"Trouble in Paradise" Slavoj Žižek on the global protest
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初期の著作でマルクスは、当時のドイツを評し、個別具体の諸問題に答えを出すには、普遍的な解決、すなわちグローバル革命しかない情況にある、と書いた。この評は、[マルクス思想における]改革期(reformist period)と革命期(revolutionary period)の違い*1を簡潔的確に言い表している。改革期にあっては、グローバル革命はまだ夢のままであり、それがなにか役に立つとしても、せいぜいが状況を地方単位で変えようとする試みを後押しする程度のものだ。革命期には、なにかを変えるには世界をまるごと根本的に変えるしかない、ということが疑いの余地のないものとなる。このようなマルクスの公式にすっかり従ってしまえば、1990年が革命の年だったことになる。そのときはっきりしたのは、共産主義国家を部分的に改革しただけでは目的を達成することはできない、ということ、それから必要なのは[部分的ではなく]全面的な刷新であり、そうでもしなければ庶民が食べるに事欠かないよう手配するといったような、[部分的で]日常的な問題さえ片づかない、ということだった。
改革と革命の違いを顧慮するなら、今日のわたしたちが立脚しているのはどこなのだろう? ここ2、3年に生じた諸問題やさまざまな抗議活動は、なにかのグローバルな危機が喫緊のものとなっていることの前兆なのだろうか? それともそうした懸案は些細な障害にすぎなくて、局所局所で介入すれば対処できるものなのだろうか? 懸案勃発について特筆すべきは、それらが出来している(taking place)場所はシステム上の弱点となる箇所には限定されないし、もっと言えばそこが主戦場ではないとさえ言えるかもしれない、ということだ。懸案はところかまわず、今までは成功した国として認知されていた場所にも出来しているのだ。ギリシャやスペインの人々が抗議運動をしている理由はわかる。しかし経済的に豊かだったり、急速に発展を遂げている最中だったりするトルコやスウェーデン、ブラジルといった国々でもトラブルが発生しているのはなぜなのだろう? あと知恵を入れられた今なら、1979年のホメイニ師革命が「楽園にトラブル発生」の起源なのではないかと、思い当たる節もある。その革命が起こった国は、当時、西側に学んで近代化を推し進める優等生路線を採っており、西側世界にしてみればアラブ世界で最も信頼できる同盟国だった、という事実を考慮に入れてみるといい。おそらくは、わたしたちが楽園と聞いて思い浮かべるもの(notion)になにか不具合があるのだろう。
今のようにさまざまな抗議活動がうねりを打つ前のトルコは、右肩上がりの自由主義経済と穏健なイスラムの教義とを両立させることができ、ヨーロッパに溶け込める、まさしく鑑のような国家だった。*2トルコなら「ヨーロッパの」先輩格ギリシャとの比較対照は望むところだった。当時のギリシャは、政治理念はぬかるみ(an ideological quagmire)に嵌り込み、経済的には自爆へと向かっていたのだから。*3なるほど、あちこちに凶兆は見られた(トルコはアルメニア人の大量虐殺を否定し、ジャーナリストたちを次々と逮捕、クルド人の地位確認は未決のままで、国力の増強を訴えてオスマントルコの伝統を復活させんばかり、たびたび宗教法を強制してもいた)。だが上のような凶兆は、どれも小さなシミに過ぎないと見過ごされた。モデル国家としてのイメージ全体を汚すまでには至らないと。
