佐藤啓介『死者と苦しみの宗教哲学』

宗教哲学とはなんだろう。宗教のありようについて原理的・理性的に思考する学問だろうか。一年ほど前までのわたしはそう考えていた。
宗教は、理性では解きがたい人間の生の機微を、超越的な存在である神とともに耐えしのぎ乗り越えようとする場である。対する哲学は人間理性を探求する。近代大学において国家の干渉を防ぐ防波堤となりつつ、神のような超越的な存在をカッコに入れる哲学は、人間の力だけで超越性を思考する超越論的な営みであった。このような大雑把な二分法も一応は可能だろう。
けれども、あらゆる学問領域がそうであるように、縄張りはいつも暫定的なものに過ぎず、時代に応じてその境界は揺らいできた。とりわけ、キリスト教が西欧世界で覇権を握って以来、宗教と哲学は微妙な交渉を重ねてきた。理性の信頼を胸に論理と合理の道を突き進む哲学徒といえども、実際は教会権力に配慮しつつ、無神論者や背教者の烙印を押されぬよう、慎重な思索が求められた。事情が変わるのは、宗教改革以降、教会権力が没落の一途を辿り、世俗権力の封建制が揺らぐ時代が到来してからだ。世俗化と民主主義の時代に宗教哲学はひとつの学として生まれた。
聖書が文献学の対象となり、神の絶対性やキリストの奇跡が疑問に付される18世紀に、宗教は哲学による理性の光に照らされはじめる。超越的な存在を中心とした信仰の世界に、超越論的な思索が入りこむ。宗教が独占してきた善悪や生死といった主題は、世俗の哲学の側から捉え直された。しかし宗教という秘儀的な領域がたちまち照明される一方、哲学の側も無傷ではいられない。理性の光が内心の暗渠へと伸びるに従い、その輝きは褪色を余儀なくされ、哲学は神秘的な反影を揺曳する鈍い光を発することになる。かくして、宗教と哲学は宗教哲学という接触領域を必要とする。宗教哲学は、哲学と宗教が互いを食みつつ互いの本分から遠ざかる、あるいはふたつの振り子がぶつかってはその勢いの分だけ遠ざかる、その反発係数を思索と信仰の系譜に銘記する学として18世紀後半に生まれた。
しかしながら20世紀に入ると、哲学が世俗において知識人を多数輩出する一方、宗教的言説は公共空間から一気に退場していくことになる。世界各地の創世神話を否定するダーウィン種の起原』の登場を俟つまでもなく、科学技術は見えるはずのないものを次々と明るみに出し、自然科学は地球や人体、世界の構成、さらには宇宙の出自に至るまで、宗教の縄張りを浸食していった。米国南部を中心とするメガ・チャーチの隆盛やラテン語圏諸国のカトリック信仰の根強さは依然無視できないとはいえ、国際政治から世間の話題に至るまで宗教に発する公的な言葉は影響を失って久しい。教会と国家の分離を進めた世俗化は、宗教的な問いを私心の閉域で完結させるところまで進行した。信仰は内心の自由を確保された個人の心の中でなおくすぶり続けるだろう。宗教が公的言説から退場したのちも私的な信仰は隆盛を保つものの、残された個人のパトスを掬い上げる公的次元は欠落している事態を、いささかためらいつつもポスト世俗化と呼んでみたい。
世俗化の時代に生まれた宗教哲学は、このポスト世俗化の現代になにをなすべきか。本書に課せられた最も重い問いは、宗教哲学の再定義である。かつて相互遠心運動を続けていたふたつの振り子のうちのひとつ、宗教的言説が公共領域に介入する力を失った今、宗教と哲学をぶつけ両者が遠ざかる力のもとにひとつの場を開く、かつての宗教哲学のやり方は通用しない。
果たして本書の著者、佐藤は、宗教の言説が公的な次元に「掬い上げていた」ものの今や救済されないままわだかまるほかない、自然悪の苦しみや復讐の連鎖といった遥か下方にある現代的経験に着目する。宗教的な言説の庇護を受けないこれらの経験に、宗教哲学の遺産と哲学・現代思想の知見を糾合して臨む。誰もが感じるものでありながらおおっぴらに語ることが難しい現代的経験に、片肺となった振り子をぶつける。だが、この振り子はもはや公の高みで水平方向に働くことはない。私的な懊悩は遥か下方にある。だから高みに漂う(宗教)哲学的言説を、取り残された暗い情動へと鉛直的に落下させてみる。経験にぶつかる勢いはそのまま、経験の深部へ、過去の知見の及ばない深みへと遠ざかり、思索の可能性を測深する。
佐藤が考える宗教哲学の潜勢力は、予め公共的な力をもっている言説どうしがぶつかってはお互いに遠ざかる、その反発係数の記録にはない。私的な経験を公的な言説へと「掬い上げる」ことにもない。むしろ重力に従い「宗教以前の情動」の発生現場に降り立つ」(15)。公的な次元という高見の拠り所を持たない経験の地表へと敢えて墜落し、さらに重力には果たせないほどの深みを抉りつつこれを測深する。高みにある救いの「公」とは違う、深淵に眠るもうひとつのパトスの「公」を目指して。
管見の及ぶ限り、以上が本書に賭けられた問いであると思う。以下、本書の議論を書評子に能う限り、時に間引き時に噛み砕きながら、その骨子のみを曝してみたい。
