「論争の的となっている私の所見についての最後の所見」(ジュディス・バトラーの声明)

 http://www.egs.edu/faculty/judith-butler/articles/final-remarks-on-my-controversial-remark/
 

 Judith Butler. "Final Remarks on my Controversial Remark." in: European Graduate School. July 8, 2012. (English).
 

 ハマスヒズボラ、ふたつの集団がある意味左派に属する、とする私の所見は、他にもたくさんの発言をしたあるひと晩の流れのうえでのものでした。この所見だけが文脈から切り離され、私の信念はおろか、信じがたいことに私が採る政治的位置までこの所見が表していることになってしまいました。私は発話というものが文脈から独立して理解できるものだとは思いません。少なくとも、その所見は私に、そして私の名前に帰属するのですから。そのため私にできることといえば、当該の論争にさらなる言葉を加えることです。これが本当に最後ですから、あの所見の真意、そしてこの[最後の]所見の真意をわかってもらえるよう努めることにします。
 なぜ懸念があるのか、私にはわかります。私たちのうち誰であれ、ある集団が世界左派に「属している」と言ったならば、私たちは帰属の諸条件を打ち立てる判断基準をはっきり使用していることになるからです。するとこんな疑問が頭をもたげます、どんな判断基準を私は使っているのだろう? 私は反帝国主義が左翼に参加するための十分条件だと言っていたのでしょうか? 私がオーディエンスのひとりからハマスヒズボラは世界左翼の一部なのかどうかに関する質問を受けた時、反帝国主義は件の諸集団に共通するひとつの色だ、と私は指摘しました。あの場限りの意味でいうと、彼らの位置どりは左翼として色づけされたかもしれません。私はこの質疑応答においてハマスヒズボラを擁護したわけではありません。私はそれ以前も以後もどちらの組織も擁護したことはありません。件の発言の前後には、件の文脈に即して、非暴力の政治を支持するとも、私は明言しました。
 私の所見に対する批判のいくつかは、だいたい私の言っていることは反帝国主義が世界左翼に属するに足る十分条件である、というようなことだろう、という思い込みのせいでなされたのだと思います。誓って申し上げますが、私が支持するかもしれないどんな左翼の亜種であれ、反帝国主義というだけでは十分条件ではない、というのが私の見解です。たとえば、私が反ユダヤ的、暴力的、人種差別的、同性愛嫌悪的、性差別的な人や集団と共闘関係を結ぶことはありえないでしょう。だから、私が主張しているのはそのような集団と同盟を結ぶことでも、彼らを持ち上げることでもないのです。
  むしろ、あの時、私はひとりの匿名の対話者と共に、これらの集団が、左翼と呼ばれる例の運動を指し示す、私たちのまだ生き延びている(そして恐らく痩せさらばえた)語彙といくらか類似しているようにみえるかどうかについて考えていたのです。この場合、私は一つの判断基準を選び、他を排除しました。そうすることによって、のちのちの混乱が生じました。しかし、それは重要な混乱です。なぜならそれはより広範に渡る問いの系を開いたからです。つまり、左翼の境界を画定する記述とはなにか、[法的]判断とはなにか、このふたつの問題系に関連して彼らはどのように働くのか、という問いです。
 今となってみれば、私はフロアにあのような問いを立てさせることになった言葉づかいをやめるべきでした。ひとまとまりの「世界左翼」などありませんし、私はそう言うべきでした。また別の文脈において世界左翼という媒概念を打ち立てるために必要となるはずの規範的な判断基準を、私は熱心に議論しています。その問いにはいくらか忍耐がいるのだと仮定してみましょう。私がここで言えるのは、次のようなことです。私たちが「左翼」として受け入れ、奉じ、擁護するもの(つまり、左翼としての予め合意の為された価値基準のひとつひとつを満たしているもの)を左翼として記述=境界画定することだけが許されているのであれば、私たちは自分たちの記述=境界画定と議論から、左翼と連帯するか左翼の言説を利用するような件の運動すべての、相当程度疑わしい、有害ですらある諸次元を排除しているのです。