そうしてタクシム広場で抗議運動が勃発した(explode)。周知のように、イスタンブールの中心地にあるタクシム広場と互いに境を接する公園をショッピングセンターに変えるという都市計画に、抗議活動が「本気でかかわって」いたわけではない。それに、そんな都市計画よりも遥かに根深い不安が当時強まっていたこともご存じのとおり。同様のことは、6月中旬にブラジル各地で起きた抗議活動にも該当する。抗議活動のきっかけとなったのは、公共交通機関の料金が若干値上りをするということだった。しかし値上げ法案が否決されても抗議活動は続いた。ここでもまた、各地で抗議活動が勃発し続けていたのは、――少なくともメディアによれば――そのあいだにも好景気を謳歌している真っ最中であり、将来については大丈夫だと思える材料が揃った国だった。ブラジルの場合、抗議活動は公には大統領ジルマ・ルセフに支持されているようだったし、彼女自身、抗議活動に喜んでいることを公言してもいた。
肝要なのは、わたしたちからすればトルコで行われているさまざまな抗議活動が、宗教とは無縁の(secular)市民社会が立ちあがって、イスラム教徒の声なき多数派を支持基盤に持つ独裁的なイスラム政権に刃向った、という程度のものには見えない、ということだ。事態を複雑にしているのは、さまざまな抗議活動が反資本主義的な衝動をもっているという点だ。抗議に加わるひとたちは直感的に、自由市場原理主義とイスラム原理主義が互いに背反しないことを察知している。公共空間(public space)をイスラム主義的な政府が民営化=私有(privatisation)するということは、ふたつの原理主義が協働しうることの証しだ。*4それは明白に、「永遠を誓いあった」民主主義と資本主義の結婚がじきに破綻する、ということの前兆なのだ。*5
もうひとつ確認しておくべき重要なことがある。それは、抗議活動に参加するひとたちが、どんなものであれ、これといった「現実的な」目標を追い求めているわけではないということだ。抗議の対象となっているのは、「現実には」グローバル資本主義ではないし、「現実には」宗教的な原理主義でもなく、「現実には」市民としての自由や民主化を求めてやっているわけでもなく、「現実に」いかなる個別特殊なひとつのものごとにかかわっているわけでもない。
これまで抗議活動に参加してきた人々の大多数が自覚しているものがなにかといえば、それは不安や不満といった移ろいやすい気分(feeling)だ。そうした気分がさまざまな特殊個別の要求を持続させ、ひとつにまとめ上げている。多岐にわたる抗議活動を理解しようとする側の奮闘(struggle)は、[抗議を]認識するためだけのもの(an epistemological one)ではない。ジャーナリストや理論家は、抗議活動の実態(their true content)解明に努めてはいるが、しかし抗議活動を理解するために行われる奮闘は同時に、[その奮闘という]モノそれ自体(the thing itself)の存在にかかわる闘争(an ontological struggle)でもある。というのも、その闘争が出来する=場所を得る(taking place)のは抗議活動の内部だからだ。*6これは汚職まみれの行政に対する闘争に過ぎないのだろうか? それとも強権的なイスラム教の戒律に対する闘争なのだろうか? 公共領域を民営化=私有化することに対する闘争なのだろうか? 問いは開かれている。だからどのように答えを出すかは、目下進行中の政治的な過程[抗議活動の展開]の結果次第ということになるだろう。