まず、ホロコーストのことを思い浮かべてもらいたい。第二次大戦中にナチスが行った障碍者・外国人・ユダヤ人の強制収容と大量殺戮は人道に対する罪として認定され、関係した人物は次々と法的な処罰を受けている。のみならず、ドイツ国家全体がホロコーストの罪を背負い、負の経験を記憶するモニュメントは方々の街並みに溶け込んでいる。処罰と贖罪は、赦しがたい罪への応答としてはほぼ常識に属するだろう。より卑近な、刑事罰には相当しない事例を考えてみても、不倫や不祥事という社会秩序を紊乱する行為には、公職からの追放やSNSによる容赦ないバッシング、そしてそれ相応の謹慎が伴う。だが罪責に応える選択肢は、処罰や贖罪という加害者が負う責任以外にもある。害を被った当事者やその関係者による赦しである。
本書第1章では、「赦しの可能性の条件」を問う哲学の系譜が、重力に逆らう高みへの志向として提示される。
罰を与えない消極的な行為として赦しを考えるハンナ・アーレント。これに反し、赦しは罰とは無関係であり、また一回的・瞬間的に終了することなく不断に赦し続ける難行であると考えるポール・リクール。被害を被った側が赦す可能性よりも罪を犯したものが背負う赦しえないものの試練の重さを強調するヴラジミール・ジェンケレヴィッチ。実際に赦せるかどうかが事前にはわからない、赦しえないものだけを赦す行為に無条件の赦しの理念を託すジャック・デリダ。それぞれが相互批判的に対置され、最後のデリダの「不可能な赦し」というアポリアが、この赦しの哲学的考察の理念の座を占める。
現実に赦す/赦さない可能性を担保するのが、赦されざるものを赦す、という現実には実現不可能なアポリアである。失われたものを同定しその空白を埋めることのできないメランコリーの状態にも似て、理念的に赦しとは決して終わることのない未完の贖宥である。予め赦し終えることができるとわかっているものを赦すのが赦しなのだとすれば、それは赦す必要さえないのかもしれない。それは必ずしも赦さなければならない罪ではない、いや罪ですらないかもしれない。そのような赦しは、赦しの名を借りたお手軽な出来事の忘却ですらありうる。この場合、鋳型のような赦すことができる罪があって適当な赦しをここにはめ込む、という定型だけがある。赦しという行為に倫理的切迫性が伴うとすれば、予定調和の及ばない赦されざる罪の存在を想定した場合だけだろう。
実際、人が真剣に赦しを考慮する際に目の前にあるのは、罪状の軽重・種類、そして赦しの前例の一切を問わず、わたししか赦すことのできない一回的な罪である。法においてその罪が一般化されていようが、わたしが直面しているこの罪は一般化できない。だから赦しがたい。赦しがたさに対峙するとき、わたしの経験は「私がどうこうできる理念ではなく、私をどうこうする理念。私が使用するのではなく、私を触発する理念」(34)に突き動かされている。この理念があってこそ、法や政治のなかにおける赦しは、その都度切迫性を感じつつ真剣に考慮するに値する選択肢として権利上存在しうる。でなければ、「汝を赦す」という空疎な言葉の儀礼的な遂行性だけが空回りすることになるだろう。
だが最晩年のリクールは、デリダが提起した赦しのアポリアに留保をつける。あらゆる想定や想像を拒む理念をそのまま遥か天上に戴いておくには人間の思考はあまりにも脆い。赦しえないものを地上に引き下ろし、知らぬうちにこれを条件つきの理念に、ある種の定型にしてしまいかねない。理念の無根拠さを地上に繋ぎ止めておくには両者を結ぶ「隘路」、範例が必要だ、とリクールは言う。リクールは天地の間に「隘路」を通すイエス・キリストに求める。弱い凡俗の人間であっても、神の子でありつつ人間でもあるイエスという範例を手がかりにすれば、現実には不可能な赦しの理念が天界の奈辺に存在することを信じ続けることができる。
以上が、書評子の理解が及ぶ限りでの第一章のあらましである。しかしこれは先行する宗教哲学および哲学の伝統を整理する予備的考察に過ぎない。著者の問いはこれを批判するところから始まる。すなわち赦しの宗教哲学はあまりに気高く倫理的ではないだろうか。果たして人間は《神と人間を結ぶ聖書の言葉》のような隘路を経て、赦しえないものを赦すという理念を仰ぎ見るだけで、さまざまな害を被るこの弱い生に納得することができるのか。デリダ/リクールの理念形は人間の(不可能なまでの)寛大さや倫理的な高みへと飛翔する。しかし人間は安きに流れる。弱い。人間の恨みがましさ、不寛容といった限りなく低い理念を思索する必要があるのではないか。リクールの範例は「善すぎる」。

無条件的な赦しが、赦しの請願の有無にかかわらず赦すのであれば、赦しの対極には無条件的な復讐があるのではないか。即ち、赦しを請う請わないにかかわらず、改悛したしないにかかわらず、刑を受けた受けないにかかわらず、絶対に復讐するパトス。赦しえないものをも赦す「愛」の裏側にある、復讐しえないものさえ復讐する「憎悪」。無条件的な赦しと全く同じ程度で、あらゆる人間的な能力をはみ出る無条件的な復讐。それこそが、私たちの「赦しえないもの」の経験を可能にさせているのではないだろうか。(40)

端的に言って、赦しえないと思える行為に対する応答は通常、赦しより先にまず復讐として思い描かれるだろう。赦しえないものをそれでもなお赦すという神的な理念の対蹠にある、ごく簡単に赦しうる事例に対しても敢えて復讐するという人間以下の《人でなし》の理念までの導線は、処罰や慰めをもって代えがたい応報感情に打ちのめされる経験から想像できる。哲学的な高みに上昇することによって得られる倫理的な強さではなく、とても人間には達することのできない深みまで人間的な弱さを掘り下げること。
