ゴリアテ

 なんだかブログらしいブログを書くのは久しぶり。ツイッターのほうが字数の制約を気にして短くしようという自制心が働くので読み手には優しいだろうし、わたしとしても無駄なことを書き過ぎずにすむという利点がある。フェイスブックはどうも肌に合わないので、少しずつ離れていこうと思う。余計なことついでに、この前届いた『アメリカ文学研究』、いつからあんな爺むさい論文ばかりが投稿されるようになったのか。つまらない。論理的に危うくとも、新しいことを為してやろうという野心に欠けるのではないか。と無責任に毒を吐いてみる。
 冬眠にしてはあまりに遅すぎる。春眠暁を覚えず、といったところか、12時間以上寝る日もある。さりとて熟睡しているわけでもなさそうで、3時間おきに目が醒める。大著ばかりに手を出して、なかなか読了の手ごたえを得られないせいか、起きている時間も社会の歯車というには程遠く、せいぜい怠惰なハムスター程度の空回り。手近な達成感にありつこうと手を出したのがこれ。

ゴリアテ

ゴリアテ

 ゴリアテダヴィデの話と言えば、聖書の物語に疎い連中でも聞きかじったことぐらいはある有名な話。たいていダヴィデの方に肩入れして、小よく大を制す、山椒は小粒でもぴりりと辛い、いかにも日本人が好きそうな西洋版一寸法師のような話として語られる。ダヴィデはフィレンツェの守り神でもあり、巨人ローマに立ち向かう商人の街の気概を託されたイコンでもある。一見弱そうな方が、一見強そうなものに勝つ、という物語の範型は、古今東西どこでも嫌われることはなさそうだ。
 そんな敵役のゴリアテを主人公にして、見た目は強そうだけど、実は争い事が嫌いで事務仕事に従事しているという設定を加えた本書はイギリスの漫画。おしゃれな言い方をすればグラフィック・ノヴェルというような括りになるそうだが、平たく言えば少し長い絵本だ。なのですぐに読める。すぐに読めるのだけど、なかなか読み終わらない。百家争鳴、解釈の割れそうなテクストなのだ、これが。ダヴィデの逸話がパレスチナイスラエルの戦いを背景にしているといういかにも現代的な事情が事を複雑にもしている。ゴリアテパレスチナ側の尖兵でもある。そういう余計な情報が読むことを貧しくすることも多いが、この場合、聖書の枠組みと、ごく幼い共感の次元とのあいだに大人の事情が鎮座して、味わいが広がっていく。ときどき読み返そうと思う。