2011年のことだった。抗議活動がヨーロッパ・中東の至る所で勃発している最中だった。そのとき多数の人が、抗議者たちをグローバルな規模にわたる単一の運動を構成する各論(諸審級=instances)として扱ってはならない、と言い張った。代わりに彼らが論じたことといえば、ひとつひとつの抗議活動は、ある特殊な状況に対するひとつの反応、ということだった。[そうした論者によれば]エジプトの抗議参加者たちが求めたのは、他の国々ではオキュパイ運動が当時抗議の標的としていた当の「自由」と「民主主義」だった、という。イスラム教国同士のあいだにも、見逃すことのできないさまざまな違いがあった。たとえば、エジプトにおけるアラブの春は、汚職まみれの親西側独裁政権に対する抗議だったし、2009年に勃発したイランのグリーン革命は、独裁的なイスラム主義に対するものだった。こうしてみると飲み込みやすいだろう。そのようにして抗議活動を特定の目的に奉仕するものに仕立てあげる論調が、既得権益を守る側の興味をどのように惹くものか。件のグローバルな規模に及ぶ[既成の]秩序に対する脅威は些かもなく、それぞれ別々の局所的な問題が続いているだけなのですよ、という按配。
グローバル資本主義は複合的な過程であり、多種多様な国々に多種多様な方法で影響を与える。さまざまな抗議活動は、それぞれ雑多なものであるにもかかわらず、ひとつに結ばれている。その結節点となるのは、すべての抗議活動がさまざまな貌をもつ資本主義のグローバル化に抗する応答だという点である。今日のグローバル資本主義は一般的にいって、市場の拡大をさらに推し進め、徐々に公共空間を囲い込み、公共サービス(ヘルスケア、教育、文化)を切り詰め、ますます政治的な権力を独裁的にする傾向にある。かくのごときグローバル資本主義の綾織りに絡めとられているからこそ(in this context)、ギリシャ人たちは、国際金融資本の規制や腐りきったギリシャ国内の機能不全、つまりどんどん社会的サービスを提供できなくなっていく状況に抗議しているのだ。同様にしてグローバル資本主義の綾織りに絡めとられているからこそ、トルコ人たちも、公共空間の商業利用や宗教による独裁制に反発しているのだ。エジプト人たちが西側諸国の権力に支援を受ける政権に抗議しているのもそうだ。イラン人たちが汚職と宗教による原理主義に抗議しているのもそうだし、みんなそうなのだ。上に列挙した抗議運動のうち、ひとつたりとも単一の問題に還元できるものはない。すべての抗議運動が対処している問題は、少なくともふたつの問題、すなわち経済的な問題(汚職から機能不全、資本主義そのものに至るまで)と政治的‐イデオロギー的問題(民主制の要求から使い古された複数政党民主制を廃止しろという要求まで)とがその状況に応じて連繋したものなのだ。同じことがオキュパイ運動にも当てはまる。(しばしば支離滅裂の)さまざまな声明の横溢に隠されているが、オキュパイ運動にはその基盤となる特徴がふたつある。第一に、ひとつのシステムとしての資本主義に対する不満を抱いているのであって、その運動が起こっている地域特有の汚職に対する不満だけではない、ということ。第二に、複数政党による代議制民主主義が制度としてかたちになったものには、資本主義の行き過ぎを阻止すべく戦う素養がない、つまり、民主制は一から作り直さなければならない、という意識である。
さまざまな抗議行動の通奏低音となっている原因がグローバル資本主義だというだけで、それを解決するにはグローバル資本主義を放棄するしかない、ということにはならない。おまけに、現実味があるのは現状に即して考えて代案を追い求めること、すなわち諸問題に個別に対応して、根本的に[制度の]かたちが別のものに変わっていくのを待つ、ということにもならない。盲点となっているのは、グローバル資本主義はやむを得ず整合性を欠いてしまうものだ、という事実だ。たとえば市場の自由は米国による自国の農家の保護(support)と二人三脚。たとえば民主主義の伝道活動は[王政を敷き、国政選挙がなく、女性・民族差別の跋扈する]サウジアラビアの支援と二人三脚。こうした不整合が生じて、政治的な介入を呼びこむ隙間となる。つまり、グローバル資本主義のシステムが自らの課したルールを侵犯することを余儀なくさせられる場所ならどこでも、制度に対して己がルールに従うよう断固として要求するチャンスはある。