ルシフェルが神に反逆し天界から墜落したあと、人間には想像できないほどの深淵が大地に穿たれ、地獄は生まれた。堕天使ルシフェルを最底辺に従える地獄の深さは、人間には犯しえない神的な罪深さを物理的に刻印している。しかしこの想像を絶する深みの生成は、墜落の始点である神の住まう天の高みなしにはあり得ない。デリダやリクールが追究した赦しは、煉獄山を一歩一歩登りつつ天界の頂を目指す強い人間の、しかし決して完遂することはない贖罪の旅に似ている。だが、天から墜落した神的な存在が創り出した地獄の人外的な深みもまた、赦しえないものの高みを証言する。倫理的高みからもっとも遠ざかった《人でなし》の深淵が深ければ深いほど、いと高き赦されざるものの賭け金は競り上げられる。
デリダ/リクールのカッコいい倫理から敢えて遠ざかる。本書は、ふつうの人間が抱く恨みや復讐心といったダサイ弱さから、あるいは赦す能力も復讐する能力も欠いている酷薄な死者から、倫理的思考の潜勢力を(掬い上げるのではなく)掘り下げる試みだと言えよう。道徳的にはおよそ範とすべきではない復讐や無力、怨嗟の範例に哲学的知見を携えて向かう。極めて卑近な人間の弱さを極限まで増幅させた先にある、およそ人外的な悪や罪深さ、無力を測深することによって、宗教哲学の遠心力は鉛直的な力として回復される。宗教哲学の根源には、立ち向かったり、断ち切ったり、善行を為したりする理性的な行為主体としての生ではなく、さまざまな害を受けたり、悩んだり、煩悩に悶々とするパトスの受容体としての生、すなわちなにごとかをいつも「被る」生がある。もはや宗教的言説によっては救われない脆弱な人間的生が描く実線を底なしの思考によって掘り下げた果てに、ルシフェル墜落の力が破線状に棚引いている。切れ切れに続くこの痕跡は無条件に被る弱い生の理念を辿る手がかりとなって、あるいは赦しとはベクトルを違える理念への「隘路」となって、この弱い生を生かす蜘蛛の糸となるだろう。
《人でなし》の深淵を実践的に深掘りする第二章から第四章では、死者と記憶の問題系が取り上げられている。
第二章の主題は、浮かばれない死者の怨念を断ち切ることができず、復讐心を燃やす生者である。たとえば他になんの身寄りもない人が唯一自分のことを理解してくれている恋人を殺されたケースを想像してみよう。恋人を殺害した加害者に対する恨みは募る。彼岸に行った恋人の怨念を代理し、復讐したいという気持ちを押し殺したままにしておくのは難しい。だが、その復讐が実行に移されるとして、その行為は本当に恋人の思いを代理しているのだろうか。さらに「犠牲者に忠実であるという倫理的志向は、必ずしも倫理的行為を生むとは限らない」(54)。復讐したいという思いは恋人の気持ちを汲もうという倫理に発しているのだとしても、加害者を殺すという行為はとても倫理的とは言えない。恩讐の彼方に至るという強靭な高みに訴えることなく、このジレンマをどう解きほぐせばよいのか。
復讐の実行は、加害者を赦すという選択肢を選べない弱さに発しているということもできる。しかしながら、加害者がもつさまざまな能力を奪う復讐は、復讐できる能力に発しているという意味において、真の意味で弱いとは言えない。本当に弱いのは復讐できない無力さであり、さらに言えば、復讐を実行するどころか赦しや怨みをたとえ抱いていたとしても公言することさえ叶わない死者であろう。亡くなった恋人に代わって復讐するという行為は、もの言わぬ死者が抱きうるさまざまな思いを「加害者を殺したい」という一択に限定し、死者の声が秘めている多様な可能性を奪う。つまり復讐とは、死者の弱さを濫用できる生者の強さに立脚した、「復讐する能力さえ奪われた犠牲者に最後に残されている場――復讐する能力が奪われているという立場――さえも占有し、犠牲者を「なかった」ものにする忘却の最後の一閃」である(56)。
加害者を赦すという気高き強さを発揮するのは難しい。だが、怨念を抱えつつも復讐を実行に移さないこと、これを断念することはできる。そうすることで、彼岸において、もの言わぬ死者の思いを千々に乱れたままにし、さまざまな声を秘めたままにしておくことができるだろう。赦すという積極的な行為の対極にある、復讐を実行には移さず内心にとどめておくという《行為の否定》によって、復讐することも赦すこともできる潜在可能性を死者は取り戻す。
翻って復讐の断念は、遺族が加害者を赦すという行為が復讐の実行と同じく死者の声の代理に他ならない、という赦しの問題系の盲点を突いている。復讐だけではなく、死者に代わって赦しを施す行為をも断念し続けることが、死者の無力さにひとつの力を認める上での第一歩となる。
第3章では、死者の無力さを奪うことなく、つまり死者の立場を生者が占有しその多様でありうる声をなんらかの遺志へと縮減することなく、公的に記憶することは可能か、という難題が論じられる。公共空間における死者の記憶は、ある特定の集団や民族に占有される傾向にある。公的な記憶の難しさは、それが公共性を僭称しつつも、なんらかの同質的な集団、集合的な《一者》に私有されてしまう点にある。殺された恋人の遺志を代理する復讐者と構造的には変わらない。ある共同体が死者の遺志を受け継ぐ限りにおいて、その記憶は開かれた性質を失い、(解釈)共同体に私有されてしまう。これは、なんとしてでも死者のことを記憶せねばならないという倫理的な要請に忠実であろうとする決然とした「記憶への意志」と、記憶の風化に敢えて逆らおうとする強い倫理性とに発した非倫理的帰結である。
