況を劇場化してしまうメディアの「情動的紐帯」の議論へと展開させる。メディア空間では、デモスと敵は、恐怖のイメージ、恐怖の出来事として互いに弁別不能になる。
4.かくして敵は根絶されることはなく、トカゲの尻尾のごとく再生を繰り返す。しかしこうした危機的な事態をデリダは、民主主義が「唯一の政治的体制」、いやむしろ政治的なものを考える上での倫理に他ならない、と看做す論拠とする。
5.だから自己免疫の機制を内蔵するデモスは、主権者・主体として敵に対置される、限界づけられた(否定)神学的カテゴリー(つまりひとまず措いた信仰の相)ではなく、むしろ両者を絶えず接続し続ける無限のテクノロジー、メディアである(のかな、と私は思う)。
6.いやより正確には、デリダにとってデモスは我々の生そのものに組み込まれた情動のテクノロジーであるため、媒介するメディアを必要としない。
7.デモスは公私・政治/家政の別を有さないパトス(私は「雰囲気」にも近いように思う)として捉えることができる。来るべき民主主義は、あらゆる障壁を横断し繋げてしまうデモスの情動、自己免疫的な情動をめぐり、やがて無媒介的(直接)民主主義を志向する、のでしょうか・・・。言い過ぎかな?

*1:生政治に関して→http://d.hatena.ne.jp/pilate/20130208/1360327549

*2:『三人称の哲学』のほうは誤植が目についた。本書はわたしの気づいた限り一か所しかなかった。