整合性を求めるポイントを、戦略を立ててシステムが整合性を保つ余裕などなくなる勘所に絞れば、システム全体に圧力をかけることになる。政治のこつは、さまざまな個別具体の要求をすることだ。そういう要求は、徹底的に現実的でありながら、ヘゲモニーを握るイデオロギーの核心を衝き、遥かに根本的な変革を織り込み済みのものにしてしまう。かくのごとき要求は、それが履行可能かつ法に則ったものでありながら、事実上不可能な要求なのだ。オバマがやった、ヘルスケアを万人にゆきわたるようにするという提案は、その一例だ。なればこそ、その提案に対する反応はあれほどまでに激したのだ。
ひとつの政治運動はひとつの理念、つまりなんらかの刻苦精励するに足る目標をもってその端緒に就く。しかしじきに、その理念は深甚なる変容(a profound transformation)――戦術に応じた調整だけでは足りない本質的な再定義――を蒙る。なぜなら理念そのものが、その運動のプロセスに組み込まれるからだ。つまり理念は重層決定*7されるようになる。*8そうだ、反乱というものはなにかの正義を要求することから始まる。おそらくは、個別具体的なある法律の撤廃要求というかたちをとるだろう。いったん反乱にどっぷり係わるようになれば、そこに参加するひとたちは自覚するようになる。当初の要求を満たしたとしても、真の正義をもたらすには到底足りない、と。問題となるのは、その「到底」(much more)を精確に折り込んだ定義をどうするか、ということだ。リベラルで現実的な対症療法的な見方(the liveral-pragmatic view)をすると、さまざまな問題は徐々に、ひとつひとつ解決できるということになる。たとえば「ルワンダで今、人がばたばたと死んでいっている。だから反帝国主義闘争のことは忘れて、とりあえず虐殺を阻止しよう」。あるいは「貧困や人種主義と今ここで戦う必要がある。グローバルに展開する資本主義の秩序が瓦解するのを待ってはいられない」というふうに。ジョン・カプートはこうした方針に従い、『神の死のあと』(2007)でこう論じている。
米国の極左政治家に当のシステムを改革する力があったとしたら、わたしは非の打ちどころのない幸せものになれただろう。たとえば、万人に行き渡る医療制度を提供できるようにとか。IRS[米国国内歳入庁。日本の税務署のようなもの]の規約を改正してより公平に富を効率よく再分配できるようにとか。効果的に選挙運動の資金調達を制限しすべての投票者に被選挙権を与えられるようにとか。移民労働者を人道的に扱えるようにとか。それから多数の国が参加するような外交を実現できれば、アメリカの権力を国際的なコミュニティのようなものの内部に統合できるだろうとか。たとえば資本主義に介入するために本格的にもっと痒いところまで手が届く改革が……なんて。バディウやジジェクが不満をこぼす、資本主義という名の怪物とやらがわたしたちをまだつけまわしている、というような程度のことが片づいた暁には、わたしはその怪物とやらをあくびで迎えたい気持ちになることだろう。
ここで問題なのはカプートの結論ではない。つまり、資本主義のなかでその程度のことならできるかもしれないのだから、そのままそこにいたらいいじゃないか?、という彼の結論が問題なのではない。問題なのはその結論の底流をなしている前提、つまりその程度のことなら、今のかたちのままのグローバル資本主義の枠内でできるかもしれない、という前提だ。カプートが列挙する資本主義の機能不全が、偶発的に起こった混乱というだけのものではなく、[資本主義の]構造上起こるべくして起きたものでもあったとしたらどうだろう? カプートの夢が、[機能不全の]症候がなく、「抑圧された真実」が露見してしまうさまざまな臨界点(the critical points)がない普遍的な資本主義秩序という夢だったとしたらどうだろう?