「記憶への意志」は死者を「犠牲者」にする。この誰かは、共同体のために死んだ「犠牲者」、「共通の生を守るための犠牲の死」、あるいは供儀の羊としての位置を宛がわれている(70)。ある共同体が特定の死者を公的に記憶するという場合、記憶への意志に付随して、死者の死を共同体のための死に置き換え、共同体の代理とするメカニズムが作動する。とりわけ小さな単位の共同性が急速に失われつつある共同体解体の時代にあっては、死者を記憶するという営みは、個々のかけがえのない死者の弔いよりも、共同体の弥縫的な編み上げのほうに傾く。共同体の危機にこそ、記憶への意志は強く働き、死者の無力さは求心的な力学に絡めとられる。死者を記憶にとどめようとする生者の記憶への意志と、死者を共同体の犠牲者とする代理表象の力学によって、公共の記憶は皮肉にも私有されてしまう。
この困難を乗り越えるために、「死の事実性のみを取り上げ、それを「代理」することなく「記憶」していくこと」、「公共空間のなかでの死を「何のためでもない死(mourir pour rien)」として捉えていくこと」を佐藤は目指す(77)。鍵となるのが、考古学や記号論における痕跡概念である。
佐藤は、痕跡の特性を以下の五つに要約している。第一に、痕跡は人称性を帯びた誰かが課す解釈の負荷とは無縁であり、ただ因果関係を指示する。第二に、痕跡はその解釈者の存在や介在とは全く関係なく自律的に残る。第三に、痕跡を残した者に意図があろうがなかろうが、痕跡は残る。第四に、痕跡はそれを生む原因となったものとの接触の証しであると同時に、その原因がその場から失われてしまっている現状を示している。第五に、共同体や死者、そして記憶への意志が存在するよりも前から、痕跡は物質的な意味において刻みつけられており、その痕跡の物質的刻印がそのまま(共同体による記憶の場以前の)「場」を構成している。
以上のような痕跡の特性を念頭におけば、ある共同体が記憶を占有するモニュメントや博物館のような場所として「死者の記憶の場」を考えるのは難しくなる。共同体が存在していようがいまいが、生者が記憶しようがしまいが、死者が残すものはいつも痕跡というかたちでそこに在る。この観点に立てば、死者の記憶に関する記録文書やモニュメント、それらを収める博物館もまた、それらに込められた思いいれとは無関係の痕跡の一部として解されるだろう。
第4章では、考古学やイメージ人類学の知見を借りつつ死者の痕跡についてさらに掘り下げる、アクターなきネットワーク論が展開される。

あらゆる物質、そしてその総体としての世界そのものが痕跡であるとするならば、世界とは、一つの物質内における痕跡同士の重層的な重なりという時系列的につながる縦糸と、その痕跡の連鎖を背負った物質同士が、ある一つの痕跡を接点としてポジ‐ネガで隣接しあう横糸が編み上げる、痕跡と事物の壮大なネットワークなのである。(96)

生きた人間の営みは、物質的・技術的な痕跡として生の外部に刻印され、後世に残る。「死者の痕跡」(101)と佐藤が呼ぶこの世界は、死者の残骸・遺骸にあふれている。わたしたちの生は、死者を記憶していようがいまいが、死者が残した物質的なプログラムと共に稼働している。死者を共同体が記憶する場合、死者との交流は祭儀的・儀礼的な、ある種日常からかけ離れた特別な経験として演出される。しかし、死者が残した痕跡のネットワークは、わたしたちを死者に媒介されつつ生かされる日常に置く。手の跡が残ったハンドルを、わたしたちは手で握る。ハンドルがそれを手で握ることを教えてくれる。これは日常的な営みだ。死者のネットワークは生を日常的に起動している。生者は死者のアーキテクチャのなかで生きている。
死者と記憶に関する4章までの議論は、死者を赦したり、忘却に抗い死者を記憶したりする強い倫理的モデルに対する批判として総括できるだろう。佐藤が対案とするのは、死者の思いを代理しない、死者の記憶への意志を手放す、という人間の行為能力の退隠である。死者を代弁することなく、特定の共同体のなかに囲い込むこともなく、どこまでも開かれた、それ自体としては無能な物質的存在のまま死者を曝しておく。強く気高く天上を目がけて飛ぶイカロスには背を向けて、死者のインデックスの上を這いつつ、ルシフェルが蟄居する冥界の奈辺を眼路に収める。
以上が第4章までの骨子である。ここで書評子による批判を差し挟む。
アクターなきネットワーク論は、アクター=人間が死者の存在論的位相である痕跡を忘却することも妨げないのではないだろうか、というのがわたしからの問題提起である。「私たちの動作の一つ一つは、その外部記憶のプログラムを知らぬ間に再生的にアクティヴェートした結果」だと佐藤は言う(101)。しかし痕跡それ自体には、「知らぬま」に働く存在論的なレベルでの拘束力しかない。人間が実存的に生きていくだけだとしたら、存在論的な死者は認識されないまま等閑視されるだろう。この意味で痕跡は、どこまでも記憶するという強い意志の対蹠へとわれわれを導く。記憶への意志を放棄し死者の記憶を断念するアクターの行為能力喪失の射程には、記憶の存在論的位相を開く痕跡の忘却さえ入ってくるように見える。