 もし左翼の規範的理想がその始めから現代の左翼の記述=境界画定を制限しているのであれば、私たちの左翼の記述=境界画定は、受け入れることのできないものすべてを締め出していくことでしょう。そのような記述=境界画定は「偽」に陥るだけでなく、現実に覆いをかけ、今いる左翼の現実よりもずっと素晴らしい、純度をますます高めていく理想を前提条件とすることになります。さらに私たちは、部分的な繋がりや感じることはできる繋がりを左翼と持つ運動、あるいは左翼の語彙を部分的に共有する運動にある、不適切もしくはあからさまに受け入れられない諸次元を批判するために不可欠な能力を失います。
 私たちは、善でも悪でも、左翼の言語や戦略に役立つ運動の濃淡すべてを記述=境界画定できなくてはなりません。もし私たちが自分たちの住まう世界がどのようにして政治的に組織されているか知りたければの話ですが。こういったことは彼らの言葉づかいを受け入れるということではありません。そうした言葉づかいを批判的に分析するということです。つまり、黙認できないものを素描=境界画定することを拒むのなら、私たちが擁護したくない集団を批判するために必要な基盤を失うのです。もし反帝国主義的な枠づけを左翼の亜種とみなさないのであれば、私たちはその枠づけの不十分さを訴えることさえできないでしょう。私たちが反帝国主義の枠づけを退けるのであれば、その輪郭を描き出し、その目的を評価するとともにその不十分さを暴露する必要があります。
 しかし私たちが擁護したり価値があるとするものを「左翼」と呼ぶだけでは、私たちが住まい、格闘する、かくも入り組んだ政治的世界を描き出す=境界画定することは叶いません。さらにもし私たちが本当に奉じたい理想がいずれ実現されようとしているか、その実現にずっと近づいてきているのであれば、私たちの批判的な注意を喉から手が出るほど求めているのは、私たちが生きる、まさに入り組んだこの世界なのです。
 記述=境界画定はしばしば所与の評価や判断に左右されるものであること、また私たちが簡単に規範的な枠組みから逃れられないのも承知しています。しかし単一の命題に対する規範的な枠組みは、その枠組みが供する熟議の検討なくして、適切に枠組みの正体を言い当てたり、評価できるものではありません。
 とはいえ、なぜ私は件の問いに答えたのでしょう? あの晩、レバノン南部爆撃の後、私は講演(便宜的にヤフーのクリップには入れていません)のなかで非暴力を強く訴えたばかりでした。そして私はこう言いたかったのです。私がイスラエルの犯す国家犯罪を批判したのと同様、私はパレスチナ人自決の権利確立を模索する運動が、非‐暴力的な抵抗・動員の諸様態を肯定することによってもたらされるのであればそれに勝るものはないとも思う、と言いたかったのです。
 結果、非暴力的な手段によって、そして共存に向けて穏健に関与し目的を達成しようと模索する、すでに存在するパレスチナ人たちの運動にもっと近づくよう、私は件の諸集団に訴えていたのでした(そして同じことをイスラエル国家にも訴えました)。言い換えるなら、私が言っていたのは、反帝国主義あるいは開拓植民地主義への反感が、政治的な土台としては不十分だということ、そして同じく最低限、非‐暴力の諸原理を奉じなければならない、ということです。
 私は、いうなれば、談論風発な空間を披こうとしていました。そこで、占領に抵抗するという目的、もっといえば開拓植民地主義に抵抗する目的は、非暴力的な手段によって達成できるかもしれない、と言うつもりでした。おそらくこのようにして起こった悲劇的アイロニーなのでしょう。つまり、私の所見(それに私の著書)が誰か彼かによって、文脈を失ったひとまとめの発言へと還元されていき、それらが、こうした諸集団と左翼とのつながりを私が肯定しているということにしてしまっているのです。それどころか私があのときした実際の議論は、つまり、開拓植民地主義に対する抵抗でさえ反人種主義に係わらなければならず、非‐暴力的なかたちをとらなければならない、というものだったのに。
 こういったことが私の発言の背景となる主張です。私の出版物、講義、インタヴューに載っている主張であり、長い間私が議論してきた主張であり、私がいまだに議論している主張であり、不幸なことに時折[ユダヤの]律法によって立ち退きの判決を受ける主張なのです。