今日のさまざまな抗議活動や反乱が持続しているのは、さまざまに込み入った権利要求が組み合わさっているからであり、こうした事情こそ運動が強靭である理由なのだ。そうした抗議や反乱は「通常の」議会制民主主義を求めて、独裁体制を向こうに回し戦う。人種差別や性差別とも戦うこともある。特に移民や難民にそうした差別が向かう場合には。政治やビジネス(工場による環境汚染など)の腐敗を相手に戦うこともある。福祉国家を求めてネオリベラリズムと戦うこともある。そして新しいかたちの民主主義を追い求めて、複数政党制の旧弊を乗り越えるべく戦うこともある。 さまざまなかたちをとる抗議や反乱は、件のグローバル資本主義を疑問に付し、資本主義の枠内には留まらない社会という理念の命脈を保とうとしてもいる。ふたつの罠がここで回避されるだろう。ひとつめの罠は見せかけの根源回帰主義(radicalism)(「本当に重要なのは、自由主義的な議会制を敷く資本主義の廃絶であって、そのほかの闘争は二の次だ」)、もうひとつの罠は、みせかけの漸進主義(「いますぐわたしたちは軍事独裁に抗して、基盤となる民主主義のために戦うべきなのであって、社会主義を夢見るなどということは、この際一切無視するべきだ」)。ここで、毛沢東思想における第一義的/二義的矛盾(antagonisms)*9の区分けを思い出しても恥じることは何もない。というのも、両者の違いこそ最終的にもっとも重要度の高いものであり、目下支配的な区分だからだ。しかし状況次第では、第一義的矛盾に拘って主張すると、この[グローバル資本主義との]闘争の戦局を左右する一撃を命中させる機会を逸してしまいかねない。重層決定の複雑さをちゃんと勘定に入れた政治学だけが、ひとつの戦略と呼ばれるにふさわしい。*10どこかの闘争のひとつに加わるとしよう。そのとき不可欠なのは、わたしたちがひとつの闘争に参戦したり、離脱したりすると、[わたしたちが直接かかわっていない]他の闘争にどのような影響が及ぶのだろうか、と問うことだ。世の習いなら、国民を抑えつけにかかる民主化が中途半端な体制に対する反乱が起こる場合、たとえば2011年の中東の場合などがそうだが、民主主義に賛成、汚職に反対、というようなスローガンで大規模な群衆を動員するのはたやすいことだ。だが、じきにもっと困難な選択を迫られる。反乱が当初の目的を成功裏に達成したら、わたしたちが次に理解するようになるのは、現実に悩みの種であるものが(自由の欠如、面目を潰されること、汚職、頼りにならない見通し)がなお新たな容貌を纏って存続している、ということだ。こうしてわたしたちは仕方なく闘争の目的自体に欠陥があったことを認めざるをえなくなる。すると、だんだんわかるようになるだろう。民主主義はもともと不自由な政体なのかもしれない、もしくは政治に止まることのない民主主義を要求しなければならない、社会的・経済的生活も民主化しなければならない、ということがわかるようになるだろう。つまり、高邁な原則(民主主義の自由)を現実にしっかりと当て嵌め損ねたわたしたちの力不足(failure)だと当初は思われたものは、実のところ、当の原則が孕んでいた欠如(failure)なのだ。こうしたこと――わたしたちが戦う目標となっている当の原則に欠如が内在しているかもしれないということ――を咀嚼することが、政治を学ぶうえで大きな一歩になる。
支配的なイデオロギーを代表するものたちは、あらゆる手練手管を四方八方尽くして、わたしたちがこうした事の根源にある結論に達するのを阻止しようとする。そうした人たちがわたしたちに言うことといえば、民主主義の自由にはそれ相応の責任が伴うし、相当な代償を払わなければ実現せず、民主制にあまりにも多くを望むのは大人げない、というものだ。重ねて彼らが言うには、自由な社会ではわたしたちは一己の資本家らしくふるまって、自分の生に投資しなければならないものらしい。必要な生贄をささげ損ねたり、成功への階梯を上り詰めるにいたらなかったりしたとしても、自分以外にその責めを負う者は誰もいない、というのだ。もっと直截に、政治の話をしてみよう。