もう少し踏み込んでみよう。死者を記憶することの断念は、記憶の反義語である忘却と本当に同義なのだろうか。おそらく違うだろう。仮に忘却が記憶の行方を自然に委ねる怠惰な態度であり、記憶はおろか痕跡に対しても一切の関心を示さない放心のようなものだとしよう。だとすれば記憶の断念は忘却とは一線を画する。幾度となく記憶することを意志して失敗を重ね、いらぬ軋轢を生みつつ、記憶することの不可能性にぶち当たった人間の記憶。これらの経緯をあらゆる物質的痕跡と横並びにして、等しく痕跡として読み解こうとする考古学的アクターにのみ、記憶の断念という準-行為は残されるのではないか。アクターなき静態的なネットワークという観点から痕跡の冥界を捉える佐藤の見解に、わたしはもろ手を挙げて与することはできない。「物質と痕跡が出会い、つながりを広げていく」、A・ルロワ=グーランのいう人間の「動作連鎖」は、「世界から失われ、いわばすでに「抜糸」されている」、と佐藤はいう(97)。しかし、痕跡の世界を破線状のものとして発掘するのは、目の前にある物質に残る痕跡から原因へと遡行する、つまり痕跡生成の過程を逆行するような動作連鎖以外にないのではないだろうか。物質と痕跡の出会いと別れが銘記された世界を読解する考古学的アクターこそ、この痕跡ネットワークに存在論的‐唯物論的理念を認める上で決定的に重要な役割を担うのではないか。だとすれば、痕跡のベクトルを遡って読解するアクターのふるまい、すなわち物質的な風化に抵抗することなくただ痕跡の因果性をその帰結から遡る「動作連鎖」とその無形文化的なふるまいの継承を、稿を改め論じる必要はないだろうか。
もちろん、赦しの気高さや記憶の強さからできるだけ遠ざかろうと敢えて試みる著者の賭け金がとてつもなく高いことは認めなければならない。だが、身近な死者の痕跡に人間が距たりを認めつつもアクセスし続けるには、赦しの理念の場合と同様、「隘路」や範例が必要だろう。ただし天地を結ぶイエスではなく、地上と地下を結ぶ何者かが。考古学的読解の継承可能性、及び考古学者=アクターによる文化と物質の媒介に「隘路」・範例を確認して初めて、無能な死者の痕跡は、理念となりうるのではないか、とわたしは思う。*1 つまりは人間ダンテの冥界下りには案内人ヴェルギリウスが要るということだ。もしかしたら範例ヴェルギリウスを任じるのは、考古学的知見を携えた新しい宗教哲学者なのかもしれない、とも思う。
本書の読解に戻る。第5章から終章となる第8章まで、今度は自然悪に害を被る=苦しむ(英語ならsufferingか)実存的な生を手始めに、被る=苦しむ死者への冥界下りが続く。
第5章では、全知全能の神がいるというのに、なぜこの世に悪という悲惨なものが存在するのか、という問いに紐づけられた狭義の神義論から遠ざかり、悪の存在を神によらず思考する広義の神義論が展開される。争点となるのは、自然災害に遭遇して身内を亡くしたり、なんらかの被害を被ったりした当事者には、抗議や怨嗟、怒りの声をぶつける宛て先がない、しかし負の情動はわだかまり続ける、という現象である。
先行する復讐と記憶の議論においては、共同体の成員を殺した犯人なり敵兵なりが実在するため、怨念をぶつける対象があった。佐藤は復讐へと遺族を駆り立てる暗い情動から出発して、死者の思いを占有し狭める独断から遠ざかること、復讐も赦しも断念しすべてを死者に委ねること、そして生者の隣にありながら生者を遠ざける死者の痕跡に冥界下りの宗教哲学の物質的条件を確認したのだった。
だが、自然災害の場合、遺族の不満をぶつける加害者がいない。なるほど、先の東日本大震災にしても人災の側面はあるので、国や東京電力に怒りをぶつけることはできる。しかし、自然災害の総体を人災のみに還元することはできない。原子力政策の不備や港の整備不良、津波発生時に備える危機管理の不足の責任を問うことはできる。しかし遺族を襲うやり場のない苦しみ、地震が起こらなければ、津波がやってこなければ、という思いは、人的責任を追及しても報われないだろう。自然に対しては人称的な責任を負わせることはできず、責任を持たない対象に向かっては赦すことも復讐を試みることも叶わない。自然災害によって害を被った人々は、復讐や赦しを実行に移すという選択肢が奪われている。自然悪に苦しむ人々は、行為能力を喪失した状態に置かれ、無力感に苛まれるほかない。*2
自然悪をこの神なき時代に考察するにはどうすればよいか。自然を理性的に、科学的に研究し、これを克服する手立てを探るという強い解決も一案たりうるだろう。しかし具体的な被害者は自然の猛威を向こうに回したときの人間の存在の小ささを噛みしめる他はない。考察の出発点となるのは、一方的な受け身の身分に留め置かれる受苦の経験である。そして受苦に打ちひしがれるものは、自然に対して赦しも復讐もできない。代わりに「なぜこんなことがわたしの身に起こるのか?」という当て所ない嘆きが発せられる。この嘆きはわが身に降りかかった不幸の意味と、それでもなお生きなければならないこの生の意味を求めている。意味を保証してくれるものがなにもないという受苦の無力に発した嘆き。この意味の求めは、宛て先を求めてさまよったすえに、結局、嘆きを発した受苦の主体に返ってくる。
受苦を乗り越える語りの定型として未だに有力なのが、苦しみを生きる糧に変えろ、というものだ。苦労は買ってでもするといい、どんな経験でもプラスになる、悪夢は幸運の前兆、というようなひたすらポジティヴな人生訓である。この論理でいくならば、受苦の経験は、わたしのものでありながらまるでわたしの生の外からやってくるものであるかのようであり、正常な生き生きした生の外からやってきてこれを厳しく賦活してくれる強壮剤であるかのようだ。ミシェル・アンリは、このような自己啓発的な論理は受苦の経験の意味を求める声を、既存の外的世界に充満する意味に合致させるものであると批判する。苦を与える世界の自己啓発的解釈は、苦しみを感じるこのわたしを説明せず、ただ既存の世界を説明するだけだ。アンリは、外にある世界をカッコに入れ、受苦の感情をわたしの生と切り離せないものとして論じる。受苦を被る外的原因はわからなくとも、受苦こそはわたしが生きている証である。受苦を感じているわたしを、わたしは内的に感じている。そのようにしてわたしは生きている。受苦を感じるわたしとそれを感じるわたしという自己の二重化、そしてふたつのわたし相互の触発によって、わたしの生は「被る生」として把握される。*3
だがアンリの「被る生」では受苦については説明できても、不条理な自然悪というわたしの外にあるものに対して苦しみの意味を求める嘆きについては説明できない、と佐藤は指摘する。アントニオ・ネグリの『ヨブ記』論は、「被る生」の昇華しきれない苦しみを掘り下げる足がかりとなる。「生の内部から自然へと向けられた抗議の声」(118)、とりわけ「悪の不公平さに対する憤り」(119)は、「無意味であるがゆえにこそ、自己も世界も「他なる(autre)」脱‐尺度によって新たに構成し続けることを可能にする力への希求」となる(120)。ネグリの考察は神と人との尋常ならざる関係に焦点を当てており、その意味では狭義の神義論の範疇にあるが、佐藤はこれを自然悪の問題系へと開く。自然災害のような不条理によって蒙る悪に当面して挙げられる抗議の声は、受苦に生の意味を見出す「被る生」の射程を越える。現時点ではこの世界においてまったくの無意味であるこの受苦に発した嘆きは、無意味であるがゆえに世界の意味のあり方それ自体を変革する力の伏流となる。自然悪を被る者の嘆きは、既存の世界を掘削し、来たるべき新しい世界の在り処を開示する。
第6章では受苦の主体が抗議の声を発する前の状態、クダを巻く情動に囚われている受苦の様態に遡って考察が進められている。
神義論の系譜において、降りかかってくる苦難を神の試練として乗り越える、という自己啓発的論調は退潮する。この「エイレナイオス型神義論」の欠陥を、佐藤は「他人の苦しみと引き換えになっても、自己の、そして人類の成長を求め」「他人を手段化する」「道具主義」に認める(133)。同様に、神の全能性を否定し、「神もまた悪に苦しむ弱い神である」として受苦(passion)を共感受苦(compassion)の路線で考えようとするポスト神義論も道具主義の陥穽を逃れてはいない。人と同じような神との共感受苦を論じるとなれば、エイレナイオス型神義論と同じく、苦しみを道具化する危険はある。道具主義の陥穽を考慮する佐藤は、なんらかの役に立つというかたちで苦しみを正当化して掬い上げるのではなく、「人間の孤独な苦しみ」(131)を深めていく方向に、宗教哲学の可能性を求める。
エマニュエル・レヴィナスとミシェル・アンリの考察も受苦の経験そのものには届いていない。レヴィナスは苦しみが全くの無用で不条理であるがゆえに、苦しむものとそうではないものとのあいだに非対称の倫理が生起すると考える。前述したように、アンリは苦しみの理由を前景化し、「生が生として生き生きしていること自体が、被るという働きにもとづいている」とし、生きている限り決して免れえない「苦しむ働き」を生の自己触発の原理として提示していた(138)。しかし、苦しんでいる最中の人にレヴィナスとアンリの考察は無益であろう。神義論のように苦しみを世界の構造に落とし込み、これを成長の糧として前向きに考えてやりすごすのでもなく、苦しむ経験を他者との倫理的な関係性が始まる可能性として置き換えるのでもなく、生きる上で必然的な経験として受苦を丸め込むのでもない、苦しむ人の解消しない受苦そのものを生の下に覗く深淵まで掘り下げる隘路はあるのか。
ポール・リクールは、他者と疎遠になる経験、そして肯定的・積極的能力の剥奪として苦しみを考える。苦しみにいつもいつまでも耐えられるほど人は強くはない。苦しみは弱さの階梯をどこまでも下っていく無能さの経験である。この無能さのなかで人が求めているのは、自然悪によって被った苦しみの意味ではなく、「自己の存在とその意味の肯定」である。当て所ない嘆きやうめきは「自己を自己として尊敬し、自己が存在してもよいのだと認められること」、あるいは「存在の肯定」としての赦し」の要求である(141)。地を這うような苦しみから発する嘆きは、喪失した赦しうる能力を回復する手前にいることを明かしている。これで受苦は一歩、掘り下げられたと言えよう。*4