米国は外交政策においてずっと一貫して戦略的に損失をコントロールしてきたわけだが、その方法はといえばさまざまな民衆の暴動を、議会制‐資本主義という常識にかかる容れもの(forms)へと誘導する道を引き直すというものだった。アパルトヘイト以降の南アフリカ、マルコス失脚後のフィリピン、スハルト後のインドネシアなどがそうだ。ここ[抗議活動が既成の民主主義に収束する場所]が、政治というものが適切に始まる場所なのだ。つまり問われるべきは、当初は熱狂的だった変化のうねりが終息するや間髪いれずもっと先へと進む方法、「全体主義」の誘惑に屈せずに次のステップへ進む方法、ムガベにならないようにマンデラを乗り越える方法なのだ。
といっても、具体的にはどういうことなのだろうか? 隣国同士のギリシャとトルコを比較してみよう。一見したところ、両者はまるで違う国のように見える。ギリシャは緊縮財政というもはや廃墟のようなまつりごとに追い込まれているというのに、トルコは好景気に沸き、周辺地域の新興超大国として台頭しつつある。しかしトルコ人ひとりひとりが、自分だけのギリシャを、自分だけの困窮の島嶼を、生みだし抱え込んでいるとしたらどうだろう? 「ハリウッドの哀歌」のブレヒトの言葉を借りるなら、こうなる。
ハリウッド村計画は、こっち側の人間が思い描く天国という絵空事(notion)に倣ったものだった。
こっち側の人間は、結論にようやく辿りついた。天国と地獄が必要だと考えた神にはふたつも秩序を計画する必要などなくて、天国ひとつあれば十分だったということだ。
天国というやつは、繁栄を享受しない、落ちぶれたやつには地獄になるのだから。
ブレヒトの話は、今日の「世界村」(global village)をなかなかよく言い表している。カタールやドバイに当てはめてみるだけでいい。金持ちの遊び場は、移民労働者にしてみれば奴隷制に近い情況の上に成り立っている。もっと目を凝らせば、表面下に潜んでいるトルコとギリシャの類似が露わになるだろう。私有化=民営化、公共空間の囲い込み、社会保障の段階的廃止、独裁政治の台頭。初歩的なレベルでも、ギリシャとトルコの抗議活動参加者たちは、同じ闘争に与している。選んで正解の道は、ふたつの闘争を調和させる方なのかもしれない。「国を愛する」誘惑をはねつけ、両国のこれまでの因縁を棚上げして、団結のための地盤を追い求める方が、正解の道なのかもしれない。抗議活動の未来は、どうやらそこにかかっていそうだ。
*1:喩えるなら、改革は古民家のリフォームや建て増しのようなもので、革命は基礎工事を含めた抜本的な建て直し。
*2:当時のトルコは、EU加盟を議論されていた。
*3:トルコとギリシャを下部構造決定論的な上部構造(イデオロギー)/下部構造(経済)にわけて比較している。この下部構造決定論的な「楽園」の発想をジジェクは批判していく。
*4:世俗と宗教は対立しない。むしろ経済と宗教は結束している。公共空間が資本主義の原理に曝されるとき、それは民営化というまるで自由を約束するような語彙を用いるが、その自由はあくまで「市場の自由」であって「民主主義の自由」ではない。したがって、「民営化」は民主主義の原理に反する資本主義による「私有・略取」と解することができる。
*5:具体的には、資本主義が独裁政権や社会主義とも結びつきうる、ということ。
*6:taking placeは歴史的な継起性に裂け目を穿つ出来事を意味すると同時に、なにもないところに場所をつくりだすという含意があると思われる。後段で論じられるオキュパイ運動もそうだが、ストやデモ、蜂起といった抗議活動にとって、集団が路上につくりだし占める場所がもっとも不可欠な要素だからだ。こうした場所は前述の資本主義=独裁の結婚による「私有化」に対抗する運動の起点となると同時に、それは行為・出来事そのものとなって、資本主義的な市場の自由とは異なる民主主義の根源にある自由、demosの自由を立ち上げる。このあたりはバトラーのいうenactmentとも共振するだろう。しかしジジェクがここでこだわっているのは、抗議活動について考えるということが、抗議活動の外野から解釈する行為なのではなく、抗議活動に巻き込まれ、曝され、共にstruggleを実践する行為だということだ。加えて、解釈行為が出来する=場所を得るのは、抗議活動という「形式」の内部である。そのため、わたしたちは抗議活動の実態(true content)を解釈することはできない。思考は抗議活動の内部に宿る。この一点において、抗議活動についての思考は、それ自体が抗議活動とならざるを得ず、思考と活動はstruggleの存続、ならびにstruggleの存在論的根拠を問う闘争を体現する。