第7章では「宛て先さえ分からない抗議の声にはじまるような悪をめぐる思索」が一段と深められる(144)。まずポスト神義論が論じる苦しみの類型を、被る生の触発、人間と同じように苦しむ神のパトス、苦しみを根絶する能力があるにもかかわらず悪を放置する神を告発する抗議のみっつに分類する。ここで苦しみの情動をより深く掘り下げ、その深みを測深する可能性があると認められるのは、ジョン・ロスが提起する抗議の神義論である。アンリの被る生においては、苦しみが生と一体となり、自己の外への抗議は封じられている。またモルトマンの考える人間と同じように苦しむ弱い神のモデルでも、神の怒りは愛によって即座に弱められる。すなわち神は、解消できない憤りを自己の外に向けるのではなく、人間への共感というかたちで昇華してしまう。そこに来てロスの場合、神は人間が憤慨をぶつけることのできるれっきとした対象となっている。人間に苦しみをもたらす悪しき神のふるまいを糾弾しつつ神の善なる命令には従う、という「神に抗うことで神に従う」神義論は、苦しみに耐えられない弱い人間が自己の外に向かって抗議の声を発する権利を認める(154)。しかしながら佐藤は、自身への反省の意識を欠けば、苦しみのすべてをわら人形にぶつけ己の生を顧みない、「抗議し憤る力のもつ暴力性に耽溺する恐れ」が拭えないことを言い添える(154)。
ロスの議論は多分に問題含みではある。しかし、暗い情動を外に向けざるを得ない無能さは、4章までで議論されていた死者という究極的に無能な存在と共振する。さまざまな能力を剥奪されていようと、生きている人間はそれでもまだなんらかの能力を保持している。苦しむことができる、被る生を生きることができる、そしてその苦しみに抗議することのできる人間はまだ無能ではない。苦しみの果てに死んでしまった死者に欠けている抗議する力を神義論は扱えない。「自らが被る不条理な苦しみに抗議(なり感謝なり沈黙なり)の反応を示す能力すらも剥奪された死者」の不満を生者が代理することなく、そこにロスのいう抗議の力やネグリのいう世界を変革する無意味の力を埋め戻すこと(155)。悪をめぐる生者の苦しみの議論は、憤怒を天界に向けたり、苛立ちをぶつける相手を探したり、生者自身の生に閉ざしたりする水平方向の彷徨から抜け出し、死者のパトスを掘り下げる破線状の鉛直線を描く。「異なる世界の構成」への希求を強くつき動かすものが、何の意味もなく不幸に死んでいった死者たちの存在なのである」(158)。
第8章では、トマス・ネーゲルが主導した「死の害の哲学」を足掛かりに、死によって被る害、ならびに死者が被る害とはどのようなものなのかを考察し、そして最終的には死という悪に対して(生者ではなく)死者が抗議できるのか問う。
ネーゲルは、「肉体的・精神的に直接害を被ったというよりも(それを被る時点でその人は存在しない)、将来得られたはずの幸福が死によって奪われたから、消極的な意味において、害ないし不幸なのだ」という(164)。生きているときに被る過去のことにできる害とは異なり、死の害は未来の幸福を奪う「消極的な害」として位置づけられる。
ネーゲルの「剥奪説」に対しては、害を被るときと害を被る主体の位置、というふたつの側面から批判が加えられている。死の害の時間性については、生きている時点からすでに死の害は始まっているとする見解、また死の害は死の時点で終わるのではなく、後世の生者による語りの関係性のなかで死者は害を被り続ける可能性があるという提起がある。死の害を被る死者に関しては、死の瞬間に現存している断片的な主体ではなく、生まれてから死ぬまで人生を持続的に生きてきた主体として捉える論者や、生まれていないものや可能世界にいるものも含む、現存はしないが存在はしているオブジェクトとして思考実験を試みる論者がいる。
しかし佐藤が焦点化するのは、死の害の時間性や死者のステータスではなく、なにが死によって剥奪されるのか、という点である。佐藤は死が幸福を奪う側面と不幸を奪う側面がある、というネーゲルの補説をつけ加えたうえで、しかし奪うといっても幸福や不幸は量的に計算できない、と指摘する。代わりに、人間のありかたを「なしうる人間」と規定したリクールと死によるなしうる能力の剥奪に言及する吉沢文武の説を補論とする。ただし佐藤は、いずれ過去のものとなる生者が被る一回的な害とは異なり、死によるなしうる能力の剥奪は「被った状態の固定化」を特徴とする点をつけ加えるのを忘れない(168)。死の害の場合、なしうる能力の剥奪には不可逆性が、すなわち能力を回復する可能性の剥奪が伴う。
第7章で展開された抗議の神義論に従えば、自然悪に当面した人間には、(対象はなんであれ)苦しみの不当さを訴える抗議のうめき声をあげる能力がある。ネグリの『ヨブ記』論によってこれを補えば、自然悪を前にして苦しむ人は苦しみの前に無力であり、まるで無能であるかのように感じられるかもしれないが、実のところその無力さは、自らの苦しみに意味を与えてくれない世界に抗議し、その懊悩の無意味さを包摂しない世界を変革する潜勢力ともなりうる。だが、すでに見たように、死者は自らが被った死という害に抗議することさえできない。
この論述の帰結から佐藤は、「死という悪に死者は抗議できるのか」という問いへと遡り、これを「死者にとって死が害(ないし悪)である」と「死者本人が死という害に抗議すること」のふたつに分ける(170)。ここから当初の問いを再考すると、後者のテーゼのほうが前者のテーゼより先行することになる。つまり当初の問いは、「死者が死に抗議できないから死は害である」という応答へと脱臼する(171)。佐藤が断るとおりこれは予備的考察に過ぎない。しかし神義論に死者を招き入れ、問いを掘り下げる可能性を示したことにより、宗教哲学は鉛直線を半歩分引いたことになるだろう。
佐藤の論はここで終わる。以下、書評子が5章から8章までの議論に関し、若干のコメントを加える。
まず、リクールに倣うなら、自然悪によって生きるものが被る受苦の経験には、苦しみの最中の孤立とさまざまな能力の喪失が伴う。この意味で、自然災害によって被害を受けた当事者は、支障なく日常生活を送る者と比べれば、相対的な無能力状態に置かれることになる。だが、佐藤はネグリに依拠しながら、自然悪の経験の無意味をもって意味の体系を変革するという無能なものしか持ちえない力に注視する。これは自然悪を悪として受け止めるほかない暗い情念に縛られた人間だけに可能な特異な能力であろう。高みではなく、冥界の深みを測深するという佐藤の姿勢はここでも一貫している。おそらくは、さらなる深淵へ、すなわち自然の猛威によって死を被った死者という死に抗議すること可能性さえ奪われたさらなる無能なものへと向かい、ここになんらかの鉛直的な潜勢力を手繰る、というのが著者の今後の課題となるのだろうと推測する。
最後に問いかけをしておきたい。著者は4章までの議論で、死者を記憶するという強い人間のモデルから遠ざかる痕跡のネットワークを提起した。わたしの読みが適切であるとするなら、(自然悪による)死の害を被った死者が抗議する能力を喪失するという8章の議論から帰納すると、死は忘却の領域であるということになるだろう。死者を記憶することを断念できる生者とは異なり、死が害であるかどうかにかかわらず、死者は死に抗議すること、ひいては死それ自体を忘却しているとは考えられないだろうか。痕跡のネットワークにおいても、そこには生者と死者の微かなつながりと断絶とが同時に示されていた。生者は記憶を断念し考古学的な思考をもって痕跡のネットワークに目を向ける力を有しているが、死者は死を記憶できない。生者が生きる世界のなかに物質的な痕跡としてただ残存する、あらゆる能力を剥奪された死者は、生者による読解を期待するパトス(の残存?)を物質的に銘記する存在になるだろう。記憶することも記憶しないこともできない死者が、強い記憶のモデルの代案となる、記憶の断念=痕跡モデルを体現している点になんらかの潜勢力を認める必要があるのかもしれない。
後半の議論が善い死者や安らかに眠る死者といった慰霊モデルに抗っているという点も付記しておきたい。死者は安らかに眠っているとは限らない。暗い情念を抱え、報われない思いに身もだえしているかもしれない。このようなほとんど思考不可能に思える死者のパトスの深みに下りていくことが必要なのは、なんらメランコリーを残さずに喪の作業を終え、死者が消費されてしまう危険性に抗うためだろう。安らかに眠ることも復讐することも抗議の声を上げることもできない死者を思考する。そのために、生者のメランコリーを論じるとともに、クリプトに眠る死者のパトスを掘り下げてみる。誰にも十全に知ることのできないパトスの零度を。死そのものを忘却してもなお残存する物質的パトスを。決して消費も昇華もできない死者のパトスを論じる宗教哲学者のさらなる穿孔に期待する。


殺されたものの代わりに復讐してやろうという怨念。忘れようとしても忘れることのできない苦しみ。これらの暗い情動の根源には死者がいる。超克できないものを超克するという強く高邁な理念は、弱さの極致にある死者が住まう深淵があって初めて反動的な遠心力を得る。より深いものがより高いものを要請する。遠心的に理念は競り上がる。
悪や苦しみの経験の基礎は地上にも天上にもない。それは遥か地下の冥界にある。宗教哲学が目指すべきは、ルシフェルの鎮座する地獄の底である。底なしの冥界下りに挑み、強さの理念から遠ざかって弱さの理念に迫り、死者の場への隘路をつなぐことに、宗教哲学の潜勢力と未来はあるだろう。

*1:死者の痕跡ネットワークと考古学者の読解に関する佐藤の議論は、調査対象であるメラニシアの切断‐空白‐喚起文化が構成する部分的つながりのネットワークを論じるマリリン・ストラザーンの人類学者像と共鳴するだろうし、人間の絶滅以後に出現するであろう疑似考古学者的視点から人新世を廃墟や遺跡、遺物の集積として思考するクレア・コールブルックの議論にも近い。ストラザーンに関しては後日書評を書く予定。

*2:自然悪と人為的な悪を分けることができるのか、という問題はある。技術と自然の境界が限りなく不鮮明になった時代において、災害発生後に抗議の対象を絞ることは難しい。だからこそ、自然と切り離すことができないことを前提にして技術による構築物は設計されなければならない。

*3:このようなフーコー的な自己触発の関係性は、痕跡生成のプロセスと似ているように思う。自己触発の生から死者の痕跡へと退隠していく破線を描くこともできるのではないか。あるいは、生そのものを痕跡として思考することもできるのではないか。

*4:本章ではリクールが「決め手」となっているが、本書は基本的には、著者が博士論文で論じたリクールの思想を掘り下げ、さらなる深淵へと遠ざかる遠心運動を目指した一冊だと思う。考古学やネグリの論から得られた着想は、リクール以上の深みへと宗教哲学をいざなう可能性を秘めているように思う。