*7:ルイ・アルチュセールによる下部構造決定論批判を踏まえた用語。単純化してしまうと、経済的関係や労働者といった社会の土台となるものが社会の上澄みであるイデオロギーよりも優越し、社会や時代の在り方を決定しているという考え方(下部構造決定論)を否定し、イデオロギー(頭)も労働(身体)もそれぞれが相互に作用しあって全体は構造化、ないしは脱構築されていると考える。たとえば、フレデリック・ジェイムソンは『政治的無意識』のなかで、機械論的因果律(デカルト)、表出論的因果律(ヘーゲル)に続く構造論的因果律としてこの重層決定(overdetermination)を論じている。
*8:原注:『政治経済批判のために』(the Contribution to the Critique of Political Economy)の序文でマルクスは(彼の議論のうちでも最悪な展開だが)、ヒューマニティはそれ自体を自分で解決可能な課題として措定するだけだ、と書いた。この言明を180度ひっくり返して、ひとつのルールとしてのヒューマニティをそれ自体では解決できない課題として措定してみてはどうだろう? そうすれば、課題自体が再定義されるうちに、予測できないプロセスが誘発されるだろう。
*9:おそらく毛沢東『矛盾論』における「資本主義社会では、プロレタリアートとブルジョアジーという二つの矛盾する力が主要な矛盾をなし、それ以外の矛盾する力、たとえば、残存する封建階級とブルジョアジーとの矛盾、小ブルジョア農民とブルジョアジーとの矛盾、プロレタリアートと小ブルジョア農民との矛盾、非独占ブルジョアジーと独占ブルジョアジーとの矛盾、ブルジョア民主主義とブルジョア・ファシズムとの矛盾、資本主義国相互間の矛盾、帝国主義と植民地との矛盾、およびその他の矛盾はいずれも、この主要な矛盾する力によって規定され、影響される」という議論を踏まえていると思われる。参考→http://www.smn.co.jp/takano/Mujunron.html#1%96%B5%8F%82%82%CC%95%81%95%D5%90%AB%82%CC%91%E6%88%EA%82%CC%88%D3%96%A1
*10:ロシアフォルマリズムの「ドミナント」概念を思い出せばいいだろうか。時代によって支配的なものは変容する。しかし支配的なものは氷山の一角であり、氷山は向きを変えたり転覆したりするものだ。なにかひとつの目立つ一面だけにこだわっていると、氷山全体を捉える事ができなくなる。たとえばジェイムソン『政治的無意識』は、新しいものの見方が古いものを駆逐し進化するという考え方を退ける。新しいものに見える現在支配的なものは、もともと氷山として存在していたもののひとつの様相に過ぎない。古いものも新しいものと同時に併存している。重要なのはそれらの関係の総体=氷山全体を捉えることであり、下部構造決定論のような単純な決定論を退ける構造論的因果律=重層決定の理論はそのためにある。資本主義と民主主義の関係についても同様のことが言えるだろうし、そもそも資本主義や民主主義には多様なかたちがありうるのだから、それらの理念自体も変容に曝されている。重層決定は理念を決定因子としない。昨今喧しい憲法改正の論議に例を採れば、憲法は理念に相当するだろう。憲法さえ聖域ではなく、欠陥を抱えたものとして見るという意味で、ジジェクの議論は改憲論者のものと似通っている。ただしジジェクならば、国を愛することやグローバル資本主義の延長線上にある集団的自衛権といったものが、理念としてはあまりにお粗末であることを指弾するだろうと想像する。理念は現実への適用において問い直される。政治的な過程、デモ等の抗議活動の内部にこそ理念は出来し、新しいかたちを得る。これも重層決定の一種である。